俺の望んだ青春はこんなのじゃない
俺の目の前に、非現実の体現者が横たわっていた。
それは間違いなく人間だ。人間のはずだ。
一体誰なのか、知っている相手なのかそうでないのかも判別がつかなかった。倒れ伏しているせいで顔が見えないから。
じわり、じわりと背中から流れ出すものが赤い水たまりを作っている。それが何なのかわからない。わかりたく、ない。
やっと慣れてきたばかりの帰り道。
つい昨日までは確かにこの場所になかったそれを、俺は――俺たちは呆然と見下ろす。
「何、これ」
すぐそばから美少女の震え声が聞こえてきた。
蒼白な横顔すら綺麗だ。そんな現実逃避な考えをしながら、俺はその非現実から目を離せずにいた。
だって。
だって目の前の人間は、人間だったであろうものは、どう見ても。
死体、だった。
高校に行って、可愛い女の子と一緒に帰って……そのはずだったのに、どうしてこんなものを目にしているのか。
わけがわからないまま、まるで走馬灯のように俺は今までのことを思い返した――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
父から再婚すると聞かされた時は耳を疑ったものだ。
体の弱かった母を亡くして五年。てっきりこのまま父子家庭として過ごすのかと思っていたら、ある日突然言われたのである。
「ここじゃ窮屈だろうと思ってな。相手の家の事情もあって、婿入りするために引っ越すことになった」
「婿入り……?」
「今時珍しいか、婿入りなんて言葉。新しい母さんになる人は父さんとは比べ物にならないくらい金持ちの女性だから、お前に不自由はさせないと思う」
父がいつの間にか女性と知り合っていたのかまったくの不明だが、再婚は間違いなく俺のための決断だっただろう。
中学校内のくだらない人間関係で失敗してしまった俺は、肩身の狭い生活にすっかり嫌気が差していた。
――高校時代こそ、華やかで楽しい青春が送りたい。
そんな風に思っていた俺にとって、新天地というのはこの上なく魅力的なものに思えたのだ。
引っ越し先の最寄りの高校の入試試験をクリアし、中学を卒業してしまいさえすればあとは荷造りをして旅立つだけ。故郷には何の未練もない。
住んでいたマンションから車で東に向かうこと五時間過ぎ、そこに再婚相手が暮らす場所はあるらしい。
「なんか出てきそうな森だな……」
バスも電車もろくに通じていない辺境のど田舎とは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
吹き抜ける風の音が響く暗い森の中、ががたがたと揺れながら車は進んでいる。
窓の外に流れる景色は鬱蒼と茂った木の葉ばかりで、春だというのに花の影すら見えない。
ここまで何もないと、なんだか不気味だ。もちろん本気で何かが出てくると思っているわけではないが。
「物騒なことを言うんじゃない。……あ、もうじき着くぞ」
「わかってる」
そう答えたと同時、それまで闇に閉ざされていた視界に光が差した。
この先に持っているのは未知なる世界だ。そこへ飛び込んでいく俺の胸は期待と好奇心で満ち満ちていた。
そして見えてきたのは、一面の田園風景。
見渡す限りの田畑の他に朽ちかけた小屋らしきものが点在しているだけ。そんな、田畑ばかり絵に描いたかのように穏やかな景色だった。
当たり前のようにあった小洒落た住宅街やビル群などというものはどこにも見当たらない。
目を引くのは、舗装されていないあぜ道のような道路の真ん中にトラックが置かれているくらいだろうか。
「あんた余所者か」
トラックの荷台に寝そべっていたらしい人物が身を起こし、大声で尋ねかけてくる。
口調も視線も不躾でぶっきらぼう。いかにも田舎臭いその男の前に、父が車を停めて答えた。
「はい、東さんの――」
「婿だろ。話は聞いとる。東家のお屋敷はあっちだ、道なりに行けば迷うことはねぇ。さ、さっさと行った行った」
「ありがとうございます」
新天地の最初の会話がこれか。少し味気ないというかそっけないというか、そんな気がする。
でもそんなことより大事なのは。
「お屋敷……!?」
「言っただろ、金持ちだって。地元の名家の当主ってやつだ。きっとお前は色々驚くと思うぞ」
意味ありげに言われたが、父はそれ以上を話すつもりはないようだ。
何だろうと考えているうちに村の中心部に着いていた。
村の中心部、公共施設らしきもの……おそらく村役場を通り過ぎたところで、古き良き日本家屋が待ち構えている。
遠目からでも古びているとわかるそれは築何年だろうか。屋敷というよりは城のように思えるその建物の玄関口に佇む人影が見えた。
近づくにつれ、その姿がはっきりする。
だぼっとしたセーター、膝丈のミニスカート、肩上で揺れる黒髪。ずいぶんと小柄な少女だった。
父が彼女に向かって手を上げると、ぎろりと鋭く睨みつけられた。




