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今日、彼氏と別れた。少し気が弱いけれど、優しい人だった。だから、私といることに耐えられなかったのだと思う。


「昨日、(れい)のお母さんに挨拶したときに言われたんだ。玲をこの先ずっと支えてやれるのかって。俺は玲のことが好きだし、傍にいたい。だけど……苦しんでいる玲を救ってやれない。玲に何もしてやれない。俺には無理なんだ。ごめん、玲。終わりにしよう」

苦しそうな顔でそう告げる彼に、『別れたくない』なんて縋り付けないし、何より彼をもう私から解放しなければならない。私からというか……私と母から。

母は、もの凄く純粋な人。今年で42歳になるというのに、元が良いからか今でも清楚なお嬢様風だし、今もなお父に恋をしている。……まぁ、父も母を溺愛しているのだけれど。

母の基準だと、お付き合いは結婚前提。高校生の私には結婚なんて現実味がないし、こんな重い条件付きの女を受け入れる男などそうそういない。今日別れた私の初カレ、いや元カレはその点理解のある人だったけど。付き合い始めたのが母に気付かれ、半ば強引に家に招かれた時も引かなかったし、結婚も視野に入れているとまで言ってくれた。そこまでできた人間である元カレが、なぜ私と別れることになったのかはまぁ、全面的に私のせいなのだけれど。


私のメンタルは脆い。中学の時は引きこもりだったし、一人っ子で親は子供をほっといてラブラブしているような家庭だったために、根っからの一人好き。

友達がいないわけではなかった。むしろ周りには常に人がいた。積極的に人に関わりたいわけではないけど、浮かないように、ハブられないように思ってもないことを口にして友達をつくるくらいの社交性はある。

けれどそういうのって、割と疲れる。中2にして見事に引きこもり、母親に『私がしっかりした母親じゃないから! 私が未熟だから玲はこんな風になったのね……』と号泣され、父親には『母親を泣かせるなんて、どうやら俺は育て方を間違えたようだな。このまま一生引きこもりか。親不孝者が』と吐き捨てられ。

学校で、というよりは両親の言葉がグッサグッサ刺さり、私は自傷行為に走った。

カッター、(はさみ)、ボールペンやコンパス。でもだんだん痛みが足りなくなってきて、右の拳でひたすら左腕を殴りまくったり。

碌に処置もしないから部屋のカーペットは血だらけで、服にも血が染みついている。親にばれるのも当然というものだ。

母はやはり泣いた。それはそれは綺麗な泣き顔で、そんなつもりはないのだろうけど、悲劇のヒロインっぽいなぁと冷めた目で見ていた。

そして父は、うん。やっぱり母命だった。父の優先順位はいつだって母、母が大切にしているもの、あとはどうなっても構わない、だから。私は父の娘だから大切なのではなく、母が大切にしているから自分の庇護下に置くのだ。

父にとって母が絶対。母を苦しませるものはすべて排除の対象。

だから父の言葉も納得ものだ。

『自分で自分を傷つけて、お前は死にたいらしいな。自分で出来ないなら俺が殺してやる』

父もなまじ顔が良いだけに、その表情だけで死んでしまいそうだった。

まぁ、母が必死に止めたから私はまだ生きているのだけれど。そのあと、父が母を慰めべた褒めし、イチャイチャモードに突入するという……。この人たち、本当に人間か? ロマンス小説じゃないんだからさ。

子供の情操に悪い。母のせいというのもあながち間違いではないのでは? 殺されるから言わないけど。


そうして私はどこか壊れた人間になった。

引きこもりだったのは1年で、中3からは学校に復帰できた。特にすることもなく、毎日勉強ばっかりしていたおかげか遅れもなく、高校も進学校に入学。

けれど自傷はやめられず、過呼吸の発作も健在ではあった。

腕には醜い跡がミミズのように残っていたが、クラスメイトは心優しく、私は幸せであった。

学校にいる時間が、唯一心休まる時間で。授業が終わると心も体も重くなる。家に帰りたくなかった。

けれど寄り道なんて出来ない。母が心配するから。心配する母を父が心配し、そして私が怒られるから。

毎日苦しかった。父の私に向ける視線の冷たさ。そして母の私に対する執着のような愛情。



季節は巡り、受験生になった。志望大学は近場の私立大学だ。家を出るという選択肢は最初から用意されていない。今でも我が家のお姫様は母で、母が許さない限り私はこの家に縛り付けられたまま。

