38.ニーヴに捧げる永遠(とわ)の唄10
「あの……。えっと、これは……」
ビアンカに案内された小部屋。
そこには、真っ白なウェディングドレスが置かれていた。
「着付けはアタシが手伝うからね」
戸惑うコレットの後ろから、声がかかる。振り向けば、メリルがいた。
「アタシさ、娘が欲しかったんだ。いつか自分で作ったウェディングドレスを娘に着せて、結婚式をしたいと思ってたんだよね」
「娘さん、ですか。メリルさんの娘さんが、今からいらっしゃるんですか?」
「ははっ、何言ってんだい。アタシに娘はいないよ。これはコレットちゃんの。
これをプレゼントして発破かけようと思ってたら、みんな似たようなこと考えてたんだもんねぇ」
「私の? みんなって、え? 今日の結婚式って、じゃぁ誰の……」
突然の出来事に混乱するコレットは、抵抗する間もなく服を脱がされドレスを着せられていく。
「ほら、そこの柱につかまって! コルセット締めるよ。せーのっ」
「ちょっ、待ってくださ、うっ」
力いっぱい締められたコルセットに息が詰まり、手早く腰に巻かれたパニエに身動きができなくなる。メリルがドレスの背中のホックを止めている間に、ビアンカがコレットの髪を結い上げ、ベールとティアラを乗せた。
「きれいだよ、コレットちゃん。みんなもうお待ちかねさ。さぁ、行こうかね」
「コレットさん、手袋をどうぞ。開けますよ。いいですね?」
ビアンカが礼拝堂の扉に手を掛ける。
いいも悪いも、何が何やらわからないコレットは、メリルに背中を押されるまま、礼拝堂に足を踏み入れた。
わぁっ
人々の歓声が上がり、拍手が沸き起こる。
コレットは天窓から差し込む光に目を射られ、反射的に手を掲げる。
ようやく光満ち溢れる礼拝堂に目が慣れたときには、いつのまにか移動したビアンカが、パイプオルガンの前に座っていた。
椅子から立ち上がった人々は、皆満面の笑顔でコレットの方を見ている。
向かって右手の席にいるのは、同じ菓子職人として一番の仲良しのクレイア。その隣には、クレイアの紹介で知り合った女騎士アイリス。もふカフェの店主であるエリンもいる。他にも、商店街でお世話になっている人たちが並んでいた。
左手の席には、騎士団の面々だ。アンブローシアは珍しくドレスを着ていて、以前見かけたときよりも幾分大人びたマリーニもいた。エメリッヒをはじめとする、十八分隊の分隊員たちは末席にいて、前の方にはコレットの知らない偉そうな人たちがいた。
コレットの足元には、赤い毛氈。
細長く伸びるそれを目で追っていくと、その先に背の高い人影があった。
光がまぶしすぎて、顔がよく見えない。
けれど、あれは――
ビアンカの弾くパイプオルガンの音が、礼拝堂の中に響く。壁際に行儀よく並んだ子どもたちが、ニーヴを讃える歌を歌い始めた。
子どもたちの歌声に誘われるように、コレットは歩を進める。
途中、クレイアに呼び止められて、小さな花束を渡された。それは、どうみてもブーケだった。
「その……すまない、コレット」
大きな体を縮こませて謝るクラウスは、騎士の正装をしている。
曲が止み、何もかもが夢のようで呆然としているコレットに、祭壇の前に立った男が呼び掛けた。
「汝、コレット=ラヴィネルは、ニーヴとリールの名のもとに、病めるときも健やかなるときも、クラウス=アルムスターを愛することを誓うかい?」
「え……」
コレットが男を見上げる。分厚い聖典を手にした指には、赤い貴石のはまった指輪。服こそいつもホープ司祭が着ている司祭服と同じものだったけれど、肩からは真紅のマントを羽織っていた。
男性にしては白い頬。慈愛に満ちた微笑みを浮かべる唇。少しくせのある黒い髪の上には、宝石の散りばめられた宝冠が乗っていて……。
「ノイさ、いえ、ノイシュ様!?」
「やぁ。
彼がね、君に会えなくなるから師団長にはならないと言うんだよ。
悪いんだけど、ティル・ナ・ノーグのために、結婚してやってくれないかい?」
「! ノイシュ様っ」
隣に立つクラウスが、焦った様子で一歩踏み出す。
