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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders

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27/90

空は続くとも郷は遠く -6-

 2019年9月22日。

 信行は時間の感覚をすでに失っていた。

 食事の回数は思い出せず、何度眠りについたかも思い出せない。

 どちらも片手で事足りるというのに。

 金属の壁に背を預け、こみ上げる嘔吐感を抑える。

 信行はすでに二度ほど嘔吐して、もう吐き出すものは何も残っていなかった。

 しかしそれでも信行は食事が出されれば食べた。

 そうまで必死になる理由は信行にもよく分からない。

 ただ自分はまだ生きなければ、と、それだけは信じられた。


 ドアが開いた。

 信行は気だるげにそちらを仰ぐ。

 ただ彼が考えたのは食事なら食べなくてはいけないということだけだった。

 ――だったから、防護服を着た数名が室内に入ってきたときも信行はその意味と理由を考えることなどまったくできなかった。

 ただその何人かも分からぬ何人かは、猛獣でも扱うかのように信行を捕らえ、腕に注射針を突きたて、ストレッチャーに乗せた。

 その手際は非常に滑らかであり、何度もこのようなことをしてきたか、または十分に訓練を受けていたのであろうことを容易に推察させた。

 正確には3名の彼らは、信行の意識が速やかに失われたことを確認したうえで、彼の体をストレッチャーに縛り付け、それから“死体安置所”から運び出した。


“壁”は元々このような事態の発生を想定した上で作られた建築物である。

 というのも18年前の最初の外部感染の際に数千人の感染者を出し、幾重もの偶然に助けられ更なる感染の拡大を避けられたという経緯を経た上で設計されているからである。

 外部感染を防ぐことはもとより、発生したときにも対応できるようになっている。

 よって通常の施設の“死体安置所”が数人しか収容できないのに対し“壁”は五百名もの最大収容者数を誇る。

 しかしそれでも今回は7万人弱の感染被疑者がいる。

 無論、いくら“壁”が膨大な収容者数を誇るとはいえ、足りるものでは無い。

 そこで“壁”は効率よく感染被疑者を調べるために、収容時間と解放時間を区切り、まず五百人押し込み、白だったものを全員解放。

 黒、またはグレーだったものは次回に持ち越し、余った部屋にまた入るだけ詰め込むという手法を使った。

 信行の知っている通り、感染しているかどうかを調べるのにそれほど時間はかからない。

 ウイルス自体も“壁”には無数のストックがあった。

 そのため、早い者は一時間としないうちに“死体安置所”から救い出されることになった。

 生還者は“壁”のヘリポートから空路で八坂の封鎖外へとピストン輸送された。

 21日に“壁”が検査した感染被疑者数は、後の記録によれば8841名である。

 これは血液検査をしたものの数で、“死体安置所”及びその外周基地に運び込まれた全ての感染被疑者の数というわけではない。

 だがそれでもこのペースであれば10日も掛からずに封鎖は終わる予定であった。

 実際に22日になっても作業は順調に進み、特に八坂外周検疫はこの間にただ一人の感染者も発見していない。全ては順調であった。

 ――“壁”収容者から発見された数名の感染者を除いては。


 感染者が発見されたときも全てはマニュアル化されており、“壁”の職員はそれに従ってすばやく処置を行った。

 当然のことながら“死体安置所”はBL-4ウイルスの飛散が考えられるホットゾーンに属するため、内部の処置は全て防護服を着込んだ資格のある者によって行われることになっている。

