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8.ふるさと②


 城からそう離れていない、昔は城下町であったと思われる商店街に、その店はあった。こじんまりとした店は、どことなくティル・ナ・ノーグにあるコレットの店に似ていた。

 コレットとクラウスが店に近付くと、中から小さな人影が出てきた。閉店時刻となり、看板を仕舞うところらしい。コレットは「あっ」と小さく声をあげて、その人影に駆け寄った。


「お母さん! ただいま!」


「まぁっ

 おかえりなさい、コレット!」


 コレットと同じくらいの背丈の母親は、両手を広げて娘を抱き留める。しわの寄った目じりに光るものがあるのが、一歩離れたクラウスからも見て取れた。


「手紙、一昨日(おととい)届いたのよ。急に帰ってくるなんて言うから、驚いたわ」


「ふふ、ごめんなさい。私の方も、突然決まったことだったから」


「そうなの? 何はともあれ嬉しいわ。

 それでこちらが……?」


 コレットの母親が、クラウスに目線を送る。


「お初にお目にかかります。クラウス=アルムスターです」


 クラウスが名乗ると、コレットの母親は一瞬目を見開き、その後すぐにコレットによく似た笑みを浮かべた。






「大きい、大きいとは聞いていたけれど、本当に背が高くて! びっくりしちゃったわ!」


 コレットの両親とヴィルフレッド、コレット、クラウスの五人で夕餉の食卓を囲む。会話の中心にいるのは、コレットの母親、カリタだ。


「この辺りかしらって思ったところにまだお顔がなくて、ぐーっと見上げて言ってようやく目が合ったのよ。うふふふふ」


「ちょっと、お母さん! 失礼よ」


「だって本当のことだもの。暗かったからよけいに驚いたわ」


「もうっ」


 言い合う母娘を、父、ユハナはにこにこしながら眺めている。その隣、コレットの正面に座るヴィルフレッドは、黙々と食事を口に運んでいた。

 ヴィルヘルミーナに向かう船の中で、クラウスはヴィルフレッドに殴られるかもしれないと言っていた。けれど、出迎えた兄は軽いあいさつ以外は何もなく、コレットはほっと胸を撫で下ろしていた。

 両親は歓迎してくれているようだし、あとは今日留守にしている祖父に会えれば一通りのあいさつが済む。コレットが頭の中で一通りの段取りをなぞっていると、食事を終えたヴィルフレッドがおもむろに立ち上がった。


「よし。やるぞ」


「何を?」


 ぎくりと肩を震わせたコレットの隣で、カリタが不思議そうに言う。


「何って決まっているだろう。俺より弱い奴に大事な妹はやれないからな」


「ヴィル! 何言ってるの」


 壁に立てかけておいた剣を手にするヴィルフレッドに、コレットが声を上げる。カリタは「まぁ」と口に手を当て、ユハナは、


「明日にしなさい」


と息子の裾を引いて座らせようとした。


「お父さん、そういうことじゃないでしょう」


 今日とか明日とか、そういう問題ではない。剣を持ってクラウスに挑もうとするヴィルフレッドを、コレットは止めようとした。


「明日じゃ祖父じいさんが帰ってきちまう。今日のほうが、二対一よりいいだろ」


「それもそうだな」


「クラウス様まで。やめてください」


 まさかクラウスが応えるとは思わなかったコレットは、隣で立ち上がったクラウスを見て驚く。


「場所は?」


「裏庭」


「物干し台はけてね」


「お母さん!」


 唯一の味方だと思った母までも、食後のお茶をすすりながらそんなことを言う。コレットは目線で父に助けを求めたが、父は“仕方ない”というように肩をすくめただけだった。


「お兄ちゃんだって、ちょっとやれば気が済むわよ」


「ヴィルの気が済むために、クラウス様が怪我をしたらどうするの!」


「怪我ですめばいいけどな」


「ヴィル!」


 にやりと笑うヴィルフレッドに、コレットが食って掛かろうとする。クラウスはコレットの肩を抱いて落ち着かせるように髪を撫でると、耳元に口を寄せて何事かささやいた。


「……!」


 急に顔を赤らめたコレットが、すとんと椅子に座る。カリタとユハナは首を傾げて顔を見合わせ、ヴィルフレッドはすらりと剣を抜いた。


「おまえ……ぶっ殺す」


「何なに? ねぇ、クラウスさんは何て言ったの?」


「ななな、なんでもない。なんでもないの」


 コレットは顔を手で覆って、ふるふると頭を振る。カリタはヴィルフレッドに聞こうとしたが、「知らねぇ。けど、むかつくのは確かだ」と言って、顎でクラウスを誘ってとっとと出て行ってしまった。