「俺、いや、私は決してそのようなことは」
「そうかい? あぁ、私には、自分にはまだ早いとか、分隊でまだやらなければならないことがあるとか言っていたっけね。
第一師団のディヴィッドは君と同い年だし、第四師団のテオドールは君より若い。十八分隊には跡を継ぐ優秀な補佐官がいると聞いているし、クラウス=アルムスター、君が師団長になることに、何ら問題はないんだよ」
「……」
ノイシュの言葉に、クラウスが黙り込む。
ノイシュはさらに、師団長としていかにクラウスが適任かということを語る。そして、未だ状況がよく飲みこめていないコレットに、
「それでも嫌だって言うからね。これは他に何か理由があるのだろうと思って、私なりに調べたんだ。そうしたら、君の存在に行きついた。知り合いだとは聞いていたのだけれど、恋人同士だとは思わなかったから、驚いたよ」
と言った。
「はぁ。え、あの、クラウス様?」
どういうことですか、とコレットはクラウスを見上げる。クラウスは気まずそうに目を逸らし、ぼそりとつぶやいた。
「……君に、相談しようとは、思っていたんだ」
師団長になるかもしれないこと。師団長になったら、これまでのようには会えないこと。出世するよりも、これまで通り、忙しいながらも心穏やかな日々が過ごせればいいと思ったこと。だから、師団長になるのは断ろうと考えていること。
「そんな……。私、てっきり別れ話だと」
「なぜ、そうなる」
「だって」
クラウスにとって自分が何らかの足枷になるのなら、潔く身を引こうとしていたコレットである。それを聞いたクラウスは、正装して礼拝堂に行けと言われ、ノイシュに対面したとき以上に驚愕した。
「馬鹿な。そんなこと、かけらも思ったことはない」
「でも、クラウス様、最近ずっと考え事をなさっていて、お会いしてもよそよそしくて」
「それは、だから」
師団長の件をどうしようかと考えていたんだと言うクラウスに、コレットはほっとした笑顔を見せたのもつかの間、すぐに表情を曇らせた。
「でも、私のために師団長になるのをやめるのは、やめてください。せっかくみなさんがクラウス様のことを認めてくださっているのですから、もったいないです」
「しかし俺は」
「クラウス様のお力を必要としている人がいるんです。すばらしいことじゃないですか。
私だって、お会いできなくなるのはさびしいです。
だけど、私のせいでクラウス様のお仕事に支障が出るというのなら、私は、私は……!」
ドレスの裾を強くつかみ、コレットが声を詰まらせる。クラウスは、伝えたいことはたくさんあるのに何をどんな言葉で伝えればいいのか判断がつかずに、ただ狼狽えた。
「その、コレット」
呼びかけるクラウスに、コレットはぎゅっと目を閉じて肩を震わせる。涙ぐむ恋人にクラウスが二の句を告げないでいると、
「だからね」
と、頬杖をついて二人のやりとりを聞いていたノイシュが声をかけた。
「結婚してしまえば、全て解決すると思わないかい?」
ノイシュの言葉に、クラウスとコレットはハッと我に返る。
ノイシュの言う通り、結婚して一緒に住むことになれば毎日会えるし、自分のためにクラウスの時間が使われることに非常に気を使っていたコレットも、そばで自然にクラウスを支えることができるのだ。
「ね?」
微笑むノイシュに、コレットは思わずこくっとうなずく。そしてクラウスの方を見ようとして、心配そうに見守る友人たちに気付いた。
コレットは、クラウスとの会話に集中するあまり、自分がどこにいるかを失念していた。友人たちに今までの会話をすべて聞かれていたことに思い至ったコレットは、頬だけでなく、耳も首も真っ赤に染める。クラウスもまた、にやにやと笑う騎士団の仲間と目が合うと、しまったというように頭を抱えた。
「心は決まったかい? 私もこれでなかなか忙しい身でね。式の続きをしようじゃないか。
あまり遅くなると、コレットお手製のウェディングケーキを食べる時間がなくなってしまうからね」
「あっ」
いまさらながらに、あのケーキは自分たちのために注文されたものだったのかと、コレットは気付く。
