第十一話 決別
俺に絡んでいたおっさんが離れてたのを見計らって、クロが俺のそばに腰掛ける。
「なんか真面目に話し込んでたようだが大丈夫か?」
「ん?ああ、別に大した話はしてない。おっさんって呼んだから絡まれてただけだ」
「そうなのか。しかしあのおっさんは何者なんだろうな」
「一応本人が言うには魔法騎士らしいぞ」
クロが笑いながら言う。
「な訳ないだろ。一度魔法騎士に捕まりそうになったことがあるがあの時は本当に捕まるかと覚悟したからな。そいつのオーラは半端なかったがあのおっさんからはそれを感じねえしな」
「やっぱりそうか。けど俺の勘があのおっさんには勝てないって感じがしてるんだよな」
「まあ、勘なんてあんまり当てにしない方がいいぜ」
俺はクロと話しながら焚き火の煙が空に吸い込まれていくのを目で追っていた。
その時だった―
グオオオオオオッ!
今日聞いた咆哮が何倍もデカい音で鳴り響いた。音を聞いた者たちは皆一様に恐慌状態に陥った。
「みんな落ち着け!」
マッシュが声をかけたが皆散り散りになって逃げ惑っていてその声が届くことはない。
「まさかこの声はレッドグリズリーか!?」
「間違いない!今日嫌っていうほど聞いたからな!」
俺とクロ、マッシュは咆哮の発生源に向かって村の入り口まで来た。
あたりはひどい光景だった。夜警で立っていた荒くれ者たちは必死に抵抗したのだろうが、そこには彼らの遺体が残されているのみだった。
彼らをこんな風にした者はそのまま村の生活区へ向かったようだ。
血の跡がそちらに向かって点々と続いていた。
「あっちは村の中心の方だ!早く助けに行かないと!」
マッシュが先に駆け出して行った。
「クロ俺たちも行くぞ!」
俺たちも急いでマッシュを追いかける。走りながらも燃える家や倒れた親のそばで泣いている子供、もくもくと上がる煙が目に入ってくる。
これはなんなんだ。俺たちは敵を討伐したんじゃなかったのか。歯を食いしばって敵を追う。
「キャーーっ!」
騒ぎを追ってきた俺たちの前から叫び声がする。
「母さんの声だ!」
マッシュの声に俺もそちらに目をやると今まさにミヤさんがレッドグリズリーに襲われて倒れていた。
「やめろー!!」
マッシュが飛び出して行こうとするのを羽交締めにして止める。
「離せ!母さんを助けるんだ!」
「落ち着けマッシュ!」
「落ち着いてられるか!俺のたった1人の家族なんだ!」
打ちひしがれた声でマッシュが慟哭する。
「クロ!」
「ああ!わかってる!」
クロが魔力で体を強化してレッドグリズリーに迫る。それはまるで昼間の再現を見ているようだった。クロは再びレッドグリズリーを吹っ飛ばそうと全力の拳をはなった。
昼間と違っていたのはその拳が届く前にクロがヤツの前足の薙ぎ払いで逆に吹っ飛ばされたことだ。クロの体から血が舞う。地面に叩きつけられたクロはそのまま動かない。
「クロ!てめえ!」
俺は怒りで全身の血が沸騰しそうになりながらも、魔力で体を強化しレッドグリズリーを殴りつけた。
その時、ヤツと目が合った。ヤツの目にあったのも俺と同じ憤怒だった。理由はわからないがヤツは俺たち人間を殺したくて仕方がないらしい。
グオオオオオオ!
