第1話 尊き命が爆誕しました
はじめまして!
よろしくお願いします!
二日に一話更新予定です!
レーヴェン侯爵家は、王国でもかなり名の知れた家らしい。
らしい、というのは、幼いアルトにとって「王国でもかなり名の知れた家」という評価が、いまひとつ生活実感に結びつかなかったからだ。屋敷は広いし、廊下は長いし、暖炉は惜しみなく燃えているし、使用人も多い。出てくる料理はいつも立派で、庭も見事だ。なるほど、すごい家なのだろうとは思う。
ただ、五歳前後の子どもにとって切実なのは「名門であること」より「食堂が遠いこと」のほうである。広い屋敷というのは、住んでいる側からするとちょっとした移動がだいたい遠征になる。今日も遠いな、と思いながら歩く朝もある。侯爵家の格式はたぶん、そのへんの不便さを補って余りあるものなのだろうが、幼児の足にはそこまで関係がなかった。
ただ、その家が息苦しい場所だということは、アルトにもよくわかっていた。
理由は簡単だ。父、レオンハルト・レーヴェン侯爵である。
父は厳格な人だった。いや、厳格という言葉だけでは少し足りない。物事をひどく単純に切り分ける人だった。できるか、できないか。役に立つか、立たないか。強いか、弱いか。そこに情を挟む余地はあまりない。子どもだから仕方ない、という発想がそもそも薄いらしく、失敗にも未熟にも寛容ではなかった。
怒鳴るわけではない。むしろ逆だ。声は低く、静かで、淡々としている。だからこそ怖い。静かな人に冷たく評価されると、人は案外しっかり傷つくのだと、アルトは幼いながらに学んでいた。できれば学びたくなかった知識だが、そういうものほど勝手に身につく。世の中は理不尽である。
母のエレノアは、父ほど冷たい人ではない。ただし、甘やかす人でもなかった。貴族の子には務めがあり、それを果たすために学び、鍛えるのは当然だと考えている人だ。やさしさはある。たしかにある。けれどそれは、あたたかい毛布をふわっとかけてくれる種類のやさしさではなく、「起きなさい、遅れますよ」と朝日とともに現れる種類のやさしさだった。とても正しいし、間違っていない。間違ってはいないのだが、もう少しだけ寝ていてもよいのではないでしょうかと思う朝はある。もちろん口には出さない。教育が増えそうだからだ。
そんな家の中で、アルトにとって救いだったのは、兄との関係が悪くなかったことだ。
兄の名はエドガー・レーヴェン。アルトより五つ年上の長男で、将来この家を継ぐ人だった。白銀の髪に、鮮やかな赤い瞳。父譲りの整った顔立ちをしているが、纏う空気は父よりずっと人間らしい。あまり口数は多くなく、態度もぶっきらぼうで、表情の変化も少ない。ぱっと見は近寄りがたい。実際、幼いころのアルトも最初は少し怖かった。
もっとも、それはアルトだけの話ではなかったらしい。
今では想像しにくいが、エドガーは最初、アルトのことをあまり好いていなかった。これは誰が明言したわけでもないが、いまとなってはだいぶわかる。突然できた弟。自分の立場を脅かす存在とまでは思っていなかっただろうが、少なくとも無条件に歓迎していたわけではないはずだ。レーヴェン侯爵家の空気を考えれば、なおさらである。
ところが、その弟が妙に兄へ懐いた。
「兄様、おはようございます」
「兄様、あれ取っていただけますか」
「兄様、すごいですね」
「兄様もかっこいいですよ」
このへんを毎日やられれば、だいたいの人は何らかの影響を受ける。アルトに悪気はない。ただ兄が好きで、兄が頼れて、兄がかっこいいと思っていただけである。だが、家族愛をまっすぐぶつけられ続けた結果、エドガーはどうも立派なブラコンへ育ってしまったらしかった。
もちろん本人にその自覚はたぶんない。ないが、挙動がかなりそうである。
高い棚の本が取れなければ、無言で取ってくれる。庭で転びそうになれば、自然に腕をつかんでくれる。父に書斎へ呼ばれて行くときなどは、偶然を装って近くの廊下にいる。偶然を装っているつもりなのだろうけれど、かなりいる。何度もいる。もう少し工夫したほうがよいのではと思わなくもないが、本人がそのあたりを恥ずかしがりそうなので言わないでおく。
