第14話 エクソシストpart1
新潟県直越市へは長野自動車道から上越自動車道に入る。どのみち青山市に向かう道程だ。2時間ほどで着いた。港町だ。海沿いの道路を走るとキラキラ波が銀色に眩しく輝いている。
「窓開けていいかしら?」
「どうぞ」
芙蓉はエアコンを切った。先生は窓を半分ほど開けて風に髪をなびかせた。車内に潮の臭いが満ちた。
「気のせいかなあ、なんだか懐かしい気がするわ」
「先生は海の近くのご出身なんですか?」
芙蓉が先生の弟子になって2年余りだが、先生の過去についてはまったく知らない。
「うーん・・、いえ、よく分からない」
先生は背中をシートに落ち着かせた。
「親の因縁というのは子に受け継がれるものなのかしらねえ?」
「・・・・・」
芙蓉は先生の両親についてももちろん知らない。先生は眩しそうに目を細めて海を眺めている。なんとなく寂しそうだ。
峰谷早苗の入院している病院に着いた。午後1時40分である。
ロビーの待合席で夫とその両親、そして1歳半になる娘が待っていた。三津木ディレクターに連絡させて来てもらったのだ。早苗の両親は現在福島にいるようで、いきさつは不明だがこちらの家族とは付き合いがないようだ。
「お呼びだてして申し訳ありません。紅倉美姫と申します」
芙蓉は先生と共にお辞儀した。
「まあここじゃあなんですから、部屋を借りてます。どうぞ」
夫の父親に案内されて病室の並ぶ2階の「応接室」に入った。父親はちょっと待っててくださいと出ていき、40代の女のお医者さんを連れてきた。表情は柔和だが、目の奥に鋭い光がある。
「こちら早苗さんの主治医の戸川先生。こちら・・霊能者の紅倉美姫先生です」
「お名前は存じています。初めまして、戸川です」
二人は軽く握手を交わした。
「あなたは、私のような人間にはなかなか興味深い方ですね。わたし、精神科の医者です」
「先生は、私が早苗さんに会うのは反対ですか?」
「いえ。不謹慎ながら、楽しみです。早苗さんの治療の糸口でも与えてもらえたらと思っています」
表情は柔和だが、この精神科の先生は自分たちのような人間を快く思わない、いや、馬鹿にしているのだろう。しかし紅倉先生の方が人間的にずっと優れている。
「そうですね。私も早苗さんの苦しみを解いてさしあげられるよう努力します。そこで、まずはわたしと彼女だけで早苗さんにお会いしたいのですが、かまいませんか?」
「ええ。しかし、主治医として監視はさせていただきますよ」
「けっこうです。ご家族の方々にも様子を見ていていただきたいのですが、可能ですか?」
「ええ。病室にはカメラが備わっていますから。カーテンは引かないでくださいね」
「承知しました。では、お願いできますか?」
「どうぞ」
戸川医師に案内されて出ようとすると、早苗の夫が言った。
「あんた、信用できるのか?」
「信用していただいて大丈夫です」
自信満々に答える先生を夫は疑り深い目でじっと見つめた。
「そもそも俺は早苗が霊能者なんかに相談するのは反対だったんだ。それを俺の留守中に勝手に押し掛けやがって、俺が事故って病院のベッドの上で目を覚ましたら、早苗のやつは俺よりもっとひどい目に遭っているじゃねえか?」
先生を見る目に明らかな敵意が燃えている。
「俺は訴えてやるつもりだったんだ。それをおやじたちが恥の上塗りをするだけだからやめておけって」
今度は自分の父母に敵意を向ける。
