第二十話
「すぅー、すぅー………」
彼女たちの部屋から傷む身体なんとか動かして、『月の館』に戻ってきた至恩は疲れ果ててそのまま眠ってしまった。
真っ暗な部屋で静かに寝息を立てていると、ダッダッダッダッ……と大きく忙しない足音が階段を駆け上がってくる音が静かな部屋によく響いた。
バンッッ、と部屋の扉が開いて至恩は『うぅん……』と唸るとゆっくりと毛布を自分の頭に被せた。
ぐっとその毛布を掴まれ引っぺがされると同時に大音量の声量が月の館を震えさせた。
「起きろぉぉぉぉぉぉぉ~~~~‼」
「…………」
「で、あれは一体どういうことなんだ?」
「……なんの話?」
無理やり起こさせて眼が半開きの至恩に、怒り心頭の礼志が問い詰め始めた。
「とぼけんなっ! いきなり教室に飛び込んできたかと思えば、クラスの連中襲い始めやがって、なんだあれは⁉ 何が目的だったんだよ⁉」
「いやー、なんのことかさっぱり……僕、今日体調不良で休んだんだよ? 実際こうして休養に努めていたら誰かさんに叩き起こされるし、あーあ、明日も休もうかなー」
「てめぇ……」
布団の上で胡坐を掻きながら、適当すぎるぐらいに白を切ろうとする至恩に青筋を浮かべた礼志が胸倉を掴み上げた。
が、ちらっと至恩の眼が礼志の鞄を流し見た。
「随分と鞄が重そうだね。買い溜め? 衝動買い?」
「っ……うっせーな。そんなこたぁどうでもいいだろうが! いいから兎に角説明しろ」
「えぇっ、僕まだ体調悪いんだけど……まぁ、体調っていうより体が物理的に痛いんだけど……体は痛いし、凄く眠いし、お腹は空いたし、それらが原因で怠いし……はぁ~、でもその鞄に入っている食べ物を少しくれたら話ができるようになるかもねー」
「お前、物強請れる立場だと思ってんの?」
「けちけちするなよ。どうせクラスメイトからもらったんだろう? それ。いいから取り合えず見せてよ」
「チッ、話進まねぇし、別に一個ぐらいやるけどよ」
鞄を引っ繰り返して、バラバラバラバラと十数個の菓子パンが床に散らばった。
「すごい! 甘そうなパンばっかり、どれにしようかなぁ……あっ、このメロンパンがいい。ちょうだい」
「ああ、やるから話せよ」
透明な袋を破くと、甘い香りが鼻孔をくすぐった。
今日は何も口にしていなかった至恩は、パクっと一口大きく齧りついた。
「うん、おいしい!」
「それ、お前がぶっ飛ばした中野? からもらった」
「へぇ~、流石中野君」
「…………はぁ、お前昔っからなんも変わんねぇわ」
「ふぁにが?」
口いっぱいにメロンパンを詰め込み過ぎて、まともに返答できていない至恩にあきれ笑いを浮かべた。
「そうやって、一見普通そうなのに価値観や考えがまともじゃねぇところがだよ。灯さん? のお陰でちったぁまともになったかと思ったが、気のせいだったみたいだ」
「……ぅごくんっ。僕は普通だけどね。それこそ気のせいなんじゃないの?」
「ちっ、いい。別にどうでも。俺もなんか食おう。……ああ、これがいいな。結城? からもらったチョコクリームコロネ。すげー感謝されたぞ。あれの目的なんだったんだよ」
礼志が菓子パンの袋を開けたときにはもう至恩の手には菓子パンの空き袋しか残っていなかった。
「ん~、目的ねぇ。たくさんあるけど、あえて今言うならそれかな」
と、指を差したのは礼志の鞄にぎっしりと詰まっていた菓子パンたちだった。
至恩が平らげたメロンパンと、礼志が今食べているチョコクリームコロネを引いてもまだ山となっている。
「今日はよっぽど感謝されたんだねぇ。レイ。昨日までなら想像すらもつかない感謝の山だ。これで少しは学校に居やすくなるんじゃないかな」
チョコクリームコロネ食べようと口を開けたまま止まった。
「……は? ……はぁぁぁぁぁ? お前そんなっ、そんなことのためにあれやったのか⁉」
「いや、それだけじゃないけど。ほら、お世話になってるからいつかお礼はするって言ったじゃないか」
「うぁぁぁ……だからあれほどやめろって言っただろうが! 俺にとって迷惑にしかならねぇんだからよ‼」
「おいおい、それはよくないよ。こんなに好物を人から貰っておいて『迷惑』はダメでしょ」
「……ちっ、まともなこと言いやがって……」
やけ食いするように手元のチョココロネを口に詰めた。
「あっ、そうそう。レイに文字通り蹴り飛ばされてマンションの部屋に突入しちゃったんだよね」
「かなり飛んでったからな。良く生きてたなお前」
「酷いな。友人に死なせるかもしれない蹴りを浴びせるなよ……」
「ははっ、あれぐらい痛手負わせねぇとクラスの連中が可哀そうだろう。特に結城と中野がよ」
「……そうかもね。で、その部屋で小さな女の子に会ったんだよ。そんな子がマンションで一人暮らしするのって地下では普通なの? 学校にも行っていないようだった」