「行ってくる」


「お気をつけて」


 剣をとり、ヴィルフレッドの後を追うクラウスを、コレットは頬を染めたまま見送る。


「一緒に行かなくていいの?」


「うん……待ってろって言われたから」


「それだけでこんなに真っ赤に?」


 さきほどのささやきはそれかと、カリタがコレットの頬をつつく。コレットは、母親の手から逃げるように顔を逸らした。


「やめて。つつかないでよ」


「だって教えてくれないんだもの。

クラウスさんだって、あの体格だもの、弱くはないんでしょう?」


「そうだけど、クラウス様はお優しいから……」


 クラウスがヴィルフレッドに負けることなど、微塵も考えていないコレットである。むしろ、手加減をしたクラウスが、かえって怪我をしてしまうのではないかと心配していた。


「あら、ま。ごちそうさま」


 カリタは、異国で見つけてきた伴侶に、ずいぶんとのぼせた様子の娘に苦笑する。そして、内心、見た目は怖いけれど実直そうな人だわとクラウスを評し、食器の片づけをはじめた。


「ところであの、お父さんは、いい?」


 お茶を飲み終え、自らも食器を運ぶのを手伝おうとしていた父に、コレットが話しかける。


「ははっ。まぁ、会って驚きはしたけどな。おまえが選んだ人なんだ。いいんじゃないか」


「そう……。ありがとう。

 あのね、クラウス様が、お父さんのチーズケーキを食べてみたいっておっしゃってたの。あとで作ってくれる?」


「あぁ、いいよ。本当に彼は甘いものが好きなんだね」


「? えぇ。お好きだけど、私、クラウス様が甘いものが好きって言った?」


 たしか、ティル・ナ・ノーグを出る前に貨物を運ぶ高速船に託した手紙には、近日中に結婚を考えている人と一緒に帰るとしか書かなかったはずだ。いつの間に、クラウスが甘味好きと知ったのかとコレットが小首をかしげると、


「ヴィ、ヴィルに聞いたんだ」


とユハナは少し慌てた様子で答えた。


「ふうん」


 ユハナは、そそくさと食器を持って席を立つ。一人食卓に残されたコレットが裏庭のほうを気にしていると、カリタが台布巾を持って戻ってきた。


「ところでコレット。クラウスさんが今日寝る場所なんだけどね、うちにはあんなに大きな人が寝られる場所がないのよ」


「え。あ、そっか。そうよね」


「だから、隣のジルおばさんちを借りたわ。ジルさん、去年、娘さん夫婦のうちに引っ越したから、今空き家なのよ。

 それでね、あなた、今から行って掃除してらっしゃいな。寝具は運んでおいたけど、そのほかの準備まで手が回らなかったの」


「でも……」


 カリタに渡された布巾でテーブルを拭きながら、コレットは窓の外を見やる。ヴィルフレッドとクラウスはどうなっているのか。あとでこっそり見に行こうと思っていたのに、隣家に行ってしまっては見られない。


「お母さん、準備しておいてくれない?」


「何言ってるの。あなたの旦那さんになる人のことよ? お母さんは明日の下ごしらえがあるんだから、自分でやってちょうだい。

 まったく、独り立ちして少しはしっかりしたのかと思ったら、すぐに甘えようとするんだから。そんなことでちゃんとお店を切り盛りできているのかしら? あ、お風呂はうちで入ってもらえばいいからね。

 ほら、早く行ってきなさい」


「んもう、わかったわよ」


 じっと待っているより、体を動かしていたほうが気がまぎれるはずだ。コレットは掃除用具と明かりを持つと、裏庭を気にしつつ隣の家へと向かった。




 隣家の準備は、さほど時間のかかるものではなかった。

 寝具を整え、置いてあった家具の位置を戻す。ざっと室内を水拭きしたけれど、たいした汚れもなかった。

まだ暖炉が必要な時期ではないが、念のため一束だけ薪を置くと、コレットは遠回りをし、裏庭を通って家に戻ることにした。


(見に行くわけじゃないのよ。通りがかるだけなんだから)


 そう自分に言い聞かせ、こっそりと裏庭に向かう。けれど家の中の明かりがわずかに届く裏庭には誰もおらず、剣が打ち合うような音もしなかった。


「?」


 不思議に思ったコレットは、ひとまず家に戻ることにする。すると、夕食をとっていたテーブルで、クラウスとヴィルフレッドとユハナが酒を酌み交わしていた。髪が濡れていることから、すでに風呂も済ませたようだ。


