<こぼれ話>クラウスのひとりごと①◆◇◆ごはん◆◇◆
クラウス視点での他愛もないお話です。
ティル・ナ・ノーグに帰ってきて、落ち着いた頃のお話。まだ子供はいません^^
仕事を終え、家路を急ぐ。路地を曲がると、暖かな明かりが目に入った。
「おかえりなさいませ」
玄関を開けると、前掛けをはずしながら、コレットが駆け寄ってきた。師団長という慣れぬ役職に四苦八苦している俺にとって、こうして出迎えてくれる彼女の笑顔が何よりの褒美だ。
「ただいま」
荷物を持とうと伸ばされた手を、つかんで引き寄せる。小さな体を腕の中に納め、甘い菓子の残り香を胸いっぱいに吸うと、“帰ってきた”という感じがした。
「ク、クラウス様っ」
コレットが焦ったような声を上げ、腕をつっぱってささやかな抵抗をする。俺は、きつく抱きしめすぎたかと、腕の力を緩めた。
「すまない。苦しかったか」
「い、いえ、大丈夫です」
赤い顔をしたコレットが、髪を直しながらうつむく。のぞいた耳が可愛らしかったので触りたかったが、あまり触れると離れがたくなる。まずは夕食にありつくことを優先して、今は我慢することにした。
「今日は遅かったですね」
「あぁ」
俺の上着を手に、コレットが居間へと向かう。続き部屋の食堂には、二人分のおいしそうな夕餉が並び、いい匂いがしていた。
「先に食べていてよかったのだが」
「私も、今日は少し遅かったんです」
「どうかしたのか?」
「いえ、ちょっとメリルさんと話し込んでしまっただけです。こちらのおかずは、そのときに分けていただいたもので」
椅子に座りながらコレットが手の平で指し示したのは、厚切り豚肉と林檎の煮込みだ。メリルの得意料理らしく、時々もらってくる。
他にも、くるみ入りのパンや具沢山のスープ、鳥の香草焼きなどが並んでいた。コレットは、菓子だけでなく、普段の料理も上手い。俺は一品一品に舌鼓を打ちながら、コレットの話に耳を傾けた。
「メリルさんたら、初めは私がこちらに引っ越してしまってつまらない、なんて言っていたんですけど、このごろはご主人に習い始めた盤上遊びがおもしろいらしくて、寝不足気味だとおっしゃってました」
「ほぉ」
「有利な条件なしでご主人に勝てたら、指輪を買ってもらう約束をしたそうです。だからよけいに夢中になっているみたいです」
盤上遊びと言えば、飲み屋ではよく賭けごとに使われる。大規模なものになると取締りの対象になるが、個人で遊ぶ分には、特に規制はない。
勝気なメリルが、夫のフリッツ相手に腕まくりをして盤上遊びを挑む姿が、目に浮かぶようだ。コレットのことを実の娘のようにかわいがっている隣人は、コレットが住居を移したことでずいぶん寂しい思いをしたようだ。けれど、改めて夫婦仲が深まったなら悪いことばかりではなかっただろう。
「そうなんです。フリッツさんも、『一時期はコレットちゃんに妻をとられた気分だったよ』なんておっしゃってました。私ったら甘えすぎてたみたいで、申し訳ない気持ちになりました」
「君のせいではない」
メリルの世話焼きは、多分に本人のおせっかいな気質によるものである。それをコレットが気に病む必要はないし、フリッツもそんな妻の性分はわかっているはずだ。
「そうでしょうか。なら、いいのですけど。
あ、すみません、私の話ばかり。クラウス様は、今日、遅かったのはどうかなさったんですか?」
「あぁ、今日は……」
コレットの声なら、いつまででも聞いていたい。
そう思ったが口には出さず、今度演習で王都に行くことになったこと、その準備で忙しかったこと、演習中の公休が振替になって、明日が休みになったことなどを話した。
「えっ、明日、お休みなんですか」
「あぁ」
「えーと、じゃぁ、お昼ごはん、どうしましょう。何か置いていけばいいでしょうか」
「外で食べるから、気にしなくていい」
「そういうわけにはいきません。何がよろしいですか?」
「なん……」
「“なんでもいい”はだめですよ」
言おうとした言葉を先に言われて、口ごもる。コレットは、まだ途中だった食事の手を止めて、身を乗り出してきた。
「いつも“おいしい”って食べてくださるのは嬉しいのですが、たまには何が食べたいか教えていただけませんか?
