27 オープン セサミ!
明日に備えて、できるだけゆったりとした一日を過ごした。
午後からはふいに思い立って五人の女官さん全員無理矢理席に着かせ、お茶会もどきなんてしてみたり。
あたしがお茶を入れて五人に振る舞った時は楽しかったなぁ。リリィ以外が尋常じゃなくうろたえるのが可笑しくて、女神の演技なんか忘れて声を上げて笑った。涼しい顔で「頂きます」とカップを傾けるリリィさんは、流石。
多分、少し無理してはしゃいでいたと思う。夕食を終えて、リリィがお茶を入れてくれる頃にはちょっとだけ……ほんのちょっとだけ反動が来たような気もするような。しないような。明日を境に、五人とはきっと二度と会えなくなる。
いつもなら魔法陣の練習の時間だけど、一人になりたくなくてリリィと取り留めのない会話をして過ごした。得意なものや苦手なものを交互に告白して、声を潜めて笑う。
あたしが得意なものはハッタリで苦手なものは刺繍。リリィが得意なのはお菓子作りで、苦手なのは何故かカエルと、思いきり意表をついてくれた。なんとなくだけど、ヘビとか虫とか手づかみで退治してくれそうなイメージが……ゴメンナサイ。
あの動きが駄目なんですと顔をしかめるので、じゃあヘビやトカゲは? と聞けば、掴んで振り回せますと頼もしいお言葉。……うん。あたし間違ってなかったね。
「じゃあ今度は好きなもの。あたしはケーキが好き。一瞬で幸せになれるから」
「食べ物なら私は花無し杏の実ですね。美味しいのに美容に良いのが嬉しいです」
「あたしも好き。花無し杏のケーキなんて、最高だなぁ」
花無し杏の実が生るのは秋。お菓子作りの得意なリリィに、『花無し杏のケーキを作って』とは言えない。他のどんなお願いも、もうすぐ決して言えなくなる。うっかりそんなことを考えてしまって、ぎゅっと胸の奥が傷んだ。
「食べ物以外では何が一番お好きですか?」
嫌なタイミングでリリィが聞く。好きなものなんて言わなけりゃよかった。真っ先に思い付いた誰かの顔を瞬時に否定して、あたしは当たり障りの無い言葉を探した。
「えっと、何だろ? あ、本を読むのは好きだよ」
「私はリュミエール様です」
そう言ったリリィは笑顔だったけど、あたしには何故か泣き顔に見えた。
「ありがとう。あたしもリリィが好きだよ」
「でも、一番じゃありませんよね?」
リリィがあたしを困らせる事は珍しい。いつだって彼女は、あたしが穏やかに過ごせるよう気を配ってくれていた。
「私が一番じゃなくていいんです。リュミエール様の一番はこの国にはありませんか?」
「リリィ……」
ついに笑顔を維持できなくなって、震え声で彼女は聞く。リリィには重要な事は何も話していない。でも賢い彼女はとっくに気付いている。あたしが、もうすぐこの国から出ていく事を。
「行かないで下さい。私の大事なお二人が、どうして離ればなれにならなきゃいけないんですか!?」
初めての、女官としての立場をかなぐり捨てた懇願に胸が軋む。それすらも自分自身の為じゃなくて主の為なの?
彼女の強さにあたしはずっと甘えてきた。だけどリリィだってあたしと同年代の、まだ若い女の子なのに。
「リリィ、ごめんなさい。あたしは……」
掛ける言葉が纏まらないまま、せめて抱きしめようと浮いた手が止まる。
リリィは弾かれたように顔を上げ、音を立てないように立ち上がって扉の側へと身を寄せた。あたしもリリィの真似をして立ち上がり、彼女の隣で部屋の外の様子をそっと伺う。ジルじゃない。男の、声がする。
「本当にジル殿下はいらっしゃらないんです。女神様も逐次居場所をご存じではありません。他で聞いて下さい!」
「いいからとりあえず中へ入れなさい。時間が無いのです。無理矢理押し入って騒ぎになれば、困るのは女神です」
「いくら殿下といえど、無礼が過ぎます! 女神様を軽んじるおつもりですか!?」
ガウルの声じゃない。アンセルムなら問答無用で衛兵を呼んでいる。この声はイシドール。皇太子殿下が何故ここへ?
