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第15話 エクソシストpart2

「わたしはもとから誰でもない人間でした。わたしはご覧の通り混血児です。父がロシア人だった・・のだと思います。母は・・どういう仕事か知りませんが、おそらく夜の商売をしていたのでしょう。ロシア人である父は、不法滞在者でした。もしかしたら何か犯罪を犯していたのかもしれません。幼い頃わたしたちはずっと世間から隠れるように、暗いところをコソコソ逃げ回る生活をしていたように思います。友だちも・・覚えていません。いなかったのだと思います。それでもわたしは不幸ではなかったと思います。父も母も愛していたように思います。全てあやふやな過去形です。わたしは多分7歳の頃、死んだのです、火事に焼かれて。

 父も母も死にました。わたしも全身に大やけどを負って、とても生き長らえる状態ではなかったそうです。その時の苦しみは今も覚えています。わたしはずっと心の中で泣いていました。ただひたすら助けを求めていたのです。死にたくなかったのでしょう。

 暗闇の中に美しい女神さまが現れました。女神さまはわたしに生きたいかと尋ねられました。わたしは生きたいと答えました。女神さまは自分の力を受け入れれば生きられると言いました。ただし、自分の力を持つことは人間にはとても苦しいことだと。わたしはそれでもいいと答えました。死にたくはなかったのです。女神さまは、では生きなさいとおっしゃり、わたしの中に入ってきました。

 わたしは目を覚まし、生き返りました。焼けただれた全身もすっかり綺麗になっていました。しかし目覚めて一目外の世界を見た途端わたしの目はほとんど見えなくなってしまいました。世界が何かとてつもなく恐ろしいものに見えたのです。わたしはそのショックでガタガタ震えるばかりで口もきけなくなってしまいました。すっかり内に籠もってしまい、施設に入れられて、ずっと、孤独に過ごしてきました、15歳になるまで・・。

 わたしは口もきけず、もともと誰でもなかったので、施設で勝手に美奈子と名付けられました。ミナシゴの意味です。15でようやく口がきけるようになり、本名は美姫だと名乗りましたが、実は本名ではありません。わたしが覚えている名前はサシャというものでした。わたしが名乗った美姫とは、女神さまの名前です。名前ばかりではありません、この顔も、体も、わたしが死の闇の中で見た女神さまそのものです。わたしはもうわたしという人間ではありません。女神さまに生かしてもらっている人形です。

 それでもこの感情だけは自分のものだと思っています。怒りも、悲しみも、恐怖も、喜びも。だからわたしは生きています。生きているというのは、嬉しいものです」

 ・・・・・・・。先生にそのような壮絶な過去があったなどまるで知らなかった。芙蓉は顔面を蒼白にして、目を赤く潤ませている。

 峰谷早苗も、顔面をこわばらせ、目にうっすら涙を浮かべている。これが、本当の悲劇のヒロインというものなのだ。先生は現実に戻ってきて言う。

「整理してみましょう。あなたはあのビデオを見ましたね?」

 早苗の顔が恐怖でこわばる。

「あなたはそこで恐ろしい物を見た。普通の人には見えていませんが、あのビデオは、あなたが見たとおりの物が映っています」

 早苗は脅えながら、それでも自分の頭がおかしかったのではないと確認した。

「しかし、あなたが思っていたようにあなたはそこで悪霊に取り憑かれたわけではありません」

 早苗の顔がそんなはずはないと再び意固地になる。

「いいえ、憑いていなかったのです。あなたが、今になって呼び寄せてしまったのです」

 早苗は再び先生に敵意を見せた。先生は慌てない。

「あなたの気持ちは分かります。あなたはあの悪夢を忘れようと自棄とも思える相当無理なこともしましたね? それこそがあなたの受けた傷なのです」

 早苗は疑いながらも先生の言葉に耳を傾ける。

「霊障というものです。あなたはあのビデオに映り込んだ強い怨念に当てられて霊体に深い傷を負ったのです。さらに青木たちにひどい目に遭わされて、心に決定的な傷を負ってしまった。あの時点であなたは霊になど憑かれていなかった。しかし、そう思わなければ、あなたの心の傷があなたを引き裂いてしまうのを防ぐことは出来なかったのです」

