第36話 二つの戦い
朝、エミールが出発した。
「夕方までには戻る」
「気をつけて」
私は玄関で彼を見送った。
ドミニク・ガレのもとへ向かう馬車が、門を出ていく。その背中を見つめながら、私は祈った。
真実が明らかになりますように。
リゼットを守れますように。
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午前中、私は工房でリゼットと一緒に作業をしていた。
彼女は今日も独立試験の準備に没頭している。複合付与の指輪、防護の短剣、治癒促進の首飾り。次々と課題をこなしていく。
「師匠、これで合っていますか」
リゼットが完成した指輪を差し出した。
私は手に取り、確認する。
二つの付与が、美しく調和していた。回路の流れは滑らかで、魔力の干渉もない。
「完璧よ」
「本当ですか」
「ええ。あなたはもう、一人前の職人よ」
リゼットの顔が輝いた。
その笑顔を見て、私の胸が痛んだ。
この子は、まだ知らない。自分に対する噂が広まっていることを。誰かが、彼女の未来を潰そうとしていることを。
「師匠? どうかしましたか」
「何でもないわ」
私は首を振った。
「少し、考え事をしていただけ」
「お体、大丈夫ですか? 最近、顔色が優れないように見えます」
「大丈夫よ。心配しないで」
リゼットは納得していない様子だったが、それ以上は聞かなかった。
私は窓の外を見た。
春の日差しが、工房を照らしている。穏やかな光。でも、私の心は穏やかではなかった。
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昼過ぎ、思わぬ来客があった。
「公爵夫人、お客様です」
セバスチャンが報告に来た。
「誰?」
「アラン・ベルトラン様です」
私は眉をひそめた。
ベルトラン商会の男。先日、リゼットとの提携を申し出てきた人物だ。
「通して」
応接室に向かうと、アランが待っていた。
「公爵夫人、突然のご訪問、失礼いたします」
「何か御用ですか」
「はい。実は、お伝えしたいことがございまして」
アランの表情は真剣だった。
「リゼット嬢に関する噂が、社交界で広まっているのをご存知でしょうか」
私は表情を変えなかった。
「知っているわ」
「その噂の出所について、私どもでも調査いたしました」
「あなたたちが?」
「はい。当商会は、リゼット嬢との提携を真剣に考えております。彼女の評判が落ちることは、当商会にとっても不利益ですので」
私は腕を組んだ。
「それで、何かわかったの?」
「はい。噂を流しているのは、ドミニク・ガレという男です。孤児院の元院長で——」
「それは知っているわ」
アランは少し驚いた顔をした。
「そうでしたか」
「問題は、誰がガレに金を払っているか、よ」
沈黙が落ちた。
アランの表情が、わずかに変わった。
「公爵夫人、私の兄——マルク・ベルトランについて、お調べになりましたか」
「ええ」
「兄が、かつてロラン・デュボワと取引があったことも?」
「知っているわ」
アランは深く息を吐いた。
「正直に申し上げます。兄は、ロランとの関係を断った後も、彼の手法に影響を受けていました」
私は黙って聞いていた。
「優秀な職人を見つけ、囲い込み、技術を独占する。そのために、手段を選ばない」
「つまり、あなたの兄が——」
「いいえ」
アランは首を振った。
「兄は、二年前に亡くなりました。病で」
私は目を見開いた。
「亡くなった?」
「はい。現在、商会を経営しているのは私一人です。兄の遺産を引き継ぎ、商会を立て直そうとしています」
「では、噂を流しているのは——」
「兄の元部下です。クロード・モランという男。兄の死後、商会を去りましたが、兄の手法を受け継いでいます」
アランは私の目を見た。
「クロードは、リゼット嬢の技術を狙っています。彼女が独立する前に評判を落とし、孤立させ、自分の支配下に置こうとしているのです」
私の拳が握りしめられた。
「ロランと同じ手口ね」
「はい。私は、それを止めたいのです」
「なぜ?」
「兄の罪を、償いたいからです」
アランの声には、真摯さがあった。
「兄は、ロランの影響で道を誤りました。私は、同じ過ちを繰り返したくない。だから、クロードを止めなければならない」
私は彼を見つめた。
