4.ふなたび②
翌朝も、コレットはクラウスよりも早く起きて甲板にいた。クラウスを追い出さずに身支度を整えるためであり、逆にクラウスが着替えるときに気を遣わせないためである。
(今日もいいお天気……。早くヴィルヘルミーナに着かないかしら)
コレットが、家族を思って澄んだ空を見上げていると、背後から声をかけられた。
「やぁ、昨日の揺れは驚いたね」
「えぇ、そうですね」
若い男の声に、昨日のアビーかと思って振り向いたら違った。毛皮の襟巻をし、派手な色合いの長衣を着た男は、コレットのすぐ隣に肘をつく。
「よくここにいるよね。」
「えぇ、まぁ」
「一人旅なの?」
「いえ、違います」
男はうすら笑いを浮かべながら、コレットの顔を覗き込んでくる。顔がやけに近いと感じたコレットが半身を引くと、男はさらに間を詰めてきた。
「家族と一緒? あっ、待って。俺が当ててあげる。
君、どこかのご令嬢でしょ。両親とお忍びで旅行に行くんだ。ヴィルヘルミーナには美しい湖があるからね。常春のティル・ナ・ノーグと違って、四季折々の自然の移り変わりも楽しめる。いいところだよ」
「えぇっと……」
令嬢でもなければ、両親と一緒でもない。どう答えたらいいのかとコレットが困っていると、男は返事を待つことなく話を続けた。
「ヴィルヘルミーナの伝説を知ってる? その昔、あそこは不思議な魔法があふれていて、それはそれは美しい女王が治めていたんだ。ところが、悪い魔法使いがヴィルヘルミーナの秘術を求めてやってきて、女王を殺して無理矢理秘術を奪ったんだって。
女王を失った城は湖に沈み、悪い魔法使いもそのとき死んだらしい。でも、女王の娘――つまりお姫様だね――は勇敢な騎士に守られて生き延びて、隣国で幸せになったとか。
あれ? 興味ない? 姫君と騎士の恋物語ってさ、女の子は好きでしょ?」
ヴィルヘルミーナの伝説は知っているが、後半部分はコレットの知るものと異なる。けれどコレットは、それを指摘するよりも男との会話を早く切り上げたかった。
「初めて見たときから気になってたんだ。俺も君の騎士になりたいな」
男がコレットの肩を抱こうとする。コレットが体をずらして逃げると、男はぐいぐいと迫ってきた。
「こうして出会ったのは運命だと思うんだよ。ヴィルヘルミーナに着くまで後九日。俺と楽しい時間を過ごさない?」
「お、お断りします」
「どうして? その後の姫君と騎士の話もあるんだよ。すごくロマンチックなんだ。聞きたいでしょ?
俺といればさ、退屈させないよ?」
「私は退屈していませんし、その話も知っています。私が祖父から聞いた話とは少し違いますが」
「違うの? じゃぁ、君が知ってる話を教えてよ。俺の部屋でさ、ほら」
「やめてくださいっ」
男がコレットの手首をつかむ。強引に手を引かれ、コレットは恐怖を覚えた。
「誰か……っ」
「こんな早朝に、誰も来ないよ。ここは寒いでしょ。俺の部屋で二人で温まろうよ」
「嫌です!」
「ふふ、怒った顔もそそるなぁ。名前なんていうの? 俺は……」
コレットを力で押さえこんだ男が、調子に乗って耳元でささやいたそのとき。
「その手を離せ」
怒りをはらんだ低い声がした。
「なんだ、おまえは」
「クラウス様っ」
男の手がゆるんだ隙に、コレットはクラウスの元に駆け寄る。クラウスが「夫だ」と言い切ると、男は舌打ちをして一歩退いた。
「その女が先に誘ってきたんだぜ? もの欲しそうに声をかけてきてさ」
「違います!」
「彼女はそんなことはしない。
それ以上虚言で彼女を傷つけるなら、しかるべき対処をさせてもらう」
クラウスが、腰に穿いた剣に手をやる。男も腰にごてごてと飾りのついた細い剣を下げていたが、とてもかなわないと思ったのか、捨て台詞を吐いて立ち去った。
「ありがとうございました」
コレットがほっとして礼を言うと、クラウスは長い溜息をついた。
「勝手に部屋を出るのはやめてくれ」
「す、すみません」
クラウスの強い口調に、コレットはしょんぼりとする。
俯いて、つんと服の裾をつかまれたクラウスは焦った。
「あ、いや、言い方が悪かった。好きなときに外に出ていいんだ。ただどんな輩がいるかわからないから」
ひと声かけてくれ、とクラウスは言い、コレットは「はい」と返事をして涙を浮かべた。
安堵とクラウスに怒られたことによる反省の気持ちで、きゅうっと服をつかんで肩を震わせるコレットに、クラウスはあたふたする。咄嗟にうまい言葉も見つからず、髪を撫でようとしたらびくりとされて、これ以上はお手上げだった。
「その、コレット……」
困り果てたクラウスが、コレットの肩を抱こうとして手をひっこめる。髪をかき上げ、もう一度髪を撫でようとしたとき、
「くすくすくす。剛腕の騎士ともあろうものが、奥さんには形無しなんですね」
