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29. 鈍り、溶けて、落ちる


 クレイグは背負っていたウィンダムを下ろした。どれだけ慎重に下ろされても、ウィンダムは呻きをを抑えることができなかった。


「起きましたか」


 クレイグが咥えていたランタンを手にして、横たわっているウィンダムの状態を調べ出す。頭や他の目立つ裂傷は携帯しているもので処置したが、それだけでは足りず、折れた脛は剣の鞘とウィンダムの頭巾を使って固定していた。飛び出している骨は無理やり戻すなと指導されている為、そのままだ。出血が酷かった。膝上の止血帯を緩めがてら布を替えたかったが、清潔な布はもうない。確認作業をするに留まる。


「ああ。……賊は」


 呻き混じりではあるものの意識の混濁を感じられない様子に、クレイグは安堵する。医者ではないから正確なところは判らないが、おそらくウィンダムは処置の痛みか何かで一時的に失神していただけだ。


「片付けました。今は移動して、人気のない場所を確保しています」


 あれだけごろごろ転がっていた石のない、平坦な地面だと背中で理解したウィンダムは、上体を起こそうとして手に力を入れるまでもなく激痛で沈んだ。


「無理に動かないでください。ああ……鎖骨いってますね」


 光源の限られる中、目立つ場所を処置する時間しか取れなかった。クレイグは肩や腕の確認をし、自身の腕の止血に使っていた濃紺の頭巾を解く。血が止まっているのを確認して、ウィンダムの腕の固定に回した。


「汚れていますが我慢してください」

「君の怪我は」


 処置の間の一際酷い痛みが去ると、ウィンダムは疲労の濃い目をクレイグに向ける。その顔に眼鏡はない。見たところで細かく見えはしなかった。


「貴方よりは大分ましです」

「そうか。鍛えた身体というのは矢張り、強いのだな」


 実際に、ウィンダムより余程身体の自由が利いているのだ。クレイグの言葉を信じて呟いた。ウィンダムは言葉を発するだけであちこちが痛み、休息するように黙る。


「運だと思いますよ」


 衝撃こそ防げないものの、裂傷の少なさは夜間故に防寒を兼ねて装備しなおした鎖帷子のお陰である。相当な高さからの落下だった。どれだけ鍛えていようとも、頭や首が損傷していれば終わっていた。それを思うと、ウィンダムとて運がないわけではない。


「もしかして呼吸の度に胸も痛みますか? 肋も折れているかもしれません。兎に角動かず安静にしていてください」


 クレイグは腰に備え付けの鞄を探り丸薬を取り出した。


「痛み止めです。ビタしかありませんが、これで飲んでください」


 水は傷口を洗い流すために使い切っていた。クレイグはウィンダムの身体を気遣いながら、折った膝に頭を乗せる。少し浮かせただけでもウィンダムの身は軋む。ビタの甘ったるさで丸薬の味は判らないが、飲み込む動作そのものがウィンダムの身を苛んだ。

 再びウィンダムを横たえると、クレイグはランタンの灯りを消した。節約と賊対策だ。ここに到るまでに三人を葬り、手掛かりとなるものをその身体から見つけようとはしたが、ランタンや方位磁石の他、必要なものを拝借できただけだった。

 判っていることといえば、賊がツァマーグ族であること、ここが自然の作り出した地形であるらしきこと、現在地と落下地点との位置関係が不明であることだ。満身創痍の人間を抱え、襲撃者を躱すことで手一杯で、目印を残すようなことはできなかった。身を隠せる場所を見つけられたことは幸いだった。ある地点から天井や地面から伸びる細長い突起が見られるようになり、太い柱状のものがあちこちに現れるようになったのだ。今はその柱と壁の隙間に潜り込んでいる状態だ。

 クレイグは現状を話しがてら休息をとる。緊張が解けると、今まで意識せずにいられた痛みに襲われた。ただ、肋骨が折れている痛みには覚えがあって、やり過ごし方も心得ている。内臓が無事なら致命傷ではない。先の見通しは立っていないから、痛み止めは温存しておくことにした。


「ツァマーグ族が入り込んでいるのですから、外に繋がる場所がどこかにあるのでしょう。ですがそれを探すより、救助を待とうと思います」

「私がこの有り様だからね。異論はないよ」

「話が早くて助かります。携帯食は賊からも回収しましたが、二、三日持つかどうかなので、不案内な場所を歩き回るのは危険です。早期に見つけてもらう為にも、これ以上の移動は控えます」


 賊の規模が判らず、落下地点や死体の側に留まる選択ができなかった。現場を離れるためとはいえ、ウィンダムの身体を乱暴に扱っている。これ以上無理をさせて良い状態でもなかった。時折ウィンダムの止血帯を緩めて血流を確保しては締め直す他は灯りを使わず、息を殺し耳を澄ませて時を過ごす。その間、少量のビタで喉を潤したが、水を確保したいところだった。怪我による発熱に備える必要があるのだ。この上脱水症状を起こすわけにはいかない。クレイグはそれを正直に話し、幾つかの携帯食とビタを置いて周辺を探りに出た。


 ウィンダムは外傷に弱いということを自覚していた。知ったのはつい最近、クォン島でだった。あの時はもっと低い場所からの落下で、今に比べると相当な軽傷であったのに、有り得ないほど気弱になっていた。怪我の経験が少なかった所為だと分析しているが、今、暗闇に一人残されることに恐れを感じるのは、そういった理由からではない。今度は掛け値なしに重傷なのだ。賊に見つかれば抵抗一つすることもできずに命を手放すことになるだろう。

 極力音を出さないように努めるクレイグの気配が遠のいてゆく。灯りの気配さえ完全に消え去ると、ウィンダムは目を閉じた。開けていたところで何も見えはしないのだ。ウィンダムは覚悟した。クレイグが戻ってこないことを。何故なら。完全犯罪が容易く成立する状況だからだ。

 救助の人間と合流したら、嘘を一つ、つくだけで良い。この場所を見失ってしまったと。見つけにくいこの場所への到着は、確実に遅れるだろう。賊の手によらずとも、その間に手遅れになっているかもしれない。遺体で見つかったとしても、出来得る限りの手当てや傍に残る携帯食とビタを見れば、誰も見捨てたなどとは思わないだろう。

 クレイグがこの好機を過たずものにできたなら敵ながら賞賛ものだと思いもして、ウィンダムはそんな己の思考回路に待ったをかけた。この考察にはいくつもの要素が抜け落ちている。

 クレイグの思想と性格と立場。権謀術数に揉まれて道徳心を放り投げた連中とはあきらかに違う。道理の範疇で生きる夢想家だ。ユールガル人として、騎士として。恋敵というだけでウィンダムのような立場にある人間を見捨てることは、おそらくクレイグにはできない。実行する可能性があるとするなら、矢張り、魔が差すか否かでしかないだろう。

 そんな簡単な結論に至るまで随分と遠回りをしたことに気付く。脳が正常に働いていないのだ。気温は低い筈であるのに、いつの間にか暑く感じていた。冷静であるのに幼子のように振るわない思考が、熱に溶けていった。






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