「え、どうしたの?」


 コレットは、戸口に一番近い場所に座っていたヴィルフレッドの顔を覗き込む。


「どうしたもこうしたもあるかよ。……あぁ、気に入らねぇ!」


 ヴィルフレッドが、手にしたグラスをぐいっとあおる。その手には、白い包帯が巻かれていた。


「ヴィル、負けたの?」


「こいつに負けたわけじゃない。ルールに負けたんだ。

 チッ、剣を落としたら負けなんて、するんじゃなかった」


 ヴィルフレッドに言われて、コレットはクラウスを見る。コレットの視線に気づいて目元を和ませたクラウスは、どこも怪我をした様子はなかった。ほっとしたコレットは、誇らしい気分でくすりと笑う。


「剣、落としたんだ」


「いきなりはじかれたんだ。速さじゃ俺のほうが上だったはずなのに。

くそっ、おまえ、何した? 急に強くなりやがって」


 あまり減っていないクラウスのグラスに、ヴィルフレッドが酒を注ぐ。ついでに父と自分のグラスにも注ぐと、酒瓶が空いた。見れば、すでに数本の瓶が床に転がっている。


「どちらかが倒れるまででは、それこそ大怪我をする」


「けどなぁ!」


 クラウスにいとも簡単に負けてしまったことがよほどくやしいらしく、ヴィルフレッドは愚痴愚痴と言いながら、またぐいっとグラスをあおる。


「ヴィル、もうそれくらいにしたら」


「うるひゃい(さい)! クラウス、おまえももっと飲め! 飲んで二日酔いになって、じいさんにやられろ!」


「ちょっと、ヴィル!」


 コレットが止めるのも聞かずに、ヴィルフレッドは次々と酒瓶を空けていく。そしてそのほとんどを一人で飲んでいた。


「ははっ、こいつはこうなると長いからなぁ。クラウスさん、長旅で疲れたでしょう。もう休んでください。あとはこっちで面倒みますから。コレット、案内して差し上げなさい」


 そう言うユハナも、それなりの量を飲んでいるようで顔が赤い。クラウスはといえば、騎士団で飲み慣れているのか、目に見える変化はなかった。


「おい、コレット! おまえは戻ってくるんだぞ! 一緒に寝るなんて許さないからな!」


「な、何言ってるの! 戻ってくるわよ! 私の部屋はあるんだから」


「百数える間に戻ってこい。それより長居したら俺が一緒に寝るからな」


「ヴィル、言ってることが滅茶苦茶だわ」


「ははっ、それはクラウスさんも参るなぁ。ん? 三人で寝るってことかい? 楽しそうじゃないか」


「お父さん、やめてよ……」


 座りながらぐらぐらと揺れている父も、そろそろ限界だろう。クラウスの前で醜態をさらす父と兄にうんざりしたコレットは、クラウスの背中を押して足早に隣家へと案内した。






 久しぶりに揺れない寝台の上で眠ったクラウスは、まだ朝もやの残る時間に目が覚めた。ぐっすり眠ったおかげで酒が残ることもなく、体も軽い。

 少し動こうと、剣を片手に外に出る。昨夜ヴィルフレッドと手合せをした裏庭に行くと、先客があった。

 

 クラウスよりは若干低いが、一般的には長身の部類に入る、均整のとれたすらりとした体躯。白髪交じりの短めの黒髪に、切れ長の瞳。

 コレットの祖父だろうか。


「おはようございま……、っ」


 見かけて声をかけないのも失礼かと思い、あいさつをしようとしたところで、突然相手が切りかかってきた。


「ちっ、避けたか」


「……!」


 老人は、半身になって剣をかまえる。頬には皺が刻まれ、剣を持つ手は筋張っているが、背筋はぴんとしており一分の隙も無い。

 ゆらりと揺れる剣の先は波打つ形状をしており、炎がたちのぼっているように見えた。


「ユハ=アウノ=テラストだ」


「クラウス=アルムスターです」


 短く名乗り、クラウスもまた剣を構える。裏庭でクラウスを待ち構えていた老人、コレットの祖父・ユハは、クラウスの構えを見てにやりと笑った。


「師団長というのは伊達ではないようだな」


炎の剣(フランベルジエ)の使い手と手合せできるとは光栄です。胸を借りるつもりでやらせていただきます」


「貴様が負けたらコレットはやらん」


「やるからには負けません」


「……生意気な」


 ゆらり、ゆらゆら。

 ユハの切っ先が揺れる。動くものについ目がいってしまうが、剣を見ていては太刀筋が読めない。クラウスは努めてユハの体幹を見るようにし、どんな微細な動きも見逃さないようにした。


