第九話
命の危機が去り、緊張の糸が解れていた至恩はしばらく横になっていたい衝動にかられたが、いつまでも地面の上で寝転がっても居る訳にもいかず、至恩は青年の後に続いて玄関をくぐった。
「はっはー、良かったじゃないか。助かって」
何かを食べていたのだろう口の周りを汚した黒瀬が、満面の笑みで出迎えた。
「おい、冷蔵庫に食いかけのアイスしか残ってねーぞ?」
「君たちの熱い健闘ぶりに僕はもうお腹一杯になっちゃったよ。………うっぷ…」
「さっきまで沢山あっただろうが……まさか、お前っ⁉」
「ああ、それ食べていいよ。オレはもうお腹一杯だから」
テーブルの上に空になったアイスクリームの容器が重ねられていた。
ティッシュでべたべたになった口を拭きながら黒瀬は僕らの検討を讃えてくれていた。
「僕は、何もしてないよ。こうして五体満足にいられているのは全て彼のおかげさ」
「おい、そこにあんのはさっきまでこの中に入ってたアイスか⁉ てんめぇ、こっちが賞金稼ぎども相手してる間に気配すら見せずに何してたかと思えば……交換条件だっただろうが‼」
「だから、そのアイスあげるって『アイスを渡す』が条件だったろう?食べかけじゃないなんて言ってなーい」
「ふざけんなぁーー!」
意地汚すぎる黒瀬とアイスクリームが無いことに全力で怒る青年。
……本当に僕の命はアイスクリーム以下だったのか…………
至恩は顔を引きつらせて彼らの会話を聞くしかなかった。
――――――暫く、黒瀬と青年が喚いて……というより青年が一方的にギャーギャーと文句を言いつくしラウンジが賑やかになった後、全く聞いていない黒瀬が欠伸をして話題を切り替えた。
「そうそう、君の紹介をしないといけなかったね。はっはー、すっかり忘れてたよ」
まだ不満を言い足りない青年は『あ?』と喧嘩腰でようやく至恩を見た。
「そういえば、居たな。こいつ何?髪めちゃくちゃ紅いけど」
ようやくアイスの話題から逸れて胸を撫でおろした。
「そういえばって酷いな。あなたに助けられたんだけど」
「そう、オレがこの『竈の館』に連れてきた」
……竈の館?
「連れてきただと?つーことはまさか、こいつも……」
「ああ、君と同じ要監視対象だ」
要警戒対象?僕が……?
「それより、ほらほら自己紹介をしようよ。これから一つ屋根の下で苦楽を共にするんだぜ?」
「くそがっ、あーあっ、この広い館を占領できなくなっちまうのか」
「占領って、ここは学生寮『竈の館』だぜ?広い屋敷に一人でいつまでも住めるわけないだろう?それと暫く、オレもここに住むからよろしく頼むね!」
『なっ⁉』と内心に驚愕を分かりやすいくらい表情に出した青年はユーモアであった。
「……じゃあ自己紹介だったよね。僕は立花至恩、なんでこんな地下に連れてこられたの未だによく分かっていないけどよろしく『命の恩人』?」
いつまでも張り詰めた気持ちでいても現実は何も変わらない。だから、アイス好きの青年と意地汚い黒瀬の先ほどの漫才に感謝して、気を改めいっそ憎たらしいほどのすがすがしい笑みで名乗った。
「けっ、だれが恩人だ。俺はただ、この糞野郎の口車にまんまと乗っちまっただけだ。……御影礼志だ」
「……え?」
「なんだよ。本当のことだ感謝されるいわれなんざ———」
礼志。懐かしい名前に眼を見開く。
昔の旧友で身長は自分と大して変わりなく、橙色の髪を持つ同級生。
「礼志、実家は何をやっている?」
「あっ?なんだてめぇいきなり……ジムだよ。体を鍛える汗くせぇ商売だ」
至恩の静かながらも真剣なまなざしに。疑問符を表情に浮かべながら答えた。
やっぱりそうだ。何年もたって成長してるけど、レイだ。
「レイ、僕だよ。至恩だ」
疑問符の上にさらに疑問符が浮かんだような間抜けな顔になって『は?』とだけ声を漏らした。
こんな偶然あるのか……偶然?