今までと何も変わらない日々の中、私に人生初の恋人ができた。大学生で、市立図書館で出会った。

本の趣味が合って、仲良くなって、初めて告白されて、優しく私を愛してくれる彼に浮かれていたのかもしれない。

そもそも私に自由なんてないのに。

母親の勘というのか、女の勘というのか、すぐに気付かれ彼は我が家に招かれることになり。

「玲はね、本当に良い子なのよ。優しい子なの」

そう言って花のように微笑む母は美しい。

「大事な一人娘だから、半端な気持ちでお付き合いはしてほしくないの」

母はきっとふるいにかけている。私を想ってのことだと分かってはいても、私の幸せを喜んでくれないのかと悲しくなる。

彼は、母にとっての模範解答をしてくれた。これで安心だと思った。彼は母に認められたのだと。



「あら、お帰りなさい。玲、今日はチーズケーキを作ったの。玲、好きでしょ?」

純真無垢な母。天使のように穢れなどなくて、愛し愛されて傷のひとつもない母。

「……いらない」

「え? どうしたの玲、体調でも悪い?」

白くて綺麗な女の人の手で、私の傷だらけの腕に触れる。私はとっさに母の腕を振り払った。初めての反抗だった。

「きゃっ……。玲……?」

いつもと違う私の様子に、すぐ涙目になる母。

「どうして? お母さん」

びっくりするほど冷たい声が出た。

「玲、何があったの? お母さんがいるから大丈夫よ。ほら、話して……?」

あぁ、本当にこの人はもう……。

「彼に振られたの。私を支えることは出来ないって」

母の行動は早かった。おっとりまったりな母が、もの凄い反射神経で私を抱きしめた。

「可哀想な玲……。大丈夫よ、お母さんがずっと玲のそばにいるわ。やっぱりあの人じゃ玲のこと分かってやれなかったのね」

私の心は完全に冷めていて、母に触れている部分から腐っていく感覚に見舞われた。

「離して」

「大丈夫、我慢しなくてもいいのよ」

この人が主役の物語で踊らされるのは、もう無理だ。

私の心が悲鳴を上げているから。

我慢の、限界。

「離して、って言ってるでしょう? お母さん、いや、お姫様?」

嘲笑を含んだ私の声に、母はようやく腕をほどいた。

「玲……?」

「お母さんは、私を産んで幸せだった?」

「も、もちろんよ! 大切な私たちの宝物よ」

「私は、お母さんの子供として生まれて幸せだったとは言えない」

母は息をのんだ。さすがヒロイン。傷ついても様になる。

「やっぱり私が未熟な母親だったから……」

「違う。そう言う次元じゃない」

母は責められる前に自分で自分を貶してしまうずるさがある。そしていつも近くには、そんな母をなんとしてでも守る(ナイト)がいる。

母は自分の言葉を遮られて茫然としている。

「両親中睦ましいのは好ましいけれど、あなたたちの行為は私の心をいつだって無視した。確かに引きこもった私の弱さがいけなかったよ。でも、それは思春期なら誰にでも有り得ることで、私の場合は親が味方になってくれたら立ち直れる程度のものだった。そんな私に、『私たちの宝物』にあなた方はなんて声を掛けた?」

今だ茫然とする母に捲し立てる。

「私のお母さんはね、私に声を掛けるわけでもなく悲劇のヒロインよろしく号泣して、お父さんはそんなお姫様を守るために私を叱り飛ばした。私の心はもうとっくに壊れてるの」

