第37話 頼ることの意味
王立魔法師協会の建物は、王都の中心部にあった。
白い石造りの荘厳な建物。ここで、付与魔法師の資格試験が行われ、職人たちの権利が守られている。
私は正面玄関をくぐり、受付に向かった。
「クレシー公爵夫人、シルヴィア・ド・クレシーです。名誉毀損の訴えを申し立てに参りました」
受付の職員が目を見開いた。
「し、少々お待ちください」
慌ただしく奥へ消えていく。
しばらくして、白髪の老人が現れた。協会の副会長、ジャン=ピエール・ラヴァル。かつて私のSランク認定試験で審査員を務めた人物だ。
「公爵夫人、お久しぶりです」
「ラヴァル副会長、お願いがあって参りました」
「伺っております。名誉毀損の件ですね」
「はい」
私は用意してきた書類を差し出した。
「私の弟子、リゼット・フォレに対する中傷が、社交界で広まっています。孤児院出身であることを理由に、犯罪者の娘だという根拠のない噂が」
ラヴァル副会長は書類に目を通した。
「これは……契約書ですか」
「ドミニク・ガレという男と、クロード・モランという商人の間で交わされたものです。リゼットの情報を売買し、噂を流す契約です」
副会長の表情が険しくなった。
「悪質ですな」
「リゼットは来月、独立試験を控えています。この噂が広まれば、公正な審査を受けられなくなるかもしれません」
「それは、協会としても看過できません」
副会長は書類を閉じた。
「調査を開始します。証拠が確認され次第、クロード・モランに対して警告を発します。必要であれば、商売の停止も視野に入れます」
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
「それと、公爵夫人」
「何でしょうか」
「リゼット嬢の独立試験について、特別な配慮は不要です。彼女の実力は、私どもも把握しております」
副会長は微笑んだ。
「噂に惑わされるような審査員は、この協会にはおりません。ご安心ください」
胸の奥で、緊張が少しほぐれた。
「ありがとうございます。心強いお言葉です」
「月影の工房の技術を受け継ぐ者として、正当な評価を約束いたします」
私は協会を後にした。
第一の戦いは、ひとまず前進した。
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公爵邸に戻ると、エミールが書斎で待っていた。
「どうだった」
「協会は動いてくれるわ。クロードへの警告と、調査を始めてくれる」
「そうか」
エミールは頷いた。
「俺の方も進展があった」
「何かわかったの?」
「クロード・モランの商会を調べた。奴は、ロランの逮捕後、その顧客を引き継いでいた」
「つまり、ロランの後釜……」
「ああ。同じ手口で、若い職人を囲い込もうとしている。リゼットは、その標的の一人だ」
私は拳を握りしめた。
「許せない」
「だが、奴は慎重だ。ロランのように、直接手を汚さない。ガレのような人間を使って、間接的に動いている」
「証拠を掴むのが難しいということ?」
「そうだ。だが——」
エミールは一枚の紙を差し出した。
「クロードの商会が、最近大きな取引を失ったことがわかった。資金繰りが苦しくなっている」
「それが何か?」
「追い詰められた人間は、ミスを犯す。焦れば焦るほど、ボロが出る」
エミールは私を見た。
「もう少し時間がかかるが、必ず尻尾を掴む」
「お願い」
私は椅子に座った。
疲れていた。朝から動き回って、体が重い。
「シルヴィア」
「何?」
「顔色が悪い」
「大丈夫よ」
「嘘をつくな」
エミールが近づいてきた。
「君は妊娠四ヶ月だ。無理をしすぎている」
「でも、リゼットのことが——」
「リゼットのことは、俺に任せろ」
エミールは私の肩に手を置いた。
「君は、体を休めろ。子供のためにも」
「でも——」
「シルヴィア」
彼の目が、真剣だった。
「何度も言っただろう。一人で抱え込むな、と」
私は言葉を失った。
「君は、また同じことをしている。全部自分で解決しようとしている」
「そんなつもりは——」
「ある」
エミールは断言した。
「俺を頼れ。リゼットを守ることも、クロードを追い詰めることも、俺にできる。君は、できる範囲で見守ればいい」
私は俯いた。
彼の言う通りだった。
いつの間にか、また一人で抱え込もうとしていた。リゼットを守らなければ。子供を守らなければ。全部、自分でやらなければ。
でも、それは違う。
私には、頼れる人がいる。
「……ごめんなさい」
「謝るな」
「でも、私——」
「頼ってくれ。それだけでいい」
エミールは私を抱きしめた。
温かかった。
「君が倒れたら、誰がリゼットを守るんだ」
「……そうね」
「君が元気でいることが、一番大事なんだ。俺にとっても、リゼットにとっても、お腹の子供にとっても」
私は彼の胸に顔を埋めた。
涙が出そうだった。
「わかった。頼るわ。あなたに」
「ああ。任せろ」
エミールは私の髪を撫でた。
「今日は休め。明日からは、俺が動く」