はっ、と黒瀬を見ると鼻を鳴らして微笑んだ。
やっぱりそうか、この人は全部知っている。この反応はそういうものだ。
「……あぁ、小学の時の。いや、至恩はそもそもそんな髪してなかったしそもそも『立花』なんて苗字も持ってなかったはずだ」
「いろいろあったんだよ。本当に色々あって苗字が変わって、髪を染めてさらにそれが一変してここに居る。話すと長いけど」
「色々ねぇ、まぁ、良かったじゃねぇか、変わらないものもあったみてぇだな。身長とか」
嘲るように見下ろし、至恩との身長差を体感していた。
「身長のことはほっといてくれ、レイが変わりすぎなんだよ。2メートルぐらい?」
「そんなにねえよ。180ぐらいだ。お前は小学で止まったのか……はっ、悲惨だな」
うるさいんだよ。まったく。
「ところで、剛さんは元気?」
これ以上身長のことで、とやかく言われたくなくてあからさまに話題を変えた。
「あの親父が元気じゃねえわけねえだろ……いやまぁ、俺がここに来る前しか知らねぇから、今は分かんねぇけど」
「御影剛は元気だよ」
と、黒瀬が口を突っ込んできた。
「へぇ、親父が元気かなぜ知ってる?」
礼志が眼を細めて問うと、黒瀬はなぜか呆れ笑いを浮かべた。
「オレらだって君をここに無理やり連れてきたんだ。君が今どうしてるのか地上の家族に伝えるさ、定期的にね」
テーブルの上にある積み上げられた空の容器をゴミ箱に投じながら御影一家の現在の状態を話した。
「君の親父さんは相も可変わらずたくましい男声をあのジムで張り上げているよ。きっと今も……さすがは君の屈強な精神を造り上げた張本人だ」
呆れを通り越して尊敬の念すら抱かせる御影剛の姿が黒瀬を通して礼志らに伝わってくるようだ。『普通は家族を取られたら怒り抱くものだが、彼にはそれが一切なかった』と語った。
「ふっ、まっそうだろうな。親父らしい」
礼志の垢抜けな笑みに至恩は少し驚く。そして、安心したように口を曲げた。
あっ、と思い出すように黒瀬は呆れ笑いを引っこめると、そういえばと今の今まで忘れていたことを話した。
「礼志君は元気ですよっていったら、あたりまえだって言われたよ。……『お前らがあいつを何処に連れて行ったかは知らんが、何処に居ようと、何をしてようと、あいつは俺の子だ』だってさ」
礼志の近況を詳しく話そうとしたら『トレーニングの邪魔になるからささっと帰れ』って追い出される始末だ、と黒瀬は降参するように手を挙げてた。
「あの人変わってないなぁー」
至恩は昔とちっとも変っていないことが素直に嬉しかった。
「あの親父が変わるわけねえだろ」
……レイは久しぶりに家族の近況を聞いたのだろう。今だけは鋭い雰囲気が優しくなった。
「そっちより、美嘉は?」
「ミカちゃん?懐かしいなぁ。僕が知ってるのは小学3年生ぐらいまでだけど」
二つ下だから、今は13歳か14歳かな。本当に懐かしい。
「御影美嘉は、悪いけど本当に知らない。報告義務のあるのは両親までだし、それに……オレら追い出されてるしね」
普通は家族の近況を話そうとする相手を追そうなんてしないはずなんだけど、と手を挙げたまま項垂れた。
落ち込んでいるような気配すら感じるのは気のせいではないだろう。きっと少し乱暴に追い出されたのだろう。剛さんだし。
「……そうか」
少し憂いを感じさせる声だった。流石に心配なのだろう。
……いや、待って?