 早苗の目が真っ赤になって唇がブルブル震えた。その唇はもう1年半もの間一度も開かれたことがなく、糊できつく張り合わせたように薄くなっている。

 先生は同情的な優しい眼差しで言う。

「心の傷とは受けたその時にはどうということもなく思われても、時間が経ち、後からはるかに深刻なダメージとなって浮き上がってくるものなのです。早苗さん。あなたはとても苦しんだのでしょう。自分を完全に否定するなど、とても悲しく辛いことです。でもあなたは勘違いしていますよ。ご主人は他でもない、あなたを、好きになったのです。あなたは変わる必要なんてないんです。あなたはあなたのままでいいんです。もっと言ってあげましょう、あなたは何も悪くなかった、醜くもなかった、年頃の女の子がかわいくないわけないでしょう? あなたは、何も悪くなかった、あなたは一つも責められるようなところはなかった、あなたは正しい、間違っていない。

 わたしの言葉と、青木雄二と、どちらを信じます? ご主人と青木雄二と、どちらがあなたの味方です?」

 峰谷早苗の目から涙がこぼれた。先生の声に怒りがこもり強く言う。

「あなたは悪くない。悪いのは全て青木雄二という悪人です!」

「・・・う・・・あ・・・・・」

 早苗の口が開き、老婆のようにかすれた声が漏れた。先生に視線を送られ、芙蓉は早苗の喉に手を添えた。芙蓉の力である治癒の気を送る。

「・・うう・・、あ・・、ありが・・とう・・・・」

 芙蓉も、泣いた。先生は微笑み、顔を引き締めた。

「これからが本番ですよ。早苗さんの中に巣くう悪霊をあぶり出し、成敗しなければ。

 もう一度訊きましょう、早苗さん、あなたは長谷川さんまで殺す気ですか?」

 早苗は必死となって首を振った。

「い・・いや。・・・恨んだけど・・、あの人は、苦しんでいるはず・・」

 先生は頷く。

「そうですね。あの人の苦しみは一生続くでしょう。あなたが殺すまでもありません。他の人たちはどうです?金森は?間宮は?青木は?」

「・・居なくなってほしかった・・、わたしの人生から、過去から・・。でも・・」

「殺したいとは思わなかった。そんな風に関わることさえ嫌だった。そうですね?」

 早苗は頷いた。

「あなたは優しい人です。つい自分が悪いのだと思い込んでしまって他人に対して攻撃的になることなどなかった。まあそれがあなたの不幸なのですが。でも、あなたが殺したのですね?」

 早苗は涙を流して頷いた。

「後悔していますか?」

 頷く。

「青木に関してはどうです? あの人だけはさすがのあなたも許せないのではありませんか?」

「・・あの人だけは・・・・憎い・・・・」

「ですね。それが、彼は気に入らないのです」

 早苗は疑問の顔で先生を見る。芙蓉も分からない。

「この世で青木雄二を最も憎んでいたのは間違いなく嶋村早苗さん、あなたです。青木自身それは分かっていました。だから彼は自分が殺されたとき、自分が殺されたのを、あなたのせいに、したのです」

 早苗の顔に驚愕が走る。

「・・わたしが殺したのでは・・ないの?・・」

「違いますよ。彼を殺したのは桜野葉子という少女です」

「でも、それはわたしが彼女の体に乗り移って青木を殺したのでは?・・」

「逆です。体を乗っ取られているのはあなたの方です。

 青木雄二というのはどうしようもなく最低の男です。まあ家庭環境的に同情すべき点もあるかもしれませんが、自分が不幸だからといって他人を不幸にする権利などありません。まして青木程度の不幸、世の中でどうといったレベルの不幸ではありません。世に不幸な人などいくらでもいます。青木はただのくだらないナルシストの変態です。マザコンの変態です。臆病者のシスコンでロリコンです。変態です。弱い者イジメしかできない腐れ外道です。あんなクソヤロウ殺された方が世のためというものです」

 かつて先生の口からこれほど人をけなす汚い言葉が吐かれたのを芙蓉は知らない。顔つきまでまるであの岳戸由宇のようだ。早苗までさすがの汚いののしりに顔をこわばらせている。先生は残酷に意地悪な目で早苗を見つめて言う。