再びヤツが咆哮を上げる。濃密な殺意に後ろに下がりそうになるのを必死に堪えた。俺の後ろには腰が抜けているマッシュがいるのだ。
俺はヤツに向かって走った。クロがやったように拳に魔力を集める。
「食いやがれ!」
ヤツの頭に魔力を込めた拳を振り下ろす。
しかし、ヤツに当たる瞬間、魔力は霧散してしまう。
「ちくしょう…!」
こんな時に部分強化が解けてしまった。これではヤツは絶対に倒せない。
逆にヤツが爪に魔力を纏い、魔力爪を飛ばしてきた。
全力で攻撃を仕掛けていた俺は避けきれず左腕に食らってしまう。
「くぅっ!」
ものすごい痛みが左腕を襲う。左腕に目を落とすと肉が断たれて、血がだらだらと流れていた。
こいつは昼間のレッドグリズリーより桁違いに強い。クロも立ち上がってくる様子はない。このままでは全滅してしまう―。
その時、誰かが俺を庇うようにヤツと俺の間に立ち塞がった。
「おっさん!」
「やあ、カゲトラ君。来るのが遅くなってしまってすまないね。よく持ち堪えてくれた」
そこにはあの魔法騎士のおっさんが場違いなほど呑気に突っ立っていた。
「何してんだおっさん!おっさんの敵う相手じゃねえ!逃げろ!」
俺はおっさんに叫んでいた。
「大丈夫心配はいらないよ。それにもう終わってるから安心して」
「は?何言って…」
俺はあんなにうるさかったレッドグリズリーがいつのまにか静かになっていることに気がついた。
ヤツに目を向けると首を失った体が力を失ったように地面に崩れ落ちるところだった。
俺は左腕を押さえながら唖然としてそれを見つめるしかなかった。
あの絶望的な状況から気がつけば救われていたのだ。
しかし、頭では分かっていても心がついてきていなかった。俺はしばらくそのまま惚けたようにおっさんを無言で見るしかなかった。
「母さん!しっかりして!目を覚ましてくれ!」
遠くの方から聞こえてくるマッシュの慟哭を聞きながら俺は気を失った。
…………
硬いベッドの上で目が覚めたとき、左腕に巻かれた包帯の下から鈍痛が広がってきた。
俺はすぐに上体を起こそうとしたが、激しい痛みに顔を歪める。
「起きたのかい、カゲトラ君」
窓際に置いた椅子に座っていたおっさんが静かに声をかけてくる。部屋の中には薬品の匂いと、どこか重苦しい空気が立ち込めていた。
「……ミヤさんはどうなった…」
俺の問いに、おっさんは答えずただ目を伏せた。それだけで十分だった。
あの時、ミヤさんを救えなかったという事実が頭を殴りつける。
「クロは……クロはどうなったんだ」
「生きているよ。出血多量でまだ目を覚ましていないけど命に別状はない。彼は丈夫だね」
その時、ガチャリと音を立てて病室の扉が乱暴に開いた。
そこに立っていたのはマッシュだった。その顔はやつれ、目は血走り、昨夜の涙すら枯れ果てたような凄絶な表情をしていた。普段の温和なマッシュの面影は微塵もない。
「マッシュ……」
俺が名前を呼ぶと同時に、マッシュは足元をふらつかせながらベッドに近づき、俺の胸倉を掴み上げた。
「お前たちが……!」
かすれた、しかし絞り出すような声だった。
「お前たちが昨日、レッドグリズリーを仕留め損ねたからだ……!」
「……っ」
「あいつの『つがい』がいるかもしれないって、どうして疑わなかった! お前らが中途半端に討伐を終えたせいで、母さんは……俺の母さんは目の前で殺されたんだよ!」
マッシュの震える拳が俺の胸元を打ちつける。怒鳴りつけるわけでもなく、ただ呪うような、やり場のない絶望と憎悪が混ざったその言葉に、俺は一言も言い返すことができなかった。
事実だったからだ。なぜ普段は滅多にここらで見られないレッドグリズリーが居たのか。その意味を考えようとしなかった。俺たちが慢心し、昨日あの場で完全にトドメを刺していれば、この悲劇は起きなかった。
「すまねぇ……」
喉から絞り出したその言葉に、マッシュはさらに顔を歪め、俺の胸倉から手を離した。
「謝るなよ……。そんなこと言われたって、俺は誰を恨めばいいんだよ……」
マッシュはその場で崩れ落ちるように膝をつき、声を殺して泣きじゃくった。俺には、その背中に手を伸ばす資格すらなかった。
そのうちまたマッシュはふらふらと生気を失った様子で部屋から出て行った。
そのやり取りを静かに見守っていたおっさんがゆっくりと話始める。
「厳しいようだけどこれが現実だよ。君がどれだけ村を愛し、守ろうと願っても、力が足りなければ、大切なものは簡単に奪われてしまう。そしてその悲しみは、時として愛する者同士を引き裂く刃になる」
俺は自分の左腕を見る。昨日、あの化け物の牙や爪を前にして何もできなかった無力な自分の腕だ。
マッシュの涙と、クロの倒れた姿が脳裏に焼き付いて離れない。
今の俺にマッシュに合わせる顔はない。それにこんな無様な自分では誰も守れない。
「おっさん……俺、魔法騎士になるよ」
俺はベッドから足を下ろし、痛む左腕を押さえながら立ち上がった。
「王都へ行く。おっさんの言う、魔法騎士の訓練とやらを受けてやるよ」
俺の決断を聞いたおっさんは、深く頷いた。
「いいだろう。君のその覚悟、無駄にはさせない」
それから俺は、まだ眠っているクロの病室へと向かった。
ベッドで横たわるクロの顔は青白かったが、かすかに息をしている。
「……クロ。起きるのが遅せえよ」
誰もいない病室で、俺は静かにクロに話しかける。
「俺は今よりも強くならなくちゃいけねえ。でないとマッシュに合わせる顔がねえ。全部確かめてくる。村のことは頼んだ。……絶対に、すぐ戻ってくるからな」
クロの無言の寝顔に背中を向け、俺は村の出口へと歩き出した。
村人たちのどこか冷ややかな視線や、遠くで聞こえるマッシュの泣き声を背中に受けながら、俺は荷物をまとめておっさんと共に村をあとにする。
こうして俺は、大切なものを二度と奪われないための「力」を求めて、王都へと向かう旅に出たのだった。




