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刹那をかばって血の涙を流した和加は幸せそうに消えていった。
「あーあ、死んだの? その子」
刹那がまだ目の裏に残る和加の残像に心を奪われていると、この場にふさわしくない飄々としたユッチの声が聞こえてきた。
「バカだね。刹那のために死ぬなんて。だって……、君、そんなに偉いの?」
ユッチは嫌な笑みを口元に浮かべていた。
そんなユッチを見て刹那はカッとなる。
「そんなに偉いのか……? そんなに神は偉いのか!」
刹那は怒りを纏いユッチにゆっくりと近づいていく。
「な……」
狂ったユッチが後ずさりしてしまうほどの怒りを刹那は纏っていた。
「目ぇ覚ませよ!」
刹那はユッチの胸ぐらを掴んだ。
「お前も神にすがって、いずれは行異になるんだ。なったあとは良心だけが前に出て、喜びを感じることができない、悲しみだけが体を支配する、そんな存在になるんだ……。それでいいのか!?」
ユッチの眉が下がった。
「神にすがる? 違う……、ここには、ただメロディがあるだけで……」
「だから! そうやって慈悲に似た罠にはめられてるって気付かないのか!」
「このメロディを聞いていると何も考えなくていいんだ!」
ユッチは叫んだ。
「もともとは……、そのメロディで神は憐れな人間を助けようとしたのかもしれない。だけど、人間は、そこまで強くないんだよ。現実は、あまりにも残酷だって、神様だって知らないんだよ。無責任なんだ……。だって、すがりついたまま怠惰に現実逃避を続ける人間を……、『行異』にしたんだ。そして……、神の望みはこうなんだ」
刹那はディスクをユッチのパソコンにかざす。
「やっ、やめろ!」
刹那の手に飛びつくユッチ。
「やめない!」
刹那はユッチを突き飛ばした。
「お前……、本当に今幸せなのか? 僕の目を見ろ!」
刹那は突き飛ばしたユッチを再び自分へと引き寄せた。
「ひっ!」
「僕の目を見ろ! 思い出せ! お前はそんなもんじゃないだろ! 僕の言葉でもって妄想を切り捨てろ! まだ……戦えるだろ!?」
カチッ
「あっ!」
ユッチは声を上げる。だが時はすでに遅かった。刹那の手から離れたディスクはパソコンに吸い込まれた。
「大丈夫」
刹那はユッチに笑いかけた。
「僕と一緒に帰ろう」
ユッチの目から一筋の涙がこぼれた。紋章の力じゃない。ユッチの心は、刹那の言葉でもって正気を取り戻していく。
バン! バン! バン!
美しいメロディが流れる中、次に聞こえてきたのは爆発音だった。塔の最上部だというこの部屋から響き渡るのは、破壊のメロディだ。
もう、ここへ誰も迷い込んでくることのないように。
そして自らもここへ誘うことのできぬように。
塔にさまよう行異たちは、涙をながして浄化され消えゆくことを喜んだ。
ああ、そうか……、このメロディが流れたのも、愚かな人間の行動だったんだ。
この世界は、逃げ出してしまいたくなるほど汚くて醜くて、残酷な世界なのか?
耐えきれなくなった人間は、妄想という手段にでなければ生きていくことができなかったんだ。
なあ、ユッチ、和加、そして……ルカ。
悲しみから解き放たれた今……、この瞬間、幸せかい?
もう、現実から逃げ出す人々がいないよう、この愛おしくも汚れた世界を見守っていてくれ。僕はこの手の紋章に誓うよ。どんな現実でも、それが真実だから、立ち向かわずにはいられない。逃げることなんてできない。この紋章に染み込んだ、君たちの想いがそうさせる。
僕は、今を生きていく。
「刹那!」
崩れゆく塔。当たり前に傍にあった声が僕を目覚めさせる。
「大丈夫っ? こっちよ!」
刹那に手が差し伸べられた。
『気付いてあげて』
ルカの声がした。
刹那はその手を強く引いた。
「せつ……」
刹那は絵里奈を引きよせて抱いた。
「絵里奈、ごめんな……」
「刹那……?」
絵里奈は大人しく抱きしめられた。待ち焦がれていたはずなのに。二度とこんな瞬間はこないとも思っていたのに。突然やってきたその幸せは、想像していたようなときめきはなかったけど、大切な感情が込められている気がした。
崩れていく夢の塔。この世界は、僕のつくった妄想だったのか?
いや、違う。確かにあの場所はあった。
だけど、僕の腕から紋章は消えていた。
きっと、もうこの力は必要ないから。
―12羽―
「刹那、お客さんだよ」
絵里奈が刹那を呼んだ。店の奥の机で本を読んでいた刹那は、その本を閉じて席を立った。
「どういった話をお聞かせきたしましょうか?」
刹那は戸口に立つ悲しそうな女性に向かってそう言うと、ソファへ座るように促した。
絵里奈があたたかい飲み物を刹那とその女性の前に置いた。いつものコーヒー。
「私……、もう、ここにいたくないんです。そうね……、逃げたいの。ここから逃げたい。幸せな……、夢みたいな話を……聞きたいの」
『助けて』
その女性はそう訴えていた。
「……はい、わかりました」
刹那は少し間を置いてそう言った。
「刹那……」
絵里奈は少し不安になった。
「いちばん、新しい話なんです。『クリア』っていう話」
刹那は優しい顔でそう言った。女性は何か安心感を得たように刹那に心を開いた。刹那には人の心の中にスッとはいることのできる才能があった。それは最近身に付いたものかもしれないけれど。
刹那は語り始める。
「あるところに、少年と少女がいました。その少年は詩をつくることが大好きで、いつも少女に自分のつくった詩を読み聞かせています。ある日、青いキレイな目をした幼い子どもが、その少年のもとへやってきました。その子どもの目的は、行異という神に期待しすぎた悲しい存在の―――……」
純粋さを伴うとても言葉で表すことができない色。目にも捉えることができない色。
危うくて、儚くて、美しい。
和加の言った通りだ。
刹那は、扉を開いたことによって、失うものはあれど、いい物語をつくることができた。
彷徨える誰かを救える、そんな物語。
読んで下さった方々。心から感謝いたします。ありがとうございました。
穴ぼこだらけだけど、
気に入って下さった方がいれば幸せです。




