58。「舞台裏」の「舞台裏」
あ、ツェドリカちゃん、一人称が僕になりました。シナリオの都合上です。
【人格・凍結】が効かない。
その事実に、私の体は一瞬だけ硬直しました。
唯一よかった点は、目くらましにはなったこと。
おかげで、もう一度隠れるチャンスが得られました。
(それにしても……どうして効かなかったのでしょうか)
人格を凍結させることができない。ならば考えられることは二つ。
一、複数の人格がある。
二、人格がない。
一は、メルティちゃんに近いパターンです。
だいぶ前のお話ですが、メルティちゃんが【ナナ】ちゃんに取り憑かれた事がありました。
確かそのときは、魔法【人格・凍結】で【ナナ】ちゃんに退場していただいて、メルティちゃんを起こした覚えがあります。
だから願わくば彼が、多重人格みたいなタイプであってほしいです。
対処法だけは明確ですから。
しかし、もしも「人格がない」タイプとしたら―――?
あるいは誰かに操られていたら―――?
打つ手がありません。
ここでは大技は使えないからです。
(……一度トルジャン君を治癒してもらったほうがいいのでしょうか)
(ですが魔法には反応するようなので、迂闊に使うのは控えたほうがいいですよね)
カジュちゃんを撫でて落ち着かせながら、トルジャン君をどうやって救出させるか思い巡らせる私。
するとその時、私の視界に一人の女の子が映り込みました。
ゆらりと姿を現し、そして大男の横まで軽やかに足を運びました。
―――私たちと見間違えたのか、それとも他に理由があるのか。
彼はその少女を見つけると重低音の唸り声をあげた。
背中に腕を回し、肉厚な斧を一本取り出す―――。
「……!?」
しかしその禍々しい斧を振り回す間もなく、彼は地面に転がりました。
質量にものを言わせたその肉体が腐葉土に叩きつけられると、塵埃が辺りに舞い上がりました。
「何、勝手なことをしている」
―――聞き慣れた声。
視野が晴れ、浮び上がるその姿。
生徒総括―――ツェドリカ・ゾナンブルーマ。
前々から不穏な噂は聞いていましたが、まさかここで出会うとは思いませんでした。
単純に、私たちを助けたと思えば楽だったのかもしれません。
けれど、そうではない気がしてならないのです。
「ツェドリカ様」
カジュちゃんが飛び出そうとします。
すかさず私は彼女の口を押さえて、引き止めました。
なにも知らない人から見れば、確かにツェドリカさんがヒーローのように映るのかもしれません。致し方ないことです。
不可解そうに私の顔を覗き込むカジュちゃん。
ごめんなさい。
今は説明している場合ではありません。
「……この子は何?」
「……」
ツェドリカさんが、大男を踏みつけたまま問い詰めています。
顎で指し示す先は、アザだらけで転がっているトルジャン君。
男は大粒の涙を零しながら、無言を貫いていました。
涙だけを見て、心を緩ませる人もいるでしょう。
しかし私とカジュは見てしまったのです。
知ってしまったのです。
―――彼の涙は、暴力の前兆だと。
ロウソクの影は大きく伸び、まるで生き物のようにうねっています。
分岐し、融合し、断つことのできない縄のようになって、男の四肢そして首を絞めあげています。
ぎちり。
ぎちり。
人体からは聞こえたくなかった音が、つぎつぎと耳に伝わってきます。
せっかく心を強く持ったカジュちゃんでさえ、両耳を強く抑えていました。
私だって同じようにしたいですが、二人共外の状況を知らないのは危険すぎます。
ようやく、男は口を開きます。
「ぁあぁ……【影】よ。ついには我をも忘れたか」
「……僕を呼ぶな」
(影……ツェドリカさんのことですよね)
(やっぱりこの影ってツェドリカさんの魔法でしょうか)
「……ぁあぁ……かわいそうな、かわいそうな……。かわいそうな、あの男児は……」
