太陽カルラというVtuber。
「いやー、弟くん、マジで無茶したよねー」
人が少ない深夜帯の喫茶店の一角。
私はコーヒーを口に運びながら笑いをかみ殺す。
伝説的な配信が終わってから丸一日。
世間を賑わせた馬鹿げた配信は、実に三日以上、八十時間超もの耐久配信の末に終了した。
最高同時視聴者数は五十万人も超え、日本人の最高同時視聴者数のランキングに名前を連ねた。
そして、今私の目の前には、そのイベントの一翼を担ったバカが一人、巨大なパフェをおいしそうに食べている。
「ねー、颯太、本当にとんでもないことするよねー」
相変わらずのんびりしておっとりしながら、ぱくぱくと甘味を口に運んでご満悦だ。
薄手のシャツにぼさぼさの長い黒髪。
どこにでもいる普通の女みたいな容姿をしていながら、中身は全然普通ではない女。
ペンネーム雨宿マキアこと、本名雨宮真希。
雨宿ソーダや桜木ココアの体を描いたイラストレーターであり、弟くんことソーダくんの実姉である。
「それで、弟くんは大丈夫なの?」
「え? ぴんぴんしてるよー。今は両親が帰ってきてて、すっかりお冠でね。なにやってるんだって怒られてたけど、本人は全然気にしてなかったなー。今はごろごろしてるよ。三日間も配信してたのに元気だよねー」
なんでも弟くんが目を覚ましたのがついさっきで、二人そろって両親にこってり絞られて、解放されたのがつい先ほど。ようやく自由の身になり、私を呼び出して深夜の喫茶店にスイーツを食べに来たというわけだ。ほとんど真夜中だというのに、こちらも元気そのものである。
「弟くんの体力も、真希の弟ってことなら納得だけどね。大学のときも、私たちが寝ててもずっと作業続けて配信続けてさ」
「え、えへへー。そんなに褒めないでよー」
嬉しそうにくねくねと体をよじらせる真希。
「そっちだって、配信お化けって言われてるじゃん。蒼山モカって言ったら、今やVTuber業界の顔だもん。私たちの中で一番出世しててー。悔しいよねー」
パフェにスプーンを突き刺しながら口をとがらせる真希だが、おっとりとしている雰囲気ながら本気で悔しがっている様子だ。
自分はこの時代で知らぬものなどいないほど有名なイラストレーターのくせに、負けず嫌いは大学生時代からまったく変わっていない。
がつがつとパフェを食い散らかす真希を眺めながら、私はふと話を向ける。
「そういえば、弟くんとココアちゃんには、まだあのこと、言うつもりないの?」
「ん? あのことって?」
「……弟くんとココアちゃん、二人が大好きだった太陽カルアが、本当は私たちだったってこと」
ぶふっと、生クリームを吹き出す真希。
「い、今更言い出せないでしょ……。黒歴史だよあんなの……」
「ひっどいなー。あんな輝かしい青春の一ページ、なかなかないでしょ」
かつて存在した、伝説的VTuberの太陽カルア。
大炎上の末に辞めていった、VTuberの黎明期を作った存在。
その中の人は他のVTuberに転生をしたなどの情報もなく、どこの業界にもその存在は確認されていない。
太陽カルアは、そのVTuberは、単独の人物を指すものではない。
現在VTuberをしている蒼山モカ、イラストレーターの雨宿マキア、その他三名で構成された大学サークルのメンバーで作り上げた存在。
それが太陽カルアというVTuberだ。
当時まだVTuberという名前はできて間もなく、少しずつ動くアバターが世の中に出始めた時代。
当時大学生だった私たちが所属するサークルは、趣味人のクリエイター集団だった。
各々が別々のクリエイターの技術を持っており、これを組み合わせれば、私たちはなにか一つのことができるのではないかと考えた。
私はプロモーション担当、イラスト担当の雨宿マキア、そしてモデリング担当や、音楽担当やイベント企画など。当時自分たちができるスキルを持ち合って、今で言うVTuberを目指した。
本当ならメンバーの中でも比較的対人スキルが高かった私が、アバターの中身を担当する予定だったのだが、途中から真希がどうしても自分がやりたいと言い始めた。
不登校になった弟を励ますために、無理をしてでも自分がやりたいのだと。
結果、私は真希の指導をしたり、横でカンペをしたりして真希をフォロー。
真希は太陽カルアというVTuberになった。