ということは、今頃もしかしてニコラスとフェッロの手により仕上げがなされているのか。通りでやけに詳しく作り方を聞いていたわけだと思ったら、ビアンカの座るパイプオルガンの横にある通用口がギィときしんだ音を立てて開いた。
「ノイシュ様、中庭の準備ができました。が、式はまだ途中のようですねぇ」
間の抜けた声とともに現れたのは、サン・クール寺院の正司祭、ホープだった。
「あぁ。二人の話がまとまらなくてね」
「そうなんですか? コレットさん、クラウス分隊長、いや師団長との結婚、嫌なの?」
「嫌だなんて……!」
面と向かってはっきり聞かれたコレットは、まさかそんなことはないとかぶりを振る。
「そうだよねぇ。嫌じゃないよね。では貴方が嫌がってる?」
ホープの問いに、クラウスもまた首を横に振った。
「なら、いいじゃない。何が問題なんだい。
お互いを思いやることから愛は始まるんだよ。さぁどうぞ、誓いの言葉を」
ホープは二人の肩を押し、無理矢理前を向かせる。
クラウスとコレットは顔を見合わせて、ぎこちない動作でノイシュに向き合った。
「ははっ、さすが本物の司祭は違うね。
では、改めて聞こう。汝、コレット=ラヴィネルは、ニーヴとリールの名のもとに、病めるときも健やかなるときも、クラウス=アルムスターを愛することを誓うかい?」
ノイシュの声が、礼拝堂の中に響く。ことの成り行きをどうなることかと見守っていた人々は、コレットの返事をかたずを飲んで待った。
「コレット? 誓うかい?」
ノイシュが、微笑みを浮かべてコレットに問う。
コレットはノイシュを見つめ、手にしたブーケを見つめて、クラウスを見上げた。
深い碧の瞳は不安げに揺れ、降ろされた拳はわずかに震えていた。
「……私で、いいんですか」
「俺は、君がいい」
クラウスの右手が開かれる。自分に向かって差し出された手の平を、コレットはそっと握った。
「私、コレット=ラヴィネルは、ニーヴとリールの名のもとに、病めるときも健やかなるときも、クラウス=アルムスターを愛することを誓います」
「よかろう。
では、汝、クラウス=アルムスターは、ニーヴとリールの名のもとに、病めるときも健やかなるときも、コレット=ラヴィネルを愛することを誓うかい?」
「――誓います」
クラウスが誓いの言葉を口にした瞬間、パイプオルガンの音が礼拝堂に鳴り響き、子どもたちの歌声が旋律を奏でた。人々の拍手があふれる中、クラウスはコレットの手を引き、身をかがめてその額に口づけた。
行きは一人で歩いた赤い毛氈の上を、帰りはクラウスの腕につかまって歩く。
礼拝堂から中庭に続く道の両側に、二人を祝福するために集まってくれた人々が並んで、口々に祝いの言葉をかけてくれた。
「分隊長! おめでとうございます!」
「コレット、おめでとう!」
照れながら歩く二人の頭上に、花びらが舞う。
どこから飛んできた花びらだろうとコレットが上を見上げると、澄んだ青空の高みに、大きな翼を広げて旋回する見たことのない生き物がいた。
「鳥……じゃないですよね」
「第八師団の竜だ。シド師団長が手配してくれたんだろう」
クラウスもまた、コレットと同じ空を見上げる。
いましがた夫となったクラウスの横顔を見つめたコレットは、くすぐったいような笑い出したいような気分になって、ぎゅうっとクラウスの腕をつかんだ。
「?」
クラウスが、コレットを見下ろす。
この幸せな気分をなんと言ったらいいのだろう。
コレットが、うまく言葉を見つけられないまま、口を開こうとしたそのとき。
「コレット! ブーケ投げて!」
アイリスの声が聞こえた。振り向くと、クレイアやアイリス、エリンやアンブローシアがコレットに向かって手を振っていた。アンブローシアの隣には、ホープに背中を押されてやってきたビアンカもいる。
「えっと、みなさん、ありがとうございます。
ちゃんととってくださいね!」
コレットがかけ声をかけ、手を大きく振る。
天高く舞ったブーケに、女性陣の歓声が上がった。