不意に、聞き覚えのある声が降ってきた。クラウスが声のしたほうを見上げると、船尾楼に昨日見かけた人影があった。
「あなたは……アビィシュニアン=ペンウッド団長殿!?」
「正しくは、元団長ですね」
アビーはかなりの高さがある船尾楼からひらりと飛び降りると、驚きに目を見開くクラウスに答えた。そして、クラウスの後ろに隠れているコレットに、にこりと微笑む。
「おはようございます、コレットさん。今日もいい天気ですね。さきほどは災難でした。助けに入ろうとしたところでクラウス君が現れたから、驚きました」
驚いたと言いつつ、全く驚いた様子などないアビーである。どうやら彼は、船尾楼の上でコレットがからまれている一部始終を見ていたようだった。
「聞いてのとおり、僕、一時期ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団に所属していましてね。クラウス君が騎士の登用試験を受けたときには、試験官をしていました」
にこにこと笑う顔は、青年というより少年のようだ。しかし、クラウスの記憶によれば、初めて会った頃も今と変わらぬ姿かたちをしていた。
「ははっ、もちろんいい歳をしたおじさんですよ。今年四十三になります」
「よんじゅ……!? あっ、すみません」
クラウスの後ろで、コレットが驚きの声を上げる。アビーの登場でコレットの涙が引っ込んだのを確認して、クラウスはほっと胸を撫で下ろした。
「団長にこのようなところでお会いできるとは光栄です。ヴィルヘルミーナへはご旅行ですか?」
「まぁ、そんなところです。
それよりも“団長”はやめてください。もう騎士団は引退したのですからね」
「では、アビー……先生」
「くす、懐かしいですね」
団長時代には、若い騎士に剣の稽古をしていたこともあった。無論、クラウスも教わっていた一人だった。
「ところで、さきほど、“夫”と言っていませんでしたか。クラウス君、結婚したんですね」
「えぇ、つい先日」
クラウスがコレットを紹介し、コレットは昨日の出会いをクラウスに話す。アビーは二人を祝福し、せっかくだから一緒に朝食を摂ろうという話になった。
「騎士団の話もいろいろと聞かせてください」
「もちろんです。
先生、もしよろしければ、後で剣の稽古をつけてくださいませんか」
「今さら君に教えることがあるとは思えませんがねぇ」
「そうおっしゃらず、ぜひに」
日頃口数の少ないクラウスが、アビーには熱心に話しかけている。それほどすごい人なのだろうと、コレットはちぎったパンを口に運びながら、二人の話に耳を傾けた。
「……へぇ、そんなことがあったんですね。ノイシュ様も自由な方だから、ジーク君も苦労しますね。
樹海のオーガはどうですか」
「最近は出没しておりません。隣のブリタニア帝国も、比較的大人しいです」
「あちらは内戦中ですからね。他国に手を出す余裕はないでしょう。あぁ、話を聞くと懐かしくなりますね。ティル・ナ・ノーグ港に寄ったとき、降りようかどうしようか悩んだんです。けれど一度降りると、次のヴィルヘルミーナ行の船は当分先になってしまいますからね」
食後のお茶を口に運ぶアビーが、コレットに微笑む。
「そういえば、ヴィルヘルミーナの伝説がどうとか、あの男は言っていましたね。貴女の知っている話を聞かせてもらえませんか?」
「えっと……」
男が語った伝説を聞いていなかったクラウスのために、コレットはかいつまんで前半部分の話をする。そして、後半は自分の知る話を付け加えた。
「あの方は、沈む城を脱出したお姫様が騎士と幸せになったと言っていましたけれど、実際は、騎士ではなくお姫様を保護してくれた隣国の王子と結婚なさったはずなんです」
ヴィルヘルミーナの女王が持つ不思議の力は、姫からその娘へと引き継がれ、一度は滅んだヴィルヘルミーナを復興させるきっかけとなったと聞いている、とコレットは語った。
「なるほど。僕の知る話は、あの男が言っていたほうでした。地元では違うのですね?」
「本当かどうかはわかりませんが、その姫を救ったという騎士が私の曾祖父だそうなんです。だから、我が家には少し違った話が伝わっているのかもしれません」
「えっ、コレットさんの曾お祖父さんの話なんですか?」
「はい。なので、伝説と言うより昔話という感覚です。曾祖父は、若い頃、旧ヴィルヘルミーナの宮廷騎士をしていたそうです。王子様にお姫様をとられてしまったので騎士をやめて、同じくお姫様にお仕えしていた曾祖母と一緒になってお菓子屋さんを始めたとか。
あ、別にそんなにすごい人とかではなくて、たまたまお姫様が脱出するときに居合わせた、兵士の一人だったんだと思います」
物心つく前に亡くなった曾祖父は、穏やかな物腰の優しい人だった。菓子職人としてはなかなかの腕前だったらしいが、宮廷騎士として華々しく活躍したとは思えなかった。
「しかし、ヴィルは代々受け継がれてきたという剣を持っていなかったか」