母はやはり泣く。子供みたいに純粋に。

「芽衣子! どうした、何があった!」

二階の書斎から父が降りてくる。泣き崩れる母を見て、走り寄り抱き寄せ。私を見て、隠しもしない怒気を向ける。

「何があったんだ芽衣子」

母の背をさすりながらゾッとするほどやさしく問う父。

「わ、私……母親、し、しっかく。ごめんなさ……!」

「芽衣子、大丈夫だ。上に行って少し休んでなさい」

父に促され、母は子供のように素直に二階へ行く。

……そこで私を置いていくから母親失格なのに。

そして鬼のような父と対峙する。

「玲……。芽衣子に何をした」

芽衣子、ね。私はもう娘じゃないってことか。大切な妻を傷つけた、排除対象。

「遅めの反抗期ですが、何か?」

それは誰もが通る道で、親はそれと向き合う義務と責任がある。父がちゃんと『私の親』ならば、私を叱るなり謝るなり、向き合うはずだが。……期待はしていない。

「……出ていけ。二度と俺たちの前に現れるな。お前は俺たちの子供ではない」

決定的な言葉。私が傷つかないとでも思っているのか。いや、傷つこうとどうでもいいのだこの人には。母以外のものに興味はないのだから。

「あなた方が私の親だったことも、一度もありませんよ」

私は狂ったように嗤った。

可笑しい。

なんて可笑しな世界だ。

血は繋がってるはずなのに、私たちは親子じゃなかった。

私を無条件に愛してくれる存在はなかった。

父は壊れてしまった私を、汚物でも見るような目で刺し、私は特に何を持って行くわけでもなく、着の身着のまま家を出た。




18にして家を失くした。頼る大人もいないし、生活のあてもない。けれど今までで一番すっきりした気持ちだった。

この清々しい気持ちのまま、死のう。このままじゃどのみち死ぬのだろうし、達成感で満たされた今なら自殺であろうと天国にだって行けそうな気持ちである。

川があった。割と綺麗な川だ。流れはそこまで速くないけど、水深は結構あると見た。

「よし、入水自殺をしよう」

ポンと手を打ち、妙な高揚感を抱え川に近づく。

私の水死体はいったいどこで発見されるのだろう。死んだ後だから分かりっこないが、ちょっと気になる。

「おいおいおい、何してる」

誰もいないと思っていたが、土手には男性の姿が。

私の意図をはっきりと認識したのか、結構な速度で駆け寄る。

「見ての通り、自殺です」

「そんなに爽やかな笑顔で言うことじゃねぇから。ほら、早く水から出なさい」

手を差し出す男性。

「いえいえ、ご心配なく――っ」

足が滑って川の深いところに入ってしまった。まぁ、当初の目的通りなのだけど、結構苦しいし……怖い。

死ぬのが怖いのか。それははないと思っていたが、私も動物だったんだな。

反射的にばたつかせていた四肢が動かなくなり、意識が遠のく。



死んだ? なんか体が重くてだるいんだけど、死んでも感覚ってあるのねー。

天国なわけないからここは地獄か。何もないうえに、薬品臭いけど。あ、人体実験する的な? 地獄って結構進んでるー。

「おい、聞こえてるか。目ぇ開けたまんま動かないけど」

この声は鬼? 妙に渋いイケボだが。

「……」

「大丈夫か? てか自殺とかしてんじゃねぇよ。危うく俺まで溺れるところだった」

あー。これアレだ。生きてるパターンだ。

「……だとしたらいろいろと問題が」

