最終話:女王アリサ
争乱は終わった。
だが、それは単なる戦闘の終わりであり、歴史の大転換の始まりに過ぎなかった。
石鹸で転び、市民に追い詰められた騎士団は王城の旗が降りたのを見て戦意を喪失した。
剣を捨て、盾を下ろす。
その金属音が、王都のあちこちで響き渡った。
騎士たちの半数は裏切り、もう半数は戦意喪失により投降。
死者の数は、国の存亡を賭けた戦争にしては驚く程に少なかった。
「勝った……のか?」
「勝った! 私たちの勝ちだ!」
「マシロ様万歳! アリサ様万歳!」
市民たちの歓声が爆発する。
彼らは知っていた。絶対的な武力を誇った騎士団が、自分たちと同じ「持たざる者」の手によって敗北したことを。
「騎士は無敵ではない」「市民でも勝てる」
その事実は、長らくこの国を縛り続けてきた封建制度の鎖を、音を立てて砕いたのである。
†
数時間後。王城、バルコニー。
かつて歴代の王が民衆を見下ろしていたその場所に、今は三人の若者が立っていた。
マシロ、アリサ、そしてロッテだ。
眼下には、王都中の市民たちが集結していた。
ある者は歓喜し、ある者は涙を流し、そしてある者は新たな指導者の誕生を渇望していた。
「マシロ様万歳! 我らの救世主!」
「アリサ様もいるぞ! アリサ様なら国を守ってくれる!」
熱狂的なコールが湧き起こる。
彼らに仕事と衛生を与えたマシロ。そして、前線で体を張って彼らを守ったアリサ。
民衆はどちらも支持していた。
だが、当の本人たちは───
「む、無理よぉ……王様なんて。駆け引きとか苦手だし……難しい言葉読めないし!」
アリサが小動物のように身を縮める。
彼女は本気で嫌がっていた。
権力など要らない。ただ平和にマシロと暮らして、美味しいご飯を食べて、夜はイチャイチャしたいのだ。
「あら、良いじゃありませんか。歴史に名を残せますわよ」
「嫌よ! そんなことより毎日のごはんのことだけ考えて生きていきたいわ!」
アリサが泣き言を言うと、ロッテが呆れたようにため息をついた。
「……賢明ですわ、アリサさん。
確かに貴女が王になれば、苦労するでしょう。政治は分からない、計算もできない。公務のストレスでハゲるかもしれません」
「じゃあ、ロッテ! 貴女がなればいいじゃない! 貴女なら政治も完璧でしょ!」
ロッテは首を横に振った。
「民衆はわたくしの顔など知りませんし、支持もしないでしょう。
新たな王に必要なのは誰もが熱狂し、憧れる『英雄』としてのカリスマ。……わたくしには、それがありません」
彼女は自分の役割を徹底的に裏方と割り切っていた。
「じゃあ、マシロは?」
「マシロ君はもっと向いていませんわね」
ロッテは淡々と事実を告げた。
「えっ」
「彼は優しすぎるのです。人を疑うことを知らなさすぎる。
もし彼が玉座に座れば、残党貴族や他国の外交官、腹黒い商人たちがハイエナのように群がってくるでしょう。
『技術を提供しろ』『資金をよこせ』。
有象無象の要求を突きつけられ、断りきれず、利用され……最後は骨の髄までしゃぶり尽くされて、用済みとなれば毒殺されて終わりです」
「……っ!」
あまりにもリアルすぎる破滅のビジョンに、アリサが息を呑む。
「彼は一生不自由な籠の中で、暗殺の恐怖と悪意に晒され続けることになります」
ロッテの冷徹な宣告。
だが、その言葉が逆にアリサの覚悟に火をつけた。
(……マシロが、一生狙われる?)
