08:申し子の隠れた一面
鍵を置き終わった後、届は授業で座る席に着いた。また、隣は偶然にも白花の席となっている。
当初こそ周囲から羨ましいという視線が飛んできて、居心地が悪い、の一言だった。
月日も経てば、申し子を気にする様子を見せなかったおかげか、今では静まり返っている。
届は白花が隣に座るのを確認してから、思ったことを口にした。
「そういやさ、お前はお昼を一人で食べていて寂しくないのか?」
「……一人で食べるのは、慣れていますから」
思っていたよりも彼女は冷静な顔で、冷えてもなく温かくもない声で、言葉を口にしていた。
一人暮らしとなれば慣れているのは当然だろうが、届が聞きたいのはそこではない。しかし、こちらの捉え方が違っている可能性もあるので、深くは聞けないだろう。
白花とは約一週間しか話していないため、聞くかどうかに躊躇いがある。
ふと気づけば、白花は姿勢を綺麗に正したままこちらをじっと見てきていた。
「えっと、周囲の人達と食べようと思わないのか?」
「ああ……そういうことですか。私は申し子と言われていますが、その言葉は彼らからすれば都合の良い修飾語にしか過ぎませんよ。表面上の付き合いだけで、誘うそぶりは見せませんから」
「なんか、すまない」
「あ、いえ、望月さんが私の事を心配してくださっているのは伝わってきましたので……そのお気持ちだけで十分嬉しいです」
白花は小さくも、柔らかな笑みを見せてくる。
目を逸らしたくなっても、逸らすことが出来なかった。
届自身、彼女は愚か、申し子の事を本当の意味で知らなかったのだから。
白花が一人で食べていて寂しいのではないか、と心配したのは紛れもない事実だ。それは、自分と同じ感じがしたからというエゴに過ぎない。
申し子と表面上の付き合いは周囲だけではない……届もそのうちの一人だ。
白花から貰った手紙を、もう一度読み直す必要があるだろう。それは、相手の気持ちを知る大事な一面でもある。
行動に移そうと思えるのは、書き綴られた文字に嘘はない、と確信を持てるからだろう。
届は小さく息を吐きだし、ゆっくりと今を見た。
「そういや、栄養について教えてくれて本当に感謝してる。おかげで紡希に驚かれたよ」
「教えたことがお役に立っているのなら何よりです。でも……」
白花は目をつむり、静かに呼吸をしたかと思えば、ゆっくりと目を開く。
その時のブラウン色の瞳は、今までの中で一番きれいに見えた。
「それを実行に移せる望月さんの行動力は、何よりも偉いです」
「俺、子どもだと思われてる?」
「安心してください、思っていませんから」
白花は真面目な表情で見てくるが、本当かよ、と届は呆れるしかなかった。
(褒められるのは……悪い気がしないな)
多分、白花以外の言葉であれば、届の気持ちには届かなかっただろう。
ふと過去に囚われている自分は駄目だな、と思う一方で、白花という希望を振りまく存在を不思議に思えてしまう。
どうしてここまで優しく接してくれるのか、届が忌み子で暗い奴だとして嫌わないのだとか、様々な考えが頭の中を行き交っている。
一つだけわかっているのは、偶然が重なって白花と今も話している。本当に、それだけだ。
届が自分勝手な性格であるのが原因か、白花が優しい性格の持ち主だから話せたのか、というのは分からなくてもいいだろう。
届が笑みをこぼしてパソコンに手をつけた瞬間、彼女は思わぬことを口にし出した。
「そういえば、好きな人……居るのですか?」
「……は? いや、いきなり何を聞いてきてんだよ」
白花が表情一つ崩さず、淡々と不思議そうに聞いてきた為、届は困惑しか生まれなかった。
好きな人どころか、人とまともに話していない届に好きな人が居るはずないだろう。
「ああ、御二方の話が聞こえてきたので、もしかしたらと思いまして」
「居るわけないだろ。居ても限りなく零だし、普通に答えるはずないだろ」
「……可哀そうなお方」
小さく呟かれた蔑まれた言葉に、慈悲という言葉は存在しないだろう。
あるのは申し子の哀れみな視線と、心を貫く言葉だけだ。
「じゃあ、お前は好きな人居るのかよ?」
「居ませんよ。付き合う気もなければ、作る気もありませんから」
「それでよく可哀そうって言えたなおい」
「……余計に絡まれるのが疲れただけですから。告白されてもお断りしていますよ。不純行動に至るのであれば、容赦はしません」
「ふーん……お前もお前で大変そうだな」
白花が「そうでしょ」とため息交じりで言っているのを見るに、よっぽど大変だと窺える。
そう思っていれば、白花はパソコンに目をやっていた。
ふと気づけば、時計の針はお昼休憩の終わりを示そうとしており、廊下から足音が聞こえてくる。
普段一人だったこの時間で、思わぬ収穫を得られただろう。申し子という存在を知るという、存在証明を。
先に電算室にやってきた紡希に、申し子と何かあったのか、と不思議そうに聞かれたのは言うまでもないだろう。
放課後の帰り道、届は当たり前のように白花を家まで送っていた。
肌を撫でる冷たい風は、十一月が後少しで終わるのを告げるかのようだ。
落ち葉が地面を叩いた時、隣から手紙を差し出された。
不意打ちをしてきた白花に目をやれば、普段と変わらない表情の中に、微かな笑みを浮かべているように見えた。
届はそう思いながらも、手紙を受け取る。
「手紙にも書いておきましたが、料理の件……十二月に考えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ああ……」
「あの、ですね、料理を教えるにしても……もう少しだけ望月さんを知っておきたいというか何というか」
「そこまで言わなくても理解できる。先に言っとくけど、俺はお前に手を出す気はないからな」
「相変わらず不愛想というか、真面目な人ですね」
「真面目なわけねえだろ。こんなんが」
料理を教えてもらうにしても、家に上がる必要がある分、警戒するのも当然だろう。ましてや、女の子の家に入る気が無い届からすれば、届の家で教えてもらうのが確実と言える。
電算室で聞いた発言が本当であれば、襲うという考えに至るはずがない。
届に彼女を襲おうとする意思がなくとも、異性であり、知り合ったばかりの間もない関係だ。
学校での立場を考えても、彼女が周囲を味方に付ければ、届の言う事を信じる者は居ないだろう。
「でも、まあ……ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう……ございます」
届は白花に感謝されるような事をした覚えはないが、黙って受け入れておいた。
その時、白花がなびく髪を手で押さえる仕草をしており、神々しくも美しく届の目に映る。
もちりとした潤いのある白い肌に、髪に妨げられても見える明るいブラウン色の瞳。そして、キューティクルが引き締まった艶のある黒い髪が、彼女の真面目と優しさを表現しているかのようだ。
(周りが可愛いって言うの……わかった気がする)
今日の風は冷たい筈なのに、どこか温かかった。