リリィが扉に手を掛けてこちらを見たので、頷いで死角になる位置に下がる。他者の侵入を防ぐ結界の陣を準備すると、リリィは素早くするりと部屋を出て行った。
「何の騒ぎでしょう? 女神様はもうお休みになる所です。このような時間に夫以外の者を招き入れるとお思いですか。そもそもジル殿下以外の殿方を部屋に入れるなど、日中ですら承知しかねます」
リリィ……すごく頼もしい。頼もしいけどハラハラするよ。その人皇太子っていうジル以上の権力者で、ジルに次ぐ魔法の使い手だから!
失敗したかなぁ? 女官さん全員部屋に入れて、結界で篭城した方がよかったかも。でも、明日の夕方までは絶対騒ぎを起こすわけにはいかないし。
「女神、聞いているのでしょう?」
まるで扉のすぐ側にいるのが見えているかのように、イシドールはリリィを無視してあたしに語りかけた。実際バレてるのかも。この人ちょっと得体が知れないし。
「すぐに入れてください。宝物庫の鍵についてご相談があります。詳しい事をここでこのまま話してもよろしいですか?」
――――マズい。
「……リリィ、イシドール皇太子殿下と貴女だけ入ってきて下さい」
「リュミエール様!?」
これは、入れざるを得ない。下手をすればすぐにジルが拘束されてしまう。幸いまだ夜着には着替えていないし、不貞の噂が立ったところであたしが王宮に居る時間はあと僅かだ。最悪、イシドールを明日の夕方まで監禁する必要が出てきた。
「命令です。今すぐ中へ」
リリィは驚いたようだが、あたしの態度から何か感じ取ったのか、素直にイシドールを入室させた。ジルがいつも寛ぐ場所へ座らせるのは業腹だが、あまり近くに座りたくない。「ソファーへ」と彼女に耳打ちして、自分はさっきまで座っていた椅子に座ろうと踵を返した。
「女神様」
首筋に触れた体温に、反射的に右手を振りぬいた。パァン! と小気味良い音がして、イシドールの頬が紅く染まる。リリィが悲鳴を噛み殺して、皇太子とあたしの間に入った。毎度毎度この男は……っ!
「失礼。目測を誤りました。遮音の陣です」
「……あなたが、発動してください」
言い捨てて、足早にイシドールから距離をとる。リリィが悲鳴を上げないでくれて、よかった。騒ぎにだけはしたくない。
「鍵を掛け替えたのは、ジルですね?」
風の結界を張ると、ソファーへ案内するリリィを無視して立ったまま、イシドールが聞く。はっきりと聞いてはいないけど、ジルだろうね。どさくさ紛れで宝物庫の品を持って逃げる王族がいたら困ると、ディディエと話しているのを聞いた。国を立て直す為には資金が必要。事後の混乱は国庫を解放して収拾しなくてはならない。
「さあ……私にはよくわかりませんが、何か問題があったのですか?」
「宝物庫の鍵は、魔力の質と量で管理されています。登録されている者か、設定者以上の魔力を持った者のみ解錠可能です。管理者の私に開ける事ができないとなれば、新たな設定者はジルしかいない」
ジル……宝物庫なんてめったに開けるものじゃないから先に設定したんだろうけど、早すぎたみたいだよ。イシドールもなんでこのタイミングで宝物庫開けようとしてんだよ。
「国王が明日の国境警備師団の見送りに、先代が先の大戦で使用したマントを使いたいと仰せです。速やかにお持ちしなければ、ジル達の計画は今夜頓挫することになるでしょうね」
駄目だ。完全にバレている。ジルが来るまで、イシドールを絶対に逃がせなくなった。
でも一体何がしたいんだこの男は。皇太子にとって『ジル達の計画』の成功は破滅を意味する。この場合あたしに構う前に、国王にジルの所業を報告するのが正解じゃないの?
「私は、どちらでもよかったのですよ。でも貴女がこの企てを成功させたいというのなら、協力しても良いと思っています」
……どういう意味?