「第一声がそれか。まぁいいけど、ナースコール押したからもうすぐ医者が来るはずだ。俺は帰るから」

男性は言うだけ言って病室を出ようとする。

「ストーップ。そこのおじさん止まってください」

「おじさん言うな!」

おじさん、というのにはいささかイケメンが過ぎるが、18の私にしたら30代はおじさんである。

「名前知らないので。あ、じゃあおじ様で良いですか」

「いいわけあるかっ。……九鬼青葉(くきあおば)だ。お前は」

「和泉玲です。クッキーさん、私あなたに言いたいことがあるんですけど――」

「クッキーじゃない。九鬼、だ。九つの鬼と書いて九鬼」

九鬼? で名前が青葉とな。……バランスおかしくない? 苗字おどろおどろしい割に爽やかな名前だな。

「九鬼さん、私あなたのおかげで生き延びてしまいました。どうしてくれるんですか」

「どうしても何も、そのまま生きてりゃいいじゃねぇか」

「それができたら最初から自殺なんてしませんよ。家だって無くなったっていうのに」

「は!?」

九鬼さんがびっくりしているところに、白衣の男性と看護師さんがやってきた。

「気分はどうですか」

優し気な医師の声に

「最悪です」

としか言えない。

「お名前、教えてください」

女性の看護師さんに名前を答える。

「未成年ですよね? ご両親は」

「今日……いやもう昨日か。出ていけ、二度と現れるなと言われたばかりです」

医者も看護師も九鬼さんも、微妙な顔をする。

「連絡先は分かりますか」

「多分、来ないと思います。ごめんなさい、私何も持たないで追い出されたので、保険証もお金もありません」

あの時死んでたらこんなことにはならなかったのに。とりあえず九鬼さんを睨んでおく。

「大丈夫です。こちらでご両親に連絡を入れるので、番号を書いてもらっていいですか?」

病院の人って優しいな。ここに住みたい。

「はい、じゃあ連絡とってきます」

「すみません、九鬼さん。診察をするので……」

「あ、じゃあ私はこれで帰――」

私が睨むと、苦笑して『外で待ってる』と病室を出て行った。

看護師さんと九鬼さんが病室を出ていくと、診察……問診? が始まった。

「和泉さん。自殺を図ったそうですが、どうして?」

「家を追い出されて、特に知り合いもいないし、頼れる大人もいなくて。どうせのたれ死ぬなら、今でもいいかなって」

「その腕の傷は、自傷ですか」

「あぁ、はい、まぁ」

「ご両親はこのことは?」

「知ってます」

思案顔の医師。恐らく私が情緒不安定で(まぁ似たようなものだけど)家を飛び出したのだと思っているのだろう。

「玲! 玲!」

廊下が騒がしく、聞きたくない声が響いている。

「お母さんが来たみたいですね。……和泉さん、こちらです」

病室のドアから顔を出し、先生が(元)両親を呼び止める。

「玲! 大丈夫!? 自殺だなんて、なんで」

理由が分からないとでもいうのか。私を捨てたくせに。

(ヒロイン)の後ろにはラスボス。

「先生、少し親子で話をしても?」

「えぇ、娘さんの話をよく聞いてあげてください」

先生はそう言って病室を後にし、私に不利な空間が完成する。

「お前は、家を出ても芽衣子を傷つけるのか。自殺も狂言なんだろう? 元気そうじゃないか。俺たちはお前を捨てた。今更そんなことしても迷惑でしかない。これ以上芽衣子を傷つけるな」

