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エピローグ



時が流れるのは、水面に落ちた桜の花びらが海へと辿り着くように、静かで、しかし確かな軌跡を描くものである。


神龍寺雅由美が、幾多の修羅場を優雅な微笑みでくぐり抜け、日本の表裏を完全に掌握してから、長い年月が過ぎ去っていた。

五十路を過ぎた彼女は、その美貌に衰えを見せるどころか、年を重ねるごとに凄みと慈愛を増し、今や生きた伝説として君臨している。

艶やかな黒髪を美しい夜会巻きに結い上げ、人間国宝が丹精を込めた極上の訪問着を纏うその姿は、神々しいまでのオーラを放っていた。


現在、彼女は政財界および裏世界において、畏敬の念と底知れぬ恐怖、そして絶対的な信頼を込めて、こう呼ばれている。


『奥の院の母』と。


「……総理。焦らずとも、日本は明日すぐに沈んだりしませんわ。お茶が冷めますよ」


「は、はい……っ! 奥の院の母のお言葉、深く、深く肝に銘じます……っ!」


神龍寺本邸——通称『奥の院』と呼ばれる広大な日本庭園に面した大広間で。

額から滝のように脂汗を流し、深々と畳に頭を擦り付けているのは、一国の最高権力者である内閣総理大臣であった。

内閣府が行き詰まり、政策の行方に暗雲が立ち込めると、こうして時の権力者たちが極秘裏に黒塗りの車を連ねて助言を乞いに来る。

世に言う『奥の院行脚』である。


「今回の法案、某国の横槍が入っているようですが……。あちらのルートは、うちの『卒業生』がすでに根回しを終えております。総理は表舞台で、堂々と胸を張って答弁なさいな」


「おおおっ……! 神龍寺様にそう言っていただけると、百万の味方を得た心地であります!」


雅由美が扇子を静かに開いて微笑むと、総理は安堵のあまり、その場で泣き崩れんばかりに拝み倒した。


雅由美が語った『卒業生』——それは、政界、財界、官僚界に深く根を張る、恐るべきエリート集団であった。

かつて雅由美が直接目をかけ、資金と教育を惜しみなく注ぎ込んだ『紫光縁』『虹光縁』『抱光縁』といった孤児院の出身者たちである。

彼らは皆、雅由美の冷徹な知略と、弱きを守る深い慈愛を叩き込まれた『雅由美塾』の門下生であった。


あの時、ヤクザになりたいと豪語していた浩二は、今や警察庁を裏で動かす伝説の公安トップとして、国の治安を影から守り抜いている。

健斗は世界を牽引する自動車メーカーの若きCEOに。香苗は国内最大の医療財団を束ねる理事長に。

『雅由美塾』の出身者は、その圧倒的な実力と清廉さから、政財界で最高待遇で迎え入れられ、現に多くの著名人を輩出していた。

彼らの心の中には、常に『奥の院の母』への絶対的な忠誠と恩義が刻み込まれているのである。



「……お母様。総理のお相手、お疲れ様でした」


総理が逃げるように(しかし足取りは軽く)帰っていった後。

大広間に、重厚でありながらも爽やかな風を纏った、一人の壮年の男性が姿を現した。


「獅雅斗。……今日も立派な顔つきですこと」


雅由美は、扇子を置き、目尻を優しく下げて愛息を迎えた。


かつて無邪気にランドセルを背負い、ホワイトタイガーと戯れていた獅雅斗は、

今や、誰もが振り返るほどの非の打ち所のない美丈夫へと成長を遂げていた。

神雅総合商社を一代で世界規模の『総合コンサルタントカンパニー』へと発展させ、

国内のメガバンクをも完全な傘下に収めた、若き絶対的カリスマCEOである。


「お母様の教えの通り、表の経済は神雅が全てコントロールしております。……裏の『お掃除』も、俺の代で完璧にシステム化しました。もう、お母様が自ら手を下す必要はありません」


獅雅斗は、最高級のイタリア製スーツを完璧に着こなしながら、母の前でだけ見せる、柔らかく甘えるような笑みを浮かべた。

彼の心には、幼い頃から背中を見て育った無敵の母への、果てしない尊敬と愛情が満ち溢れている。


「ふふっ。頼もしいことですわ。でもね、獅雅斗……」


雅由美は、静かに立ち上がると、縁側から暮れゆく茜色の空を見上げた。


「人間という生き物は、光が強くなればなるほど、必ず濃い影を生み出すもの。その影を恐れず、美しく統べることこそが、私たちの使命なのです」


「……はい。分かっております、お母様」


「あなたは、あなたのやり方で、この国を……いえ、世界を優しく導いていきなさい。私は、ここからいつでも、あなたを見守っていますから」


雅由美が振り返り、この上なく優雅で、そして圧倒的な母の愛に満ちた微笑みを向けると。

獅雅斗は、世界を動かす最高権力者としての顔を崩し、一人の息子として、深く、静かに一礼をした。



秋風が、庭園の枯山水を美しく撫でていく。

孤児院の子供たちを救い、極道たちに涙を流させ、世界の権力者たちを震え上がらせた、かつての若き女帝。

五十路を超え、名実ともに『奥の院の母』となった彼女の背中には、今も変わらず、青と金の美しい『上り龍』が誇り高く宿っている。


日本という巨大な国家の、光と闇。

その全てを、細い腕一つで優雅に抱きしめ、浄化し続けた無敵の令嬢の物語は。

彼女の血と教えを受け継いだ若き王・獅雅斗の輝かしい未来と共に、

どこまでも美しく、そして永遠に、気高き空へと昇り続けていくのであった。


(了)



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