わからない。この男の考えている事だけは理解不能。
「どちらにしろ、ジルがいなければ話になりません。貴女にも、協力してもらいます」
あたしに向けてイシドールが一歩踏み出す。嫌な予感に椅子が倒れるのにも構わず、立ち上がった。止まりなさい! と叫んだリリィが、あたしを庇って両手を広げる。
「邪魔です」
イシドールが伸ばした手にあるのは魔法陣。白い光が弾けて、リリィが床に崩れ落ちる。
アンセルムに攫われた時と全く同じ状況に、リリィに駆け寄りたい気持ちを捩じ伏せて、あたしは手近にあった砂糖壺を掴んだ。これを投げつけて、怯んだ隙に扉まで走る……っ。外から扉へジルの描いた結界の陣を貼れば、イシドールには絶対破れない!
砂糖壺を投げつけるところまでは上手くいった。容赦無く顔面を狙ったそれを最小限の動きで避けたイシドールは、全く焦る様子を見せずに扉へ走るあたしの腕を掴んだ。つんのめるあたしを腕を回して容易く支えると、「危ないですよ」となんでもない事のように無機質な言葉が落とされた
掴まれた腕に感じるジル以上に固い剣ダコの感触に、顔を歪める。人は見かけによらない。……違う。きちんと皇太子の情報を集めなかったあたしが、馬鹿だったんだ。
「離しなさい!」
腕を外そうともがいても、簡単にいなされて抱き上げられる。背中を叩いてもびくともしないので、そのお綺麗な顔を引っ掻いてやろうと頭に手をかけたところで身体が宙に浮く。
反射的に目を閉じて衝撃に備えたけれど、あたしを受け止めたのは床ではなくて柔らかな寝台。慌てて起き上がろうとしても遅すぎて、固い男の手に両手首が拘束された。
冷汗が吹き出る。この男はアンセルムとは全然違う。まるで、子供のようにあしらわれた。
「少し、協力して貰うだけですよ。女神」
あたしの脚は上に乗るイシドールのせいで全く動かせない。なのに、さほど重さを感じないのは、あたしの負担を軽くするだけの余裕があるからなんだろう。
駄目だ。もう何をしても逃げ出せない。フラヴィ達は必死でジルを探してくれているだろうけど、いつになる? それまでにあたしは……。悔しさに涙が滲む。
「……泣かないで下さい。貴女を悲しませるのは本意ではないのですよ」
だったらこの手を今すぐ離せレイプ魔! ギッと睨みつければ、イシドールの目が細められた。口端が上がるのを見た途端に抑えきれない怒りが込み上げて、あたしは衝動のままにイシドールを罵倒した。
「離せこの強姦魔! 女が皆そのお綺麗な顔や権力に靡くと思うなっ。優しい言葉をかけたら和姦になると思ったら大間違いだから。自覚が無いぶん、アンセルムよりあんたの方が数倍タチ悪いよ!」
イシドールの目が丸くなる。「やっちゃった!」と少し後悔したが、今更もう後には引けない。
呆れてその気を無くしてくれないかと期待して、そのまま続けて暴言を吐く。せめて怒って暴力を奮う方向へとシフトしてくれませんかね?
「アンセルムといい、あんたといい、王宮は性犯罪者の温床なわけ? 神様の末裔のくせに、ちょっとは理性働かせたらどうなの? 弱いものをイジメちゃいけません。人が嫌がる事をしたら駄目です。子供でもわかる事が、なんで国を支配する人達が理解してないのよ。この、恥知ら……ず?」
効果は覿面だった。ただし、あたしの理解の範疇を超えた方向へ。
まるで花がほころぶように形作られた、幸せそうな笑顔。いつもの無表情からは想像出来ないような柔らかな笑みを、あたしは唖然として見上げた。
「それが、本当の貴女なのですね」
待て待て待て! 何で罵倒されてそんなに嬉しそうなの? アンセルムは最低なドSだったけど、あんたは逆にドMなわけ!?
さっきとは違う種類の冷や汗を掻く。なんなのコレ。王宮は性犯罪者どころか変態の温床? いや、落ち着け。ドMならこっちが強気に出れば時間を稼げるかもしれない。でも、あたし思い切りドン引きしちゃったから、どうやって罵ればいいのかわかんなくなっちゃったんですけどぉ!