ルビーについて、疑問に残っていることを礼志に問いかけた。あの人見知りの少女に不法侵入で捕まってもおかしくない初対面の男がそんな深入りをするのは至恩の中で道理に合わずあえて聞かなかった疑問だ。
「あ? 変なんじゃねえの。上でも地下でもきっとそういうのは変わんねぇよ多分」
「変ねぇ……」
学校に通っていない子供は変。そういう常識が地下でも存在することに神妙な表情になる至恩。
「ま、上でもそういう奴はいるだろうけどな。でも、ここでの普通も大して変わんねぇよ。人がいて、学校があって、生徒がいて、一人一人に家族がいる。暮らしがある。社会がある。地下だからって幻想でも抱いたのか? 人間が生きているんだ。上と変わるわけねぇだろ」
くだらなそうに、当たり前のように正しい言葉を礼志は口にした。
「……そうか」
礼志はそう呟く至恩の声音が少し残念そうに聞こえた。
「後、その部屋で学校の先輩に会ったよ。前に職員室の場所を聞いた凄く奇麗な女生徒だった。名前は田紫壮華さん。知ってるかい?」
「ああ、あの生徒会長か。知ってる」
「へぇ、生徒会長なんだ。凄くうるさい人だったけど生徒会長やってるんだぁ。声が大きいから全校生徒に声が届くのかな」
「声がデカい? ははっ、なんだそりゃ。そんな印象全くないぞ。人違いなんじゃねぇの?」
「あーいや、でも学校とイメージが違うかもね。学校だと怖い人って感じだったけど、素は心配性の普通の女の子だったよ」
「学校だと怖いね。そんな印象もなかったけどな俺には」
「ふぅ~ん。それで壮華先輩が騎士団に入りたいっていうんだよ。アーデル団長に話せば入れないかな? 学生でも。ほら僕は入れてるわけだし大丈夫だよね?」
「大丈夫なわけねぇだろ。つーかお前、自分が騎士団に入団してること言ってねぇだろうな?」
そんなドスを聞かせた声と共にギロリとした眼で睨まれた至恩だったが、翠の瞳を丸くさせてぱちくりとさせた。
「え、言った」
大きな溜息をしながら礼志が項垂れた。
「いやだって、部屋に大きな穴開けちゃったし、しょうがないじゃん。嘘なんて吐けないよ。それに秘密にしてくれるって言ってくれたし」
「はぁ~、言うなって言っただろうが!騎士団てのは地下では人気な職業なんだよ。でもな、俺らの役割は日陰のものだ」
「言うなとはいってないでしょ? 言わないほうがいいっていっただけで。というか、僕は蹴り飛ばされただけで、蹴ったのはレイなんだからそれでとやかく文句言われるのはなぁ……」
「んだと。そもそもお前があんなことしなけりゃ、俺が蹴りを入れる必要も無かっただろうが!」
「いやいや、僕のお陰で明日から学校行きやすくなるくせに何言ってんの? それに、この際はっきりさせておくけど、壁に穴開けた本当の犯人はレイだからね?」
「あ? ふざけんな。俺のせいな訳ねぇだろ!」
「例えば、野球しててさ、バットにボールが当たって他人の家の窓を割っちゃったとしたら、誰のせい? 怖いおじさんが出てきて怒鳴られるのはバットで打った人間だろう」
ほら、ボール悪くないじゃん。と至恩はさも当然のことを言っているような口調でのたまった。
「だからそれはお前がクラスであんなことしたせいだろうが‼」
ギャーギャーと言い争う声が暫く続くと、それを聞きつけた『月の館』に住むもう一人の住人が至恩の部屋を訪れた。
「随分と賑やかにしているなぁ。君たちってそんなに仲良かったのか?」
黒瀬司。一見優しそうな風格だが、どこか胡散臭い印象の男が空いている扉をノックしていた。
「あ、すいません。うるさかったですか?」
「うるせえに決まってんだろ」
「ああ、御影くんの怒鳴り声が特にね。喧嘩か?」
喧嘩の仲裁に来たのだろうか? と至恩は大人だなぁ、と思いかけたが黒瀬を見ると片手に酒瓶を持っていることに疑念を抱いた。
「……?」
「ここは大人を交えて話してみたらどうだろう。第三者がいると少しは冷静に会話が出来ると思うぜ?」
あっこの人、僕らの喧嘩を酒の肴にするために来たんだ。と至恩は自分の中の黒瀬の人格像と実際とが一致し勝手に納得した。
「なるほど」
「ん? どうした至恩くん」
「あーいえ、菓子パンがいっぱいありますから一つどうですか? お酒には会わないでしょうが」
「お前が勝手に勧めるな。これは俺のだぞ」
「おっ、どうしたんだ御影くん。買いだめか? 凄い量だけど」
「レイがクラスメイトに感謝されて、貰ったものらしいですよ。まぁ、功績はほとんど僕のお陰ですから、遠慮せず食べてください」
至恩が勝手なことをいい。黒瀬に再度菓子パンを進めた。
「少しは酒に合いそうなものがいいな。……カレーパンが在った。これにしよう」
「あんたも勝手に選ぶなよ。せめて俺に一言ぐらい断れ!」
「まあまあ、菓子パンなんてそんなに持たないんだからさ、ダメにさせるよりはいいじゃないか?」
黒瀬はそういうと、パンが梱包された袋を破いた。
「あー、もう好きにしろよ……」
「やったー。じゃあ僕次はなににしようかなー」
「……失言だった」