嘘をついているようには見えなかった。
「証拠はあるの?」
「これを」
アランが、封筒を差し出した。
「クロードとドミニク・ガレの間で交わされた書簡の写しです。リゼット嬢の情報を買い取る契約が、記されています」
私は封筒を受け取った。
中身を確認する。確かに、契約書のようなものが入っていた。
「なぜ、これを私に?」
「公爵夫人なら、この証拠を使ってクロードを止められると思ったからです。私には、その力がありません」
アランは頭を下げた。
「お願いです。リゼット嬢を守ってください。彼女は、本当に才能のある職人です。こんな形で潰されるべきではありません」
私は封筒を握りしめた。
「ありがとう、アラン。この証拠、使わせてもらうわ」
「はい」
アランは立ち上がった。
「それでは、失礼いたします」
彼が去った後、私は封筒を見つめた。
クロード・モラン。ロランの手法を受け継いだ男。
そして、ドミニク・ガレ。金のために情報を売る元院長。
二人が手を組んで、リゼットを狙っている。
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夕方、エミールが戻ってきた。
「ガレに会ってきた」
書斎で、彼は報告した。
「どうだった?」
「金で口を割らせた。噂を流すよう依頼したのは、クロード・モランという男だ」
「知っているわ」
私はアランからもらった証拠を見せた。
「これは——」
「ベルトラン商会のアランがくれたの。クロードとガレの契約書よ」
エミールは書類を確認した。
「これで、証拠は揃ったな」
「ええ。あとは、クロードを追い詰めるだけ」
私は立ち上がった。
「明日、協会に訴え出るわ。リゼットに対する名誉毀損として」
「俺も動く。クロードの商売を潰す」
エミールは私の手を取った。
「二つの戦いを、同時に進めよう。君は協会で、俺は商会で」
「ええ」
私は頷いた。
「リゼットを守る。この子を守る。どちらも譲れない」
エミールは私の額にキスをした。
「無理はするな」
「しないわ」
「本当に?」
「本当よ」
私は微笑んだ。
窓の外では、夕日が沈みかけていた。
明日から、反撃が始まる。
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その夜、私はリゼットを呼んだ。
「話があるの」
工房の椅子に座り、私は全てを話した。
噂のこと。ドミニク・ガレのこと。クロード・モランのこと。
そして、彼女の母親に関する書類が、ガレの手にあったこと。
リゼットは黙って聞いていた。
「私のことで、こんなことが……」
「あなたのせいじゃないわ」
私はリゼットの手を取った。
「悪いのは、あなたを利用しようとした連中よ。あなたは何も悪くない」
「でも、師匠にご迷惑を——」
「迷惑なんかじゃない」
私は彼女の目を見つめた。
「あなたは私の弟子よ。家族よ。守るのは当然のこと」
リゼットの目から、涙がこぼれた。
「師匠……」
「泣かないの。まだ戦いは終わっていないわ」
私は立ち上がった。
「明日、協会に訴え出る。あなたに対する噂が、悪意ある中傷だと証明する」
「私も、何かできることは——」
「あるわ」
私はリゼットを見た。
「独立試験に向けて、全力を尽くしなさい。最高の結果を出して、噂が嘘だと証明するの」
リゼットは涙を拭い、頷いた。
「はい。必ず」
「それがあなたの戦いよ」
リゼットの目に、強い光が宿った。
「わかりました。私は、私の戦いに勝ちます」
私は微笑んだ。
「その意気よ」
窓の外では、月が雲間から顔を出していた。
二つの戦いが、明日から始まる。
私は協会で噂を潰す。
リゼットは試験で実力を証明する。
どちらも、負けるわけにはいかなかった。
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深夜、ベッドに横になりながら、私はお腹に手を当てた。
「ごめんね」
小さく呟いた。
「少し、無理させるかもしれない。でも、大切な人を守るためなの」
お腹の中で、子供が小さく動いた気がした。
まるで、応援してくれているように。
「ありがとう」
私は目を閉じた。
明日からの戦いに備えて、今は眠らなければ。
春の夜風が、窓を揺らしていた。