「黙っとけ。オレが聞きたいのはそういうものではない」
縄のような影を片手に握り、ツェドリカさんは男の顔面に踵をつきつけた。
「かわいそう? 馬鹿みてぇだな。相手の価値ばかり決めたがる奴ほど、可哀想なやつはいねぇよ」
ツェドリカさんは言葉を続けました。
「オレが聞いてんのは、なぜ勝手に行動してんのか、だ。はっきり答えろ。臭い口はこっち向けるな。答えろ」
「ぁあぁ……そちらが縛っているというのに、無理難題を」
「……いいから答えろ」
男はためらうことなく、答えた。
「……ぁあぁ……神よ。わたしが求める母体は貴方様です。なのに……それなのに、どうしてあんな人形ごときに運命を決められねばならないのですか」
怨恨。
悔恨。
横から、カジュちゃんが小声で尋ねてきます。
理解できるの、と。
私は頭を横に振りました。
宗教のお勉強はしましたが、残念ながら暗記事項が多すぎて苦手なのです。これは難解すぎます。
ただ、わかったことは一つ。
ツェドリカさんは、たぶん何か危ないことをしています。
確定はできませんが、たぶん宗教がらみのお話です。
ややこしくなってきました。
「よく聞いとけ。お前らの宗教の事情なんて知ったこっちゃねぇ。お前らが作っている『幼児』らも、王女らとの関係も、オレは手出ししないと決めている。……親と、同じ道を選びたくないからだ」
「僕がお前らを招いたのは、都合がいいからだ。お前らを自由にさせたのは、そのほうが注目がお前らに向いて、僕の用意が進めやすくなるからだ」
「お前らは、僕の駒でしかない」
都合。
もし間違いなければ、たぶんメルティちゃんを狙っていることを指しているのでしょう。
ということは、メルティちゃんを襲いやすくするように、もっと大きな問題をもってきたということでしょうか。
自分の行動が、影に埋もれるように。
聞けば聞くほど、頭が真っ白になっていきます。
知れば知るほど、わからなくなっていきます。
これはもはや、私が立ち入っていい世界では無いような気がしました。
―――はぁ。
大きなため息。
大男のものです。
「ぁあぁ……かわいそうに……」
「何がだ」
「【影】よ……。貴女のことだ」
「……っ。なぜ僕をかわいそうだと言い切れる。僕の幸不幸は、お前が言って決まるもんじゃねぇよ」
「……ぁあぁ……【影】よ。……かわいそうに。光無しに、影があると思うのか。親無しに、名があると思うのか」
「……」
よほど響いたのか、ツェドリカさんは苦虫を噛み潰したような顔をしました。
「……何が言いたい」
「……【影】よ。貴女がもし、狂った大人三人を『好きに操れている』とおもうならば……ぁあぁ、かわいそうなことよ。そんなはずがなかろう。……【影】よ。貴女は、良いように仄めかされ、利用されているだけ」
男は徐ろに立ち上がりました。
ツェドリカさんに、縛り付けられていたはずなのに。
男は赤子で作った酒樽を肩に抱え、そして冷笑するようにして言い残しました。
「利用されているのは、貴女のほうだ―――【影】よ」
男は霧に紛れて、やがて姿を消しました。
しばらくは佇んでいたツェドリカさんも、煤のような影に溶けてしまいました。
夏らしからぬ冷気が吹き抜ける森に、取り残される私たち。
「……」
「カジュちゃん?」
「……あ、え。……うん。トルを回収してくる、ね」
「ある程度回復させたら、うちのテントに連れて行きましょう。……今日のために、薬草を用意してありますから」
「キツネちゃん……ありがとう」
―――ばさばさ。
ばさばさ。
不吉な羽音。
掠れた鳴き声。
樹海が切り取る夜空を、無数の烏が横切りました。
「―――メルティ、ちゃん……?」
返事は、当然ありません。
ただ、行き急ぐ烏に伸ばしきれない手は虚しく。
私は、目を瞑るのでした。
そろそろ衝突ですね。
次回は10/6木曜日です。お楽しみに。