序章 幸運のブレスレッドは論破の後で
本日より別ジャンルの物語を投稿します。
題材で中心となるのは、行動経済学です。行動経済学とは人は常に合理的に行動することを前提とした経済学とは違い、時に非合理的な行動を取る人の心理を経済学に取り入れた学問です。
最近は、行動経済学のビジネス本が出たり、漫画でも題材に使われているので、知っている方もおられると思います。
学園青春ものに行動経済学を絡めた物語が見当たらないので書いてみました。
1.
生徒会長、籠宮沙知代は美女である。
身長は171cmと高くモデル並みのスタイル、成績は学年ベスト3から落ちたことがなく、実家はさる企業グループのお嬢様。よくある三拍子揃った美女である。
なのだが、性格がぶっ飛んでいて、やたら校内の諸問題に首を突っ込みたがる。そのせいで周囲の者たち、とりわけ生徒会書記の仰木明は、その最大の被害者と言われている。
が、この書記がいるからどうにか生徒会がその体面を保っていられる、とも言われている。
今日、このトラブルメーカーの生徒会長とそのストッパー書記が、連れ立って街中を歩いている。
そう、今日はデート、ではなく、生徒会の消耗品の買い出しである。
「ダ○ソーでルーズリーフとボールペンを購入したから、次はセ○アで画用紙を10セット購入よ」
「そんなのダ○ソーで全部買えばいいじゃないですか。なんで何店舗も渡り歩くんですか」
「何言ってるの。ダ○ソー、セ○ア、ワッ○と、それぞれお得だったり、おしゃれだったり、店によって特色が違うのよ」
籠宮はそう言って仰木の肩を叩く。
「痛えっ。……ったく、大企業のお嬢さまが100ショップ巡りっておかしくないですかね。そんなのお付きの人、セバスさんに買いに行かせればいいじゃないですか」
仰木は購入した消耗品の入ったビニール袋とカバンを両手に提げながらボヤく。
「分かってないわね。ああいうところであれこれ物色するのが楽しいんじゃない」
’’ついでに乙女心もね’’
と、つぶやいた気もするが、気のせいだろう。この傍若無人の口からそんな高尚な言葉が出てくるはずがない。
「分かりませんね。一箇所でまとめて買ったほうが効率的ですし、残った時間で遊べるじゃないですか」
「そ、それもそうよね。じゃあ、今からどこ行こうかしら」
籠宮が少しうろたえながら答える。
「何言ってるんですか。僕は帰ってゲーム、会長は習い事でしょ」
「……期待した私がバカでした」
ピローン!!
突然、チャットの着信音が鳴った。会長のスマホからである。
会長は少しイラッとしながら画面を確認する。送り主は会長の友人、小林 恵であった。
『さっちー助けて。変な人に捕まっちゃって、もう分かんない』
『今、どこなの?』
『ヨヨバシの占いの館』
『今から向かうわ』
『よろ』
この間のやりとり、およそ20秒。即断即決というべきか、今どきの女子のフリック入力凄いというべきか。
そのやり取りの間、仰木はこっそりその場から離れようとしていた。
そんな仰木をすかさず捕捉する籠宮。
「何逃げようとしてるのかな、書記くん?」
「いやぁ、会長さま忙しそうだから、気を使っただけですよぉ」
「ええ、忙しくなるだろうから、書記くん手伝って頂戴」
「だから嫌なんですよ。そのチャット、絶対めんどくさい内容じゃないですか」
籠宮の拘束から、どうやったのか腕を抜いてまた逃げようとする仰木。それを再び捕捉する籠宮。このふたりは何か格闘技でもやっているのだろうか。
「何? わたしが万が一トラブルに巻き込まれたら助けがいるじゃない。こういう場合は男性がやるべきことでしょう?」
「一見正しそうに聞こえますけど、トラブルに自分から突っ込んでいく人に付いていく人はいませんし、暴漢くらい会長なら自力でやっつけられるでしょう」
「か弱いわたしが? 冗談やめてよ。わたしは籠宮グループのお嬢様なのよ、万が一があってはいけないの。その場合、うちが支援しているあなたのお父さまも困ることになるのよ? わかるでしょ。行くわよ」
「ぐっ……いつか大変な目にあいますよ」
「その時はあなたが何とかしてくれるんでしょう?」
「そういう意味で言ったんじゃないんですがね」
そんな会話を続けながら、ふたりはヨヨバシへ向かって走っていった。
2.