そんな兄が、母の懐妊以降はさらに落ち着かなくなっていた。屋敷の空気が変わっていることを、兄も敏感に感じているのだろう。そしてたぶん、新しく生まれてくる妹弟のことを、すでにだいぶ気にしている。お兄ちゃん頑張らなきゃ、という空気が、言葉にされずとも見て取れた。わかりやすい人ではないのに、そのへんだけ妙にわかりやすいのが兄様の不思議なところだった。
そのころのアルトには、まだ前世の記憶がなかった。
ただレーヴェン侯爵家の次男として生まれ、白銀の髪と青い瞳を持つ子どもとして育ち、この家の空気を子どもなりに読んでいた。父の前では余計なことを言わないほうがよいこと。兄はぶっきらぼうだけれどちゃんとやさしいこと。母は厳しいが不公平ではないこと。そうしたことを少しずつ学んでいた。
だから、屋敷の中の空気が変わったことにもすぐ気づいた。母が長く自室にこもり、侍女たちはいつもより足音を忍ばせ、使用人同士の声も抑えられている。兄まで落ち着かなそうな顔をしていた。父だけは何も変わらない。いつも通り執務をこなし、いつも通り食卓につき、いつも通り必要なことしか言わない。その変わらなさがかえって、屋敷全体の緊張を際立たせていた。
春の終わりの午後、乳母のマルタに手を引かれて母の部屋へ向かったとき、アルトは少し胸を高鳴らせていた。何が起きているのか、ようやく知れるのだと思ったのだ。
「アルト様、今日は静かにしていてくださいましね」
「はい。ちゃんとします」
「よろしい子です」
マルタは丸顔のやさしい女性で、アルト付きの乳母だった。父の前ではきびきびしているが、アルトの前では目元をやわらげることが多い。扉をそっと開けながら、彼女は小さな声で言った。
「驚かれませんように」
部屋の中には薬草の匂いと、湯気の残り香と、清潔な布の香りが混ざっていた。窓辺の薄いカーテンから春の光がやわらかく差し込み、その中央で母が枕に身を預けている。疲れてはいるようだったが、表情は穏やかだった。
そして寝台のそばには、小さな揺り籠がふたつ並んでいた。
「アルト、いらっしゃい」
「母上」
「あなたの妹と弟ですよ」
母にそう言われて、アルトは寝台のそばまで歩いていった。そして揺り籠の中をのぞき込んだ、その瞬間だった。
小さい、と思った。
とても小さい。
驚くほど小さい。片方は金色のやわらかな髪を額へ貼りつかせ、小さな手をきゅっと握っている。もう片方は眠ったまま口をわずかに動かしていた。二人とも同じような金の髪を持ち、そのまつげの下に、のちに赤と青のオッドアイを宿すことになる瞳を閉じている。
こんなにもか弱く、守られなければ生きていけないものがあるのだと、そのときのアルトは初めて知った気がした。正直、少し触るのも怖い。自分の手のほうがよほど乱暴に思える。うっかりしたら壊れてしまうのではないかと、本気で思った。
「この子がフィオナ。こちらがルカです」
「フィオナ……ルカ……」
そっと名前を繰り返した、その瞬間だった。
頭の奥で、何かが弾けた。
視界が揺れたわけでも、足元が崩れたわけでもないのに、世界が急に遠くなった気がした。目の前には揺り籠があるのに、同時に、まるで別の景色が一気に流れ込んでくる。
夕方の道路。買い物袋。左右からつないだ小さな手。弟と妹。血のつながりはなくても、何より大切だった家族。信号。ブレーキの悲鳴。突っ込んでくる車。考えるより先に、僕は二人を突き飛ばしていた。
守らなきゃ、と思った。
それだけだった。
妹の泣きそうな顔。弟の見開かれた目。伸ばされた手。次の瞬間には衝撃が全身を打ち抜いて、痛くて、苦しくて、それでも最後まで胸にあったのは、どうか二人が無事でいてほしいという願いだけだった。
そこで記憶は途切れている。
つまり僕は、前世で、弟妹を庇って死んだのだ。
「アルト?」