「陰にコソコソ隠れて女の尻をつけ回すことしかできないストーカーの変態男。なんてみっともない。いつまでそこに隠れている気?」

 早苗の顔が一瞬にして緑色に変色し、カアーッ・・と物を吐き出すように大口を開けた。実際ゴクリと喉が動いて何かが吐き出された。先生の顔がきりっといつもの美しい正義の味方になった。

「出てきたわね、青木雄二」

 一瞬チラッと芙蓉に視線を送った。芙蓉は心の中で頷き、そっと、行動を起こした。

 ドアがドンドン叩かれた。

「開けなさい! 早く! 即刻中止しなさい! 警備員を呼びますよ!」

 戸川医師のヒステリックな声だ。このドアはスライド式で鍵はない。外から開くはずだが、ドアを叩く音は一向に止まない。


『うるさい!』


 外で悲鳴が上がり、物のぶつかる音がした。戸川医師が何者かに突き飛ばされ転倒したのだ。先生が冷静に注意した。

「危険ですよ。大人しくモニターで見ていてください」

 先生はじっと早苗のベッドの上の宙を見ている。そこにもやもやした黒い影が浮かんでいる。

「あなたの相手はわたしです。関係ない人に暴力を振るうのはやめなさい」

 黒い影はスッと人の形になった。男だ。ギョロリと血走った目だけが出現した。

『つけ上がるんじゃねえ、女』

 影、青木雄二の亡霊は先生に凄んだ。

『てめえ、いきがるとずたずたに切り裂いてやるぞ!』

「さて、あなたにそんな強い力があるんですか?」

 目に続き真っ赤な口が出現して笑った。

『馬鹿が。生身の人間が俺様の力に叶うわけねえだろ?』

 先生は嘲笑った。

「あなたの力ではないでしょう? 桜野葉子さんから授けてもらった力でしょう? あなたなんてただの低級霊、ザコよ」

『うるせえってのが分からねえかっ!』

 影はブンと右手を振るった。黒い風が巻き起こり、先生の髪が揺れた。影の右手が、白く、立体的な質感を得ている。

『どうだ、驚いたか?』

 先生はしらっと言う。

「何かしたの? ハエがいるのかしら? 嫌ねえ」

『このむかつく気取り女め! 切り裂いてやる!』

 影はまるでカンフー映画のように手足を無茶苦茶に振るった。先生の髪がなびき、ブラウスの袖が揺れたが、先生は平気だ。

『な、なんだよ、おまえ』

 影は幽霊のくせにゼイゼイ言うように肩を揺らせている。黒い陽炎だった体が、すっかり白く実体化している。先生はさらに嘲り、あおる。

「相手が悪かったわね。わたしは岳戸さんのような三流とは違うの。神に、勝てると思ってるの?」

 影は凶暴に笑った。まるで鬼のように真っ赤な顔が実体化した。

『だったら俺は悪魔だ! 生身の体に泣きを見させてやる!』

 影、青木は先生の首に掴みかかった。ガッと掴み、白い喉に指をめり込ませていく。勝ち誇った凶暴な笑いが、驚愕し、哀れに情けない顔になっていく。

『うわ、うわ、わあああー・・』

 青木の白い手が真っ赤に燃え上がり湯気を上げている。

『ギャー、ウギャー、ギャーッ!・・』

 絶叫して全身を痙攣させる。肩まで燃え上がり、肘までボロッと崩れて、青木は悲鳴を上げて飛び退いた。

『ウギャー、イテエーッ、なんだよ、なんで死んでんのにこんなに痛てえんだよおおおっ!?』

 先生はスッと右手を伸ばして青木の顔を掴んだ。ジュッと泡が立ち、真っ白な煙が盛大に上がった。

『イギャアアアアアアアアッ!!!!!!』

 顔から煙を噴きだしたまま青木は空中で転げ回った。顔をかきむしりたいのだろうが、腕はない。

『い、い、い、いてええー・・。なんでだ、なんでこんなに痛てえ?』

 ようやく煙が収まって、怯えきった青木の目が先生に問うた。顔面の肉が無惨にえぐれて骸骨が覗いている。先生は冷たく言う。

