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30. 知らない方がいいこともある


 捜索班は二体目の死体を見つけた。転がる石は既になく、石柱や地面から伸びる棒状の突起が目立つ場所まで来ていた。

 検分していた班員が顔を上げる。


「これも人の手によるものですね」

「ああ、獣が潜んでいる可能性は低いとみていいな」


 同じように覗き込んでいたボーデンも頷いた。

 糞尿や毛、食べ残しなどの痕跡も見つけていない。死体についている歯型も人のものに見える。真っ暗闇では相手を見失ったらおしまいだ。剣を使うどころではなく、互いに掴んだまま殺り合ったのだろう形跡がありありと見てとれた。それらも含めて、獲物がいるでもない全く光の届かない洞窟の奥深くまで、肉食獣が入り込んでいるとは考え難いとの見立てがなされた。タインの聞いた声は、おそらく人の声であろうと。


「でも直ぐに俺達が徒党を組んでやってきましたからね」


 相手が人間だけならと、一同の間に広がりかけた緩んだ空気は直ぐに消え、緊張感を取り戻した。


「そうだな、人間を見慣れていない獣なら警戒して身を潜めもするだろう。だがそうであるなら、得体の知れない怖いものとして印象付けることができれば安全を確保できるということだ。隙を見せるな。隊列を保って進む」


 捜索班は六名で構成されている。死体の検分に集まっていた四つの灯りが一つずつ離れ、見張りに立っていた二つが後に続く。


「おいタイン、先行は許してないぞ」


 数歩で隊列から抜け出したタインはボーデンに見咎められた。

 安全を確保しながら進まねばならないことはタインとて解っている。だが六名では進みが遅かった。始めは突き当たりを探し当てるまで、洞窟が伸びている方向さえ判らなかった。それだけどの方向にも空間が広いのだ。足場が幾らか良くなっても、横穴があれば調べ、急襲の可能性を潰しながらの捜索は、実に遅々としている。タインが逸っている気配は、隠していても察するものがあったのだろう。ボーデンはタインには余分に目を配っていて、異変に気付くのも早かった。ただ、タインが走ったのはそれが理由ではない。


「ツァマーグです!」


 溜め込んでいた苛立ちが怒声になった。邪魔なランタンを別方向へ向かって放り投げる。


「そっちにも一人!」


 瞬間訪れる暗闇で平衡感覚を失いかけながら、タインは標的の気配目掛けて飛び蹴りを放った。

 宙で弧を描いたランタンは翻る赤銅色を照らし出し、班員に二人目を示すに十分だった。手探りで逃げようとしていたその男の進みは遅く、班員達は直ぐに追いつき、取り押さえる。タインも蹴倒した男と取っ組み合い、競り勝ち、馬乗りになって腕を捻り上げた。小指を手の甲の側へ折り畳むべく圧をかけながら、グルバハル語で詰問する。


「ウィンダム・ラザフォード、どシた! どこ、いル!」


 発音が拙くて通じないのか、痛みの所為か、男は呻くばかりだ。


「待て待て待て今折るなまだ折るな!」


 灯りを掲げた班員が慌てて止めに入り、タインは力を緩めざるを得なかった。

 渡航前、王女と共に学べた侍女達とは違い、近衛騎士達はまとまった時間を多くは取れなかった。警護に必要な言葉を優先的に覚えてはいるが、尋問を行うには通訳が必要なのだ。今痛めつけても、正確に情報が聞き出せない。どのみち意のままにならない男達を連れての捜索は続けられず、一度引き上げることになった。

 崩落地点に戻ると、ツァマーグ族の男達はヌースラのいる地上に引っ張り上げられる。捜索班は作業の間、待機班が用意したスープで体を温め、怪我のある者は手当てをする。タインは大きな怪我はない。打撲の他には目の上と頬の引っ掻き傷くらいのもので、見える部分の消毒は直ぐに済んだ。


「あの周辺にいたってことは奴らも見失ってたんじゃないか」

「ただ仲間の遺体を回収に来たということも考えられますよ」

「そこはあいつらが吐かないことにはどうとも言えん」


 話題になるのは情報が出るのを待つか否かだ。


「隊長。クレイグがあれだけ動けているのです。あの血はラザフォード卿のものと見ていいでしょう。彼らが情報を持っていたとしても、それを待つ時間の余裕はないのではないでしょうか」