母の声に、はっと我に返った。気づけばアルトは揺り籠の縁を強く握りしめていて、指先が少し震えていた。マルタが心配そうに見ていたが、それより先に、胸いっぱいに広がる感情があった。
愛おしい、と思った。
目の前の双子が、どうしようもなく愛おしかった。
前世の弟妹とは違う。名前も顔も世界も違う。でも、それが何だというのだろう。この子たちは今の僕の妹と弟で、それだけで十分だった。小さくて、頼りなくて、守ってあげなければと思ってしまう。胸の奥にあふれたその気持ちは、迷いようもなく本物だった。
「……かわいい」
思わずこぼれた言葉に、母が少しだけ笑った。
「そうでしょう」
「はい。とても」
「大切にしてあげなさい」
「はい」
そして、その返事といっしょに、アルトは胸の中で静かに決めていた。
この子たちは、僕が守る。
フィオナとルカ。僕の妹と弟。前世では最後まで確かめられなかった願いを、今度こそ形にしたい。泣いていたら傍にいられるように、転びそうなら支えられるように、困ったときには迷わず手を伸ばせるように。
その日から、アルトは変わった。
周囲から見れば、双子に夢中な兄になっただけだったかもしれない。毎日のように双子の部屋をのぞきに行き、眠っていれば顔を見つめ、泣けばおろおろし、小さな手が動くだけで嬉しくなってしまう。フィオナが少し唇をもごもごさせれば気になって、ルカがあくびをすれば頬がゆるむ。気づけば「今日もかわいいですね」「今日も元気ですね」と報告している。誰に、という話だが、主にマルタとサラである。たぶん多少うるさい。いや、だいぶうるさいかもしれない。
「アルト様は、本当にフィオナ様とルカ様がお好きですね」
「はい。だって、かわいいので」
「それはもう、見ていればわかります」
サラに笑われたとき、アルトは少しだけ耳が熱くなった。だが否定はできない。否定する理由もない。この子たちはかわいいし、いずれかっこよくもなるに決まっているし、守るべき存在なのだから仕方ない。アルトの中ではだいぶ理屈が通っていた。
そして、その変化をいちばん食らったのは、たぶんエドガーだった。
もともと弟に懐かれて絆されていたところへ、今度は下の双子まで増えたのだ。兄であることを強く意識せざるをえない。しかもアルトは双子のことになると遠慮なく愛情をぶつけるので、エドガーもその空気に巻き込まれる。
「兄様、フィオナ見ました? かわいいですよ」
「見た」
「ルカも今日ちょっとだけ笑いました」
「……そうか」
「兄様も抱っこします?」
「なぜ俺が」
「兄様だからです」
「意味がわからん」
意味はわからないが、最終的に抱っこはする。そういうところである。ただ、かわいがるだけでは足りないとも、アルトは思っていた。
守るためには、力がいる。知恵も、体も、いざというときに動けるだけの何かも。
その思いがはっきり形になったのは、五歳を迎えて少ししたころだった。父に書斎へ呼ばれたのである。
重い扉の向こうで、父は机に向かったまま書類から目を上げた。その灰色の目に見られると、身体が少し強張る。
「アルト」
「はい、父上」
「お前も学びを始める年だ」
「……はい」
「レーヴェンの名を持つ以上、無能であることは許されん。お前が何を成せるか、今後で示せ」
やっぱりな、と思った。励ましも気遣いもない。最初にあるのは期待ではなく、結果を示せという命令だけだ。父にとって子どもは、育てるべきものではなく、見定める対象なのだろう。ここまで一貫していると逆に清々しいが、こちらとしてはもう少しこう、言い方というものがあってもよかった。せめて「励め」くらい添えても減るものではないと思うのだが、父の中ではたぶん減るのだろう。情緒とかが。
「勉学、礼儀、歴史、算術、統治の基礎、剣術、そして魔術理論を学ばせる」
「魔術も、ですか」
「当然だ。ただし適性検査はまだできん」
この世界の魔術には、生まれ持った適性がある。炎、水、風、土の四大元素。そのどれに適性があるかによって、扱える魔術の系統は決まる。炎の適性がない者に炎は扱えず、水の適性がない者に水は扱えない。四大元素に関しては、才が絶対なのだ。