「えっ、あっ、じゃ、じゃあ灯さんは?今どうしてるの⁉」
もしかしたら、僕を心配してくれているかもしれない。
心配を掛けていることは心苦しいけど、でもっそれは凄く……
「さぁ?まだオレの元には知らされていない。……残念だったね」
「っ……」
淡い期待を打ち砕かれた至恩は地べたに手をついて盛大に項垂れるのだった。
「おっほん。この話はこの辺でいいだろう。これからのことについて話をしよう」
黒瀬が仕切り直し、話はこれからのことに移ろうとした。
「あっ待って………てゆうか僕、現状をよく知らないんだよ。いや、話の流れや、あんな人たちに襲われて分かってはきているんだけど……」
「あ?お前何にも知らねえのか?」
「うん……何にも知らないわけじゃあないんだけど、正直あやふやなんだよ。一度整理したい」
「じゃあ、質問形式でやろう。オレは自分からペラペラと話すのは好きじゃない。……親切に何もかも教えてやる義理もないし………正直面倒だ。答えられる範囲で答えて上げるよ。主に礼志くんが!」
「てめぇ、コラ……ていうよりお前、知らずに地下連れてこられて殺されかかってんのか?……よく正気を保ってられるな」
「ホントにね。自分でも不思議だよ。ここに連れてこられるときなんか、銃突き付けられたしね。……この人に」
「いやー、でもそれをくぐり抜けた時の̪至恩くんの武勇伝はなかなかのものだったよ。オレ感動しちゃった!」
「マジか!? 俺ん時はそんなことなかったけどな、こいつじゃなかったし……つーか、いきなり銃向けるとか……やっぱヤベーんだなこいつ」
「もう、君は銃を突き付けたところで脅しにもならないけどね」
「それだよ。さっきの表の戦闘で、レイ、君は常人ならざる動きで襲撃者を撃退したね。僕が地元から離れた後も剛さんにしごかれていたとはいえ、あれは人が身に付けられる動きを超えていた。……それと、襲撃者の男の方が言っていた『鬼2匹』という言葉も気になる……素直に聞く。どういう意味?」
「……これは別にオレが答えなくてもいいね」
黒瀬は『答えて上げな』というように、とんと礼志の肩に手を置いて近くの椅子に腰かけた。
「ちっ、わぁったよ。あー、俺と……おそらくお前も『鬼』と呼ばれる人間の突然(,,)変(,)異体(,,,)だ」
素直にことを話そうとしている礼志を見て、黒瀬は含みのある笑みを浮かべているとき、至恩は衝撃に駆られていた。
鬼⁉突然変異⁉
礼志の言葉に冷や汗をかいて固まってしまう。
「…な……」
「いやいや、じゃなけりゃあんな連中に奇襲されるなんてこともないだろうが、差し詰めあいつらは『桃太郎』だ。鬼退治にわざわざやってきたんだよ」
『桃太郎』って、じゃあ僕らが悪者じゃないか。一方的に命狙われて悪役なんて……
「ははっ、良い例えだね。面白い!」
何も口を出さないと思われた黒瀬はその例えが本当に気に入ったようにくつくつと笑い声を上げた。
何も面白くないんだけどなぁ。やっぱり僕って悪者なんだね……
突然連れ攫われて、それを国が容認している。
地下に連れて来られてその上で命を狙われる。
でも、それが当たり前の立場か。
ここまで揃って認めないわけにはいかない。
「そんなに僕…『鬼退治』がしたいなら最初からこんなところ連れて来ないで始末をすればいいじゃないか。なぜ、そうしない?」
『おぉ』と黒瀬が関心するように眼を見開く。口元には笑みを携えているが。
「それは、確かにな。なんでだ?」
礼志が至恩の疑問を黒瀬にパスしたときに、黒瀬は眼を瞑り笑みを消して落ち着いた声音で答えた。
「それはねぇ、それはいけないことになっているからだよ」
「「……?」」
「至恩くん。君は確かに鬼をその身に秘めているがまだ表面にはあまり出ていない。君を鬼と呼ぶにはまだ些か強引だろう。しかし、礼志くんは先の戦いでも分かる通り、鬼と呼ばれるほどの凄まじい身体能力を持ち、君たちの師から教えられた武術を用いて『桃太郎』を撃退した」
「うん?」
「……?」
なぜか前提を正すように静かな口調で流暢にそこまでいうと冷たい瞳を細めて口をゆっくりと曲げて、こう問いを投げた。
「では、彼は人間ではないのかな?」
人差し指を礼志に向けて悠然とその口元は笑みを作り、しかし眼差しは何かの意図を隠すように暗く、至恩の双眸を観察するように見つめた。
「…………」
礼志は黒瀬を一度『何のつもりだ』と言いたげに睨んだが、軽く溜息を吐いて顔を伏せた。
しかし至恩は、黒瀬の意図を隠した瞳に即答した。
「人間じゃあないでしょ」
黒瀬はその発言に『あれ?』と表情を固めた。
