今月7回目のキャンセル
手帳の今日の日付に、静かに黒いインクで斜線を引く。
これで、今月に入って七回目のキャンセルだった。
「申し訳ない、エレノア。セシリアが体調を崩してしまってね。隣国での長期滞在の後遺症かもしれないんだ。今日はどうしても側にいてあげたい」
目の前に立つ私の婚約者——アルフレッド王国の第一王子であり王太子の、アレス・フォン・アルフレッド殿下。
彼は申し訳なさそうな顔を作りながらも、その瞳の奥には隠しきれない熱を宿していた。
彼の頭の中は今、一ヶ月前に隣国から帰国した伯爵令嬢、セシリア・フォン・バークレイのことで一杯なのだ。
私——エレノア・フォン・グランヴェルは、この国でも屈指の歴史と権力を誇るグランヴェル公爵家の長女だ。
幼い頃から「完璧な王妃」になるべく育てられ、12歳の時にアレス殿下の婚約者として正式に指名された。
「……左様ですか。セシリア様のお身体が心配ですね。どうぞお付き合いください」
「すまない! 君はいつも物分かりが良くて助かるよ、エレノア」
嬉しそうに私の手をとって一瞬だけ握ると、彼は嵐のように応接室を去っていった。
残されたテーブルには、冷めきった紅茶と、手付かずのティーケーキ。
「物分かりが良い、ですか……」
私はぽつりと呟く。
かつてのアレス様は、誠実そのものだった。
二人で過ごすお茶会では私の好きな紅茶を覚え、将来の国づくりについて真剣に語り合った。私はそんな彼を尊敬していたし、いずれ愛せるよう、過酷な王妃教育やマナーの叩き込みにも耐えてきたのだ。
けれど、彼にとっての「初恋の相手」であるセシリア様が、5年間の隣国留学から帰国してから全てが変わった。
月に一度の定期的なお茶会、夜会への出席、さらには以前から約束していた観劇まで、全て直前でキャンセルされるようになった。
胸の奥で、カタリと小さな音がした。
悲しみでも、怒りでもない。ただ熱を帯びていた何かが、スッと引いていく音。
(ああ……もう、どうでもいいわ)
冷めきったのは紅茶だけではなかった。
私の心から、彼に対する一切の執着が消え去った瞬間だった。
私は淹れ直すこともせず、手帳を閉じた。
今日浮いた時間は、久しぶりに自分のために使うことにしよう。
かつて「王妃になる者に不要な力」として父や王会から封印を命じられた、あの魔術書を開くために。