ただし例外もある。神の威を借りる神聖魔術、精霊に魔力を与えて力を借りる精霊魔術、死者を扱う降霊魔術。この三系統だけは四大元素とは別枠で、属性適性がなくても条件を満たせば学ぶことができる。
けれど四大元素の適性検査は、幼い子どもにはまだ行えない。魔力が未成熟で、結果が安定しないからだ。一般には七歳ごろが適齢期とされ、それまでは理論と基礎だけを学ぶことになる。
「適性もわからぬうちから夢を見るな。今は基礎を覚えろ」
「はい」
「結果が出せぬなら意味はない。忘れるな」
「……はい、父上」
書斎を出たあと、胸の中には重たい息苦しさが残った。父の言葉はいつもそうだ。たぶん間違ってはいない。でも、冷たすぎる。まだ子どもである僕の不安も緊張も、あの人にとっては取るに足らないものなのだろう。
廊下を歩いていると、角の向こうから兄様が現れた。たぶん偶然を装っていただけで、少し前から僕が出てくるのを待っていたのだと思う。兄様は何でもない顔をしていたが、目だけがこちらを見ていた。
「呼ばれていたのか」
「はい」
「……父上は?」
「勉強しろって言われました」
「そうか」
兄は少し黙り、それからごく自然なふうを装って僕の頭に手を置いた。ぽん、と一度だけ。すぐ離れたけれど、それだけで十分だった。
「最初は皆そう言われる」
「兄様も?」
「ああ」
「……僕、できますかね」
「できる」
即答だった。
胸の奥にじんわりあたたかいものが広がる。兄様は少し気恥ずかしくなったのか、視線をそらして言った。
「お前は覚えがいいほうだ」
「ほんとうですか」
「……たぶん」
「たぶんなんですね」
「うるさい」
そう言って歩いていってしまう背中を見送りながら、アルトは少し笑った。やっぱり不器用だなあ、と思う。でも、その不器用さが嬉しかった。
こうしてアルトの学びの日々が始まった。
朝は礼拝のあと、家庭教師のオズワルドのもとで机に向かう。文字の書き取り、歴史、地理、算術、王国法の初歩、貴族の義務、領地経営の基本。五歳の僕には難しいことも多かったけれど、不思議と嫌ではなかった。むしろ知ることが増えるほど安心した。知らなければ選べないし、選べなければ守れない。そんな感覚が、前世の記憶と混じり合って胸の中に根を張っていたからだ。
剣術はもっと大変だった。教官のガレスは元騎士で、木剣を握る手の角度ひとつにも妥協しない。木剣は重いし、構えだけでも腕が痛む。足運びを間違えれば何度でもやり直しだ。それでもアルトは弱音を吐かなかった。いざというときに役立たない優しさなら、最初からいらないと思っていたからだ。ついでに、泣いたところで稽古が減る気もしなかった。むしろ増えそうだった。ガレス教官はそういうところがある。かなりある。
魔術理論の授業は、また別の面白さがあった。教えてくれるのは女魔術師のミレイア先生で、細い指で教本を叩きながら、魔術を神秘ではなく理として教える人だった。
「四大元素魔術は、適性なき者には扱えません。炎の才なき者に炎は応えず、水の才なき者に水は従いません」
「じゃあ、僕はまだ、どれが向いてるかわからないんですね」
「ええ。適齢期の検査までは。ただ、理論を学ぶ意味はあります」
「神聖魔術とか、精霊魔術とか、降霊魔術も?」
「それらは別系統です。神聖魔術は教会で、精霊魔術は精霊が見える者に、降霊魔術は幽霊が見える者に、それぞれ学ぶ道があります」
「そうなんですね」
「はい。ですから今のあなたは、焦らず基礎を学ぶのがいちばんです」
アルトは勉学も剣術も魔術理論も、ひとつずつ丁寧に覚えていった。ただ暗記するのではなく、どうしてそうなるのかを考えながら。歴史なら前後の流れを、算術なら使いどころを、剣なら重心を、魔術なら理屈を。前世の記憶があるせいか、ばらばらのことをつなげて覚えるのはあまり苦ではなかった。
すると、周囲はそれを見ていてくれた。
ある日の授業の終わり、オズワルドは教本を閉じて、僕をまっすぐ見た。