夫、峰谷和夫、23歳。背が低く、痩せて、ギョロリとした目が非常に攻撃的な印象だ。事故の後遺症で左足を引きずっている。
「なああんた、もしこれ以上早苗をおかしくするようなことをしたら、ぶっ殺すぞ」
本気だと言うようにギリギリ恐い目で先生を睨み付けた。
祖母に抱かれる赤ん坊がフギャーと泣きだした。あやしても泣きやまない。
「うるせえな、さっさと連れて行けよ!」
乱暴な夫の言葉を遮り、先生は赤ん坊に歩み寄り、微笑みかけた。
「留美ちゃん、だったわね? もうちょっと待ってね、もうすぐママにだっこしてもらえるわよ」
人差し指でポンと額を叩くとビックリしたように泣きやみ、不思議そうに先生を見つめた。先生の笑顔を見て、キャッキャと笑い出した。
「どうぞ」
戸川医師が催促した。嫉妬、を芙蓉は感じた。
峰谷早苗の病室はナースルームのすぐとなりの個室だった。
「では、どうぞご覧になっていてください」
先生は言って、病室に入った。芙蓉も続く。後ろで戸川医師の声が聞こえる。
「大丈夫ですよ、何かおかしなことをしたらすぐに止めさせますから」
峰谷早苗は、さぞや痩せ細っているかと思いきや、太っていた。もちろん健康的な太り方ではない。寝たきりでほとんど運動をせず、点滴で血液に直接栄養を採り、ぶよぶよ肌がたるみ、無駄に太っていた。二人が入っていくとジロリと目が動いた。強い猜疑心が感じられた。意識はしっかりしてる。肉体的にどこも悪いところはない。
「こんにちは。戸川先生から聞いてますね? 紅倉です。こちらは助手の芙蓉さん。座ってもよろしいかしら?」
先生は峰谷早苗の右手に、芙蓉は打ち合わせ通り左手に丸椅子を出して座った。芙蓉の役割はまずは観察することだ。
先生は早苗の視線を捕まえて言った。
「あなたは青木雄二さんを殺しましたね? 怒りと憎しみを堪えられず、つい思わず、殺してしまいましたね?」
早苗の目が静かになった。微かに笑ったように芙蓉は感じた。
「あなたは金森勇一さんも殺そうとしました。殺しきれないと病院まで追いかけていってもっと悲惨な目に遭わせました。間宮浩さんも苦しめて苦しめて、自殺するまでに追いつめて、最後はビルから突き落としました。長谷川馨さんも殺そうとしましたが、わたしが邪魔をしました」
早苗は視線を天井に逸らしている。
「長谷川さんは、あくまで殺す気ですか?」
早苗は先生を見ない。先生は早苗を眺めて、フウン・・、と鼻の奥を鳴らした。先生の癖だ。
「あなたは特殊な例ですね。通常生き霊を飛ばす人は、魂がさまよっている間のことははっきりとは覚えていないものです。せいぜい夢の中のようなあやふやな記憶だけです。でもあなたの頭の中には彼らを殺した情景がはっきり記憶されています」
早苗はじっと動かないが、幾分緊張を強くしてきているのが見られる。
「あなたのそのお腹の中に巣くっている悪霊があなたにその力を与えているようですね。あなたを救うためにも、今起きている事件を解決するためにも、それを退治しなくてはなりません。今日ここで、それを消滅させます」
早苗はジロリと先生を見た。再び強い敵意を感じる。何故だろう?先生が自分を救いに来たのは分かっているはずだ。
「長谷川さんを殺すまでそれを手放すつもりはありませんか? 彼を殺させるわけにはいきませんね。あくまで抵抗するなら、あなたを殺さなければなりません」
不思議と早苗は落ち着きを取り戻した。
「死は怖くないですか? むしろ望んでらっしゃる?」
また早苗は軽く笑った。達観した自分を誇っているのか?
