切り抜き師は壁になりたい。
「で、どういうわけ?」
「どうもこうも別に。配信で話した通りだけど」
パソコン室のすみでコンビニのパンをかじりながら、僕は正面からにらみをきかせてくる男の視線をやり過ごす。
雨宿家の初配信が終わって翌週、休日も引っ切りなしに鳴り響いていたスマホの通知をシカトしていたこともあり、VTuberオタク志摩桐也の好奇心は限界突破していた。
「なんであんなに面白いこと事前に教えてくれないんだよー」
「ネタバレなんて無粋なことしないよ。切り抜き師だって立派なリスナーなんだから、他のリスナーと差別なんてしません」
「くっ、くそっ。俺の切り抜き魂がそれを否定できねぇ……っ」
「そういうわけだよキリシマさん」
雨宿家初配信にも現れた切り抜き師のキリシマ。
その中の人はなにを隠そう、同じ高校に通う志摩桐也である。
桐也とは高校からの付き合いなのだが、ひょんなことから僕が雨宿ソーダとばれてしまっている。間違っても自分から明かしたわけではない。
桐也はVTuberの切り抜き師という概念ができてから続けている、古参も古参のVTuberオタクだ。
それからは僕の配信にも頻繁に現れるようになり、バーチャルでもリアルでもぐいぐいストーカーまがいの行動をしてくる変人である。
「で、本当にどこの誰なの、桜木ココアさん。俺も紹介してほしいなーお近づきになりたいなー!」
「うるさいバカ。誰がVTuberのリアルを紹介するか」
「お前だけずるい! 企業のライバーとも会っていたり女の子のライバーとだってたくさん会ったりしててさ!」
「だったらキリシマもライブ2Dの体でも作って受肉すればいいでしょ。そうすればコラボして会えるようになるかもよ」
「ぐ、ぐあああああ! やめろ! 俺をそっちの道に連れて行こうとするな! 俺はVTuberたちの壁になりたいんだ! そりゃあお近づきにはなりたいけど、で、でもやっぱりだめなんだ!」
「相変わらず面倒くさいやつだね」
カツサンドをやけくそとばかりに食い漁る変人に、僕はやれやれとため息をこぼしながら食べ終わった昼食のゴミをまとめてしまう。
「まあわかりやすく言うと、チャンネル登録者数を増やしたいからコラボしてほしいって頼まれた。十万人を目指してみたいって」
僕が出した話題に、桐谷の目が仕事人間のそれになる。
「ほほーん、今の登録者数が三万人ちょっとだろ? 高校生の個人勢がそこまで行ってるだけでも相当なのに、十万人目指すのか。いいねー活動者はそれだけ熱意がないとな」
「それで、桐也にも協力してもらいたいんだけど」
「この流れでさらっと頼み事してくる颯太の図太さも、さすが活動者って感じだわ」
「それはどうも」
そもそも自分をさらけ出すようなことをしている人種だ。メンタルがある程度強くなければやってられない。
今のところ炎上やトラブルにも巻き込まれることもなくのんびりした活動ができている雨宿ソーダだが、他のVTuberのトラブルを見るだけで胃がきゅっとなってしまう。自分の身に起きたと想像するとぞっとする。
ただまあ、いつか自分も経験するかと思うと肝が冷えるが、桐也の言うとおり僕の図太いところがあるので、大丈夫だろうとも思ったりする。
のんびりしていると、昼休みもあっという間に終わってしまう。さっさと本題に入ることにする。
「桜木ココアについても、切り抜きをしてほしいんだ。収益が出てもいらないらしいから、とりあえず登録者数増やすためにも導線を増やしていきたいんだ。本人から了承も得てる」
「それ、颯太の入れ知恵だろ」
「ん、なんでわかったの?」
「コラボして数日後にもう登録者数を増やしたいから切り抜きどうこうなんて、本人が言うと思えない。外野の、それも手段を選ばない颯太以外に考えられない」
そんなことないと思うけどな。そうなのかな。
とはいえ、どんなものにもブームというものがある。そしてよほどことがない限り、一回目のピークは初配信直後にやってくるもの。出だしから全力で行くべきだ。
ある程度導線を作ってしまえば、登録者数も増えやすくなっていく。
やれることを片っ端からやらなければ、登録者数を十万人に押し上げることは容易ではない。
僕みたいな特殊な人間もいるが、僕はただ、運がよかっただけだ。
「これから配信もどんどんやっていく。高校生コラボなんて面白いし、予想以上に反響もよかったからね。実績もある桐也に頼みたい」
「実績、ねぇ……。登録者三十万超えてるやつに言われても嫌みにしか聞こえねぇな」
「僕のすごさは僕のものじゃないから。自力で切り抜き師として最前線を走っている桐也の方がよっぽどすごいよ」
桐也は筋金入りのVTuberオタクだ。
現在僕たちが活動している配信サイトは、一定の基準を満たさなければ収益をもらえない仕組みになっている。
志摩桐也ことキリシマは古参も古参な切り抜き師だが、僕みたいな個人勢はもちろん、企業勢のVTuberさんの切り抜きもしている。それも複数のチャンネルに分けて運用しており、ほとんどチャンネルで収益化までこじつけている、実力派の切り抜き師だ。
手っ取り早く導線を確保するに、これ以上頼みやすい相手はいない。
新卒サラリーマンの収入を軽く飛び越える収益をすでに得ているのだが、必要経費以外はほとんどVTuberに還元しているオタクっぷりである。いろんな意味で頼みやすい。喜ぶし。
「おっし、同じ高校生として、これは協力するしかあるめぇ!」
ほら、簡単に受け入れてくれる。江戸っ子かな。
パソコン部の部室から教室に戻っていくと、桐也が思い出したように口を開いた。
「次の授業、そっちなに?」
「体育。昼休み明けからおなかに来るよ」
「だったら歴史の教科書貸してくれ。忘れた」
「こっちは頼み事をしているし、それくらいはお安いご用だよ」
「ずいぶん高い教科書だな」
「機会があれば別でお礼をするさ。持ってくるからちょっと待ってて」
自分の教室に一人で戻り、鞄の中から所望されている教科書を取り出す。
そのとき、ちょうど予鈴が鳴った。
次の時間が体育ということもあり、みんな慌ただしく準備に取りかかっていく。
予鈴が鳴り終わると同時に、紗倉さんが教室に戻ってきた。手にはやや大きめな革製の手帳とお弁当とおぼしき小さな包みを抱えており、どこか外で食べてきたようだ。
相変わらず、高校ではド陰キャ道を貫いており、ほとんど誰とも関わらず一人で過ごしている様子。むろん昼休みも教室で誰かと食べるのではなく、どこかで一人過ごしているようだ。
午後からは体育のため、教室には体操着を取りに戻ってきただけのようだ。持っていた弁当箱と手帳を鞄にいれ、代わりに体操着が入った袋を手に取り、そのまま教室を出て行く。
そのとき、ちらりとこちらに目が向き、僕と視線が交錯する。
紗倉さんはぎょっとしたように肩をびくつかせると、すぐに目をそらしてばたばたと教室を出て行った。
本当に、どうしてあそこまでリアルとバーチャルで人が変わっているのか、甚だ疑問である。
「颯太-、教科書ー」
とりあえず僕は、廊下から急かす切り抜き師に、歴史の教科書を届けてやった。