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IRREGULAR'S HISTORIA  作者: 古河新後
第1部 Remaining story 残光
PR
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9.Connects world 世界と繋がる

 世界がズレる度に、ソレを修正する者達が世界史に名を残していた。

 ある者は発展を、ある者は革命を、記録される者達は何かを成した者達であることは間違いなかった。

 だが、それが成す前に、英雄と認められた者が“史”に名を残すことは殆どない。


 彼らは知っていた。だから、歴史の表舞台に出る事を拒んだのだ。


 理解していなくても、自然と解っていたのだ。そんな事をしなくても、誰かが見て、伝えてくれる。

 歩むことで、誰かが救われたのなら……そこに自分たちの居る意味は在ったと、華やかに知られる事が無くとも……彼らは“救った者”に救われ、消えて行った。


 英雄の条件。


 決めるモノでも、目指すモノでもない。ただ、ソレを持っている人間が“英雄”になる。

 どの時代にも居るのだ。そして、ソレに釣り合う存在も同時に現れている。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 「どうした? 光陽―――」


 一目は、不意に戦闘態勢に入った親友に疑問詞を浮かべた。まるで、宿敵でも見つけたように、一瞬で意識(スイッチ)を切り替えたのである。

 普通の雰囲気を纏っている少女は、歩道のカードレールに足をかけると、幅跳びの要領で跳び上がる。

 反り跳びの姿勢で、三車線で渋滞している車を跳び越え、光陽達の目の前に着地。着地の衝撃を上手く膝を折り曲げる事で逃がし、二人の目の前に降り立っていた。


 降って出た一人の少女。一目も含めて、辺りの人間は、彼女の見事なまでの車線跳び越しに、称賛と、物珍しげな眼を向けていた。


 「一目! 放れてろ!!」


 ただ一人だけ、その光景に囚われなかった光陽だけが気が付いていた。少女は“助走”も無しに、三車線分を飛び越えたのだ。結果のみを称賛する周囲の人間は、ソレに気づいていない。


 「ふふん」


 光陽は少女に対して一歩踏み込む。公共の場にも関わらず、彼女を仕留めに掛かる。歩道のブロックタイルの繋ぎ目が、体重移動によって打ち込まれた衝撃によって割れ、噴き出る様に破壊される。


 「『玄武一門』!」


 車道にて渋滞で停止している車をも、吹き飛ばしそうな肘が、顔を上げた少女の顔面に叩き込まれる。


 「これほど嬉しい事は無い。我を見てくれるとはな!」


 少女は片手の掌で光陽の一撃を止めていた。止めた際の衝撃の風圧によって、彼女の頭に乗っている白いキャスケットがふわりと頭から離れて落下を始める。


 「なんで生きてる!?」

 「生きてて嬉しいだろ?」


 落ち始めたキャスケットを空いている手でキャッチすると、指先でくるりと回して光陽の顔に視界を潰すように投げる。

 光陽はソレを屈むように躱す。すると読んでいたような少女の膝が、あの時と同じように迫っていた。


 「何度もくらうかよ――――」


 跳ね上がって来た、白く綺麗な少女の膝を、空いている掌で受け止める。同時に最初に繰り出した肘を伸ばし、手を少女の腹部に触れる。


 「くたばれ!」


 『玄武重拳』。あの時、仕留めきれなかった原因は解らない。だが、あの後で倒れた所を見ている。効かない事は無いハズだ。

 十秒とない攻防での二度目の撃は、一回目で砕けた不安定な足場では、十分な威力は出ず、ダメージを底上げする衝撃の蓄積も無い。しかし、カードレールに押し付ける形で衝撃の逃げ場を封じている。

