第一話-2
図らずしも俺の不安は的中してしまった。
翌日、退屈極まる終業式が終わった後、オカルト研究部は部室に集まる事になった。
珍しく札子が招集を掛けてきたのだ。
「札子が呼ぶのは珍しいな」
俺がすでに部室にいた札子に言うと、やっぱりソファーで寝転がっていた札子がのっそりと体を起こす。
普通なら美少女が台無しな動作ではあるが、そんな事で台無しになる程度の美少女では無いのが札子クオリティーである。
銭丸札子の名前の響きから、金髪オッドアイのクォーターを想像出来るような想像力を持っている様な人間はそういないだろう。
「で、まだ札子だけか?」
「ええ、そうみたい。じゃんぬはいっつも遅いし、妹ちゃんもまだよ」
「で、今日は何を企んでるんだ?」
「面白アイテムが手に入ったのよ。夏休みに入る前に始めようと思ってね」
「珍しくヤル気じゃないか」
「面白そうだし」
ロクな事じゃなさそうだな。
にんまり笑う札子を見ると、どうしても嫌な予感しかしない。
札子は家族以外ではもっとも付き合いの長い人物なので、こうやって笑う時には本人は面白く思っているだろうが、周りの迷惑を考えていない時である。
「何をするつもりだ?」
「それは皆が来てからにしましょう」
「札子は夏期講習とか無いのか?」
「ああん? 進学とか真面目に考えてないからねー。利休が私を嫁にもらって養ってくれれば、私はそれでいいんだけど?」
冗談じゃない。
札子は見栄えで言えば超一級品で、確かに俺と一緒に並んで歩いたらさぞかし絵になる事だろう。
だが、銭丸グループの親戚になるのはちょっと遠慮したい。
札子の兄である銭丸金夫氏は気さくな人なのは知っているが、見た目は二十四時間でテロを鎮圧出来る捜査官だし、金夫氏の奥さんの咲さんは凄い目力のある美人でその迫力はハリウッドでも通用しそうなので、ちょっと苦手だ。それに日本人とイギリス人のハーフの銭丸父である銭丸宝船(ほうせんと読む)も子供の時には遊んでもらった経験があるものの、歳をとっても筋肉の塊なので近寄りがたくなってきている。
今でも会うと子供の頃と同じ様に接してくれるが、秘書さんや付き人さん達から文字通り刺す様な目を向けられる。
銭丸グループの人達自体は良い人達なのだが、やはり気後れしてしまうので、あまり近寄りたくないと言うのが本音だ。
「利休って、私に対して普通よね」
「何がだよ」
「いや、ほら、私って家がアレだし、見た目もコレだからけっこう怖がられたりするのよね。でも利休はあんまりそう言うとこ無いでしょ?」
「まあ、付き合いも長いからな」
実際に知り合ったのが高校に入ってからとかなら、札子とここまで気楽に話せる様な仲にはなっていなかっただろう。
だが、すでに十数年の付き合いのある人物なので、あまり男女を意識しないで済んでいる。事勿れ主義な札子の性格も一役買っているのだろう。
「あれ? 兄と札子さん? 兄はともかく札子さんが起きてるのは珍しいですよね」
妹が部室に来た時、札子がいる事に驚いていた。
「妹ちゃん、相変わらず可愛いわね。どうしたらそんなに可愛くなるの?」
「札子さんの方が超綺麗ですよ。どうしたらそんなに綺麗になるんですか?」
「そうね、ハーフのオヤジと元ロシア人の母親を持てば、こう言う感じになると思うよ」
それはそうかもしれないが、妹の聞きたかった答えはそう言う感じの事じゃないだろう。ただ、銭丸兄妹の似てなさから、必ずしもそうはならないと言う事だ。
「妹ちゃん、小説の方は進んでるの?」
「え? いえ、それがあんまり」
「私も協力するからベストセラーを書きましょう。美少女女子高生作家としてデビューすれば、かなりお金になりそうなんだけど」
「札子さんが書いた方が良いんじゃないんですか? 超絶キレイですし」
「メンドくさいから妹ちゃんに養ってもらうのよ。そのためにはお金を稼がないと」
「札子さん、お金持ってるでしょ?」
「お金持ちは家で、私じゃないからねー。意外と自由にならないモンなのよ」
肩をすくめて札子は言うが、これはあくまでも銭丸グループの金銭感覚であって、一般人のモノでは無い。
現にこの部室には部員用にそれぞれにパソコンを銭丸グループによって用意されているし、札子が寝転がる様のソファーも学校の備品では無い。
「妹ちゃんが書いてるの、ちょっと見せてよ」
「ええ? 札子さんが読んで面白いモノじゃないですよ?」
「読んでみないとわかんないでしょ?」
札子はそう言うと、妹の使っているパソコンの電源を入れる。
妹は札子を尊敬している様なところもあるので、そこまで強く抵抗しようとしない。
「ファイルとかコレに入れてる?」
「はい、入ってますよ」
見せる気満々だな、妹よ。
二人がパソコンの前で何だかんだと言い合っていると、猛然とダッシュして井寺坂が部室に走り込んでくる。
「おっそくなりやしたー! うをぅ、さのりんに先を越されてるとは!」
妙にテンションが高い井寺坂である。
「じゃんぬ、テンション高いわね」
「明日から夏休みッスよ? そりゃテンションも上がるってモンっしょ。銭丸先輩は違うんスか?」
「いや、明日から夏休みなのは私も一緒だけど、去年もそうだったからね」
札子は妹と並んで、妙にテンションの高い井寺坂に言う。
去年に限らず、この十年近くはそう言うサイクルで夏休みが来ている。
俺は井寺坂程テンションは高まらないが、札子ほどどうでもいいと思っている訳では無い。これで宿題やら夏期講習やらが無ければ、俺も井寺坂寄りのテンションになってたと思う。
「銭丸先輩、何かあるんスか? いよいよ部っ長とラブラブ宣言ッスか?」
どこからそう言う話になったんだ?
