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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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空は続くとも郷は遠く -5-

 2019年9月21日。

“壁”内部、バイオセーフティレベル4エリア内、通称“死体安置所”

 CDCやUSAMRIIDのBL4施設にも存在する死体安置所は、つまるところ感染の可能性のある人物を隔離するための空間である。

 これら研究施設において本物の死体は、要研究対象であり、それらに“安置”される暇など存在しない。

 その代わりに安置されるのが、感染の可能性のある、発症待ち患者、つまり生きた死体というわけだ。

 尤もこの通称はバイオハザードレベル4ウイルスの大半が致死性のものであるためについたものである。

 赤目症ウイルスに関しては致死率はゼロであるから、死体安置所という通称は非常に正しくない。


 ――言うならば、独房だ。


 白瀬信行はそう考える。

 彼の置かれた状況の外郭は以上のようなものだ。

 ではもう少し内郭、実際に彼に見える状況について語ってみよう。

 信行にあてがわれた独房は、広さが3畳、高さが2.5mほどの空間である。

 ベッドとトイレと、完全に密閉された出入り口のみでそれ以外には壁しか存在しない。

 耳に煩わしい音を立て、天井にあるダクトから常に空気が入れ替えられている。

 ダクトは恐ろしく頑丈な金網で塞がれており、どんな道具を使ってもこじ開けられそうにない。

 ダクトそのものの広さも人間が出入りできる大きさではない。

 どうやらここは居住性という言葉から最も離れた場所であるらしい。

 閉じ込められると人間はどうも脱出することを考えてしまうらしい。

 だが信行はとうにそんなことは諦めてしまっていた。

 どう考えても無理だし、無意味だからだ。

 どうせすることもないので、以前から興味があった“壁”について、こうして内部に入って知りえたことを再整理してみる。

 防護服を着た軍人たちの運転する護送車で“壁”に送り届けられるまでは特に目新しいことは何も無かった。

 広報されている通りの道に、広報されている通りの外周基地。

 そして広報されている通りの外観だ。

 分かりやすい例えを用いるならば、それはダムに似ている。

 違うのは堰き止めているのが水ではなくウイルスだということだ。

 その巨大な建築物の中には多種多様な施設が存在している。

 内部空間のおよそ半分が自衛隊関連施設で、それらに関しては機密とされている。

 残り半分を医療研究施設と、煉瓦台の管理維持を目的とした施設が埋めている。

 特に煉瓦台への食料支援は大きな事業だ。

 煉瓦台内部は、その内包する人口を養っていけるだけの食糧自給能力がない。

 とはいえ彼らが外部に買い物にでかけることなどはできないから、それらはどうしても“壁”を通して国から支援されることになる。

 隔離初期の頃には空からコンテナに落下傘をつけて食料を落としていたらしいが、内部での食料確保にムラができ、自衛隊に詳しいものが食料の投下位置を予測して食料を独占するという事態が発生し、これは中止された。

 この問題を解決するために煉瓦台に食糧管理機構を作るという作戦が行われたのだが、これについては長くなるので省略する。

 そんな“壁”内部、医療研究施設内、世界最大のBL4区画に感染者を隔離するために作られた居住空間が“死体安置室”なのである。

“壁”内部にあって、最も煉瓦台に近い場所と言えるかもしれない。

 信行は意識的に一度大きく息を吸って、そして吐いた。

 ――赤目症ウイルス。

 もしも信行が感染しているのであれば、この息の中にもそのウイルスは含まれている可能性がある。

 そしてひとたび感染していれば、その治療法は何一つとして見つかっていないのだ。

 しかし未だ実感が湧かない。

 信行は赤目症には幼い頃から取り付かれていた。

 取り憑かれていたと言い換えたほうがいいくらいだった。

 だから“壁”の医療研究施設にはずっと憧れていたし、入所することが夢だった。

 だが望んでいたのは間違っても感染者としてではなく、研究者としてだったし、美咲を巻き込むことなど考えもつかなかった。


 美咲……。


 その名前は不意に現れて、脳を灼いた。

 今の今まで思い出さなかったのは、思い出したくなかったからだ。

 感染したと決まったわけではない。

 だが今の自分と同じ目に合わせていることは間違いない。

 感じた胸の重みは最近も感じたことのあるものだった。

 そう、つい最近だ。部屋への階段を上がり、そこに美咲の姿を見つけたときと同じ――。


 重い――。


 例え感染していたところで、一緒でありさえすれば美咲は恨み言すら言わないだろう。

 むしろ喜びすらするかもしれない。

 美咲は信行と居ること以外には何も望まない。

 何一つ、だ。だからこそ、その想いが重い――。

 感染していなければ、美咲はすぐさま家族の元に送り届けられ、今度こそ家出などできないように監視されるだろう。

 宗谷家はそういう家だった。

 そうなることに信行はいくらかの後ろめたさを感じる。

 美咲を連れて逃げられない自分の弱さだ。

 だが一方で時間をかけてでもきっちりと美咲を貰い受けるだけの男になるほうが先だとも思っている。

 だがそれも感染していなければ、の話だ。


 では感染していれば?