父の言葉に反論してもよさそうだが、母はひたすら私を見て涙を流すだけ。

……そんなに私がカワイソウか。

「全く。死ぬのならしっかり死ねばいいものを。本当に何一つ出来ないんだな」

そう吐き捨てると、泣いている母の肩を抱いて出て行った。

こういう時って、涙のひとつくらい出るものなんじゃないか。私は涙腺まで壊れてるのか。

ただただ、心が冷えた。

ぼーっと天井を眺めていると、再び廊下が騒がしくなる。

「あなた方はそれでも親ですか!」

「他人の家の問題に口を挟まないでもらいたい」

「いいや、あんたらがしてることはただの虐待だ」

「虐待なんて、そんな……! 玲は私の大切な――」

「じゃあ、どうしてあなたは玲さんの傍にいないんですか。自殺を図った娘を置いて帰ろうとしているのですか」

これ、先生と九鬼さんの声。

「玲はもう私たちの娘ではない。アレが何をしようと関係ない。芽衣子が責められる謂れはない」

光景が目に見えるなぁ。

先生と九鬼さんが母親としての責任を問う、母は責められるのがつらくて涙目、父は母を守るため私を切り捨てる。




現在病室には、苦虫を噛み潰したような顔をしている九鬼さんがパイプいすに座っている。

「九鬼さん。九鬼さんは私を助けてしまいましたよね? それすなわち私の人生を無理やりつないだともいえる行為。当然、責任は取ってくれますよね」

「出来る限りのことはする」

「じゃあ、私と結婚してください」

「はぁ!?」

まぁ、自分でも滅茶苦茶なことを言っているとは思う。しかも九鬼さんが独身とも限らないわけだし。

「あ、奥さんがいるのなら愛人でもいいです。むしろペットでもいいので九鬼さんの家に置いてください」

「あのなぁ、そんな簡単じゃないんだよ」

「既婚者ですか? 九鬼さん、指輪してませんが」

指輪はつけない男性もいるようだが。

「目ざといなお前。結婚はしてないが、いろいろとマズいだろうが」

「あ、そういうコトなら大丈夫ですよ。どうせ一度死んだも同じなので、今更どうなろうと気にしません」

ヘラっと笑ってそう返せば、九鬼さんの表情が険しくなる。イケメンで節操なさそうなのに(非常に失礼)案外お堅いらしい。

「……分かった。しばらくは俺の家で様子を見よう。だが結婚はしない。今、放っておいてもお前は死のうとするだろうし」

「まぁ、そうですね」

「お前の自殺願望が無くなるまでは家に居ればいい」

九鬼さんは苦々しい表情ながらも、何とか自分を納得させたらしい。

ジーンズのポケットから煙草を取り出して慣れた仕草で火をつけようとする。が、物珍し気な私の視線とここが病室であることに気付き、またポケットに押し込んだ。

「玲って言ったか。お前、そんなに煙草が珍しいのか」

「まぁ、周りに吸ってる人いなかったですし。元両親も、元彼氏も」

あぁ、あの人も巻き込んじゃったな。迷惑も、沢山。

でも私、ちゃんと好きだった。恋、してたんだよな。

「……そろそろ点滴も終わるだろ。帰るぞ、玲」

あぁ煙草吸いてぇとぼやきながら、九鬼さんは病室を出て行った。

点滴の針を抜いてもらい、二、三質問に答えながらくだらないことを考えた。


九鬼さんがお父さんだったらよかったのに。




タクシーで九鬼さんの住むマンションに着くと、私は訊かずにはいられなかった。

「九鬼さんって、なんのお仕事をしているのでしょう?」

「んー、詩人?」

なんで疑問形……。

「あとは小説を気まぐれに書いたり、それがうまいこと映画化とか。でも俺としては詩人のつもり」

元両親の経歴もドラマみたいだったけれど、九鬼さんもなかなか濃いな。

「これっていわゆるタワーマンションですよね。うわぁ……」

「何引いてるんだよ。お前もいいとこのお嬢だろうが」

「金持ちなのはあの人たちであって、私は生活能力のないガキなので」

そう言いつつ乗り込んだエレベーターの階数は上がっていく。

そして止まったのは36階。

「高……怖い、金持ち怖い」

「うるせぇな。さっさと中入れ」

 九鬼さんの部屋はなんというか、もの凄くごちゃごちゃしていた。フローリングの床には足の踏み場もないほどの原稿と本の山。

「……これは、あれだ。これはこれで規則性があってだな」

「あ、あの詩集」

「あ? なんだお前詩とか読むのか」

 九鬼さんの後に続き紙の山を避けながら部屋に入る。

「詩、この人の書く詩が好きなんです。読んでもいいですか? 私これ持ってなくて」

「あぁ勝手に読め。家にあるもの好きに使っていいから。書斎以外は好きにしていい」

 九鬼さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、私にはミネラルウォーターを投げてよこした。

「今日からよろしくお願いします」

 手の中の詩集に気をとられてお辞儀もおざなりになる。

「あ、ちなみにその詩書いたの俺。いやぁ、本業のファン初めて見たわ」

 九鬼さんはビールを仰ぎながら機嫌よさげに笑った。

「~~~~っ」

 憧れの作家を前にしたとき、人ってこうなるんだな。

 タワーマンションの一室で、私は声にならない悲鳴を上げた。

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