ヨヨバシ・占いの館。
「ですから、何度も言いますけど、そんなの要りませんって」
「そんな事言わないでくださいよぉ。このブレスレッドを付けていれば、気になる人と仲良くなれるんですよ。いるんでしょ? 気になる人」
「いません、そんな人!!」
「ムキになってるところが怪しいですねぇ。いるってことじゃないですかぁ。誰にも言いませんから正直に答えてくださいよ〜。というか、このブレスレッド付けてくださいってぇ」
「だからぁ!!」
先程からずっとこの調子のふたり。
ひとりは女子高生。もうひとりは、フードを目深に被った怪しげな女性。フードの縁には、見慣れない組紐模様の刺繍が走っている。どこの民族衣装だろうか、少なくとも日本のものではない。
どうやらこの占い師が、女子高生にブレスレッドを押し付けようとしているらしい。当然、女子高生はそんな怪しげな品を拒否するわけで、これがかれこれ10分以上続いているのだった。
「しつこいなぁ、お姉さん。私はいらないって言ってるのに。あっ、ほら、そこの女性なんか男ほしそうな顔してるから、あの人におすすめしたらいいじゃないですか」
恵は、ちょうど入口に現れた着飾った女性を指差す。
占い師はその着飾った女性を見て、少しげんなりした顔となる。
「いえいえ、あのような欲にまみれた女性では、面白くあ……」
占い師はそこで言葉を切り、小さく咳払いした。
「とにかく。あなたはこのブレスレッドを付けないと、恋愛すらかなわないんですよ」
「それめっちゃ失礼でしょ、私これでもモテる方なんですから!!」
「へえ、では具体的に聞いちゃっていいですかぁ?」
「そ、そんなこと、いちいちあなたに言う必要はありません」
「その感じだと、気になる方がいるから断ってる感じですねぇ。その気になる人と仲良くなるには、このブレスレッドを……」
「そこまでよ!!」
ふたりの動きが、声に制された。
3.
入口に立つ籠宮と、その後ろで荷物を抱えた仰木。恵は席を立って籠宮のもとへ駆け寄り、その背後に隠れる。
「沙知代、助けてよ。この人、妙なものを売りつけようとしてくるの」
「この子が嫌がっているじゃない。何をやろうとしてるのか知らないけど、やめなさいよね」
言われた占い師は、たじろぐ様子もなく堂々としている。
「いえいえ、私は彼女に幸せになって欲しいだけですよ。そのためにこのブレスレッドを付けてもらおうとしているだけです」
「そんな得体の知れないブレスレッドを付ける人なんていないわよ」
「心外ですねぇ。これは幸せを呼ぶブレスレッドなんですよ。これを付ければ幸運が舞い込み、良縁がやってくるんです。だから、めぐみん、付けましょうよ」
「あなたにめぐみんだなんて呼ばれたくないです」
「そもそも」
籠宮が腕を組む。
「幸せになるためにブレスレッドを付けなきゃいけない、っていう理屈がおかしいじゃない」
「そうでしょうか?」
「だって、それだと『付けなければ不幸になる』と言ってるようなものでしょう?」
「いえいえ、私はそんなことは言っていませんよぉ」
「言外に言ってるようなものじゃない」
「そこは意見の相違というやつですねぇ」
暖簾に腕押し。籠宮のこめかみに、ぴきりと筋が浮かぶ。彼女の右手がゆっくりと拳を形作り・・・
「はいストップ、会長ストップ。ここで実力行使したら負けるのはこっちですからね」
仰木は荷物を床に置き、籠宮の拳を押し戻しながら、ため息まじりに前へ出た。
「……あの、占い師さん。ちょっと確認させてください。あなたは『これを付ければ幸運が舞い込む』と言いました。でも会長が『付けなければ不幸になると言ってるのと同じだ』と指摘したら、『そんなことは言っていない』と否定しましたよね」
「ええ、言っていませんとも」
「じゃあ整理しましょう。『付ければ幸運になる』が本当で、かつ『付けなくても別に不幸にならない』も本当なら、そのブレスレッド、付けても付けなくても大差ない、ってことになりませんか」
「……ん?」
「幸運になる、というのが『付けない場合と比べて』という意味じゃないなら、効果の主張として空っぽです。逆に『付けない場合と比べて幸運になる』という意味なら、それは裏返せば『付けない人は相対的に不幸』ということで、会長の指摘どおりになる。どっちなんです?」