 感染していればどうなるのだろう。

 間違いないのは煉瓦台に送られることだ。

 ある程度は“壁”で経過を見るかもしれないが、“壁”は感染者そのものに飢えているわけではない。

 一歩煉瓦台に入れば13万の感染者がいるのだ。

 サンプルには事足りている。

 だが煉瓦台に送られたとして、そこでどうやって生きていけばいいのだろうか?

 働き口は?

 経済状況は?

 そもそも煉瓦台内部に経済が存在するのか?

 治安は?

 考えてみれば、信行は自分がそれらの状況を一切知らないことに気がついた。

 意図的に隠蔽されているのは間違いない。

 少なくとも信行の調べた限り、煉瓦台内部についての情報は人口と、彼らが人間的に生活できているという保証だけだった。

 映像も、写真も、通信すらない。

 大学のサークルでの成果で辛うじて内部に何らかの無線通信手段が存在するのは分かっていたが、暗号化されたその内容の判読すら中途半端で、内部状況を知るには程遠かった。

 そこで生きなくてはいけない。

 何も分からないそこで。

 その上、美咲を抱えていかなくてはいけないのだ。

 信行は寝台の上で、唸りを上げる天井のダクトを見上げた。


 煉瓦台で研究職につくことはできるだろうか?

 勉強できる環境はあるだろうか?

 美咲を養っていけるだろうか?


 不意に機械の作動音がして、信行は飛び上がった。部屋の入り口の二重扉の内側が開き、食事が置かれていた。

 独房入りしてから二度目の食事である。

 時計は無いが、どうやら昼時ということらしい。

 トレイの上に乗った食事は袋に入ったパンと、冷えたスープだけだった。

“壁”の収容人数がどれほどかは分からないが、突如増えた人員に凝った食事を提供できるだけの余力は無いに違いない。

 あるいはこの食事すら煉瓦台に運び込まれるはずのものを流用した可能性だってあるはずだ。

 まあいい。

 なんにせよ口には入れなくてはならない。

 次の食事がいつ得られるかも分からない状況なのだ。

 喉に押し込んだそれらから味を感じることはなかった。

 朝食もそうだった。

 味がついていないはずはない。

 パンには餡が入っていたし、スープだってどう見てもインスタントだ。

 おかしいのは信行自身の味覚のほうだった。

 それでも残さずに平らげて、トレイを戻し、扉を閉じた。

 扉の間に潜り込んで、トレイを回収に来た際に出られやしないかとも考えたが、どうせ無駄なことだろう。

 再びすることがなくなって、信行は思索に戻る。


 自分が感染していたとすると、美咲もまた感染しているだろうか?


 網膜染血症ウイルスはその選別には成功したが、感染力についてはまだ未知の部分が多い。

 空気感染した事例もあるし、性交渉があっても感染しなかった例もある。

 感染力にムラがあるのは間違い無い。

 だから一人が感染していたからといって、もう一人も感染しているとは限らない。


 そうだ! 何故気付かなかったんだ!


 ひとつの可能性に今更に気付き、信行は自分の腕を抱きしめた。

 上腕に食い込んだ爪が皮膚に疵を付ける。

 あまりのショックに歯を食いしばり、体がガタガタと震えた。


 自分は感染していなくて、美咲だけが感染しているかも知れない!


 その可能性を考えただけで信行は身が悶える思いだった。

 思わず扉に駆け寄って、鋼鉄のそれを力任せに叩く。


「おい! 誰か、誰か聞いてないか!」


 無駄だと解っていた。

 同じようなことをしている連中は山といるだろう。

 こんな独房に押し込められて今まで正気を失っていないだけ信行はマシなほうに違いない。


「誰か! 誰か! 望んで、自分で望んで煉瓦台に入ることはできるのか教えてくれ! 誰か!」


 答えなど期待していなかった。

 ただ信行は自分だけが助かることが怖くて扉を叩き続けた。

 そうしないと、まるで自分が美咲を裏切っているかのようで怖かったのだ。


 ガンガンガン。


 ガンガンガン――。


 やがて手の甲が裂け、恐怖と自分に対する怒りより、痛みが大きくなって手が止まった。

 手が止まったことが悔しくて、拳を扉に叩きつけようとしたが、痛みの上に痛みを重ねることに体のほうが竦んで、手を振り下ろせなかった。

 そんな自分が悔しくて、視界が歪み、きっと誰にも見られていないのに、信行はベッドに突っ伏せるようにして肩を震わせた。

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