 しかしながら今回、死体安置所には多くの非感染者が居たため一時的にホットゾーンは隔離され、死体安置所周辺は一時的にグレーゾーンへと引き下げられている。

 無論周囲は感染被疑者の収容前に一度完全に滅菌されている。

 そして非感染者は無菌パッケージを利用して一般職員の手によって外部へと輸送される。

 感染者は防護服を着込んだ資格のある職員の手によって、無抵抗状態にした後、“無菌”パッケージに収容し、こちらはホットゾーンに運ばれる。

 ホットゾーンとは言っても、飛散している可能性のあるのは赤目症ウイルスだけであり、職員たちはそこをレッドゾーンと呼んでいる。

“壁”の面白いところはここからだ。レッドゾーンに運び込まれた感染者の対応をするのに防護服は必要無い。

 なぜならばレッドゾーンには――すでに感染済みの――職員が常駐しているからである。

 また普通のBL-4施設であればホットゾーンの出入りには小一時間から数時間は必要とするのに対し、“壁”のレッドゾーンは入るときに限りほとんどフリーパスである。

 何の殺菌も必要としない。

 ただ双方の完全に密閉されるドアが両方同時に開くことはない、というだけのことだ。

 こうした手順になっているのは偏に外側から“壁”の内側への物資流入量が多いからである。

 一々殺菌していては処理が追いつかないのだ。

 その代わりに一度外部側の扉が閉じると、次に開くためには厳重な滅菌処理が行われてから、ということになる。

 そういうわけだったら、感染者も簡単にレッドゾーンへと送り込まれた。

 彼らは例外なく眠らされていたから、それは荷物を運ぶのと大差なかった。そうして“壁”の外部側職員は感染者を感染職員に預けると、2時間かけて厳重な滅菌処理を受けて、レッドゾーンの外に戻った。