「アルト様、あなたは物覚えがよろしいですね」
「……そうですか?」
「ええ。ただ覚えるだけではなく、前後をつなげて理解しておられる。それは立派な長所です」
「ありがとうございます」
「その調子で続けなさい。学ぶことに真面目な子は、必ず伸びます」
そういうふうに真正面から言われると、少しくすぐったかった。けれど嬉しかった。父に言われる「結果を出せ」は冷えるが、先生の「伸びます」はあたたかい。同じようなことを言っているはずなのに、ずいぶん違うものだな、と子どもなりに思った。
剣術でも同じようなことがあった。訓練の終わりにガレス教官が腕を組んで言ったのだ。
「アルト様は覚えたことを身体に落とし込むのが早いですね」
「ほんとうですか」
「ええ。自分で考えて動いておられる。そういう子は強くなります」
「……ありがとうございます」
「その真面目さを失くされぬよう」
「はい」
「それはそれとして、明日も素振りは増やします」
「やっぱり増えるんですね」
「当然です」
誉められたと思ったら、その場で未来の負荷が確定した。油断も隙もない。けれど、まあ、それが悪い気はしなかった。ガレスなりに期待してくれているのだろうと思えたからだ。
ミレイア先生もまた、魔術理論の授業のあとで微笑んだ。
「アルト様は、理を知ろうとなさるのですね」
「ちゃんと覚えたいので」
「とてもよいことです。適性検査前の子どもは、理論を退屈がることも多いのですが、あなたは違う。学ぶ者として見込みがありますよ」
「ありがとうございます、ミレイア先生」
見込みがある。そう言われると、胸の奥がじわっとあたたかくなる。父からは決してもらえない種類の言葉だった。
ある夕方、勉強を終えて双子の部屋へ向かうと、ちょうど兄様が扉の前に立っていた。中をのぞこうとして、でも自分が先に入るのも何だか気恥ずかしいのか、妙に中途半端な位置で止まっている。
「兄様?」
「……いや」
「フィオナとルカ、見に来たんですか?」
「ついでだ」
「そうなんですね」
「何だ、その顔は」
「別に何も」
僕が少し笑うと、兄様はむっとしたように眉を寄せた。けれどそのあと、僕の顔を見て小さく言った。
「お前、最近ちゃんとやっているらしいな」
「先生たちが言ってました?」
「ああ」
「……がんばってます」
「そうか」
それだけ言って、兄様は少しだけ目をそらした。
「なら、そのまま続けろ。悪くない」
ぶっきらぼうな言い方だった。でも、その言葉が嬉しかった。兄様なりに認めてくれているのだとわかったからだ。ついでに、そのあと何でもないふうを装ってルカの頭をひと撫でしていたのも見た。兄様は本当に、もう少し堂々としてもいいと思う。
その夜、双子の揺り籠のそばに立ちながら、アルトはしばらくフィオナとルカの寝顔を見つめていた。フィオナは静かに眠っていて、ルカは小さな手を布の外へ出している。そっとそれを戻してやると、胸の奥がまたやわらかく熱くなった。
今の僕はまだ何者でもない。剣だって始めたばかりだし、魔術の適性もまだわからない。父に認められるには、きっとずっと足りないだろう。
それでも、ひとつだけはっきりしていた。
強くなりたい。
賢くなりたい。
この子たちを守れる兄になりたい。
前世では最後まで見届けられなかった願いを、今度こそこの手で叶えるために。フィオナとルカが安心して笑っていられるように。そのために必要なものを、ひとつずつ積み上げていこう。
揺り籠のそばで、アルトは小さく息を吐いた。
「お兄ちゃん、強くなるからね」
眠っている双子に届くはずのない、小さな約束だった。けれどその夜、レーヴェン侯爵家次男アルト・レーヴェンの中で確かに何かが始まっていた。誰にも知られないまま、静かに、けれど確かな決意として。
高評価やコメントが励みになります!
別サイトにて掲載もありますのでそちらも気になる方は見てくださると嬉しいです!
Xでは作品にかかわるイラストや関係ないこともつぶやいてますのでよかったら見てみてね!




