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7.ふるさと①




 荷物を抱えた初老の男は、隣国に住む息子夫婦の元へ初孫の顔を見に行った帰りだった。

 十人ほどが定員の乗合馬車に乗り込むと、向かい側に腰かけた赤い髪の女性が感嘆の声を上げた。


「わぁっ、できたんですね」


 少女といってもいいくらいの年若い女性は、走り出した馬車の窓に手を掛けて外をながめている。彼女の視線の先には、澄み渡った空の下、優美な城が見えた。


三か月(みつき)ばかし前になぁ。前のお城よりはずいぶんちっせぇみたいだけども、きれいだろう」


「えぇ、本当に!」


 男の声に、女性が振り返る。白い頬は薔薇色に染まり、濃褐色の瞳はうれしそうに細められていた。


「昼間は誰でも自由に見られるようになってんだ。よかったら寄っていきな」


「はい!」


 湖に浮かぶ美しいヴィルヘルミーナ城は、故郷の自慢だ。再建に当たって、男もいくばくかの寄付をしたのだと話すと、女性は感じ入ったようにうなずいた。


「みなさんのお力で、あのすばらしいお城ができたんですね」


「ははっ、まぁな。やっぱり湖に城がなくちゃぁ、ヴィルヘルミーナじゃねぇからな。

お嬢ちゃんは旅行かい?」


「旅行というか、実家に帰るところです」


 はにかむように答えた女性が、隣に座る男を見上げる。丸太のように太い腕を組んで、そう低くはない馬車の天井に頭をこすらんばかりにしていた男は、女性の方を見るとわずかにうなずいた。


「へぇ。家はどのへんなんだい?」


 てっきり女性は一人だと思っていた初老の男は、驚きを隠して話を続ける。小柄で可憐な彼女の連れが、この岩のような巨体の男とは。一体どういった組み合わせなのか、興味が湧いた。


「今見えているお城の南側です。“アドルフ菓子店”という店が私の実家になります」


「“アドルフ菓子店”! 知ってるよ。俺のかみさんがあそこのチーズケーキが好きでなぁ」


 チーズケーキ、と聞いて、男の眉がぴくりと動く。そして険しい表情で親の仇のように睨みつけられて、初老の男は肝を冷やした。

 この男は、もしや甘いものを毛嫌いしているのか。そう思ったが、向かいの女性はかまわずケーキの話を続けた。


「ありがとうございます。父のチーズケーキはふわふわなんですけどしっとりしていて、店の看板商品なんです。

 あのふわふわ感が、私には出せないんですよねぇ」


「お嬢ちゃんも菓子を作るのかい?」


「はい。一応……つい最近自分のお店を持ったところです」


「おお、そりゃすごい。代々菓子屋ってわけだ。いいねぇ!」


 男の言葉に、女性が頬を染めて「ふふっ」と笑う。“アドルフ菓子店”の味を継いでいて、こんな女性が店主ならさぞかし人気が出るだろう。男がうんうんと顎に手を当ててうなずいていると、地を這うような低い声が聞こえた。


「チーズケーキが、ふわふわ?」


 男が、ぼそりとつぶやく。女性を見る男の眼はすがめられ、真一文字に閉じられた口はいかにも不機嫌そうだ。

ほれ、見たことか。男は甘いものが苦手なのだ。城の話題に戻ろうと、初老の男が口を開きかけたところで、女性はにこやかに微笑んだ。


「そうなんです。チーズケーキといえば、普通はしっとり濃厚なベイクドチーズケーキですよね。でも、父のは違うんです。

 メレンゲを焼いたスフレのような食感で、焼くというより蒸して作るような感じです」


「ほぉ。色は?」


「中は白っぽいのですが、表面はこんがりきつね色です。お湯を張った入れ物に生地を流し込んだを型を置いて、窯で焼きます。湯煎というか蒸し焼きのような作り方で、冷めてもしぼみません」