ボイチェンで声を変えて、性別すら隠し、バーチャルの美少女の肉体をまとい、今で言うバ美肉系VTuberにしたことには理由がある。当時はみんな身バレが怖い時代だったのだ。
もうじき就職や社会人になることを控えた微妙な時期だったため、絶対に自分たちがやっていることがバレないようにと、ネットリテラシーは完璧に固めた。
大学生活の最後の思い出作り。
VTuberを通して、やりたいことを全部やる。
それが、太陽カルア。
しかしいつまでも続けてはいられない。
大学卒業後、お互いの進路はバラバラ。太陽カルアの中の人を担当していた真希も、当時からすでに企業依頼を受けてイラストを描いているプロ。
私もVTuber黎明期への本格参入が計画されていたリアライブルの内定が決まっていた。
他のメンバーも各々が卒業後の進路を固めていた。
VTuber太陽カルアを続けられる状況ではなかった。
そして、太陽カルアの終わりの話が始まったのだ。
有終の美。晴れやかな終わり。大団円なエンディング。
メンバー全員が、自分たちの子どものような太陽カルアの終わりを夢想した。
だがそんな中、真希が言ったのだ。
「カルアの卒業は、炎上から突然の卒業という形にしたい」
綺麗な終わりではなく、悲しい終わりにしてほしいと。
太陽カルアを通して、ほんの少しはみんなの憧れになる存在として価値は示せた。
でも最後は、違うものは届けたいと。
大人気のVTuberとして終わるのは簡単だ。
でも、不登校で苦しんでいる真希の弟や、同じように悪意に苦しんでいる人に、メッセージを送りたい。
こんなくだらいないことをするやつらに、自分たちは負けるな。
絶対に人を傷つけるような人間にはなるな。
人生辛いことも苦しいこともある。
私は悪意に負けて好きなことを追われる。
でも、君たちは、絶対に負けるな。負けてやるな。
自分が守りたいものを守るために、好きなもののために、戦え。
それが、真希から不登校で苦しむ弟へのメッセージ。
私たちが真希のわがままに振り回されるのはいつものことだった。
それでも頭を下げてお願いをしてくる真希に、私たちは折れた。
自作自演。
褒められたやり方ではない。だけど自分たちのものを自分たちでどのようにしても、金銭的や権利的迷惑がかかるわけではない。
しかしやるからには、私たちも本気。
だから徹底的に、太陽カルアの炎上を演出した。
些細な発言から発火したように見せた。あらかじめ決めていたセリフを発言。当時人気絶頂だったらアニメを、微妙に悪く言う発言。そして悪意ある切り抜きとして投稿。それをSNSに展開。自動でコメントを書き込むプログラムを海外経由で使用。
配信が荒らされ、カルアが傷ついている雰囲気を作り上げた。
そして、太陽カルアは卒業する。
炎上を苦に卒業した。
そういう虚構を作り上げた。
「ま、あのとき無茶苦茶やった甲斐があったかな。モカたちには、そりゃあ迷惑かけたと思うけどさ」
パフェの底に敷かれていたコーンフレークをばりばりとかみ砕きながら、真希は言う。
たしかに今回の弟くんの行動力の源には、太陽カルアのような悲劇を二度と起こしたくないと思いが強く見えた。
真希も昔はよく無茶をしていたが、弟くんも大概である。
「ま、太陽カルアのことはもういいんだよ」
真希は小さく笑う。優しい表情だった。
「リアルタイムで見ていた颯太や、アーカイブで見ていた心愛ちゃんが、あんなに心を痛めるとは思わなかった。それは悪いと思ってる。けど二人や、私たちの活動を見て心を動かされた人は、これからもカルアを忘れない。それだけで、私たちがやりたかったことの一部、欠片でも、この世界に残ってくれる。今更私でしたーってやる方が、きっとつまらないよ」
たしかに今私たちのことを弟くんたちにネタばらししても、それはそれで興ざめかもしれない。
喜んでくれる可能性もゼロではない。ただ、なにやってんだあんたたちと呆れられる可能性の方が高い気がする。弟くんの冷めた目が思い浮かぶようだ。
それならたしかに、少なくとももうしばらくは、秘密にしておいてもいいだろう。
しかし。
「そんなこと言って、今更正直に打ち明けるのが恥ずかしいだけじゃないの?」
「い、いやいや! そんなことないし! あるわけないし! 余裕だしびびってないし! バ、バカがよぉ……っ」
頬を赤くしてむくれる真希は、相変わらず子どもっぽいやつだった。