「え、ええと。それはですね……」
「ちなみに、これは詐欺的な売り文句の定番手口でしてね。人間は『得をする』話より『損をする』話に強く反応するんですよ。行動経済学で’’ 損失回避 ’’と言います。『付ければ幸運』という表向きの言葉で、『付けなきゃ損だ』という裏のメッセージを相手の頭の中に勝手に組み立てさせる。自分では一言も『不幸になる』と言ってないから、責任も追及されない。よくできてます」
「べ、別に私はそんなつもりでは」
「それと、仮にこの子がブレスレッドを付けて、そのあと良いことがあったとしましょう。それ、ブレスレッドのおかげだとどうやって証明するんです? 付けなくても起きたかもしれませんよね。効果を主張するなら、付けた場合と付けない場合を比べないと何も言えない。あなたの商売、比較対象が一度も出てこないんですよ。つまり……原理的に、外れない占いと同じ構造です」
占い師は口を開き、閉じ、また開いた。
出てくる言葉はなかった。
沈黙が数秒。やがて占い師は、フードの奥で、にんまりと笑った。
「……ふぅん。ええ、ええ、分かりました。降参です。めぐみんには差し上げません」
「や、やっと分かってくれ…」
「考えてみれば」
占い師はするりと恵の横を抜け、籠宮の前に立った。近くで見ると、フードの刺繍がやけに精緻だ。
「あなたの方が良い」
「は?」
籠宮が聞き返した時には、もう終わっていた。
占い師の手が籠宮の左手首を取り、流れるような手つきでブレスレッドを通し、留め具を鳴らす。一連の動作、およそ二秒。売りつけるのに10分粘っていた人間の手際ではなかった。
「それはお代は結構。差し上げます。ではでは、皆さまに良い巡り合わせがありますように」
言い終わるが早いか、占い師は布のれんの奥へ滑り込み、仰木が回り込んだ時には、狭い店内のどこにもその姿はなかった。
「……何なのよ、いったい」
籠宮は手首のブレスレッドを見下ろす。細い銀色の環に、暗い青の石がひとつ。安物には見えない。むしろ、妙に手に馴染む。
「会長、それ、外せます?」
「外せるわよ、ほら。……別に普通のブレスレッドじゃない」
留め具はあっさり開いた。籠宮はしげしげと眺めてから、また手首に戻した。
「戻すんですか??」
「証拠品として保管よ、しょ・う・こ・ひ・ん。あの占い師、また誰かに変なことをするかもしれないでしょう。その時これが手がかりになるじゃない」
「それ、家の金庫にでもしまっておくのが正解では」
「身に付けておいた方が忘れないの」
「たしかに捨てるのはもったいないよねー、それ、けっこう可愛いし」と恵。
「恵はさっきまで押し付けられて悲鳴あげてた側でしょうに……」
仰木は釈然としないまま、床に置いた荷物を拾い上げた。まあいい。どうせただの安っぽい開運グッズだ。論理の通らない売り文句で押し付けられかけた、ただの。
その認識を、彼はこの後、長い時間をかけて修正していくことになる。
4.
ヨヨバシの屋上、給水塔の影。
フードの女は、眼下の雑踏を眺める。
「はっちゃけキャラを演じるってけっこう疲れるものねぇ」
女はフードを外して雑踏の中にいる先ほどの三名を見つけ、にやりと笑みを浮かべる。
「しかし、『比較対象が一度も出てこない』、ですか」
女の笑みがさらに三日月のようにつり上がると、化粧でごまかしている頬の縫合痕がうっすら現れるが、特に気にした様子もない。
「いいこと言うじゃない。…なら、比較してあげましょう。ええ、ええ、とびきり面白いやつを、ね」
風が吹いて、外したフードの刺繍模様が揺れた。
次に瞬きをした時、給水塔の影には、もう誰もいなかった。
学園の問題を行動経済学で解決してみた以外に『黄昏薬局』という小説も投稿していますので、
ご一読くださるようお願いします。個人的には黄昏薬局を読んでから学園の問題を行動経済学で解決してみたを読んでくださると、少し面白みが増すと思います。
https://ncode.syosetu.com/n7773mp/