(そんなの、絶対に嫌だ)
(王様になるなんて、凄いことだと思ってた。ちょっと頭を使うかもしれないけど、皆に褒められて、いい気分になれる役職なんだって)
でも、違った。
それは常に誰かに狙われ、足を引っ張られ、命を脅かされる危険な椅子だ。
なら、結論は一つ。
彼を一生守ると誓ったのだから。
王権という名の最強の鎧を纏い、国という最強の武器を使って、彼のための完璧な安全地帯を作る。
それこそが、彼を一生守り抜くための唯一の手段。
「……私が、なるわ」
アリサが呟く。
マシロを守るための、権力。
その言葉が、アリサの胸にストンと落ちた。
そうだ。
私が王になれば、もう誰も彼に手出しできない。
理不尽な理由で彼が攫われることも、脅かされることもない。
軍も、法律も、全てが彼を守るための力になる。
彼が好きな研究をして、好きな料理を作って、笑って暮らせる世界。
それを維持するためなら、私は王にだってなってやる。
アリサは顔を上げた。
その瞳に、もう迷いはない。
彼女はバルコニーの手すりに手をかけ、眼下の民衆を見下ろした。
「聞きなさい!」
凛とした声が、王都の空に響き渡る。
拡声器など使っていない。だが、その声は数万の民衆の耳に確かに届いた。
「この国の王は、私――アリサだ!」
一瞬の静寂。
民衆が、新たな支配者の誕生を受け止めようとしている。
「私は政治のことは分からない! 難しい理屈も語れない!
だが、約束する!」
アリサは拳を突き上げた。
「私の力は、この国の民を守るためにある!
理不尽な暴力、飢え、貧困……それら全てから、お前たちを守ってやる!」
そして、彼女は隣にいるマシロの肩を抱き寄せた。
「そして何より――この場で宣言する! このマシロこそが、私の『王配』だ!
夫婦、二人三脚でこの国を良い方向に導いていくことを約束するわ!」
これには、隣にいたマシロが一番驚いた。大勢の民衆の前での、結婚宣言。
顔を真っ赤にして、わたわたと手を振って抗議する。
「王配!? そんないきなり……! 心の準備が!」
「あらあら。大胆ですわね、陛下」
ロッテがニヤニヤと笑う。
完全に面白がっていた。
飾らない言葉。圧倒的な力への自負。そして、隠そうともしない深い愛情。
民衆は知っていた。戦場で常に先頭に立ち、自分たちの盾となって戦ったのが誰だったのかを。
自分たちを守護する強さ。
その象徴として、彼女以上の適任はいなかった。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
爆発的な歓声が地を揺らす。
「アリサ様万歳! 女王陛下万歳!」
「最強の女王が生まれたぞ!」
「マシロ様万歳! 俺たちの王配殿下!」
歓喜の渦。
誰もが彼女を王として認めた瞬間だった。
マシロは、隣で堂々と宣言するアリサの横顔を見つめた。
強く、美しく、そして誰よりも頼もしい。
かつて森で出会った女の子。
それが今、一国の女王となり、数万の民を導こうとしている。
「ねえ、アリサ。君の夢、叶った?」
「え?」
「『強くなって、騎士になって、みんなを守る。それで出世して、大将軍になって、可愛い旦那をもらう』」
かつて、あの森で交わした約束。
「大将軍どころか、女王様になっちゃったけど……可愛い旦那の方は、合格点かな?」
マシロは悪戯っぽく微笑んで、女王の手を取り、その甲に口づけを落とす。
アリサは顔を真っ赤にしながら、しかし嬉しそうに微笑んだ。
強く彼の手を握り返す。
「当たり前よ。……一生、離さないんだから」
こうして、貞操逆転世界の片隅に、新たな国が生まれた。
新たな国、新たな時代、そして結ばれた二人。その前途を祝福するかのように、王都にはいつまでも歓声が響き渡っていた。
これにて第一部完! 次は王国経営編の構想がありますが、一旦ここで区切りとさせていただきます!
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ここまでご愛読ありがとうございました!