「だったら、さのりんは私とラブラブしよう。小説作りも手伝うわよ?」
「え? あ、いえ、それは別に」
妹は札子の後ろに隠れようとする。
オカルト研究部にいれば井寺坂の性癖は目の当たりにするので、小学生の頃から知っている妹であっても警戒している。
「何で? 銭丸先輩には手伝わせてるのに、私じゃダメなの?」
「まあ、色々ダメだろう。札子もどうかとは思うけど、井寺坂も大概だもんな。基本的にスカート捲ろうとする様なヤツだし」
「ガチでアレな部っ長に言われたくないんですけどね」
何だと。札子もそんな表現をしていたが、俺が札子や井寺坂にガチでアレとか言われる様な何かがあるとでも言うのか?
「で、札子、全員揃ったが何を持ってきたんだよ」
「夏休みに入る前にイベントを、と思ってね」
札子はそう言うと、ソファーの横に投げられていた自分のカバンから、クリアファイルを取り出す。
そのクリアファイルから、数枚の羊皮紙とコピー用紙を取り出す。
「ウチのパパとかにオカルト研究部で何か研究したいって言ったらさ、パパの知人の著名な呪術師から『初心者でも簡単に出来る、お試し呪術。初級編』を手に入れてもらったから、せっかくなんでオカルト研究部で見せびらかそうと思ったのよ」
札子はニンマリ笑っている。
何、その嘘臭さ全開の羊皮紙。って言うか羊皮紙って初めて見たかも。大体著名な呪術師って実在するのか?
「うををを、それはアレですか? ネクロノミコンとか、ルルイエ異本とか、エイボンの書ですか?」
それは全部クトゥルフ神話の架空の魔道書で、ある意味オカルトでは無い。
俺はそう思ったが、そもそもオカルトにも興味の無い妹や札子は、今井寺坂が並べた単語にさえキョトンとしている。
まあ、魔道書の名前なんて知らなければ呪文にしか聞こえないだろう。
「じゃんぬ、悪いモノでも食べたの?」
「んあ、違うんスか? じゃあ、アレですか。グリモワールの類ッスか?」
「いや、グリモワールは基本的には召喚の類の書で呪術とは関係無いだろう」
「ああ、確かに。ソロモン王の鍵と言えば、悪魔召喚ッスからね」
俺のツッコミに井寺坂は頷いている。
「妹ちゃん、あいつらの言ってる事わかる?」
「オカルトトークなのは分かります。私の知識だと呪いって言えばブードゥー教のイメージが強いんですけど」
「私なんか藁人形しか思い浮かばなかったけどね」
妹と札子はそう言っている。
こいつら、何でオカルト研究部にいるんだ? 呪いが基本とは言わないが、せっかくだから知的探究心を満たそうという欲求とかは無いのか?