 体重移動から戻ってくる衝撃を、手を通し、触れている少女の腹部に全て打ち込む。


 「―――セイッ!」


 放った刹那、その少女の掛け声と共に、あり得ない事が起こった。

 ガードレールが衝撃で車線側に凹む。更に少女の背後の放射状に存在している車の窓ガラスに、ひびが入ると、歩道に近い車から音を立てて弾けるように割れる。


 「げんぶじゅうけーん♪」


 流された……? 嘘だろ―――


 「嘘じゃない」


 あまりに現実味のない出来事に、思わず呆気にとられて停止している光陽の耳元に、囁くように、少女が言った。


 「―――――」


 その呆けは、数瞬の出来事だったが、光陽は完全に出遅れた。次の動作に入ろうと踏み込んだ瞬間、脚の裏は血に着かず、視界は一気に地面から放れて行く。


 「はぁ!?」

 「♪」


 少女は光陽に抱き着く様に両手で、彼の身体にしがみつくと、一度の跳躍で背後の建物の屋上へ跳び上がって行ったのだ。


 「…………うぇ!? 光陽!?」


 その場に残された一目は、二十秒とない時間で、現れた少女によって、光陽がさらわれるという光景に、何が起こったのか認識するのに時間がかかってしまった。


 「おい! これは貴様がやったのか!?」


 すると、人混みを押し退けて警察が走ってくる。中心街の件で街中にも大量に展開されているので、通報すれば一分と経たずに駆けつけるのだ。


 「俺は無実です!」


 一目はとりあえず考える事を止め、起こった事を説明できる自信が無いので、その場から逃げ出した。





 光陽を抱えて跳び上がった少女は、近場に【魔王】が居る事から、その場からなるべく離れるつもりで移動したのだ。


 「お?」


 跳び上がっている最中で、光陽は少女の服の襟首と肘を掴む。屋上へ着地した瞬間、


 「うらぁ!!」


 身長は光陽の方が高い為、足が着くのは少女よりも早かった。雑な少女の体重移動を的確に捉え、その足が地に着く前に投げ放す。


 「っとと。照れるな照れるな」


 受け身など出来ない角度で投げたにも関わらず、少女は身軽に手を一度着いて、宙で一回転して着地する。


 「……はぁ、もういい」


 光陽にとって、昨日から続く非現実の中で、最も近い存在が彼女だった。こうもズルズルと日常生活に入り込んでくるとなると、敵意ではなく、“殺意”で対応する。

 心を殺す。敵を殺すだけを目的として、辺りの情報を全てカットする。目の前に対峙する相手の情報だけを明確に捉える。


 「ふむ」


 少女が迂闊に光陽へ近づかなくなったのは、今までの対応では間違いなく行動不能にされると察したからだった。腰に手を当てて、何か考えているように、間合からは出ている。

 光陽からすれば、少女が銃を取り出したとしても、後の先で首と胴体を千切り放すか、心臓を抉り出すつもりだった。


 無論、光陽も無傷とは行かないだろうが、こちらの命を拾ったまま少女の命を確実に消す事だけを考えていた。


 「凄まじい集中力だな。さて、どうしようか」


 少女は上着のボタンを外して、セーターとシャツの姿になった。そして、あの時と同じように視界を覆うように、上着を投げて同時に接近する。


 「――――――」


 光陽は、まるで決まっている動きの様に、片手で少女の上着を掴み下に逸らす。視界が開けると、靴の裏が一番に入ってきた。

 少女の飛び蹴り。どこかのヒーローの切り札のキックの様に、大振りで単調な攻撃だった。その攻撃に対して、光陽は最も無駄の無い動きで、側面に回り込むと、キックで伸びきっている彼女の足に触れた。


