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37.ニーヴに捧げる永遠(とわ)の唄9




 メリルに「待て」と言われて三日が過ぎた。その間、何度もメリルにどうなったか聞いたが、「待っとくれ」と言われるばかりで進展がなかった。

 昼間は、店に出ているので忙しさで気がまぎれる。しかし、一人になるといろいろと思い詰めてしまい、眠れない夜が続いた。


 今日も、寝台の上で右を向いたり左を向いたりしてうつらうつらしている間に、夜が明けた。寝不足のせいで重い体をなんとか起こし、階下に下りる。今日は、ニコラスから注文を受けていた、ウェディングケーキを納入する日だった。

 厨房の作業台の上には、昨日新たに作った砂糖菓子パトダマンドが並んでいる。薔薇やリボン、レースを模した砂糖菓子パトダマンドに、砂糖細工の人形。花嫁の瞳の色は、試作と違い、新郎と同じ緑の瞳にした。


(誰かの幸せを祝う気持ちになんてなれない……。でも作らなきゃ……お仕事だもの……)


 何段にも重ねるケーキは、上のケーキの重さで下のケーキが潰れてしまう心配がある。コレットはその点を補うために、側面を細長い焼き菓子(ビスキュイ)で覆い、強度をもたせた。

 一段一段を別に作り、サン・クール寺院に着いてから、組み合わせて飾りつけをすることにする。五段分のケーキと飾り用の砂糖菓子パトタマンドはとても一人では運びきれるものではなく、サン・クール寺院からお手伝いの人が来てくれることになっていた。


 コレットは、“午後から開店します”と店先に札を出し、準備を整えて手伝いを待つ。やがてやってきたのは、ニコラスとサン・クール寺院の守門ポーター、フェッロだった。


「まぁ、フェッロさん、お久しぶりです」


「……や」


 長い前髪の隙間から紫がかった灰色の瞳をのぞかせ、フェッロが短く言う。ビアンカ曰く、守門ポーター兼画家兼凄腕の剣士だそうだが、相変わらず眠そうな様子である。


「寺院のほうも人手が足りないみたいだったんだけどさ、無理言ってフェッロにも来てもらったんだ。

 結構な量だね。僕一人で来なくてよかったよ」


 ニコラスの話によると、招待客はかなりの人数で、ホープ司祭はじめビアンカや孤児院の子どもたちも準備に追われているそうだ。

 街の中心部にあるサン・クール寺院は、空の妖精ニーヴと海の妖精リールを祀る、ティル・ナ・ノーグでもっとも大きな寺院である。吹き抜けのホール状になっている礼拝堂には見事な壁画が描かれ、高い天井につけられた窓からは光がふりそそぐ。

 結婚式ともなれば、礼拝堂の中は白を基調とした花々で飾られ、ビアンカの弾くパイプオルガンに合せて、子どもたちの天使の歌声が響く。新郎新婦は人々の祝福の拍手に迎えられて、共に祈りを捧げ、愛を誓うのだ。


「これ、どんなケーキ?」


 紙袋を肘に掛け、さらに大きな箱を二つ持たされたフェッロが、通りを歩きながらコレットに聞く。


基本ベースはシャルロット・オ・フリュイです。季節の果物のシャルロットですね。

 シャルロットっていうのは、元々は中身をくりぬいたパンにクリームや果物を詰めたお菓子なんですけど、次第にケーキやババロアをパンや焼き菓子で囲んだものもシャルロットって呼ぶようになりました。

 今回のケーキは、全て食べられる素材で五段重ねに、というご注文だったので、大きさの違う五つのシャルロット・オ・フリュイをご用意しました。ふんわり焼いたスポンジの間には、林檎のリキュールを使ったシロップを沁みこませて、さらにキャラメルクリームを塗ったところに果物を挟んであります。周りは、ケーキとのバランスを考えて、食感は軽いですがしっかり中身をささえてくれる焼き菓子(ビスキュイ)で囲んであるので、崩れる心配はありません。飾りつけは会場に着いてからするつもりで、砂糖菓子パトダマンドを上に乗せるだけの状態にしてあります」


「へぇ、聞くだけでうまそうだなぁ。その飾りつけって、すぐにできるの?」


「えぇ、大きい順に重ねて、あとは見目よく乗せるだけですから、そんなに時間はかからないと思います」


 コレットのウェディングケーキは、式のあとの食事会で振る舞われると聞いている。緑豊かな中庭で、式を上げたばかりの新郎新婦を囲んでの食事会は、さぞかし華やかなものになるだろう。