 二つの死体は何れも首が折られていて、流血を伴う傷は少なかった。大量の血痕はウィンダムのものであるとの見解は満場一致している。タインはそれを、改めて強調した。

 待てないのだ。

 慣れない洞窟、慣れない真っ暗闇の活動で皆消耗が常より早い。それはタインも実感している。休息は必要だ。それでも待てない。

 議論するまでもないだろうと一喝したい衝動はすんでで押しとどめ、タインはボーデンを見つめる。多少声を荒げたところで、男であったなら宥められるだけで済む。だがタインはきっと、連れて行ってもらえなくなる。歴代の女性騎士達がそうではないことを示し続けて尚、女は直ぐに感情的になって使えないという意識が男達の間ではあるのだ。どんなに気が急いていても、急いているからこそ、冷静であることを見せなければならない。


「解っている。補充が済んだら行くぞ。正確な情報が降りてきたら待機班の中から後発を出す。朝までには見つけなければ」


 ボーデンが決すると、皆残りのスープを掻き込んで腰を上げた。






 ウィンダムはいつの間にか眠っていたようだった。睡眠の邪魔をすると思われた痛みが薬によって抑えられていれば、弱っている身体は自然にそれを欲したのだ。意識が浮上すると、間近に人の気配を感じて身体が強張った。


「起きましたか」


 既視感のある台詞が知った声で紡がれた。ウィンダムのよく回らない頭は時間が巻き戻りでもしたのかと思ったが、瞼を持ち上げているのに真っ暗闇で何も見えない。先程経験した状況とは違っていた。夢かとも思ったが、夢にしては背中の硬い地面の感触も、汗や血で身体が湿っている不快さも、実に生々しく感じ取っている。

 クレイグは行って、戻ってきたのだ。

 道徳心か、騎士たる者の矜持か、国益を思ってか。何れにしても、緊急時の行動は本性を浮き彫りにする。一般的にはクレイグのような男は好感が持てるだろう。タインも先にクレイグに婚約を申し込まれていたら頷いていたのではないかと思うと、ウィンダムは言葉にする必要のないことを音にしていた。


「君の意気地がなくて良かった」

「え、なんのことですか。何故急に喧嘩売りました?」


 クレイグはランタンの火を入れた姿勢で止まった。なんの考えもなしにそんな言動をする人間とも思えず、クレイグの目は探るようになる。


「感謝しているんだよ」


 ウィンダムのその一言には含みが全くなかった。


「……わかりました。いえ、よくわかりませんが、なんとなくわかりました。見捨てたくなるので口を閉じてもらっていいですか」


 クレイグは判断力が低下しているのだと解した。然し文脈からよろしくないものも感じとったために声音は冷たい。クレイグとて、清廉な男ではないのだ。そう判じたウィンダムが安心したように呼気を抜く。クレイグはその安心の理由を問うことも避けた。おそらくそれが、互いの為なのだ。


「天井から水滴が落ちている場所を見つけました。時間はかかりますが、水の確保はなんとかなりそうです」


 クレイグはウィンダムの頭を膝に乗せ、ビタを口に運ぶ。血を失い発熱したウィンダムの身体は水分と栄養を欲している。口中に残る味は如何ともし難くとも、ビタはそれを満たしてくれた。これがなくなっても、水がある。それは安心材料なのだが、思考力が鈍る一方のウィンダムには一から十を導き出すことができなくなっていた。有りうべき死を思う。ここで命潰えたなら、国交はどうなるのか。ただの事故であったのなら、イーノックがどうにかこうにか繋げられるかもしれない。だがツァマーグ族が待ち構えていた。事故ではない。確実に開戦の材料になる。


「死ねない」


 掠れた呟きがウィンダムの口からこぼれた。この死に方だけは、避けなければならない。


「死にませんよ」


 ウィンダムにはもう、その平坦な声が気休めか励ましかも読み取れなかった。慎重に世話をしていたクレイグが突如として機敏に動き、灯りが消えたことは判った。揉み合うような気配、複数の声。


「クレイグ!」


 薄れゆく意識の中、タインの声が耳に残った。






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