「その目の色……。気に入らないな。俺より背がでかいのも気に入らない」


 ぶつぶつと言うユハは、なかなか動こうとしない。こちらが動くのを待っているのか。そう思ったクラウスが、わずかに剣先を逸らした瞬間、ユハがするどく切り込んできた。

 炎の残像が、閃光のように走る。首を狙ったそれを反射的にかわし、剣の柄でユハの脇腹を突こうとしたところをひらりと避けられた。


「貴様、俺相手に手加減をする気か」


 炎が円を描く。ぎらりと光る瞳は、コレットと同じ濃褐色。


「そういうわけではありません、が……」


 あぶなかった。今、ユハは完全にクラウスを殺そうとしていた。一方、クラウスはコレットの祖父を傷つけてはいけないという思いがあったために、動きが鈍った。


「安心しろ。骨は拾ってやる」


「遠慮します」


 ゆらゆらと剣先をゆらして殺気を放つユハに、クラウスは「なんてじいさんだ」とつぶやく。

 もしもユハの太刀筋を継いでいるヴィルフレッドに先に出会わなかったら、もしも船の上でアビーの特訓を受けていなかったら、さきほどの一撃ですでにやられていた。


 ――格が違う。


 ユハの殺気を正面で受けたクラウスは、ぞくりと背筋を震わせる。

 元騎士で幻の剣の使い手とはいえ、街角の菓子屋がなぜこんなに強いのか。コレットの曾祖父は宮廷騎士だと言っていたし、ヴィルフレッドの持つ宝剣も尋常なものではなかった。ヴィルヘルミーナの歴史にもかかわっているようだし、何か謂れのある家系なのか。

 こんなことなら、コレットにもっと詳しく聞いておくのだった。

 クラウスは、コレットとの二人旅に浮かれて、必要な情報収集を怠った自分を呪った。

 けれど、いくら相手が強いからといって、ここで尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。昨夜、「君のために戦う」とコレットに誓ったのだから。


「行きます」


「どこからでもかかってこい」


 ユハの挑発を受け、クラウスが動く。振りかぶると見せかけて横に薙ぎ払った剣をユハがはじき、返す剣で足元を狙う。クラウスが飛んで避けると、着地点に炎が立った。


「!」


 これをぎりぎりで避けたクラウスは、一歩引いて体勢を立て直し、ユハの正面に剣を打ち下ろす。ユハはクラウスの一撃を剣で受け止め、クラウスが次を打ち込む前に、急所を狙って次々と剣を繰り出した。

 クラウスは、時にはじき、時に受けて、ユハの息をもつかせぬ激しい突きをかわしていく。しんと静まり返った早朝の裏庭に、剣戟の音が響いた。


「くっ」


 さばききれなかった一太刀が、クラウスの頬を裂く。急所ははずしているものの、肩や腕、足など、ところどころ衣服が裂けていた。ユハもまた、いくつかの打ち身をくらっている。


「どうした。そら、右が甘いぞ。次は左だ」


 速さではユハがまさり、力ではクラウスがまさる。しかし、容赦なく剣を振るうユハと違って、クラウスには遠慮があった。何せ相手はコレットの祖父であり、手にしているのは真剣である。万が一のことがあったら、大事おおごとだ。だが、余計なことを考えている余裕はなかった。

 どん、とクラウスの背中が敷地にあった木に当たる。しまった、と思ってももう遅く、ユハの一撃がクラウスの喉を狙い――


「ぐっ」


 避けきれない、と思って覚悟を決めた瞬間、ユハが低くうなって膝をついた。


「……?」


 ユハが、剣を落とす。クラウスがどうしたのかと覗き込むと、炎の剣(フランベルジェ)の使い手は、膝と両手を地面について脂汗を浮かべていた。


「クラウスとやら。何をのんきに見ている。助けろ」


「……は?」


「腰だ、腰!

 朝っぱらから急に動いたから、腰を痛めたじゃないか! とっとと俺を抱えて家の中に運べ!」


 どこまでも偉そうに言うユハは、しかし自力では動けないようだ。クラウスは剣をしまうと、ユハに肩を貸して家の中へと運び込んだ。







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