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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
28/90

空は続くとも郷は遠く -7-

 2019年9月23日。

 それは普通の電話機ということだったが、信行にはとてもそうは思えなかった。

 もしそれが本当に普通の電話機であるならば、そこに至るまでに三つの厳重な扉を越え、会話内容をすべて録音するという書類にサインをしなくてはいけないはずなどない。

 2019年現在、通信は国民の権利である。

 それを意図的に妨害するならば過当とも思えるほどの罰則が科せられるし、たとえ意図的でなかったにせよほぼ同等の罰則が待ち受けている。

 昔は気軽に電気街などで通信ジャマーが手に入ったらしいが今ではとても考えられない。

 国民1人当たり2台以上の通信機器を所有する時代だ。

 だがそれも外の世界のこと。

 信行は昨日すでにそれを知らされた。

 煉瓦台においては通信は無線有線に関わらず最大限制限されている。

 信行が調べていたECMはそのためのものだ。

 煉瓦台内部で通信網を利用できるのはわずかに自衛隊と警察関係者だけである。

 しかしそれらの通信にも制限はある。

 通信は煉瓦台内部に限られる。

 煉瓦台外部への連絡手段は基本的に存在しない。

 だからここにある電話機、笑えるほど普通の、一見どこの一般家庭にもありそうな電話機は、煉瓦台の中では稀有な存在であると言える。

 それはつまりどういうことかというと、この電話が信行の昨日までいた世界との最後の接点だということだ。

 煉瓦台で生きていくためのブリーフィングも終わり、こうして“壁”に滞在できる時間も残り少ない。

 今日の昼に出発する物資輸送車に乗って信行ら新規感染者は煉瓦台に向かわなければならない。

 それまでに一度きり、一度きりこの電話を使うことを新規感染者らは許された。

 時間にしてわずか10分。

 しかも会話内容はすべて録音、および共有され、もし何らかの都合の悪いことを口にすればすぐさま電話は切られ、通話の相手に危害が及ぶ可能性さえあると聞かされた。

 まるで遺言だ。

 と信行は考えたが、それは大きく間違ってなどいない。

 ありとあらゆる感染物資を外部に運び出すことができないため、遺書は書けない。

 その代わりこうして自分の最後の言葉を外部に伝える。

 これはそういうものだ。

 信行は受話器を取って耳元にあてる。

 ぷーと聞きなれた電子音。

 入力待ち信号が聞こえる。

 そうして信行は押しなれた番号をダイヤルした。

 ぷるるる、と、コール。2度、3度、4度……。

 この時間も通話時間に換算される。もし相手が出なければそれでおしまいだ。

 7度、8度……。

 ぷっと、電子音の切れる音。そして通話が繋がる。


「……もしもし、宗谷です」


 その声は憔悴しきり、この世の絶望を唄っていた。


「白瀬です――」


 そう言ったっきり言葉が出なくなった。

 電話に誰が出てもいいようにいろいろ考えた言葉はどこかに消えてなくなってしまった。


「白瀬、信行です、ご無沙汰して――」


「あなたっ! あなたねっ!」


 ようやく押し出した言葉を絶叫がかき消してしまう。


「美咲を返して! 私たちの美咲を返してっ!」


 信行は軽いパニックに陥る。

 自衛隊や警察が家族に知らせるのは移送が終わってからだと説明を受けた。

 だからもし電話をしなかったら、そのどちらかが家に連絡をすることになる、と。

 それを聞いていたから信行は自分の家ではなく、美咲の実家に連絡することにしたのだ。

 どうせ家族は自分が赤目症に取り付かれていることをよく知っている。

 狂喜乱舞でもしていると思われるだろう。

 だからこうして電話口でいきなりこんなことを言われるとは思いもしてなかったのだ。


「美咲さんから、聞いたんですね」


 思い当たるのはそれしかなかった。

 美咲が先に家族に電話をして事実をありのままに述べたのだ。

 美咲ならやりそうなことだ。


「そうよ、あの子、書き置きだけ残して家出だなんて! あなたのところに行ったのね! あなたのところに行ったんでしょ!」


「え、ちょ、ちょっと待ってください。美咲さんから電話はなかったんですか?」


「あの子は電話なんてくれないわよ。美咲を出して! そうじゃないと警察に通報するわよ!」


 信行は混乱しながら美咲の母の言い分を考える。

 美咲は書き置きをして家出をしたらしい。

 行き先は書いてなかった。

 書けばすぐに連れ戻されると思ったのだろう。

 それでまだ宗谷家では警察に通報することはしていない。

 良家ゆえに事を大きくしたくなかったのだろう。

 そして美咲は実家に電話していない。

 つまり、だ。


「申し訳ありません……」


 美咲の母はまだ何も知らないのだ。

 ウィルスの流出があったことはニュースなどで知っているだろうが、それを娘の家出とはつなげて考えていない。

 考えられるわけがない。


「美咲さんを帰すことはできません。彼女は元気にしています。けれど、駄目なんです」


「何を言ってるの?」


「お母さん、すみません……」


「あなたなんかにお母さんと呼ばれる覚えはありませんっ! 美咲を今すぐ返しなさい! そうよ、すぐに通報するわ! あなたは逮捕されるのよ。美咲に指一本でも触れてみなさい。その指を切り取って犬の餌にしてやる!」