「で、その呪術書ですけど、お試し呪術ってどう言うモノなんスか? 銭丸先輩が手に入れてきたくらいだから、校長の有難いお話が要約されるとかですか?」
それは呪いでは無い。だが、それはそれで有難い話でもある。これから一ヶ月以上は聞かずに済むが、九月には確実に待ち構えているわけだし。
「どんな呪いかは知らないけど、そこそこ面白いって言ってたよ?」
銭丸グループのそこそこは一般人の常識とはかけ離れているので、どうなるのかは予想もつかない。
それがどれくらいかけ離れているかは、去年まで部室に無かった四台のパソコンと自前のソファーを用意した人間が、自分はお金持ちじゃないから大して自由にお金を使えない発言でも分かると思う。
大体そこそこ面白い呪術ってなんだよ。嫌な予感しかしないんだが。
「いいッスね。早速やってみましょう!」
「呪いですよ? ジャンヌさんがノリノリって良いんですか?」
妹が実にもっともな事を言っている。本人の意思はともかく、名前は聖女な井寺坂が呪いでノリノリなのは問題アリだろう。
「良いのよ。腹心はキャスターとして呼び出される様な名前だし」
井寺坂、お前はフランス軍の英雄に謝れ。あと、後に大量殺戮者になったとはいえ、フランス軍元帥にも謝れ。
「あっ、てことはプレラーティーの魔道書ですか? 海魔呼ぶんですか?」
「いやいや、だからアレはクトゥルフのルルイエ異本であってだな。そもそもプレラーティーは歴史上ではただのインチキ錬金術師であって、悪魔召喚でジル元帥をそそのかしただけの小物だ」
「妹ちゃん、アイツ等はほっといてコッチで準備しちゃいましょう」
「呪いの、ですか?」
「まあ、呪いっていうよりお呪い?」
まあ『初心者でも簡単に出来る、お試し呪術。初級編』と言う事を考えれば、『のろい』と言うよりは『まじない』の類なんだろう。
せめてそれくらいであってほしい。
妹と札子は机を片付け始め、大きめの画用紙を置けるスペースを作っている。
「銭丸先輩、私も参加させて下さい。部っ長とトークはもうイイですから」
井寺坂ははなはだ失礼な事を言う。
俺だって十分だ。それより『のろい』であれ『まじない』であれ、銭丸グループが手に入れてきた『初心者でも簡単に出来る、お試し呪術。初級編』の方が気になる。内容もさることながら、あの原本とおぼしき羊皮紙に凄く興味がある。
嫌な予感は相変わらずだが、『のろい』じゃなく『まじない』である事を期待したい。
なので俺も妹と札子に協力する事にした。
まず始めたのは、魔法陣の作成だった。円の中に星を描く様な魔法陣では無く、五角形に中にはみ出す様に六角形を描く様な歪な形であり、外周に模様にしか見えない文字を書いていく。
「札子、原本見せてもらえるか?」
「コレ?」
茶色くくすんだ厚手の紙で、妙な柔らかさがある。書いてある模様も文字も、まったく読めそうに無い。
札子の手元にあるコピー用紙に日本語訳が書かれているので、札子はそれを元に指示を出している。なので作業の途中で俺が札子から原本を借りても問題無い。
「札子、コレ何語だ?」
「なんて言ってたかな? サンチャンヘレテン語?」
「麻雀の役になりそこなった様な言葉だな」
って言うか、サンチャンヘレテン語ってどんなところで使われてるんだ? アマゾンの秘境とかか?
「札子さん、魔法陣書きましたよ」
妹が札子を呼ぶ。
無駄に絵心があるな。小説とかより絵を書いた方が良いんじゃないか、妹よ。
「はいはい。次はねー」
札子は日本語訳を見ながら指示を出していく。
魔法陣を書き終えた後、今度は魔法陣に生贄を乗せていく。
と言っても、名目上の生贄であって実際に何かを生贄に捧げる訳ではない。具体的には消しゴムのカスや、それぞれの髪などを乗せていく。
「銭丸先輩、何か呪いの魔法陣に自分の髪を乗せるって、ガチで生贄にされてる気がするんッスけど」
井寺坂が珍しく不安そうな顔をしている。
「大丈夫よ。私の髪も乗せてるし。ほら、この金色の髪が私の」
言われなくても分かる。このメンバーはもちろん、北高でナチュラル金髪は札子しかいないのだから。
「オカルト研究部でロシアンルーレット。わあ、楽しい」
いや、楽しんでるのはお前だけっぽいな。
呪いの術に協力し始めた時にはノリノリだった井寺坂でさえ、完成に近付いてくるとだんだんテンションが下がっている。
しかもロシアンルーレットであればまだマシで、場合によっては全員が等しく呪いを受けることになりかねない。
「やっぱ、やめときますか」
一番乗り気だった井寺坂が、最初の勢いが消えたらしく、むしろ身の危険を感じ始めたようだ。
「えー? なんでここまで来てビビってるのよ、じゃんぬらしくもない」
「いや、銭丸先輩、大丈夫なんスかね?」
「んー? 大丈夫なんじゃないの? 初級編なんだし」
札子はいつもの通りである。
しかし、考えてみると著名な呪術師というのが本物かはともかく、銭丸グループと繋がりのある人物のはずだ。そんな人物が初級編として取り返しのつかない様な呪いのアイテムを渡す、という事は考えにくい。
そう考えれば、嫌な予感はまだ続いているが危険はそこまで大きく無い可能性が高いのでは無いか?