 「!?」


 今度は少女が驚いた。足に触れられた瞬間に、上からの力によって関節が外されたのである。光陽は、息をするかのように容易く少女の片足を破壊してみせたのだ。


 「…………」


 そして、光陽は煙の様に動く。まだ彼女が宙に浮いている内に次の動作へ。胸倉をつかみ、地面に叩きつけた。


 「かっ――――」


 少女から乾いた声が肺からの空気と共に吐き出る。激突した背中を中心に地面にひびが入り、砕ける。

 そして光陽は、上着を返すように少女の頭にフワッと落す。それと同時に、地面を砕く震脚で上着の上から少女の顔を目がけて踏み下ろした。


 「…………」


 屋上に更に大きくヒビが広がる。光陽の踏み下ろした箇所が、落したガラスの様に砕け散っていた。


 「容赦ないな、貴様は――――」


 少女は踏まれる寸前で動き、間一髪で震脚を横へ避けたのだ。片足でしゃがむような姿勢と、両手を着いて態勢を維持しながら、距離を置きつつ光陽を見る。

 躊躇いの無い殺意。少女にとっては本当に嬉しい事態なのだ。これほどまでに真剣に自分の事を強く見てくれる事に、嬉しさ以外の感情は感じない。


 「ふふん。素晴らしい感情だ。それでもいい、なら我もソレに応えなくてはな」


 残った片足で立ち上がると、ひょこひょこと光陽へ近づく。対する光陽は顔色一つ変えず、表情も固まっているように鋭く目を細め、無表情で少女に対応している。


 「―――昨日の借りを返させてもらおうか!」


 意気揚々と告げて、一歩一歩と光陽の間合いに近づく少女。彼の間合いに入った瞬間に、人で言う所の死が少女を襲う事になる。言うなら首をねじ切り、胴体から引き離される――

 少女は光陽の間合いに入った。事務的に、光陽の手が少女の首をねじ切るために動く。逃げられない足と距離。光陽が動いた瞬間と同時に、少女も彼に向かって跳んだ。





 ただ目の前の敵を殺すために、思考の全てを光陽は切り離した。

 ここまでする相手は、今まで自分の大切な者を傷つけた敵と対峙した時か、それ以外は、よほどの事情が無い限りは使う事はしない。


 人が物事に極端に集中した時に踏み込む領域。一般的には“フロー”と呼ばれるソレは、本来はその領域に入るための条件が整う事で、自然に入り込むことが出来る。

 しかし、光陽の入り方は“フロー”への侵入過程を大きく省略し、その結果の身に辿り着く行為だった。故に、精神の消耗が大きく、使えば使うほど戻ってくることが困難になる。

 究極の集中力に自らの意志で踏み込む。光陽から見た少女の動きは、この状態になってからスローに見えていた。


 下手をすれば再起不能になる足関節の外し方を実践することも、追撃で頭を狙う事も躊躇いは無い。喜怒哀楽の感情を全てカットし、例え女子供でも、感情による躊躇いを全て捨て、敵として確実に処理する。

 それは、目の前に立った敵、全てが息絶えたと判断するまで止まる事は無かった。


 「――――――」


 近づいて来た少女は、片足で機動力も失って、今の状態の光陽と、戦える状態で無い。しかし彼としては、そんな事は関係ない。

 ただ、この状態で対峙した時点で殺すことを決めていたからである。

 向かって来る少女に対しての対応は、首をねじ切り倒れた所で手刀にて心臓を貫く。特に防具もつけている様子も無いため、容易であると判断していた。


 「終わり―――」


 両手が少女の頭と首を掴んだ―――――

 少女の首が一捻りで、骨が砕ける音と共に次の瞬間には絶命する。

 だが、光陽の手は少女に触れている時点で止まっていた。彼の感じた感触は彼女を殺した際に感じる骨を砕いた感触ではなく、


 「――――へ?」


 ただ、唇に、やわらかい感触だけを感じ、極限の集中から強制的に意識を引き戻されたのだ。


 「ん……んんぅ……」


 少女の唇と光陽の唇は繋がっていた。俗にいうキスという、一定の感情が高ぶった時に人が行う愛情行動である。

 少女は、光陽の頬に手を添えて、自らの唇を押し当てていたのだ。あまりにも想定していなかった感覚に光陽は力が抜けると、


 「う……く……」


 跳びつく様に体重を預けている少女を支えきれず、彼女に押し倒されるような形で、二人は倒れた。





 なんだ……一体なにが起こった!?