「うまそうだな」


「えぇ。おいしいですよ。家に着いたら作ってもらいましょう」


 にこっと笑う女性に、男はうなずく。はらはらしながら成り行きを見守っていた初老の男は、なんとか話がまとまった様子に、ほっと胸を撫で下ろした。


「お嬢ちゃんたちは、しばらくこっちにいるのかい?」


「いえ、二~三日かと思います。自分のお店をあまり休みたくはないので」


「そうかい。そうだよなぁ」


 初老の男は、近いうちに“アドルフ菓子店”に行くと約束し、その後は天気の話などあたりさわりのない話をした。女性は終始笑顔で話し、男性は時折うなずくもののむっつりと黙ったままで、結局この二人がなぜ一緒にいるのか、男にはさっぱりわからなかった。






 白亜の城は、夕陽を浴びて温かな橙色に染まっていた。清らかな水をたたえた湖の周りには色とりどりの花が咲き乱れ、生い茂った木々の間からは寝床に戻ってきた鳥たちのかしましい声が聞こえた。


「こんにちは。まだ見られますか?」


 コレットが、門番の男に話しかける。

 乗合馬車の中で出会った男に城のことを聞き、クラウスとともに見学していくことにしたのだ。


「日が落ちるまででよろしければどうぞ」


 夕刻がせまっているせいか、周りには誰もいない。門番は城の広間まで案内してくれて、閉門のときには声をかけると言って持ち場へと戻った。


「まぁ、ここに移されたんですね」


 広間の中央に並ぶ彫像を見上げて、コレットが言う。荷物を持ち、少し遅れて広間に入ったクラウスも、細部までていねいに作られた彫像を見上げた。


「こちらがルクシール様、こちらがルミエール様の像です。そしてこちらがルチノー様」


 ゆっくりと歩きながら説明をするコレットのあとを、クラウスがついてくる。髪を高く結いあげ、きりりとした表情のルクシール、両手を広げ、ゆるやかな髪を背中に流して微笑むルミエール、どこか幼く見える、長い髪に大きな瞳が印象的なルチノーと、三者三様の女王の像が、夕陽の差し込む広間に置かれていた。


「君に似ている」


「えぇ!?」


 ルチノーの像の前で立ち止まったクラウスが言う。コレットが「とんでもない」と焦って手を振ると、クラウスは「先ほどの老人も似ていると思った」と言った。


「顔ではなく雰囲気が、だが。やはり同じ土地に生まれ育ったからだろう」


「あぁ……。そういうことですか。驚きました。生粋のヴィルヘルミーナ人というのはほとんどいないのですが、おっしゃるように、同じ土地に住まうものとして似通ることはあるかもしれませんね」


 敬愛する女王に似ていると言われて驚いたコレットだったが、理由わけを聞いて納得した。多様な人々が集まるティル・ナ・ノーグと違い、ヴィルヘルミーナは昔からこの国に住んでいる者が多い。一度城が落ちて散り散りになった人々も、故郷が忘れられずに戻ってきた者が多くいた。


「実家も以前は違う国でお店を開いていて……クラウス様? どうかなさいましたか?」


 話の途中で、クラウスが急に動きを止める。そのまま背後をじっと見つめたクラウスは、しばらくしてコレットに向き直り、「心配ない」と首を振った。


「何かいたような気がした」


「何か、ですか?」


「猫、か?」


 正確には、猫のしっぽだけが見えた。白く長いしっぽの先には、赤いリボンが結んであったとクラウスは言った。


「どこかの猫が迷い込んだのでしょうか」


「そうかもしれん」


 何にせよ大したことはないと、クラウスはコレットの頭をぽんと撫でた。


「そうですか? ではそろそろ家に……あっ」


 クラウスの優しい碧の瞳を間近で見上げたコレットは、小さく声を上げ、頬に手を当てて青ざめた。


「すみません!