「いけませんよ。生きることを嫌うのは、悪霊の思うつぼです。あなた、自分の赤ちゃんもまだ抱いてあげていないのでしょう? ほら、テレビカメラ」
先生は足元の天井からこちらを狙う監視カメラを指し示した。
「あの向こうでご主人と赤ちゃんが見守ってらっしゃいますよ。二人のためにも決心しなくては」
早苗は無表情になってカメラを眺めた。
「フウン・・。困りましたねえ。あなたはご主人を愛してらっしゃらない。いえ、ご主人はあなたを愛していないと、そう思い込んでらっしゃる。最初から愛してなどいなかった、と。では、何故結婚されたんです? 本当に自分を悲劇のヒロインにするためですか?」
芙蓉には先生が何を言っているのか分からないが、早苗は相当ムッとしたようだ。
三津木ディレクターがメールで送った資料によると、嶋村早苗は高校を卒業して大学浪人中の7月、青山市に出張中の峰谷和夫と知り合い、12月に結婚、和夫の勤めるここ直越市に引っ越してきた。この時点で両親とすっかり不仲になり、子どもが生まれてから現在に至るまでも会っていない。
「悲劇のヒロインですかあ・・。あなた、本気でそんな幼稚なものに憧れているんですか? 悲劇のヒロインって、幸せを望みながらそれが果たせないからはかなく哀れで、美しいんですよ? あなたは・・、残念ですけれどあまり美しいとは言えませんねえー・・」
早苗は目を激怒させた。先生は優雅に美しく微笑む。
「あらごめんなさい。でもあなただって本当は変身したくてご主人と結婚したんでしょう? それまでの暗くて引っ込み思案の自分を変えたくて。少々強引なところのあるご主人なら、自分を変えてくれると、そう期待したんでしょう?」
早苗は怒りの目で先生を睨み続ける。
「でも驚いたのはご主人の方だと思いますよ。あなたのようなまじめで理知的なお嬢さんが、自分のような・・まあその荒くれ者と、本気でお付き合いしてくれるなんてね」
先生は優しく微笑む。
「嬉しかったと思いますよ、とても。あの人は、あなたが思っているよりずっとまじめで誠実な人です。不誠実なのは、むしろあなたです」
今度は小さく睨んだ。早苗の目の怒りがたじろぐ。
「そんな誠実なご主人を利用してやろうだなんて、あなたは悪い人です。・・なるほど、岳戸さんはあなたのことをよく理解してらっしゃる。あなたは、自分で好んで不幸になっている」
早苗はイライラした目になって、顔を背けた。先生の勝ちだ。芙蓉を見て早苗の顔に羞恥が浮かんだ。
「あなただって嬉しかったはずですよ、ご主人の愛が。子どもができて幸せを感じたはずです。その幸せが、怖かったのでしょう?」
早苗は誰も見ない。自分の殻に閉じこもろうとしている。先生は許さない。
「あなたは幸せだったはずです。ご主人に愛されて、新しい命に恵まれて。あなたは変わったのです、昔の自分から。それが、嫌だったのでしょう?」
嫌?
「あなたは昔の自分が醜かったからいじめられて、あんなひどい目に遭わされたと思っている。昔の自分が悪かったと思っている。新しく生まれ変わればもういじめられたりひどい目に遭わされたりしないと思っている。でも、本心はどうです? あなたは、本当に変わりたいのですか?」
早苗はじいっと自分の中に引きこもっている。だが先生の声は届いているはずだ。先生が相手の心を視られるように、先生の声も相手の心に直接聞こえるのだ。先生は力を抜き、優しく話した。
「わたしは自分の意志で生きているのではありません。神に生かされているのです。わたしは神の操り人形です」
これは先生がたびたび口にする言葉だ。芙蓉も日常的によく聞くし、番組でも口にする。それを神と一体化し、自分を神と同等の存在であると誇示する態度だと批判する人もいるが、違う、と芙蓉は思う。だが芙蓉にもその言葉の本当の意味は解らない。
「これは哲学的な意味でも宗教的な意味でもありません。文字通りなんです。わたしは、一度死んで、女神さまに再生された人間なんです」
芙蓉も初めて聞く。思わず自分の役割も忘れて先生をまじまじと見た。先生は芙蓉にも優しく微笑みかけて話す。