「馬鹿ですね。神に触れたのですよ? 魂が直接死んでいくのです。痛いに決まっているでしょう?」

『魂が・・、死んでいく?・・・・』

「死んで終わりと思ったら大間違いですよ。あなたは閻魔大王に地獄に落とされるでしょう。地獄の責め苦は、こんなものではありませんよ」

 先生はうっすら冷酷に笑った。青木は、恐怖した。

『ち、ちくしょうっ』

 何かを捜してキョロキョロした。

「助力はありませんよ」

 青木はギョッとした。

「結界を張りました」

 そう、芙蓉が張った。例の先生独自の天使の置物を部屋の四方の隅にこっそり置いておいた。青木が芙蓉の存在に気付き凶暴に睨み付けた。

「あなたの相手はわたしと言ったでしょうっ!」

 先生の鋭い一喝に芙蓉までビクッとした。

「その人に手を出したら、後悔しますよ」

 青木はニヤッと笑い、芙蓉に躍りかかった。芙蓉も身構える。が、ミシッと青木の顔が歪み、目玉が半分飛び出した。

『ぎゃあっ』

 天井にその顔面を打ち付けられた。

「殺すなんて親切なことはしてあげませんからそのつもりで」

 青木の顔面は半分崩れている。先生の恐ろしさがようやく骨身にしみて理解できたようだ。だが、まだ姑息な小ずるさが目に宿っている。

 青木は早苗を見た。早苗は白目を剥いて気絶している。青木は笑い、早苗の腹に潜り込もうとした。

「動くなっ!」

 ちょっと間の抜けた先生の命令。しかし青木は頭を下に早苗の腹に飛び込もうとした姿勢のままピタッと静止している。目が怯えて自分を縛る力の元を捜す。

 四方に青い光を放つ4人の白い女神が立っていた。芙蓉の置いた天使の像から出現したらしい。芙蓉もその姿をはっきり見るのは初めてだ。4人とも先生に似ているが、それぞれに自分の個性を持っている。先生のしもべというより、協力者といった感じだ。皆静かな目で青木を見ている。4人の発する青い光が対角にクロスし、交点で青木を捕らえている。これほどはっきりした結界の姿は他にないだろう。

「逃がしませんよ」

 先生が言うと、罰か、ビシッと青い光が青木を打ち、青木はまた悲惨な悲鳴を上げた。先生の弱いものイジメも徹底している。

「あなたを閻魔大王に引き渡す前に、役目を果たしてもらいましょう」

 早苗がボーッと目を覚まし、青木の姿を見つめてヒッと怯えた。青木はまだ悪人らしく早苗を嘲笑った。

『よお、前にも増して醜くなったものだぜ。ははは・・』

 また罰を覚悟していたらしいが、先生は何もしない。

「まず事実確認をしましょう。早苗さんの恨みの心を利用して金森、間宮を殺したのはあなたですね?」

『ああ、そうだよ』

「長谷川さんも殺そうとしましたね?」

『ああ、そうだよっ』

「フッ、しくじりましたね?」

『ああ、てめえのせいでな』

「ですね。しかし、わたしも利用されただけです。早苗さんにね」

 えっ、と早苗は驚いた。先生は優しく言う。

「あなたは、長谷川さんだけはどうしても死なせたくなかったはずです。そこで、自分が彼を殺してしまう前に、わたしに助けを求めたのです」

 早苗は信じられない顔をした。青木がカアッと憎々しく凄む。

『そうか、てめえのせいだったのか!?』

 早苗は全身で怯える。先生は早苗に寄り添い、肩に手を置いて言った。

「見てあげなさい、あの惨めな姿を。あの男はもはや無力です。あなたにはもう何も出来ませんし、あの男にはこの先、未来永劫、苦痛しかありません」

『このブスめ! てめえ、子々孫々祟ってやるっ!』

 先生は嘲った。

「無理ですね。あなたが現世に舞い戻ってくることは絶対にありません。現世においてあなたの存在は完全に抹消されます。あなたはもはやこの世界の何ものに対しても、完全に無力です」