「あぁ、ルクシール様に頂いたと言う宝剣ですね」
「ルクシール様?」
「宝剣?」
クラウスは新たな登場人物に反応し、アビーは宝剣という言葉に身を乗り出した。
「特徴を教えてくれませんか? 色は? 形は? 属性は?」
青灰色の瞳をきらきらと輝かせ、アビーがコレットに迫る。コレットは、そういえばアビーが伝説の剣を探していると言っていたことを思い出した。
「兄が曾祖父からもらった剣です。宝石のついた細身の剣で、悪いものを祓うのだそうです」
「細身ですか。僕の探している光の剣は大ぶりなもののようなので、違いますね。まぁ、古文書の記述が合っているとは限りませんが」
探している剣ではなかったと、アビーはがっくりと肩を落とした。アビーの落胆ぶりに、コレットは申し訳ない気持ちになる。
「剣のことは私はわからないので……。故郷に帰ったら兄に聞いてみます。
それで、えっと、ルクシール様というのはお城とともに沈まれた女王様のお名前です。脱出したお姫様のお名前はルミエール様です」
「曾お祖父さんが振られたお相手ですね」
「あは、そうです。
今のヴィルヘルミーナの国王は、ルミエール様と隣国の王子様の間に生まれたルチノー様の、ご長男にあたる方です。ルチノー様は、紅玉のごとく輝く瞳に絹糸のような髪の、それは美しい方だったそうです」
歴代の女王の名は、ヴィルヘルミーナの国民なら誰でも知っている。特に悲劇の女王ルクシールと、国王の母ルチノーは人気があるのだと、コレットは言った。
「湖のほとりにある祠には、ルクシール様の像が安置されているんですよ。私が故郷を出るころに、城の再建の話が出ていましたから、もう出来上がっているかもしれません」
時間があったら立ち寄って欲しいと言うコレットに、アビーはぜひ伺って、コレットの兄に会いたいと言った。
「どうぞ、いらしてください。あ、兄よりも祖父のほうが詳しいかもしれません。祖父も若い頃騎士をしていて、昔はフラン……なんでしたっけ、フランベなんとかっていう、剣の使い手だったと聞いています」
「炎の剣か?」
「あ、たぶんそれです」
クラウスの言葉にコレットがうなずくと、アビーがピュゥイと口笛を吹いた。
「それは、手ごわいですね。近づくのすら恐ろしい」
「? 以前兄と手合せしているのを見たことがありますが、火が出ているわけではありませんでしたよ」
「炎の剣とは、刀身が波打つ剣の総称ですから、実際に剣が燃えるわけではないんです。
ただ、切っ先を揺らすと刀身の揺らめきが炎のように見えることから、その名がつきました。非常に扱いの難しい剣で、炎の剣の使い手には、私もまだ一度も出会ったことがありません。それがコレットさんのお祖父さんとは。会ってみたいですね」
炎の剣には、さらにその特殊な刀身が肉を引き裂き止血しにくくするため、“死よりも苦痛を与える剣”という異名があった。
思わぬ話の流れにわくわくとした様子のアビーとは反対に、クラウスは頭を抱える。
確か、コレットの祖父は孫命で、コレットのことを溺愛していると聞いている。ただでさえ手ごわいと思っていたのに、幻の剣の使い手とは。そんな祖父とこれから対峙しなければならないのか。
「ははっ、何、式は挙げたけれど、あいさつはまだなんですか? 結婚の許可をもらいに行くと? それはそれは。
では、ヴィルヘルミーナに着くまでの間、みっちりお相手をして差し上げますよ」
先ほどまであまり乗り気ではなかったアビーが、コレットの話を聞いて俄然やる気を出した。ここは喜ぶべきなのかとクラウスは思う。
「別に、いきなり切りかかってくることはないと思いますけど」
「ヴィルは殴り掛かってくるかもしれないな」
「それは、まぁ、すみません」
「くっくくく。いやぁ、楽しいですね。たまにはこうしてお若い方々と話をするのもいいものです」
見た目は確実にクラウスよりも若いアビーが、にやにやと笑って年寄り臭いことを言う。日頃表情を動かすことの少ないクラウスが、非常に複雑な顔をしていたのも、アビーの笑いを誘ったようだ。
「善は急げといいます。早速始めましょうか」
食後のお茶も飲み終えたところだ。腹ごなしに手合せをしようとアビーが言ったところで、外から人の叫び声がした。
「おい! あれはなんだ!」
「昨日のやつだ!」
「気を付けろ! ぶつかるぞ!」
「うわあああああああ!」
船体が大きく揺れる。
クラウスは咄嗟にコレットを守り、アビーは様子を確認すべく窓に駆け寄った。
「あれは……まさか……。
クラウス君」
アビーの鋭い声に、クラウスが頷く。
「クラウス様?」
「ここで待っていろ」
「……お気をつけて」
本当は側にいてほしい。その思いを押し殺し、コレットはクラウスの手を一度だけきつく握る。クラウスもまたコレットの手を握り返して、アビーと共に甲板に飛び出した。