「僕たちもおこぼれにあずかれるといいね」


 ニコラスの言葉に、こくりとフェッロがうなずく。


「作るの、大変だった? コレット、顔色が悪い」


 見ていないようで見ているのは、画家の習性か。濃いめに化粧をしていたにも関わらず、フェッロに見透かされたコレットは、ぎくりと肩を震わせた。


「……寝不足ぎみなんです。

 初めてのご注文だったので、ちょっとはりきっちゃいました。」


「おれも筆が乗ると寝るの忘れる。それで、よくビアンカに怒られる」


「あは、ビアンカさんを怒らせるなんて、相当ですよ?」


「そう? ビアンカ、よく怒ってるよ。笑ってるほうがかわいいのにね」


「それ、ぜひ今度直接ビアンカさんに言ってあげてください」


 フェッロをうまくごまかしたコレットは、相変わらずの二人の様子に心が温かくなる。

 ビアンカがフェッロを好きなことは誰が見ても明らかで、フェッロもビアンカを憎からず想っていることがわかっている。知らぬは当人たちばかりなりという感じで、二人のことを周囲の人々はやきもきしつつも見守っている状態だ。

 今日、結婚式を挙げる新郎新婦も、この日を迎えるまでにはいろいろなことを乗り越えてきたに違いない。出会いから結婚まで順風満帆な男女など一握りで、誰しも苦労を重ねて幸せを手にしているはずなのだ。


 そうだ、とコレットは思う。

 ここ数日、自分のことばかりに囚われ、せっかくのウェディングケーキをどこか恨めしい気持ちで作っていた。

仕事だからと無理矢理焼いたケーキに、心は籠もっているだろうか。レシピ通りに作ったシロップは、味はいつもと同じでも、どこか欠けたものになっているのではないか。ニコラスからウェディングケーキの依頼を受けたとき、初めての依頼に心躍らせたというのに、今朝のコレットは体に染みついた動作で、ただただ決まった作業を繰り返しただけだった。


 ニコラスとフェッロは、箱の間からただよう甘い香りに、早く食べたいと楽しそうに話している。依頼主も、きっとコレットの腕に期待をして、大事な場面でのケーキを頼んでくれたのだ。それなのに、万全の態勢で作り上げることができなかったことを、コレットはひどく後悔した。


「コレット?」


 フェッロに呼びかけられ、コレットはハッと立ち止まって顔を上げる。気付けばすでにサン・クール寺院の裏門に着いており、そのまま歩くと、コレットは門柱に顔面をぶつけているところだった。


「大丈夫?」


 たくさんの荷物を抱えたニコラスが、心配そうにコレットを覗き込んでくる。


「だ、大丈夫です。

 すみません、ケーキの仕上げはちゃんとやりますから!」


 すでに式が始まる時間は迫っており、礼拝堂の入口のほうには、招待客らしき人々が見える。今からケーキを作り直すことはできないのだから、仕上げに心をこめるしかない。


「うん。でも心配だな。僕たちも手伝うから、飾りつけの仕方、詳しく教えてくれる?

 あ、はっきり言って僕は手先不器用で頼りにはならないんだけど、フェッロがいるから。大丈夫」


「……ニコ、働け」


「誰にでも得意不得意はあるだろう? ケーキを配るのは任せてよ。飾って切るのはフェッロの仕事ね」


「切るところまで、私やります。結構難しいんですよ、ケーキ切るのって」


 そのためには、結婚祝いの食事会までずっと見ていなければならない。朝はそれが辛く感じたが、今は素直に、式を挙げる新郎新婦の幸せを祈ろうと思えた。


「難しいんだって。フェッロ、そう言われると燃える性質たちじゃない?

 コレットにコツを聞いておこうよ」


「おれは食べるだけで十分」


「そう言わずにさ。ね、コレット、どうやればうまく切れるの?」


「えーっとですね……」


 サン・クール寺院の厨房に向かいながら、コレットはニコラスとフェッロに、今回のケーキの飾り方やケーキの上手な切り方を教える。


「一番のコツは、包丁ナイフをお湯で温めておくことです。あと、絶対に押さないで、包丁ナイフを手前に引いて一気に切ること。迷いは禁物です。

 そんなにご興味がおありなら、お手本をお見せしますからあとでやってみましょう」


 真剣な表情で話を聞く二人に、コレットはそう言った。

 ほどなくして厨房に着き、荷物を下ろす。ニコラスとフェッロという助手を得て、コレットが早速飾りつけを始めようとしたところで、ビアンカがやってきた。


「コレットさん、お久しぶりです。ちょっとこちらに来ていただいてもいいですか?」


「はい。ニコラスさん、フェッロさん、少し待っててください」


 何か打ち合わせがあるのだろう。そう思ったコレットは、ビアンカの後をついて厨房を出る。

 大きなケーキを切るには、長い包丁ナイフが必要だ。慣れないとなかなか難しいが、剣を扱う二人なら、案外うまくできるかもしれない。

 どっちが上手かしら。

 ニコラスとフェッロを思い浮かべ、それぞれが包丁ナイフを手にした姿を想像する。どちらも意外と似合っており、にわかにできた弟子二人に、コレットは楽しい気分になった。


「どうしました?」


 にこにこと微笑むコレットに、ビアンカが不思議そうに聞く。


「ううん、なんでもないです」


 ビアンカが、礼拝堂の隣にある小部屋の扉を開ける。コレットは、小部屋の中に足を踏み入れる一瞬前まで、大きさの違うケーキを均等に切り分けるにはどうしたらいいかと考えていた。




 しかし、結局――




 コレットが、自ら作ったウェディングケーキを切り分けることはなかったのである。






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