第31話:地に堕ちた王旗
騎士団の崩壊は、雪だるま式に加速していった。
前線では赤い霧と滑る床が猛威をふるい、後方では裏切りが相次ぐ。
現場は大混乱に陥っていた。
その混乱の中、唯一整然と動いている影があった。
赤色の長髪をなびかせ、戦場を疾走するアリサだ。
「どきなさい! 邪魔をするならぶっ飛ばすわよ!」
彼女は警備隊の精鋭を率いて、王城への道を切り開いていた。
狙うは王城最深部。マシロが囚われている場所だ。
だが、城門の前には、最後の砦が立ちふさがっていた。
黄金の装飾が施された白銀の甲冑を纏う一団。
近衛騎士団。
王国の精鋭中の精鋭だ。
「止まれ! ここから先は王の御前である!」
「反逆者を一人たりとも通すな!」
近衛騎士たちが壁のように立ちはだかる。
その個々の実力は、一般の騎士とは桁が違う。
ここで時間をかければ、他の部隊からの増援が来てしまうかもしれない。
「ちっ……邪魔よ!」
アリサが焦りを滲ませた、その時。
「隊長! 行ってくださいっす!」
横から飛び出したがガルドが吼えた。
剣を構えて近衛騎士団の前に立ちはだかる。
「ガルド!?」
「ここは俺たちが食い止める! ……お前ら、覚悟は良いか!」
ガルドがニカっと笑う。
その後ろには他の隊員たちも続いていた。
「へへっ、副隊長だけにカッコつけさせないよ!」
「マシロ様のためだ! 死ぬ気で戦えぇぇッ!」
ドガアアァァァンッ!!
ガルドたちが身を挺して、近衛騎士たちにタックルを仕掛ける。
技術もクソもない。ただ体重を乗せ、手足を絡ませ、泥臭くしがみつく。
なりふり構わぬ捨て身の突撃。
鉄壁の守りに、一瞬の穴が開いた。
「……死んだら許さないから!」
アリサは叫び、開かれた血路を駆けた。
†
一方、王城。
豪奢な調度品に囲まれた静謐な賓客室にも、その報告は届いていた。
次々と入る早馬の報告を聞きながら、女王アルバート三世は感嘆の溜息を漏らす。
「……見事ですわ」
彼女は湯気の立つ最高級の紅茶を一口啜り、ゆっくりとカップを置いた。
その所作には、王としての威厳と、敗者としての潔さが同居していた。
「防御側の有利の活用。敵の心理を逆手に取った誘導。そして、圧倒的な根回しによる的確な裏切り」
女王はマシロに向き直り、穏やかに微笑んだ。
「敵の内部から組織ごと崩壊させてしまうなんて……。
貴方のところには、恐ろしく優秀な参謀がいらしてよ」
「はい。彼女は俺の自慢の友人ですから」
マシロは誇らしげに答えた。
女王は窓の外、土煙の代わりに白い石鹸の泡が舞う市街地を見下ろした。
そこにあるのは、血なまぐさい死体の山ではない。
滑稽な姿で転がり、降伏し、そして温かい食事を求めて列を作る、人間臭い敗者たちの姿だ。
「余が守ろうとした騎士道や家柄……それらは、生活の安寧があって初めて輝くものですわね。
……嘆かわしいことです。彼らに誇りを貫かせるだけの豊かさを与えられなかった、余の無能が」
「いいえ。そうではありません」
マシロは静かに、けれどきっぱりと否定した。
「騎士道や家柄……そういった『古い誇り』だけでは、家族は守れません。
みんな、大切な人に楽をさせたくて、子供に未来を残したくて……必死に戦っているんです。
そのためなら、見栄や外聞なんて捨てられる」
マシロは窓の外、たくましく生きる敗者たちの姿を見つめた。
「彼らは誇りを捨てたんじゃありません。『生きて次に繋ぐ』という、もっと大切な誇りを選んだ。……俺は、それを立派な生き方だと思います」
「……次、ですか」
女王は深く頷いた。
その瞳には、敗北の悔しさよりも、新しい時代への納得の色が宿っていた。
ドタドタドタッ!