 青木は悔しそうに歯を噛みしめた。先生は早苗を励まして言った。

「さあ、早苗さん。この男に一言言ってやりなさい」

 早苗は張りつめた目でじいっと青木を見つめ、じわりと涙を滲ませて言った。

「わたしは・・あなたが大っ嫌い、です!・・」

 青木は憎々しく嘲ったが、先生の冷たい視線を受けて弱々しくうなだれた。

 先生は頷き、立ち上がり、言った。

「けっこうです。もうあなたに用はありません。閻魔様の下へ連行しましょう」

 青木は最後の悪あがきに笑った。

『ハハハ、馬鹿め。おまえ、俺の全てを分かったつもりかっ!?』

「ええ。分かっています」

『馬ー鹿』

 先生は青木を見下し、凄んで言った。

「分かっているんです。分かっていないのは、あなたの方です。あなたは自分が主人公のつもりでしょうけれど、あなたなど、ただの脇役です。あなたこそ、なんにも分かっていないんです」

 青木は強がろうとしたが、出来なかった。完全な敗北だ。

「さようなら。もう二度と会うことはありません」

 青木の姿が外側からじわじわ消えだした。

『うわっ、なんだ、やめろ、やめてくれええっ!』

 青木は何を見ているのかキョロキョロひどく怯えた。

『や、やめてくれええええええええっっっ!!!!!』

 何を見たのか? 青木は絶叫を残してこの世から消えた。完全に。


「終わりましたよ。あなたの悪夢は」

 早苗は肩を震わせて泣いた。しばらくして落ち着くと不安そうに先生に訊いた。

「本当なんでしょうか? 本当に金森さんたちを殺したのは青木なんでしょうか?わたしでなく・・」

「ええ。間違いなく」

「どうしてでしょう? わたしには金森さんたちを殺す動機があります。でも青木には・・殺す理由がないんじゃないでしょうか?」

「ま、ありませんね。言ってみれば・・ついでです」

「ついで?」

「ええ。自分が殺されてしまって悔しいから、仲間を道連れにしてやろうと思った。ま、そういうくっだらない男だったのですよ、青木という男は」

「でも・・、友だちでしょう?」

 先生は笑った。

「そうね。あの人、他に友だちと呼べる人がいなかったのよ。他に殺してやりたいと思い付く人間がいなかったのね」

「そんな理由とも言えない理由で・・」

 早苗はまだ納得できないようだ。先生も困ったように言う。

「じゃあ教えましょう。長谷川さんを殺した後、青木はあなたを殺すつもりだったんですよ」

「わたしを・・」

「ええ。あの男が一番嫌っていたのはあなたですから」

「・・・・・・」

「あなたは恨みを晴らして、殺人者としての絶望を抱えたまま自殺するのです。あなたは素直に死を受け入れたでしょう。そして死んでしまってから全てを知って絶望的な後悔の淵で絶叫するのです、青木への恨みと憎しみと悔しさを。あの男はそれを笑って見物するつもりだったのです」

「・・・・・・・・」

 早苗の顔が怒りで赤くなった。

「なんって・・、ひどい男・・・」

「その通りです。今頃閻魔様に睨まれて真っ青になっていますよ」

「・・・閻魔様って本当にいるんですか?」

「いますよ」

 先生のニッコリ笑顔に早苗も釣られて笑った。心底ほっとしたような笑顔だった。これまでの自分を振り返って深いため息をついた。

「でも、なんて恐ろしい体験だったことか・・。青木はつまらない悪人でしたが、恐ろしい人でした・・」

「それは違いますよ」

 先生ははっきり言って早苗は疑問の顔をした。

「あの男にあんな力があるものですか。あれは青木を殺した物の力です」

「青木を殺した者が・・青木に力を貸していたんですか?」

「そうです。青木は悪魔の絶対的な力を与えられてその虜となったのです。自分もこの力を使って人を殺してやりたい、と。青木もその物に利用されていた駒の一つ、哀れな犠牲者の一人に過ぎません。自分はその絶対的な力を与えられるために殺されねばならなかったのだと勘違いしていたのです。まるっきり道化ですね」

「そんな恐ろしい者って、いったい・・・」

「それは彼らが邪魔で消し去りたかった者です。それが誰であるかは、あなたにはまったく関係ありません。あなたを殺したかったのは青木で、その者にとってあなたはまったくのついででしたから、あなたはもう安全です。どうぞ安心してください」