「……ありがとう」
私は目を閉じた。
頼ることの意味を、また一つ学んだ気がした。
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翌日から、エミールが本格的に動き始めた。
クロード・モランの商会への圧力。取引先への根回し。噂の火消し。
私は公爵邸で、その報告を受けていた。
「クロードの商会から、二つの取引先が離れました」
「そう」
「噂も収まりつつあります。協会からの警告が効いているようです」
私は頷いた。
エミールに任せてよかった。彼は、私よりもずっと効率的に動いている。
「師匠」
リゼットが工房から戻ってきた。
「今日の練習、終わりました」
「お疲れ様」
「あの……師匠、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。少し休んでいるだけ」
リゼットは心配そうな顔をした。
「無理しないでください。私のことは、私で何とかしますから」
「あなたも、一人で抱え込まないでね」
「え?」
私は微笑んだ。
「困った時は、頼っていいの。私にも、エミールにも。それが、家族でしょう」
リゼットの目が潤んだ。
「はい……」
「あなたの仕事は、試験に全力を尽くすこと。それ以外のことは、私たちに任せなさい」
「わかりました」
リゼットは頷いた。
その目には、以前よりも強い光があった。
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夜、寝室でエミールと話をしていた。
「クロードは、そろそろ限界だ」
「どういうこと?」
「資金が底をつきかけている。焦っている証拠に、ガレへの支払いが滞っている」
「ガレが裏切るかもしれないわね」
「その通りだ」
エミールは私の隣に座った。
「あと数日で、決着がつく」
「そう……」
私はお腹に手を当てた。
四ヶ月半。少しずつ、膨らみが目立つようになってきた。
「名前、考えた?」
「え?」
「二人目の名前」
私は少し考えた。
「男の子だったら、リュシアン。女の子だったら、ソフィア」
「いい名前だな」
「エミールは?」
「君に任せる」
「ずるい」
「任せると言っている」
私は笑った。
「じゃあ、決まりね。リュシアンか、ソフィア」
エミールは私の手を取った。
「リゼットの試験が終わったら、ゆっくり準備しよう」
「ええ」
「君は、もう十分頑張った。あとは、俺に任せろ」
「……ありがとう」
私は彼の肩に頭を預けた。
頼ることは、弱さではない。
信頼の証だ。
それを、ようやく心から理解できた気がした。
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数日後。
エミールの予想通り、ドミニク・ガレが裏切った。
クロードからの支払いが滞ったことで、ガレは協会に証言することを選んだ。全ての計画を暴露し、クロードを売った。
クロード・モランは、詐欺と名誉毀損の容疑で告発された。
商会は閉鎖。王都からの追放が決定した。
「終わったわ……」
報告を聞いて、私は深く息を吐いた。
「ああ。終わった」
エミールが頷いた。
「リゼットへの噂も、完全に消えた。試験は、公正に行われる」
「よかった……」
私は椅子に深く座り込んだ。
長い戦いだった。
でも、勝った。
リゼットを守れた。
「師匠!」
工房からリゼットが駆けてきた。
「聞きました。クロードが告発されたって」
「ええ。もう大丈夫よ」
リゼットの目から、涙がこぼれた。
「ありがとうございます。師匠も、公爵様も」
「あなたを守るのは、当然のことよ」
私はリゼットを抱きしめた。
「さあ、これで安心して試験に臨めるわね」
「はい」
リゼットは涙を拭い、笑った。
「必ず、合格します」
「期待しているわ」
窓の外では、春の日差しが輝いていた。
嵐は去った。
あとは、リゼットが自分の力で未来を掴むだけだ。
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その夜、私はエミールに言った。
「ありがとう」
「何が」
「全部。クロードを追い詰めてくれたこと。私を休ませてくれたこと。頼ることを教えてくれたこと」
エミールは何も言わず、私の手を握った。
「君が頼ってくれて、嬉しかった」
「え?」
「前は、いつも一人で抱え込んでいた。俺を頼ってくれなかった。でも今回は、任せてくれた」
彼の目が、優しかった。
「それが、嬉しかったんだ」
私は彼を見つめた。
「……私も、嬉しかったわ」
「何が」
「頼れる人がいること。一人じゃないこと」
エミールは私を抱き寄せた。
「これからも、頼ってくれ」
「ええ。約束するわ」
春の夜風が、窓を揺らしていた。
私たちは、二人で一つだ。
そして、もうすぐ三人になる。いや、リゼットを入れれば四人。お腹の子供を入れれば五人。
家族が、増えていく。
それが、何よりも幸せだった。