その時、廊下から荒々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。
王城の絨毯を踏みしめる音ではない。なりふり構わずただ愛しい者の元へと急ぐ、必死な足音だ。
「マシロ。貴方は良き盟友に恵まれましたわね。
貴方を守るためなら、国家さえ敵に回して躊躇わない。……王として嫉妬するほどの忠誠心ですわ」
女王は目を細め、空になったティーカップを指先で愛おしげに撫でた。
「……忠誠心じゃないですよ。家族ですから」
「家族……良い響きですわね。
余は家族すら信頼できる相手ではありませんでしたので、羨ましいですわ」
そして数十秒程戦闘の音が続いた後。
ドォォンッ!!
部屋の重厚な扉が、凄まじい衝撃音と共に粉砕された。
舞い散る木片の中、赤色の髪をなびかせた少女が飛び込んでくる。
「マシロ!!」
アリサだ。
彼女はボロボロになった棍棒を構え、鋭い視線で室内を見渡す。
そして、無傷で立っているマシロと、その横で優雅にティーカップを置いた女王を見つけた。
女王はスッと背筋を伸ばし、自らの細い首筋を指し示す。
その瞳に、死への恐怖はない。
あるのは、王として最後の責任を果たそうとする、冷徹なまでの潔さだけだった。
「さあ、余の首を刎ねなさい。
……棍棒で殴られるより、そこの剣でひと思いにやってくださると嬉しいのですけれど」
「…………」
その気迫に、アリサが息を呑む。
だが、殺気はなかった。
彼女は棍棒をゆっくりと下ろし、首を横に振った。
「……悪いけど、私の仕事はマシロの救出よ。王殺しじゃないわ」
「あら……」
女王はキョトンとして、それから安堵したように息を吐いた。
「では、せめて王城の旗を降ろしなさい。
余の首を掲げないと言うのなら、代わりの何かで決着がついたこと周知しなくてはなりませんもの」
アリサは無言で頷くと、部屋の奥にあるバルコニーへと歩み寄った。
バルコニーから外を見下ろすと、眼下には喧騒に包まれた王都が広がっている。
そして、王家の紋章が刺繍された巨大な旗が、風に靡いていた。
彼女はためらうことなく、そのロープを引きちぎった。
バサリ。
旗が重力に従って滑り落ちていく。
黄金の獅子が描かれたその布は、力の抜けた鳥のように空を舞い、石畳の上へと無様に落下していった。
土煙を上げて地に伏した王旗。
それを見た瞬間、城門前で争っていた騎士も、警備隊も、一斉に動きを止めた。
訪れたのは、圧倒的な静寂。
誰もが理解したのだ。
頭上に輝いていた絶対的な権威が、今、地に落ちたのだと。
アリサは背を向け、部屋へと戻ってきた。
その背中越しに、遠くから勝鬨のような歓声が湧き上がってくるのが聞こえた。
「では、お行きなさい。愛しい方の元へ。
……処分の沙汰は、その後でゆっくりと伺うことにしますわ」
女王が顎でマシロを指す。
アリサは顔を上げ、マシロを見た。
「……マシロ」
「アリサ」
マシロが歩み寄る。
アリサは剣を取り落とし、そのままマシロの胸に飛び込んだ。
ガシャリ、と鎧がぶつかる硬い音がする。
だが、今の二人には、どんな柔らかいベッドよりも心地よい感触だった。
「よかった……無事で……!」
「ごめん、心配かけて。……助けに来てくれて、ありがとう」
マシロは震えるアリサの背中を優しく撫でた。
こうして勝敗が明確となり、王国の権威は完全に失墜。
マシロというたった一人の錬金術師を巡る争いは、国家の敗北という形で幕を閉じた。
そして、新たな時代の風が、王都に吹き始めていた。