「いや、人間なわけないだろう。『あんな動き出来るけど人だ』とでも?でも、おかげで一つすっきりしたよ。そりゃあ、地下に閉じ込めたくもなるさ。僕が礼志と同じ存在なのだとしたらここに連れて来られた理由に心から同意したよ」
黒瀬は動揺を抑え込むように瞬きを繰り返し、礼志に笑いかけた。
「君は人間じゃないってさ」
「………」
礼志は無表情で感情を表に出さない。
「あれ?何か勘違いしていないか。確かに僕はレイを人じゃないと言ったけど、友達じゃないとは言ってないよ。昔からの恩まである大切な友人だよ。レイは」
今度は感心するように黒瀬は『ほぉ~』と声を漏らした。
「恩?それは親父にだろ。俺はそんなの知らない」
まるで身に覚えがないし、いっそ気色が悪そうに礼志は突き放すように言う。
「そうともいうけど、君たち家族にさ」
至恩は離された距離を無遠慮に詰めるように笑いかけた。
「そういうところは変わんねぇな。……大分雰囲気が明るくなって表情が豊かになったと思ったが、やっぱ根本は変わってねぇな、変人」
「あっ、それは心外だ」
『そういうところ?』と黒瀬は二人のやり取りから感じ取れなかったが、これは多くの時間を共にしたものとしかこな得ない会話だと察して問わないことにした。
「えっと、話を戻すけどね、至恩くんはさっきの『桃太郎』が何者なのかは分かったと思っていいのかい?」
えーと、と少し考えるように至恩は顎に手を添えて天井を見上げると
「うーん、多分危険な『鬼』を倒すと賞金が出るとかかな。危険因子の討伐報酬的なもの」
「すごい、その通りだよ」
「それも結構な大金、だけど大勢で分けられるほどじゃない。たった二人だったのはそれが理由。……彼らはお金が必要なのかな?」
先の戦闘を振り返ってもう一つ大きな疑問が頭にずっと残っている。
「黒髪金眼の少女は短刀を自由に操っていた。あれも『鬼』の力?」
「ああ、だがなあれは俺とは違うタイプの鬼人化だ」
違うタイプ? また新たなワードが出てきて首をかしげる至恩だったが、黒瀬が補足するように説明をしてくれた。
「礼志君の『鬼』は身体能力の全底上げだよ。鬼人化状態のときの体の動きは見た通り、眼や耳まで常人を卓越する。おまけに傷の治りまで早い」
鬼人化、と初めて聞く言葉をボソッと呟き、『それってすごいの?』と鬼の基準さえ無知な至恩は黒瀬に聞いた。
「ああ、ありえないよ。例外中の例外、出鱈目中の化け物さ」
やれやれと黒瀬は肩を竦めた。礼志はそこに全く関心が無いように無表情である。
至恩はやっぱりか、と呆れ笑いを浮かべて考えた。直に目にした戦闘力。加え、傷まで治せるなら脅威が無い。
「おまけに、剛さん直伝の戦闘術か。……そうなると、レイの賞金って他と違うのかな?」
「うん、それも出鱈目なほどに」
礼志の首に掛かった金額を頭に想い浮かべているのだろう、にやけながら黒瀬は言った。
「……それ、まずくない?賞金がデカければ仲間が集まる可能性も高い。今度は、数十人単位でレイを討伐しに来るんじゃない?」
「…………」
「はっはー、『来るんじゃない?』は違うかなぁ。礼志君のさっきの対応から分からないかい?」
「えっ、まさか、本当に?……よく無事でいられるね、レイ」
「『戦いは、運命の導きだ。命を懸けろ、戦いそのものに敬意を払え』だ。暑苦しい教えに従っているだけだよ。それに……あいつらすぐに逃げるからな、まったく礼儀を知らねえ連中だ」
「こんな調子で絶対に逃げずに相手するんだよ。これじゃあおそらく、礼志君はそのうち十中八九、危険な目に合う」
「俺が礼儀さえ知らねえ連中にやられるわけねぇだろうが!」
礼志が黒瀬に睨みを利かせるが、黒瀬は全く見向きもせずに至恩にお願いをした。
「礼志君を止めてくれないかい? 戦闘をせめて少なくすればこれ以上の報奨金上昇は無くなると思うんだけど……」
『おい、無視すんなコラ!』と、礼志が怒鳴るが黒瀬は至恩から眼を放さなかった。
レイが心配なんだろうか?っと、首を傾げかけたがきっとそうではないのだろうなと黒瀬の双眸を見据えて推察した。
「うーん、危険なのはわかるけど僕にはどうすることもできないよ。要するに戦いをやめさせようってことだろう?それはレイの在り方を否定することになるから」
「はぁーやれやれ……だから、君に来てもらったんだけどね。昔からよく知り、彼自身が頼れる存在に。礼志君は人に頼ることを知らないからね」
「僕にも頼らないよ。残念ながら。レイはどうせそこも変わってない筈」
「あ?なんのことだ」
「はは、なんでもないよ」