 仰向けで倒れながら、少しだけオレンジ色に染まってきた空を見上げて、光陽は必死に何が起こったのか頭の中を整理していた。

 戦っていた。例の少女を確実に始末するために、人を一時的に捨てたのだ。理性無き戦いは作業でしかない。そこに、あるのは“勝利”ではなく、ただの“結果”である。


 敵を殺したと言う、相手を人として扱わない戦いは、獣でもなく人でもない、破綻者の行い。手を落されようが足を吹き飛ばされようが、心臓を破壊されようが敵を始末するだけの思考で対峙するのだ。ソレを――――


 「強制的に呼び戻された……?」


 今まで、こんなことは一度も無かった。あるハズも無い。こうなった時は、対峙する相手をどんな手を使って来ても始末してきたからだ。


 「ふふん」


 光陽は上半身を起き上がらせるが、それ以上は少女が上に乗っている為、起き上がる事が出来なかった。


 「……どういうつもりだ?」


 本来ならば、真っ先に少女を振り落とす様に動くのが当たり前だと言うのに、完全に敵意を感じない彼女に対して、まず話すことを光陽は選んだ。

 何故なら、初めて気が付いたのだ。妙な感覚……まるで他人とは思えない感覚を少女から感じていたのである。

 求める様に悪戯な笑みで見下ろす少女に、殺意以外の別の……『興味』という感情が湧き上がっていた。


 「聞こえていなかったのか? 借りを返しに来た。互いの役目を果たす為に―――」


 再び唇が重ねられた。

 本当に、最悪だと思っている。つい先ほどまで本気で殺すつもりで、人としての誇りも捨てて戦う事を選んだ。だが、その対峙者に、一方的に接吻されているのだ。


 「んん!? むくくくっ! んん!」


 このまま、思考が全て最低な方に支配されそうだったので、抵抗の意志を見せると、少女はようやく離れた。


 「あっはは。なんだ、そのハトが豆鉄砲くらった様な顔は」


 今度は無邪気に笑う。光陽の上に乗ったままの少女は、彼の反応を楽しんでいるようだった。


 「う……くそっ! テメェ! どけよ!」


 笑われた様子に恥ずかしさを感じながら、光陽は確実にひっくり返せない態勢の下、じたばたしている。だが、少女は片足の関節が外れていたハズだ。そっちを起点にひっくり返せば――――


 「あ、もう治ってるよ」


 がっちりと光陽の脇腹を固定する少女の両足は、見た目に反する力で彼を押さえつけていた。


 「くそー!!」


 何故治っているのか、全く解らない。完璧にマウントを取られている現状では、光陽に逃げ道は無かった。隙をついて動脈を絞めたとしても、コイツにはあまり意味は無い。どうする? どうする―――


 「初めは、ただの食事のつもりだったんだ」


 必死に状況の打破を考えていると、再び少女の顔が近づいてくる。息が届きそうなほど間近で二人は見つめ合う。

 光陽は焦った眼で。少女は愛おしそうな眼で。互いに互いを瞳に映していた。あの夜と同じように――――


 「我の父と言える“存在”は何も言わずに、こーんな遠く離れた場所に、可愛い娘一人を送ったのだ。あり得んと思わないか?」

 「し、知るかぁ!!」


 なんだ、この状況……?

 光陽に少女の言葉はまるで入ってこなかった。考える間もなく、目まぐるしい状況の入れ替わりに、もはやどう行動していいのか解らなくなっていたのだ。


 「だから、貴様に決めたのだ」


 少女はキスではなく、そっと光陽の顔の横を通り過ぎる様に彼に抱き着いた。“欲”に落ちそうなほどの甘い匂いと、全身を覆うような温かさが光陽を包む。


 「偶然でもなんでもいいさ。貴様は―――――」


 耳元でそう囁き、少女は少しだけ離れると、自分で両胸の谷間の奥を指先で触る。豊満な胸部は異性である光陽からすれば魅力的なモノだが、そう言う感情とは別の……驚きの感情が強くなっていた。


