番外編04 ジルの休日。
「えええ。今週二回目だよぉ?」
朝からの来客を玄関先で対応した後、妻が何か嘆いている。楽しそうに文句を言っているから、多分大した問題では無いだろう。回覧板のようだ。
ここへ越してきてから町内会というものに入った。町民を家族単位で班分けして、情報を共有して助け合う組織らしい。回覧板というのもその活動の一部だ。
最初は少し戸惑った。この国の人は日常的に魔道具や呪符を多用する。知らせる事があるなら式神でも飛ばせば良いのに、何故かわざわざ人の手で情報か書かれた紙を回覧していた。
リュミエに何故なのか聞けば、顔を見て渡す事が大切だからでしょと笑っていた。そういうものか。
「明後日、他国の使者がこの辺りに来るかもしれないんだって。不用意に呪符とか使わないようにって、通達来たよ」
重要事項だから判子ちょうだいと渡された紙を一読して、左の親指を乗せる。リュミエの印の横に俺の魔力印が押印された。こういう些細な所は高機能だ。
アズマは排他的な国だと周辺国には思われている。基本的に他国民の入国は許していないし、交易はデジマと呼ばれるいくつかの街でのみ行われる。
王都であるミヤコにまで他国の者が来ることはまれだし、その殆どが国家がらみの使者だ。彼らが訪問する地区の者達は協力して、常識はずれの魔力と魔術を完璧に隠蔽していた。これはそのための通達だ。
「明後日は忘れずに洗濯物外に干さなきゃ。回覧板、会長さんの所まで持って行って来るね」
「俺が行こうか?」
「奥さんに貰ったお野菜のお礼言いたいから、あたしが行くよ」
そうだろうな。だから俺が行きたいんだが。話が弾んで長居して来るに決まっている。
「それなら一緒に行こう」
「何か用事があるの?」
「いや、今日は一日家でゆっくりする予定だった」
「?」
キョトンとした顔の彼女の耳に口を近づけ、意図的に声に色をのせる。
「せっかくの休日なんだから、出来るだけ一緒にいたい」
みるみる赤くなる顔を笑いを堪えながら楽しむ。
俺の奥さんは大層可愛らしい。いい加減慣れても良さそうなものだが、この手の会話ではまるで無垢な少女の反応を返す。
「わ、私も別に、ジルと一緒にいたくないわけじゃなくて、ですね。ジルのお休みはいつも、楽しみにしてる……し」
ボソボソと下を向いて言い訳めいた事を呟く頭にぽんぽんと二度触れて、上着を手に取る。
このまま寝室に連れ込みたい所だが、残念ながら回覧板を回さなければならない。
「昼は久しぶりに外で食べようか。『デート』だな」
最近覚えたアズマ語を使うと「デ……デート!? いやそうだけど!」と何故か酷く狼狽えている。
シンから、デートとは二人の人間が外出することで一人なら『ボッチ』、三人なら『フタマタ』だと聞いたがどうやら違う意味があるようだ。彼はちょくちょくこういう悪戯を仕掛けてくる。他人の前で使う前に正しい意味を調べておこう。
気付かれないように小さく笑って、俺は行くぞとリュミエを急かした。
***
二軒隣の町内会長の家では、俺がいた為か比較的早く解放された。これから出かけるとわかったんだろう。昼食にはまだ少し早かったので、露天や雑貨屋を冷やかして歩く。
「あれ? 『来客』は明後日なのに、もう商品入れ替えたんだ」
魔道具屋の品揃えを見てリュミエが首を傾げる。呪符や東語が書かれた道具が全て撤去されていた。店番をしていた店主の娘がケラケラ笑う。
「一昨日に変えたままなんだよぅ。四日後にまた変えるのが面倒だって。大した手間でも無いのにさぁ」
「煩ぇ。出来るだけ閉店後は仕事しない主義なんだよ……らっしゃい」
バツの悪そうな顔で出て来た店主が娘を小突く。
要るもんがあるなら出してくるぞという申し出を笑って断る。特に必要なものがあるわけじゃない。
「何か面白いものがないかと思って寄っただけなんだ。また来るよ」
「ああ。呪符を陣に置き換えてるらしいな。東語が入った魔具は輸出が出来ないからよろしく頼むよ」
アズマの人々はあまりに便利な呪符のせいで、魔法陣の扱いが下手だった。秘密を守る為には不用意に他国から魔術師を招くことも出来ず、陣の研究は暗礁に乗り上げていたらしい。
それはそうだ。どの国でも魔術師は手厚く優遇するし、厳重に管理される。政治的な交渉で貸し出すことはあっても、必ず返すよう確約させられるはずだ。これを破れば戦争の火種になってもおかしくはない。
アズマへ来る前は、規格外に魔力の多い人のゴロゴロいる国で、自分の魔力や知識など何の役にも立たないだろうと思っていた。
自分に何の仕事が出来るだろうかと思い悩んでいたのだが、やってくれないかと提示された職に、暫く言葉が出なかった。
「魔術師長さんは、今来てるフォレスト国の使者さんには会った? 明後日何でこの辺に来るか知ってる?」
「こら。話せるわけないだろ。守秘義務ってもんがあるだろうが」
「そうですね。知らないですけど、知ってても言えないですね」
驚いた事に、俺の知識と魔力は十二分に通用した。
この国には呪符を扱える者や、俺より魔力の多い者はほぼ国民の数に等しいが、魔法陣の扱いに熟知した者がいない。俺が少しだけ抑え気味に陣を扱えば、『国で一番の魔術師』にちょうど良かった。
かくして対他国用に俺は魔術師長という肩書きを得て、陣の講義や魔道具の開発といったハクカにいた頃とあまり代わり映えのしない日々を過ごしている。外部から余計な圧力や雑音が無いぶん、充実していて楽しい。
そして何よりも、リュミエを働かせることなく養えるのが有難かった。働く事を嫌がるとは思わないが、彼女の夢を理想的な形で叶えるには家庭に入った方が良いだろう。
仲良く口論する父娘に別れを告げ、俺たちはのんびりと公園を散策する事にした。城からそう遠くない場所にある広い公園は、この国の始祖の一人の名が付けられていた。
木漏れ日を楽しみながら公園の中央までゆっくりと歩けば、赤茶に色付いた見事な大木が出迎えてくれる。
「この樹も始祖様と同じ名前で呼ばれてるんだよ。本物は『失われた祖国』にしかないんだけど、あまりに似てるからそう呼ばれるようになったんだって」
季節は秋。今はひらひらと役目を終えた葉を落とすだけの大樹だが、春には美しい花を一斉に咲かせると聞いている。俺たちはそれをずっと楽しみにしていた。
「あの花びらは、実はこの樹のものなんだよ」
ここへ初めて来た時に、リュミエはそう告白した。あの図形が花びらを表すと、彼女は最初から知っていたらしい。
アズマではこの樹は特別なもので、あの形はこの樹の花びらを示すと誰もが知っていた。この国では「花」と言えばそのままこの樹を指す事すらあるそうだ。
始祖と同じ名の花。
ハクカに降り注いた奇跡の花吹雪。
王位継承権を持つ光とその夫である俺は、始祖とハクカとの関わりを教えてもらう事が出来た。一般の民の知らない、アズマ王室だけが知る運命的な奇跡の物語。
「魔法じゃない桜吹雪、早く見たいね」
春になったら、薄紅の花弁の降るこの樹の下でもう一度誓おう。
三百年の時を越えて守ってくれた、女神の奇跡に感謝を込めて。
俺たちは、必ず幸せになると。