 早苗は先生を信じて穏やかな顔で頷いた。

「さ、あなたの事件はすっかり終わりました。ここから先はご自分で決めて下さい」

 先生は廊下に向かってどうぞと声を掛けた。ドアがすんなり開いて峰谷早苗の家族が立っていた。

「早苗」

 夫が抱いていた娘を差し出した。早苗はおっかなびっくり受け取ったが、赤ちゃんが嫌がって泣いて暴れた。早苗は悲しい顔をして夫に戻そうとした。先生が割って入り、泣き喚く赤ちゃんの頭を撫でた。

「どうしたの? あなたが会いたくてしょうがなかったお母さんよ? ほら、よくご覧なさい」

 赤ちゃんは早苗の顔を見て、また泣いた。でも泣き方が違う。小さな手で必死となって母親にしがみついている。早苗もいっしょに泣いて我が子を抱きしめた。心から幸せそうな顔だった。夫も涙ぐんで言う。

「もうハイハイもするんだぜ。おまえのオッパイを恋しがって夜泣きがひどくてまいってるんだ。これから、頼むからな」

 早苗は涙でグズグズになりながら一生懸命頷いた。夫は先生にまっすぐ向き合って深々頭を下げた。

「先生。ありがとうございました」

「いえ。これからはあなた方次第ですからね、どうぞ頑張って、お幸せに」

 先生も嬉しそうに微笑み、家族の後ろで怖い顔で立っている戸川医師に

「失礼」

 と優雅に一礼して病室を出た。芙蓉も失礼と続く。


 病院の建物を出て、芙蓉はすがすがしく外の空気を吸った。

「思ったより早く終わりましたね。これなら夕方には青山市に着けますよ」

 今時刻は3時になろうとしてるところだ。

「そうね」

「驚きました。まさか青木雄二が被害者ではなく加害者だったなんて」

「まあ嶋村早苗さんの件に関してはそうね」

 先生は何故か浮かない顔である。

「結局わたしは敵の策略にまんまと乗ってしまったわ」

「でも先生は不幸な早苗さんを救ったじゃありませんか?」

「そうね。わたしが彼女を放っておけないのも計算の内よ。長谷川さんに呼ばれたのも早苗さんを救いに立ち寄ったのも、そもそも青木雄二を泳がせておいたのも、みんな罠よ」

 先生は自分に怒りを向けて言った。

「わたしは青木の霊を逃さないため、外の干渉を断つため、結界を張りました。それはわたしのアンテナも内に封じることになりました。その隙を、待っていたのです」

 先生の暗い顔に芙蓉は不安になった。

「ご覧なさい」

 先生は東の空を指さす。真っ青な晴天の遠く地平線近くが灰色に煙っている。

「今、魔界の口が開く」

 軽く地面が揺れた気がした。しかしそれに数百数千数万倍する衝撃を芙蓉は感じた。

「先生ッ!」

 先生は暗い顔で頷いた。

「やられました。明日まで着けないと言ったのは牽制のつもりだったのですが、思った以上に岳戸由宇という人はやっかいな大馬鹿者ですね」

 さすがの先生も忌々しく顔をしかめた。先生はそのイライラをふうっと吐き出し、静かな目に戻って言った。

「嶋村早苗に会って一つだけ収穫がありました。彼女は最初に金森殺害に失敗したとき一人の男の子に会っています。この子は重要です。桜野葉子の恋人です。彼を確保すれば、こちらの切り札になるかもしれません」

 急ぎましょうと言って、先生は駐車場と反対の方に歩き出して、芙蓉は慌てて先生の手を引いた。

「お世話かけます」

 先生は苦笑して頭を下げた。

「いえいえ。急ぎましょう」

 芙蓉はしっかり先生の手を握って歩き出した。

 先生の手は汗でじっとり濡れている。

 真夏の炎天下だが、先生の体温は異常に低く、ふだんめったに汗をかくことはない。先生のいつにない緊張と焦りが感じられる。

 東の空、遠くにオレンジ色の光の柱が立っている。そこに、恐怖が待っている・・・・

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