 「消えかけた我の『内宙(マトリス)』へ、エネルギーを……この世界での繋がりを流してくれた」


 少女は嬉しそうに光陽に再び顔を寄せる。彼の頬を優しく包むように触れて、本当に愛おしそうに、


 「貴様と“存在”が繋がったのだ」


 不思議と澄んだ声で微笑んだ。今まで接してきた、どの人間とも違う雰囲気の笑顔。この時点で、光陽の頭の中から少女に対する敵対心は完全に消え失せていた。

 そして彼は理解した。この他人とは思えない少女から感じる感覚は……自分自身のモノなのだと。





 「ちょっ! ちょっと待て! ちょっと待て!」


 光陽はビシッと手を掲げて少女に向かって告げる。少女の言っている事は何一つ理解できない。それでも、そんな声が出たのは整理する時間が欲しかったからである。

 まるで、訳も分からず殴られ続けているようなものだ。少しだけで良いから、まともに現状を判断できる時間が必要だった。


 「なんだ? 何が不満だ?」


 少女は何が理解できないのか、不思議そうに首をかしげる。


 「質問を良いでしょうか?」


 なんとなく敬語で、光陽は上に乗る少女に尋ねる。全てを理解できなくても、最低限の事を理解しなければ、とんでもない事に巻き込まれる気がしたからだ。


 「いいよ。何でも答えよう」

 「まず、降りてくれ」


 光陽の懇願に少女はあっさりマウントから降りると、ミニスカートを払いながら立ち上がる。


 「…………お前、馬鹿だろ?」


 光陽はその場で胡坐の態勢で座ると、そんな事を少女に投げかけた。逃げるとは思わなかったのだろうか?


 「ん? ふふん。まぁ、貴様が逃げるとか、抵抗するとか考えなかったわけじゃない。だが、それよりも逃げないと思っているからな」


 上着を拾って広げると、光陽の踏みつけた箇所が裂けていた。流石に着れないと判断したのか、袖部分を使って腰に結ぶ。


 「さて、聞きたいことは何かな?」


 光陽の目の前に少女は座る。楽しそうに微笑みながら、何を聞かれても偽り無く、真実を語る雰囲気を帯びていた。


 「……何で執拗にオレに固執する?」


 真剣な光陽の質問に、少女は何を言っているんだ、こいつ? と言った呆れた表情を作る。


 「こら。答えんかい」


 その様子に、ふざけろ、と光陽は怪訝そうな顔をすると、少女は彼の手を取る。何度も手当てを受けて、傷跡の残る光陽の手とは対照的に、傷一つ無い、白く綺麗な手をしていた。