あ、食べたいものではなくて、お好きなものでもいいです。パンならどんなパンがお好きですか?
野菜は? お肉は? 苦手な食材はないんですか?」
コレットは、熱心に俺の好みを聞きだそうとする。
俺の昼飯ごときにそんなに一生懸命になる必要はないのだが、菓子作りと同じくらい気合を入れている姿に可笑しくなって、俺は触り心地のいい頭をぽんぽんと撫でた。
「な、なんですか?」
俺の行動が予想外だったようで、コレットは目をぱちぱちと瞬かせた。
「肉も野菜も苦手なものはないし、君の作るものなら全部好きだ」
だから、結局“なんでもいい”になってしまう。濃褐色の瞳を見つめ、顔面の筋肉を総動員してごくわずかな笑顔を浮かべて言うと、コレットが真っ赤になった。
「……クラウス様、ずるいです」
「ずるい?」
それは、騎士としては致命的なのだが、俺のどこがずるいというのか。
「そんな風に言われたら、何もお聞きできないじゃないですか。それどころか、私、自惚れて手抜きのごはんしか作らなくなりますよ?」
「かまわん」
菓子職人としての仕事で毎日大変なのだから、手を抜けるところは抜いていいと思う。
「だ、だめです。お体が資本なのですから、きちんと栄養を考えたものを召し上がらないと。
同じ野菜の卵とじでも温かいのと冷めて味がなじんでいるのとどちらがお好きなのかとか、ソースとかドレッシングとかもいくらでも種類はありますから、お好きなのは何なのかとかありますよね? この間、お義母様に習ってきたお料理もクラウス様はおいしいって言って召し上がってくださったけれど、本当に同じ味にできているか不安でした。だって、ティル・ナ・ノーグ風の味付けやクラウス様の慣れ親しんだ味っていうのがあるはずで、名前が同じでも私が知ってる料理と違うかもしれないしヴィルヘルミーナにはない食材もあって私もこちらで生まれ育っていたなら今よりクラウス様のお好みがわかったのかもしれないと思ってみたり、いえ、ヴィルヘルミーナの郷土料理もクラウス様は喜んで召し上がってくださるのでとっても嬉しかったりするのですがって、あああ、私、何を言っているのかしら」
両頬に手を当てたコレットは、何やら混乱しているようだ。とりあえず落ち着いてもらおうと、食事を終わらせてお茶を片手にソファに誘った。
「あの、なんだか、一人でまくしたててしまってすみません。外で召し上がりたいときもありますよね。明日のお昼、置いていかないほうがいいですか?」
どちらでもいいと答えると、またコレットが困るのだろうか。悩んで答えずにいると、コレットは手にしたカップに目を落とし、ぽそりと言った。
「私、今日のお夕飯は何がいいかなって考える時間も楽しいんです。それで、工夫して作ったものをクラウス様がおいしいって食べてくださるとすごく嬉しいです。でもいつもおいしいって言ってくださるから、無理してらっしゃるんじゃないかなって、ときどき心配になるんです」
なるほど。
食事一つでそこまで気を揉ませているとは、気付かなかった。真実、美味いと思うから美味いと言っているのだが、どう言えば、コレットに伝わるだろうか。
「無理して褒めてくださってたり、本当はお困りなのに口にできなかったりすることはありませんか?」
コレットは、俺を見上げて真摯に言う。
無理はしていないが、困っていることなら一つあった。
「……が、困る」
「え?」
「食べ過ぎで、太るのが困るんだ」
「!」
師団長という立場になって、訓練に出るよりも机に向かう仕事が増えた。体を動かす機会は減ったのに、コレットの料理が美味くて、つい食べ過ぎてしまう。自主訓練はしているが、この分だと確実に体重が増える。
特に腹回りが気になるんだ、と脇腹に手をやると、コレットが「ぷっ」と吹き出した。