「美咲さんのことは私に任せてください。できる限りのことをすると約束します。私の命にかけてでも美咲さんを守ります」


 もはや会話は成立していなかった。

 信行も、美咲の母も、言いたいことを言っているだけで相手の話など聞いてはいない。

 しかしそれでも信行は言わなければならなかった。

 10分という時間は事情を説明している間に過ぎ去ってしまうだろう。

 どうせ納得してもらえるだけの時間がないならば、自分の意思を表明することしかできない。

 通話は美咲の母の罵詈雑言の最中で切れた。

 おそらくすぐに警察に通報していることだろう。

 そして娘がすでに手の届かないところに行ってしまったことを知るのだろう。

 宗谷家が如何に顔が広いと言えど、感染者を呼び戻せるだけの力はありはすまい。

 そんなことは国家元首でも不可能だ。

 受話器を置いて、やるせない気持ちのまま信行はその部屋を後にした。

 扉の外で数人のオペレーターと目が合った。

 皆、何か言いたそうな顔をして、何も言わなかった。

 ここでは会話の内容も、通話相手も、通話室も全部丸見えだ。

 今の会話もすべて聞かれていた。

 信行は軽く首を振って、まだ慣れない“壁”内部、煉瓦台側を自分に割り当てられた小さな個室に向かって歩いた。


 “壁”内部の煉瓦台側は作りとしては外部側とさして違いはない。

 違いがあるとすれば区画を分ける仕切りが外側に比べて緩やかだ。

 二重構造こそ残っているものの、それを利用している様子はなく、信行のような新参者でも比較的自由に歩きまわれる。

 それは逆に言うと、どうやっても外側には出られないということでもある。

 そこがしっかりしているから、中では自由が許されているのだ。

 個室の扉を開けると美咲がベッドの上で膝を抱えて座っていた。

 昨日のブリーフィング後から美咲は割り当てられた自室に帰ろうとはせずこの部屋に居座っている。

 こうして電話をしに出たのも、美咲がトイレに行った隙をついて部屋を抜け出したのだ。


「……電話、したん?」


「ああ、うん」


「……母さん、どうしてた?」


 美咲は誰に電話したかすら聞かなかった。

 信行がどうするかなどはじめから分かりきっていたのだろう。


「取り乱してたよ。俺は誘拐犯か何かだと思われてんな」


 信行は美咲の隣に腰を下ろし、その髪を撫でる。

 美咲は目を細めてその手を受け入れる。


「やろね……。けどそんなんどうでもいいわ」


「時々、美咲の見てる世界を見たくなるな。君には何が見えてるんや」


「鏡を見たらいいと思う」


 美咲は真顔で言って、体を信行に預ける。


「美咲は電話しないんか?」


 信行が訊くと、美咲は頭を信行の胸にこすり付けるように振った。


「防疫責任者に電話してありがとうって言おうかと思ったけど、止めた」


「そりゃいい考えや」


 美咲の場合は本気だろうから恐ろしい。


「未練とかないんか?」


「なんで?」


「家族、友達、学校――」


「そんなん全部どうでもいい……」


 美咲がそういうのだから、本当に美咲にとってはそれらはどうでもいいものなのだ。

 間違っている、と理性は言うが信行はそれを諌めることができない。

 何故なら彼にとってもそれは同じだからだ。


「そんなことよりも一緒に住めることになったんよ」


「本当に?」


「うん。さっき連絡があってん。家族扱いにするって」


 本当ならば煉瓦台行政府はずいぶんと柔軟な組織らしい。

 いや、その緩やかさは煉瓦台の中に入ったときから感じていた。

 自衛隊管轄のもっとお堅い世界観を抱いていた信行は自分の考えを修正する。


「後は輸送車の準備待ちか」


「ね、信行、きっとここは天国やわ。母さんも父さんも追ってこれない。信行がいる。私たちが一緒にいることを認めてくれる。まるで夢のよう」


「そうやな。きっと何もかもうまくいく。きっと……」




 物資輸送車は、正確には物資輸送車列とも言うべき車両数で、信行にはその台数がぱっと見では想像できなかった。

 一台一台が大型のトレーラーで、“壁”の物資配給エリアで積み込み作業を行っている。


「外部の人にはお見せできませんな。これら全部税金なんでね」


 案内役の男が肩をあげて大仰に笑う。

 どうやら彼なりのジョークだったのだろう。

 だが誰一人笑わなかった。

 9月23日正午――。

 “壁”物資配給エリアに集められた新規感染者は31名に増えていた。

 まだ八坂の選別作業は終わってはおらず、この後も増えることが予想される。

 いわばここにいるのは第一陣だ。


「これでも今日は少ないほうでね。なんせ外側があの状況なんで“壁”の備蓄を運び出してるわけ。そういうわけでアンタらの乗るスペースはごまんとあるからご安心だ」


「バスとかそういうものはなかったのか?」


 誰かがそう聞いた。

 もっともな質問だ。

 これでは物資扱いもいいところだ。


「バス? バスってなんだっけな。あ、バス? バスバスバス、ああ、バス、バスね、思い出した。あのでっかいやつか。……悪いな。今のとこ、煉瓦台にまともに動く車ってのは数が少ないんだ。物資輸送が最優先でね、人間用の車は動くやつはほとんどない。贅沢言うなよ。俺らだってあれに乗って行き来してんだ。乗り心地は悪いが、景色も最悪だ。なんせ外なんて見えないからな。まあなんだ、そのうち車に乗れたこと自体が懐かしくなるようになるさ。そら、乗った乗った」


 外部の常識はもはや通用しないと再度認識させられる。

 通信に続いて、交通が奪われた。

 次は何が奪われるのか分かったものではない。

 そうして信行ら31名の新規感染者は物資と同じ出口からトレーラーのコンテナに乗り込んだ。

 大半のものにとって、車に乗るという経験はこれが最後になった。

今日はここまで!

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