「俺は行ってみようと思うんだが、札子は別にして、妹と井寺坂はどうする?」
俺は念のため井寺坂と妹に確認する。
「まあ、部っ長がそう言うんなら」
「私も兄と札子さんが言うんなら。ちょっと面白そうでもありますし」
最初はノリノリだった井寺坂が、今は一番及び腰になっている。一方の妹はオカルトに興味が無いせいか、札子が大丈夫と安請け合いしているのを真に受けているようだ。
「よーし、満場一致で決まった事だし、続けるわよ」
珍しく札子がヤル気になっている。
考えてみれば、なんでこいつは普通に公立校に通ってるんだろう。学力でもスポーツでも、ついでにいえば財力でも名門私立に行けただろうに。
と、思っていたが、札子の事だから家の近くの高校を最優先で選んだのだろう。
札子がメモを見ながら、棒読みで得体の知れない呪文を読み上げる。
「以上で、契約を示す」
と札子が言うが、しばらく待っても何か起きた様には見えない。
「札子、何か起きたのか?」
「起きてるじゃないの。ほら、髪の毛とか無くなってる」
札子はそう言うって、魔法陣を指差す。。
なるほど、確かに魔法陣に乗せていた生贄は無くなっている。ただ、それを超常現象と言うにはちょっと弱過ぎないか? あの生贄は溜息で吹っ飛んで無くなる程度のモノだし、俺としてはもっと超常現象的な演出も期待してたんだけど。
「それで、銭丸先輩、具体的にどんな事になるんスか?」
「さあ? よく知らない」
札子は首を傾げる。
確かに最初にそんな事は言っていたが、本当に何も知らずにやってたのかよ。
いかにも札子らしいが、今さらながら不安になってくる。
「ところで、何か変わってますか?」
妹が俺達を見て言う。
「何か変わって?」
俺もつられて周りを見るが、皆不思議そうに首を傾げている。
「不発ッスか?」
井寺坂が確認する。
「んー? 生贄も消えてたから、成功だとは思うんだけど。どうよ、利休。お茶でも入れたくなった?」
「ふざけんな。名前ネタに触れるな」
「じゃんぬは? 神の声が聞こえる様になったりしてない?」
「いやー、戦争してないッスからねー」
「札子さん、私には名前ネタありませんから」
妹が先手を打って札子に言う。
「何か起きてると思うんだけどなー。手応えあったし」
「何の手応えだよ。大体お前も初心者どころか初呪術だったんだろ? 手応えとか分かるモノなのか?」
「なんか、そういう感じだったんだけどなー。ま、失敗ならいいか」
札子はそう言うと、呪術に興味を無くしたらしい。
「ところで札子、この原本とかメモとかもらえないか? 俺なりに研究してみたいんだが」
「どっちも返さないといけないから、コピる? 別にコピーしちゃダメっては言われてないし」
意外に徹底してるな。本物っぽい。
「はー、何かビビったッスよ。今度は効果がはっきりした呪術をやりましょう」
「それじゃ面白くないじゃないの」
呪術に面白さを求めるな。
俺は心の中でそう思っていた。
結局呪術の効果が目に見えなかったため、俺達はそれぞれの時間を過ごした。
オカルトに興味の無いメンツが半数いるのに集まりが良いオカルト研究部は、不思議な事に夏休みになっても部室に集まってきていた。
俺は先日コピーを取らせてもらったサンなんとか語の呪術書を調べていた。
俺が夏休みにも部室に来て呪文書を調べているには、深いワケがある。
隠しても意味が無いのでぶっちゃけるが、自宅にパソコンが無い。妹にはあるのに。この不公平を親にぶつけた事もあったが、その結果は夏休みに学校に来ている事でもわかると思う。
井寺坂もパソコンは持っているらしいが、井寺坂家ルールによる使用制限があるらしい。妹と札子に関しては何故学校に来ているのかは予想もつかない。
それから数日後。
七月の終わり頃に、俺はいつもの様に学校に行こうとしていた。
が、いつもなら俺より先に学校に行く準備を済ませているはずの妹がいない。
「おーい、行くぞ」
と、声をかけても妹は部屋から出てこない。
何だ、具合でも悪いのか? もしそうだったら札子を焚きつけて、銭丸グループお抱え医師団に診てもらう事にしよう。
「どうした、具合でも悪いのか?」
俺が妹の部屋の前で声をかけると、妹が泣きはらした赤い目で部屋から出て来る。
「な、ど、どうした?」
いつも弱々しい表情をしている妹だが、明らかに何か大事だと分かる。
「あ、兄」
泣き疲れているはずなのに、俺を見るとまた泣き出した。
「な、何だ? どうしたんだ?」
「私、背がちっちゃくなってる」