 「何度も告げているつもりなのだがな」


 取った彼の手を持ち上げると、先ほど接触した口元まで持っていき、


 「―――――!?」


 思わず見とれていた光陽は、人差し指をそのまま噛みつかれ、瞬間的に手を引っ込めようと動いた。だが、常人を越える少女の力にピクリとも動かない。


 「痛てて!!」


 せいぜい声を出すだけで精一杯である。苦悶を洩らしていると、少女はゆっくりと顎を開き、噛んでいた光陽の指を口から放す。


 「我は、この世界に在る為に生まれた」


 指には歯形が残っていた。相当な力で噛みつかれた事を物語っており、皮膚が裂けて少しだけ血が流れ出ている。


 「止まっている世界を進めるに」


 少女は、その指を包むように手を添える。


 「終わらせるために」


 噛まれた指から伝わる痛覚を明確に光陽は感じているが、次第に和らいでいく。


 「そして――――」


 スッと包んだ手を外すと、噛まれて裂傷となっていた指の傷は、何事も無かったかのように消えていた。

 目の前で見せつけられた、非現実を光陽は疑う事は出来なかった。むしろ、驚きの方が大きく、唖然としてしまう。


 「解りやすく、質問の答えを言おう」


 少女は四つん這いで光陽へ身を寄せる。光陽は逃げるように下がるが、その後退よりも先に少女の顔が近づいていた。


 「我は、何よりも強き“存在”を持つ貴様に惹かれたのだ」


 再び、彼女は光陽に唇を重ねた。





 「…………」


 ざわざわと、道中立ち止まってビルの屋上を見上げる野次馬に、進む足を止められたナンドは、怪訝そうな顔で、何が起こっているのか確かめる。

 割れた地面、車線の方には窓ガラスの割れた車。凹んだガードレール。割れたガラスによって怪我をした者達が、何が起こったのかを警察に話していた。


 『少女』『青年』『破壊』『跳び上がり』『ビルの屋上』


 センの残したエネルギーで聴覚を引き上げて、必要な会話のみ集中して聴き入れる。


 「……『スライサー』じゃないのぅ。どういう事じゃ?」


 野次馬たちが見上げているビルを見上げると、屋上に対して“兵士”を一体だけ送った。

 そして、“兵士”の視覚情報を共有し、見た映像は二人の人間が抱き合っている所だった。それなら特に気にするほどではないが、“兵士”を通した視覚情報は、映る生物のエネルギーを数値化して見る事が出来るのだ。


 「……メイリッヒ」


 青年が一般成人男性で比べるなら20倍ほど。ノハの奴もこれくらいあるので、居ない範囲ではない。少女が、あの容姿の推定年齢で比べるなら、10000倍。普通におかしい。


 “なに? フェル君”

 「送ったデータ見て、教えてくれ。この少女(ガキ)は何者だ?」

 “……!? フェル君、急いで彼女確保して! 彼女は『王』です!”

 「例の“光の球体”か?」

 “恐らく……今解析してるエネルギーとの適合率は七割。映像越しだから、実際に会って見ない事には確実な事は言えないけど――――”

 「“極壁”は発動できそうか?」

 “流石にすぐの発動は無理だから、兵士で牽制して押さえて”

 「そう言うのは、国情かサスターの仕事じゃろ? わしの主義じゃない」


 ナンドはそう告げて一方的に通信を切ると、屋上を見上げた。これは勘だったが、あの程度で散ったとは思えなかったのだ。運がいい。


 「セン、起きろ。【光王】を殺る―――――」


 その時、銃声が響くと、ナンドは吹っ飛ぶように、頭に強い衝撃を受けた。


 「っ……」


 サングラスが砕けて落ちる。こめかみが切れて血が流れ出ていた。どこからだ!?

 野次馬たちは、銃声に悲鳴を上げて混乱する。現場を管理している警官が、伏せろ! と叫んでいた。

 二射目の銃声が響くと、ナンドの左胸に穴を開けていた。


 「……ぐ……ごほ―――――」


 そのまま仰向けにナンドは倒れる。貫通した左胸から、地面に血が広がっていった。





 倒れたナンドに、悲鳴と近くにいる救急隊員が駆け寄る。そして急いで処置を施していた。


 「……【兵士】フェルナンド・リーバー。厄介な奴だ」


 ライフルの空薬莢を抜き出しながらも、倒れたナンドの様子を明確に捉えている男――イレヴンは【魔王】側で最も厄介な人間にダメージを与えていた。そして、再び弾丸を装填する。

 念のため、頭を撃ち抜いておく。一射目がそうだったが、撃つと同時にナンドは無意識に半歩動いて頭の位置を外したのだ。結果、初弾は掠めるだけになってしまった。

 イレヴンは感知能力に極端に特化している【シャナズ】の人間だった。所属は暗殺が主な役割である『スライサー』と呼ばれる部隊であり、近場に滞在しているときに、任務の連絡が入ったのだ。


