06 名付け親は王子様。
あたしは今までになく緊張していた。ここで失敗したら今度こそ完全に詰む。
それもこれもどちらにしても、ジル次第ではあるんだけれど。
ジルが部屋に入ってきた時は、ベッドの上に正座して待っていた。
ちなみに今回は薄すぎる夜着の上にガウンを羽織っている。あんな裸同然の格好で、落ち着いて話なんかできないし。
女官さん達は渋ったが、昨日は体が冷えて体調を崩したと言えば、青い顔してすぐに用意してくれた。
嘘ですごめんなさい。そんなに謝らないで。
「ジル殿下、昨日は……」
開口一番、謝罪しようとしたあたしを唇に手を当てて黙らせ、ジルは懐から紙切れを取り出して何かつぶやく。
すると紙はパッと青白い炎を出して燃え上がり、一瞬で崩れて消え失せた。
うわ! 魔法だ……初めて見た。何をしたんだろう?
おそらく興味津々な顔をしてたと思う。ジルはそんなあたしを見てくすりと笑うと、どんな魔法を使ったのかを説明してくれた。
「風の結界だ。これでこの部屋の会話は外には漏れない」
その言葉にあたしはハッとして、姿勢を正すと深々と頭を下げた。
「昨日は失礼な態度をとって申し訳ありませんでした! それと、話を合わせてくれてありがとうございました」
「いや、昨日は俺も大人気なかった。だが、よかったのか?」
「結婚したことですか?」
「…………そうだ」
やっぱりジルは優しい。あたしの勘は間違ってなかった。嬉しくなって思わず笑顔になる。
「正直に言います。私、子供は産みたくありません。それ以外の事なら結婚だろうが女神のふりだろうが、何でもします。殿下が望む事、何でも」
「……王室は、子供を望んでいる」
「でも、殿下は望んでいませんよね?」
あたしの言葉にジルは息を呑む。
「女神の子供に、もし魔力がほとんど無かったら……その子は、どうなりますか?」
ハクカ王家の魔力は――――血に宿る。
普通、魔力は遺伝しない。偉大な魔術師の子供だからといって魔法が使えるわけじゃないし、農家の三男が魔術師の弟子になって大出世することもある。
唯一の例外が、ハクカ王家だ。
女神は当時の皇太子との間に三人の子をもうけ、その子孫には多少の差異はあれど皆大きな魔力が見られた。
これをハクカ王家は『神力』と名付け、ハクカ王室は神の子孫となった。長い年月ののち女神の血は市井にも流れたが、その血筋は管理されてハクカを支え、ハクカは魔法大国として大きな力を得ることになる。
特に、病気はともかく女神教の神官に直せない怪我は無いとまで言われている。神力の薄れた今でこそ不可能になったが、神職に就く王族の多かった過去には、欠損を復元できるほどの術を持った神官すらいたらしい。
だが、血の薄まりとともに王家の魔力は衰え、近年ではかつての栄光にすがるのみだ。腐敗し堕落した王族と、圧政に苦しむ国民との軋轢の噂は、遠く他国の町や村にまで届いていた。
「女神の子供に神力が無いなど許されない。たとえ黒髪黒眼でも、魔力の無い御子がどうなるのか……殿下もお考えになったことはあるのでしょう?」
あたしも昨日はここまでは考えてなかった。でもジルはあたしが『保身の為に子供は売らない』と言ったとたんに顔色を変えた。
あたしの子供は、魔力の有無で危険にさらされる。そしてそれはジルの子でもあるんだ。あたしにはジルが、自分の子供を犠牲にできるような人物には見えなかった。
「お前の勝ちだよ。子供を産まなくてもすむ方法を考えよう。誰がちょっと気が効きそうな娘だよ。頭回りすぎだろう」
「それ、誰が言ったんですか?」
「……ディディー」
ディディエ枢機卿か! あいつはあたしの天敵だ。この苦境は全部あいつのせいだし、一度ぎゃふんと言わせないと気が済まない。
「親しいんですか?」
愛称で呼んでるくらいだしと思って聞くと、ジルはテーブルからグラスと酒の瓶を取ってソファーに座る。
しまった。王子を立たせたまま話をしていた。緊張していたとはいえ大失態。母から一通りのマナーは叩きこまれているが、所詮は実践した事のない付け焼き刃の礼儀だ。
「話すことは沢山ある。こっちに来い。お前も呑むか?」
「……お酒は飲んだことありません」
反省しつつベッドから下りると、飲み物を用意してあるらしいテーブルの上を見る。茶器は一式あるけれど、お湯が無いので諦めるしかない。高級そうな茶葉に後ろ髪を引かれつつ、あたしは水差しとグラスを手に取った。
「湯が欲しいのか?」
あたしの様子を見てジルは立ち上がると、持っていた水差しをテーブルに置かせる。小さく何かを呟いてから水差しに触れると、貼られていた紙切れが炎を上げて、消えた。
とたんに水差しの口から湯気が吹き出る。
「すごい……」
今度は目に見えて効果がわかる魔法だ。
興奮したあたしが目を輝かせると、ジルは少し照れ臭そうに笑った。やだ、笑うとちょっとかわいいかも。
「陣の魔力を解放しただけだ。ほんの少しでも魔力があれば、お前でもできるよ。茶器は扱えるのか?」
「母がちょっと良いとこのお嬢さんだったので。私はただの村娘なんですけどね」
久しぶりにお茶を入れる。慣れない茶葉と道具だったけど、思ったよりも上手に出来た。
「いい香りだな。俺もそっちにする」
「はい」
それから、あたしたちは色んな話をした。
女神の事。魔法の事。王室や王家、その他の支配階級の力関係。有力者の情報。
皇太子とアンセルムは正妃が産んだが、第3王子以下は妾妃の子だそうだ。正妃がすぐに追い出す為、三人の母は王宮にはいない。
第3王子のガエルが軍属でも無いのに一軍を与えられ、国境の警備に駆り出されているのも、正妃様の暗躍あっての事だそうだ。
ディディエ枢機卿とジルは幼なじみらしい。ディディエは今二十六歳で、ジルはなんと十九歳! 老けて見えるよ……苦労してんだね。
「ところでお前……そういえばお前の名は? 聞いてなかったな」
話の途中でジルが気付く。遅いよ。
「知人に迷惑をかけたくないので、秘密でお願いします。それに東方風の名前だから使えませんよ?」
殿下が新しくお付け下さいと言うと、ジルは一瞬眉を寄せたが、その方が良いかもな。と少しの間考え込んだ。
「では、リュミエールと。愛称はリュミエ。おそらく名を呼ぶのは俺ぐらいだろうがな」
「可愛い響きですね。何て意味ですか?」
「秘密だ。お前も殿下ではなくジルと呼べ」
そう言ってジルは意地悪く笑った。
ええぇ……。変な名前じゃ無いよね?『子豚ちゃん』とかだったら泣くよ?
あたしが渋い顔をしていると、ジルは声を上げて笑う。
「変な意味じゃないから安心しろ。リュミエにはしてやられてばかりだからな。ちょっとした意趣返しだ」
あたしはふて腐れた顔を作ったが、表情ほどは怒っていなかった。たまに意地悪で言葉使いはぶっきらぼうだが、ジルは優しい。ちょっと心配になるくらいに。
あたしの名を真剣に考えて、愛称で呼んでくれるのが嬉しかった。
あたしはきっとディディエ枢機卿とジルの駒なのだろう。
二人が何を考えているのかはまだわからないけれど、今夜はぐっすり眠れるような気がした。