#1 よろしくね、奈々
昔、好きな子がいた。
いつの頃の話だっただろう。幼稚園の頃か、それとも小学校に上がったばかりの頃か。
もうずいぶん昔のことだから、記憶は曖昧で、思い出せることもそう多くはない。
ただ、その子のことだけは、今でもぼんやりと覚えている。
かっこいい子だった。
ダークブロンドの髪色の男の子。太陽の光を浴びると、少しだけ金髪に輝いて見える髪が、子ども心にとてもきれいだと思った。
――くん。――くん。
って、気づけばいつもその子の後ろを追いかけていた。
今思えば、ずいぶんとわかりやすかったと思う。
あの頃の私は、あの子のことが大好きだった。それが恋だなんて、当時はよくわかっていなかったけれど。
――懐かしいな。確か、その子の名前は――
私は頬杖をついたまま、窓の外へ視線を移した。
グラウンドの隅では、運動部の生徒たちが道具を片付けていた。校門からは、登校してくる生徒がぽつりぽつりと姿を現す。
「なぁに、朝から黄昏てんの」
窓の外に向けていた顔を戻すと、机の横にしゃがみ込んだ女の子が、下から私の顔を覗き込んでいた。
渡辺愛莉。私の友人だ。
「あ、おはよ。愛莉」
「おはよー」
愛莉はにっこりと笑った。
ゆるく巻かれた髪が、彼女の動きに合わせてふわふわと揺れる。ぱっちりとした目に、いつも上がっている口角。人懐っこいその表情は、なんだか小型犬を思わせる。
「ね。今日うちらのクラスに転校生が来るらしいよ!」
「へえ。どんな子?」
「なんか帰国子女っぽい。すごい美人らしいよ。あ、女子ね」
相変わらず情報が早い。
どこから仕入れてきているのか分からないけど、愛莉の情報網は、もはや学校内の情報ブローカーと呼んでも良いレベルだ。
帰国子女かぁ。
なんだか自分とは違う世界を生きてきた人のように思える。
ぼんやりとそんなことを考えながら、私は隣の席に目を向けた。この席は四月からずっと空席のままだ。
窓側の一番後ろの席の私は、隣が空席のせいか、ときどき自分だけ教室から切り離されているような気分になる。
わざわざここの席を空席にする必要はないのに、と新学期が始まった時は思ったこともあった。
「今日は、転校生を紹介します。星さん。入ってきて」
そう呼ばれて、一人の女の子が教室に入ってきた。彼女は先生の隣まで歩いてくると、教室を見渡すように顔を上げた。
その瞬間、私は思わず息を止めた。恋、とかではない、と思う。ただ、彼女がそこにたっているだけで、教室の空気がほんの少し変わったような気がした。
背筋がすっと伸びた立ち姿。すらりとした手足。落ち着いた表情。
そして、淡い茶色の髪。肩よりも長い髪が、窓から差し込む光を受けて、ところどころ明るく透けて見えた。
「星璃月です。三月までアメリカにいて、父の転勤で日本に戻ってきました。これからよろしくお願いします。」
すこし日本語に慣れていない様子だが、言葉遣いは丁寧で、落ち着いている。
最後にぺこりと頭を下げると、淡い茶色の髪がさらりと肩から滑り落ちた。
教室のあちこちから歓声が上がった。
「ええ!帰国子女ってこと!?すげぇ」
「めっちゃ可愛い・・・」
「顔ちっさ!」
驚きと好奇心の入り混じった声が、教室のあちこちで飛び交う。
帰国子女という珍しさに加えて、誰もが振り返ってしまうほど整った容姿。まるで海外ドラマや映画のなかからそのまま出てきたような女の子だった。
当然、クラスメイトたちの関心が集まらないはずもない。
愛莉なんて、「言ったでしょ?」と言わんばかりに、私を見てバチバチとウインクをしてくる。
「じゃあ席は、生悦住さんの隣ね」
先生がこちらを指さした。
星さんは、先生に指さされた席を一瞥し「はい」と、返事をしてこちらへ歩いてくる。ようやくこの空席の理由がわかった。
彼女は綺麗で、どこか近寄りがたくて、それなのに妙に目で追ってしまう。
すらりと伸びた足で、あっという間に私の隣の席までやってくる。窓から差し込む光が彼女の頭に降り注ぎ、淡い茶色の髪がブロンドのように輝いて見えた。
その瞬間、胸の奥がちくりとした。
「あ、私・・・」
隣の席にやってきた彼女に、慌てて名前を告げようとしたけど。
「よろしくね、奈々」
私が名前を言うより先に、彼女がそう言った。
あれ、どうして私の名前知ってるんだろう。さっき先生が呼んだのは私の名字だけだったはず。
「なんで・・・」
「はいはい。じゃあ授業始めます。静かに」
先生が学級名簿を頭の上で軽く叩くと、教室が静かになる。
何事もなかったかのように、星さんが小声で話しかけてきた。
「私、教科書まだ揃ってないから、見せてもらってもいい?」
「あ、うん。もちろん」
私は慌てて教科書を机の端に寄せた。
彼女は「ありがとう」と微笑んで、自分の机をこちらへ寄せた。