 『【魔王】の勢力の牽制』


 そんな彼の使うライフルは、エネルギーを送付する事で、弾丸の軌道を一回だけ変化させることが出来きる、特殊仕様の物だった。銃声は消音も選べるのだが、あえて鳴らすことで、周囲の混乱を狙ったのだ。唯一の欠点は一度に二発しか装填できないが、暗殺が主である己の役割としては、問題ない事だった。


 「だが……まさか一射目を躱すとは――――」


 イレヴンは、改めてフェルナンド・リーバーという存在が凄まじいモノであると肌で感じていた。そして、ソレに少なからずダメージを与えられたのも大きい。

 息があるかは解らないが、確実に始末を――――


 「…………」


 だが、イレヴンは引き金から指を離した。ナンドの周りに救護の人間が集まり、彼を救急していたからである。

 無関係の人間を巻き込むつもりはない。現状でもフェルナンドが助かる可能性は限りなく低く、これ以上の追撃は脱出に支障が出るかもしれない。


 「救われた……かもしれないな、フェルナンド・リーバー」


 そして、本命である【光王】の居るビルの屋上へ意識を向ける。その瞬間、膨大なエネルギーを持つ個体が、その屋上へ降り立った。


 「【光王】ではない……?」


 イレヴンが認識していたのは、鎧甲冑姿の背に翼の生えた存在だった。





 銃声と悲鳴。ビルの下からだと判断した光陽は、こんな事をしている場合ではないと感じていた。


 「どけ!」

 「あうっ」


 光陽は、マウントに居る隙だらけの少女を横に押し退かすと起き上がる。銃声? どこからだ―――


 「なんだ、そのまま押し倒すと思ったのに……」


 ちぇっ。と、少女は舌打ちをするとズレた帽子を整える。

 殺し屋か? 昨日の夜で全部誘き出したと思っていたが、まだ潜んでいる奴が居たのかもしれない。


 「クソッ……迂闊だった――――」


 銃声は二発。どこを狙った? 下?

 光陽は、身を屈めながらビルの下を注意して覗きこむ。下では慌ただしく動き回る救急隊員が居た。そして、血を流して倒れている男の姿も――――


 「!? ……一目じゃないか」


 倒れている男は見ない顔だ。それでも、狙いが自分で、間違って狙われたのかもしれないと感じて、拳に力が入る。


 「ふむ。どうやら狙いは、あの男だったようだな」

 「馬鹿!」


 普通に立ちながら覗きこむ少女の腕を掴んで強制的にしゃがませる。狙撃した奴が光陽を捜して、ここを見つけているのなら下手に顔を出すと撃ち抜かれる可能性があるからだ。


 「何を気にしている?」

 「死にたいなら止めないけどな。いいから黙って従え」

 「ふふん。例え、屋上から飛び降りても助けようとするくせに♪」

 「…………うっせ」


 そう、例え他人でも、目の前で死ぬ、殺される現場など光陽は望まない。例外として自分で手を下す以外は、目の前で命が消える事はなるべく回避していた。


 「貴様が気にする事ではないよ。アレはあっちの問題だ。いや、別の勢力かな? いやはや人気者は辛い」


 何か事情を知っている様子で、少女は顎に手を当てて、ふむ、と声を漏らして考えていた。当然、光陽は少女へ追及する。


 「どういう事だ―――――」


 その時、光陽の言葉を遮るように屋上の上空で光が集まっていた。彼と少女が、背後で光るソレに気づいた刹那、


 「――――なんと」

 「な、なんだ!?」


 集まった光は十字の光へと変わり、その重々しい重量によって屋上が揺れた。光は消え、拡散する。光陽は思わず腕で閃光を防ぎ、少女はまるで気にする様子も無く閃光を受けていた。


 「嘘だ……干渉はしないんじゃなかったのか?」


 光の十字架が消える。少女の言葉の意味は光陽に理解できなかったが、目の前に在る現実は理解できる。


 「おいおい……ドッキリじゃねぇよな……?」


 全身鎧甲冑と背に鳥のような翼を生やした非現実―――“翼の騎士”が形を成していた。

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