 私ったら、クラウス様にずっと荷物を持っていただいていて!」


 港からここまで、そういえば荷物を持った覚えがなかった。馬車の中でも、城まで歩く間も、ずっとクラウスが二人分の荷物を持ってくれていたのだ。

 故郷に帰ってきたことに浮かれて、なんて失態をおかしてしまったのか。コレットは、慌ててクラウスから荷物を受け取ろうとした。


「かまわん。さして重くはない」


「でも」


 数日分の衣類と土産は、それなりの量がある。コレットは自分の分は自分で持とうとしたけれど、クラウスは大丈夫だと言って門につながる通路に足を向けた。


「行くのだろう?」


「は、はい」


 あまりのんびりしていては、真っ暗になってしまう。コレットは、大股で歩くクラウスを追いかけてなんとか荷物を持とうとしたが、ひらりとかわされてしまった。


「クラウス様!」


「いいと言っている」


「でも……」


 そんな申し訳ないことはできない。コレットは必死にクラウスを追いかけ、荷物を持とうとした。けれどその度にクラウスは荷物をひょいひょいと持ち替えて、コレットが取れないようにした。


「……クラウス様。もしかして遊んでらっしゃいます?」


「ばれたか」


「ばっ、ばれたかって……っ」


 かぁっとコレットの顔が紅潮する。きゅっと手を握って肩を震わせるコレットに、クラウスは口元に手を当てて「くくっ」と笑った。


「ひどいっ」


「怒るな。悪かった」


 笑いながら「一生懸命追いかけてくる君が可愛かった」と言われたコレットは、怒るべきか照れるべきか悩んで顔をひきつらせた。その顔を見たクラウスが、さらに笑った。


「もうっ」


 声を上げて笑うクラウスは珍しく、本当はちょっと嬉しい。けれど、悪いと思って荷物を持とうとしていたのにからかわれて、コレットはぷぅっと頬を膨らませた。


「いや、本当にすまなかった」


 笑いを収めたクラウスが、コレットの頭を撫でようとする。コレットはつんと横を向くことでクラウスの手を避けると、


「もういいです。ずっと持っていていただきます!」


と言った。


「あぁ。かまわない。だから機嫌を直してくれ」


「ずうっと、ずぅっとですよ! 重くても手が痛くても知りませんからねっ」


 つんつんつーん。

 手を腰にあて、コレットはそっぽを向く。


「帰り道だって、ティル・ナ・ノーグに着いてからだって、私、持ちませんよ」


「持たなくていいさ」


「これから、一生っ」


「これから一生、君の荷物は持ってやるから、こっちを向いてくれ」


 クラウスが、コレットの顎に手を添えて、自分の方を向かせる。怒りとは別の理由で頬を染めたコレットは、されるがままに顔を向け――


「あのー……。閉門の時刻です」


「「!」」


 クラウスの背中越しにかけられた声に、コレットがびくりと震えた。慌てて体を離して顔をのぞかせると、先ほどの門番が申し訳なさそうに立っていた。


「お、遅くまですみませんでした。ありがとうございました」


「いえいえ。またいらしてください」


 クラウスの袖を引き、コレットは足早に門をくぐる。城と湖の岸辺を結ぶ橋を渡りながら、コレットはさりげなくクラウスの腕をとった。


「こちらは、持たせていただいてもいいですよね?」


 荷物の代わりに、貴方の腕を。そう言ったコレットに、クラウスは他人にはわからないくらいわずかに微笑んで見せた。

 腕を組むと、手をつないだときよりもクラウスが近い。コレットは、密着した体から伝わってしまいそうになる胸の動悸をごまかすために、太い腕に頬を摺り寄せた。


 なーぅ……


「?」


「どうした」


「猫の鳴き声が……。いえ、行きましょう」


 姿は見えないが、先程クラウスが見かけたと言う猫だろう。気にするほどのことでもないと、コレットはかぶりを振った。

 すでに日はほとんど落ち、足元には暗闇が迫っている。

 城から続く街道沿いの家々には、温かな明かりがともり始めていた。







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