 信行が鎮静剤で眠らされている間にも八坂を取り巻く環境はめまぐるしく変化していた。

 まずはマスコミの流入である。

 八坂の封鎖線の外側には多くの報道者が集まり、封鎖から出てくる非感染が確定した人々にマイクを向けていた。

 周囲の高いビルから望遠カメラで封鎖内部の写真を撮ろうとしたカメラマンもいたし、中には八坂上空へ強行侵入を試み、自衛隊から威嚇射撃を受けた報道ヘリもあった。

 18年前の時は数機が撃墜されたというから、それに比べれば大人しかったと言えるかも知れない。

 続いては八坂周辺の通信網がダウンした。

 最初は携帯電話で、これは八坂封鎖の数時間後にはもう不通になっていた。

 電話やネットワークも八坂内部はすでにカットオフされていたが、さらにその外側の通信網までダウンした。

 これは意図的なものではなく、八坂に対してありとあらゆるアクセスが集中したからだと推測された。

 八坂周辺に連絡がつかなくなると、今度は政府と自衛隊にアクセスが集中した。

 その多くは八坂に家族を持つものなどであり、その身元確認がほとんどであった。

 21日中に政府は非常事態宣言を発令。

 22日には八坂だけではなくその周辺域、半径20キロの範囲を民間人立ち入り禁止とした。

 許可を持つマスコミ以外はこの命令によって退去することになったが、その手を逃れようとする輩と自衛隊の間で数度の小競り合いが発生した。

 それ以外にもパニックが発生し、八坂の外側でも十数名の死者を出した。


 しかしそれでも混乱は収まりつつあった。

 次々と八坂住人が解放されていったということもある。

 自衛隊による強烈な支配というのもあっただろう。

 また食料が十分に支給されたことも大きい。

 人々は混乱したが、立ち直りつつあった。

 何故ならば外部感染は発生したものの、今回は素早い対応によって感染の拡大を防いだからである。

 前回のように偶然に助けられたわけではなく、自分たちの力で成し遂げた、ということに人々は鼓舞されていた。


 22日15時の時点ですでに八坂の人口の2割が解放されていた。

 確認された感染者は22名。


 信行が目を覚まして最初に感じたのは、目覚めの良さであった。

 気分の悪さが限界を通り越して一周し、気持ちよくなってしまったのかも知れないとそんな不安を抱かずには居られなかったが、すぐにその理由は分かった。

 信行は心地よいベッドに横になっていた。

 あまりにスプリングが利いているので、目覚めてしまってからは逆に居心地の悪さすら感じるほどの上等なベッドだった。

 少なくともこんなベッドで眠った記憶はない。

 現実感の無さに周囲を見渡して、信行は自分の置かれた境遇を理解した。

 それは病室だった。

 ベッドこそ上等すぎたが、部屋の作りは病室以外のなにものでもない。

 ベッドの上を見上げるとナースコールすらあった。

 7万人が感染を疑われる中で、これだけ上等な境遇を得る機会があるのだとすれば、信行にはひとつしか可能性は思い当たらない。


 ――自分は感染したのだ。


「感染した……」


 口に出して言ってみても、案外パニックにはならなかった。

 “壁”の中で閉じ込められていたときのほうがよっぽど辛かった。

 ここは窓こそないものの、部屋そのものは広く、開放感がある。

 それに自分が感染しているということは、想像していた最悪の可能性よりはずっとマシだった。

 病室のドアがほとんど音を立てずに開く。

 現れたのは一人の医者と二人の看護士で、誰も防護服を着ていなかった。


 ――防護服?


 ぱっと信行の脳裏に宇宙服を着た数人の男たちに取り押さえられるイメージが走る。腕を見やると注射針の痕があった。


「おはよう。落ち着いているね。白瀬信行くん。聞いていた様子とは随分違うみたいだ」


 カルテに目を通しながら医者と思しき白衣の男が言った。

 思い出されたのは“壁”の中での自分のパニック振りだった。

 あれらは全て筒抜けだったのだろう。


「現実を受け止められるかい?」


 信行は頷いた。頷いて、それからふと疑問に思った。


「受け止められないとすればどうすれば?」


「その時は適切な薬と治療を与えることになるね。だが君は大丈夫のようだ。気になるのは、宗谷美咲さんのことでいいのかな」


 どうやら医者たちはある程度信行らのことを調べてあるらしい。

 いや、ある程度であるはずはあるまい。

 国家権力の及ぶ限りありとあらゆることが調べられただろう。

 なにせ感染者が何処で誰と接触する可能性があるか、ということは調べつくされなくてはならないだろうからだ。


「彼女も感染していたんですね」


 信行が感染していたとすれば、その可能性は最初から高かった。

 どちらにせよ一緒にいること、それが美咲の望みであったし、そうなるように彼女なりの努力をしていた。

 こと感染ということにかけては十分に実る方向性の努力であったはずだ。


「その通りだ。君たちは少し変わっているね。普通は感染したことに対してもっとショックを受けるものだと思うよ」


「そうはいいますが、先生も感染者でしょう?」


 それは間違いようのない確信だった。

 感染している者と防護服無しに面接できるものがいるとすれば、それは感染者にほかならない。


「私が感染したのはもう20年も昔の話だからね。ちょうど君くらいの年齢の頃だったが、ああ、いや、感染したということ以外のショックのほうが大きすぎたな」


 医者は頬を掻いて苦笑する。

 左手に持ったボードに向かって何かを書き込んでから、信行のベッドの横に座った。


「さて、少し診察をしよう。何も問題が無ければすぐにこれからについてのガイダンスに入れるだろう。その前に彼女と会うこともできるかもしれない。ただその前にひとつだけ言っておくよ」


 医者は信行から顔を逸らす。

 その横顔は少し歪んでいた。


「此処は外部の君たちが知らされているような世界じゃない。何があっても受け入れられるようにしておくんだ。いいね?」


 医者の言う言葉の意味は信行にはよく分からなかった。

 そもそも煉瓦台について知らされていることなどほとんど無いのだ。

 信行が自分から調べて、それでも分かったことはほんの少しだけ。

 だったから医者の言葉にはあまり意味が無かった。

 どうせ信行ら感染者は、まず自分が感染したのだという一番の衝撃を乗り越えなくてはいけなかったのだから。

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