「くすくす……。男性でも、太るのって気になさるんですか?」
「する。気を抜くとすぐ太るんだ。体が重くなると任務に支障をきたすだろう」
「そうですよね。でも、クラウス様がウェストを気になさるなんて……くすくすくす」
笑い続けるコレットは、お茶をこぼしそうになり、慌ててローテーブルに置く。それでも笑いはおさまらず、俺の腹を見てはまた笑った。
「まだ出てませんよね?」
腹が、ということだろう。三十代半ばにして、腹が出てはたまらない。
「腹筋を鍛えているからな」
「いつ鍛えてらっしゃるんですか?」
「それは、君に隠れてこっそり……」
「あはははは!」
ついに、コレットは大口を開けて笑った。しかも、笑いながら俺の腕を叩いてくる。こんな彼女を見たのは初めてだ。それは嬉しいが、理由が俺の腹というのは複雑な気分だ。
「やだ、もう、可笑しい」
コレットは、ひとしきり笑って、目じりに浮かんだ涙を指先でぬぐう。深呼吸をして笑いをおさめて、
「では、これからはお野菜中心にして、全体的な量も気を付けますね」
と言った。
「頼む」
「はい」
返事をしながらも、コレットの頬が緩む。笑いそうになる口元を手で隠すので、いくらなんでも笑い過ぎだと、コレットの脇をつついた。
「君は細いからいいが、俺にとっては割と真剣な悩みなんだ」
「細くないです。お菓子の試食で食べ過ぎてしまうので、私も気を付けて……やんっ、くすぐったいです」
コレットが身をよじる。俺は笑われた仕返しとばかりに、コレットをくすぐった。
「やめてくださ……、あははっ、もうっ」
俺の手を押しのけようとした腕をつかむ。少し力を入れれば、ぽきりと折れてしまいそうな細腕を慎重に持って、自分の方に引き寄せた。
「きゃっ」
不意に腕を引かれてバランスを崩したコレットが、俺にもたれかかってくる。赤い髪がふわりと揺れて、帰宅したときに触れるのを我慢した耳がのぞいた。両腕はコレットを支えるために塞がっていたので、俺は体をずらして軽く噛みついた。
「痛っ
今度はなんですか」
コレットが頬をふくらませる。怒らせるのは本意ではないので、口も手も離し、彼女を腹の上に乗せたまま、『降参』と両手を挙げた。
「な……。なんですか、それ。クラウス様ったら、もう……」
呆れ顔のあと、すぐに笑顔になる。コレットは、感心するほど表情が豊かだ。
笑ってくれたことに気を良くして、嫌がられないだろうか、と思いながら、髪を撫でる。コレットは、くすぐったがったり痛がったりせずに、気持ちよさそうに目を閉じた。
調子に乗った俺は、コレットの白い頬を手の平で包み、唇を寄せ……。
翌日、コレットは野菜たっぷりの昼食を置いて、店へと出掛けて行った。土産は菓子がいいと言うと、「太りますよ」とからかわれた。
「あ、でも野菜を使ったお菓子っていいですね。今まで色づけくらいにしか使っていなかったのですが、ちょっと考えてみます」
どんなことも菓子作りに結び付けて考えるコレットらしい発想に、昼飯を食べたら実家に行って野菜をもらってくるか、などと考える。うるさい弟どもにまとわりつかれるのは面倒だが、市場には出していない、変わった野菜も作っていたはずだ。
野菜の菓子か。コレットならどんな風に作るのだろう。
先週から店に出している、“ユハナのスフレチーズケーキ” の評判も上々だと聞いている。
俺は、また新しい菓子が食べられる期待に、胸を膨らませた。
あ、いや、だめだ。その前に運動をしないと……。
着替えを済ませた俺は、外に出て伸びをする。
見上げた空には、ニーヴの衣のごとき薄い雲が一筋、風に乗って浮かんでいた。
挿絵は麻葉紗綾様にいただきました!
麻葉さん! ありがとうございました!