狼狽のあまり言葉の出なくなったあたしの目尻から、ポロリと涙が零れる。柔らかな表情のまま、「泣かないで下さい」と繰り返して、イシドールはゆっくりとあたしの手首を開放した。
「もっと、本当の貴女を知りたい所ですが、時間切れです」
イシドールがあたしの上から退くと同時に、部屋の外が急に騒がしくなった。「ジル殿下!」とフラヴィが叫ぶ声が聞こえる。内部の音が漏れないように遮音の結界は張ってあるが、施錠されているわけではない。荒々しく扉が開かれ、息を切らしたジルが飛び込んできた。
「リュミエ!」
「待って! 何もされてないから!」
イシドールの姿を認めた途端に、背筋が凍る程の怒気を見せたジルに慌てて叫ぶ。漸く理解出来た。そういう事か。
「早かったですね。触れれば解る方ですか? それとも恐怖に反応するものですか?」
「両方だ! リュミエに何をした!?」
ジルに、ストーカー疑惑発生。教えておいてよ……他にどんな魔法あたしにかけてんの? お風呂やトイレの様子がわかるもの、つけて無いでしょうね?
「ホントにちょっと脅されただけだってば。そんな事より、リリィは大丈夫なの?」
「気を失っているだけですよ。休ませてあげて下さい」
あたしが素で話し掛けたからか、ジルが眉を寄せる。ごめん。おもいきり本性バラしちゃいました。
駆け寄ってきたフラヴィ達がリリィをみてくれて「眠っているだけのようです」と請け負う。病人が出たと衛兵を呼んで、医務室へと連れていってくれた。怪我が無いみたいでよかったよ。
それにさっきまでの騒ぎに気付いた人がいたとしても、女官が倒れたせいだと思ってくれるだろう。リリィには悪い気がするけど、これも不幸中の幸いだ。
「宝物庫を開けて下さい」
フラヴィ達が退室して、三人だけになるとイシドールは再び遮音の結界を張ってジルに言う。あたしが聞かされたのとほぼ同じ説明を聞いて、ジルの表情が警戒から困惑へと変わった。だよねぇ。意味わかんないよねぇ?
「解錠権利者に加えます」
どちらにせよ宝物庫は開けて、マントを届けなきゃヤバい。あたしが使っている紙とペンでジルは魔法陣を書き上げると、イシドールの手の平へと押し付けた。ボッと暗い炎を上げた陣は、手の平へと吸い込まれるように揺らめいて、消える。
感触を確かめるように二度拳を作っては開くと、イシドールはあたしに向かって恭しく一礼した。
「では、急ぎますので私はこれで失礼します」
あたしはジルの顔を見る。険しい表情。どうするべきかまだ迷っているんだろう。
イシドールはどこまで感付いているんだろう。明日の決行まで承知しているのか。今は話していないにしても、この後すぐ国王に全て暴露する気ではないのか。
このまま、この男を野放しにしてもいいのか。
「……何故?」
ものすごく色んな意味の篭ったジルの問い掛けを無視して、皇太子は踵を返す。
拘束へと傾いたジルが懐から魔法陣を取り出そうとするのを見て、あたしはとっさに声を上げた。
「イシドール殿下!」
扉にかけた手を下ろして、振り返った男は無表情と言うには穏やか過ぎる顔でこちらへ向き直った。
「何でしょう? 女神様」
聞きたい事は山ほどある。でも
「……何故ですか?」
あたしは結局ジルと同じ質問をした。何となく、これで充分な気がした。あたしの言葉だけは彼に届くんじゃないかという、傲慢な第六感。
薄く、ほんの少しだけイシドールは笑ったように見えた。隣で息を呑む気配がする。ジル、イシドールが笑う所初めて見るのかな? どんだけ無表情なんだよあんた。
「あの人達は私から全てを奪っていきました。私が欲しいと思ったものも、大事だと気付けなかったものも、全て」
歌うように、懺悔するように、愛を囁くように、泣くように。
全ての感情を込めた、仮面のような無表情でイシドールはあたしに告白した。
「あの男が貴女に興味を示した事に、憤りを感じました。女神は私のものではありませんでしたが、あの男に奪われる事だけは許容できない」
口調が乱れる事はなかったけれど、彼らしくない少しだけ乱暴な語尾。少し驚いたあたしが眉を動かしたのを見て、彼は花のように笑う。
あたしとジルはそれを呆と眺める事しか出来なかった。王族だから、保守派だからと切り捨てていた。『皇太子』はただの記号。あたし達は一体彼の何を見ていたんだろう。
「久しぶりだったのです。何かに心を動かされたのは」
優雅な所作で扉の向こうへ消えたイシドールに、かける言葉を失うのはこれで二度目だった。




