24. 誰も予想だにしていなかった
領を移ってもヌースラは相変わらずだった。タインは帰国するまでのことだからと、静観するつもりであった。だが、ツァマーグ族のこともあるのに、ただの色恋に過ぎないかもしれないものに警戒を割かなければならないことには、不平を口にする者が出てきた。そこで丁度良いのは矢張りタインである。現段階では騎士として不審を問うことはできないが、婚約者としてなら存分にできるであろうと。
領主邸に落ち着くと、タインはヌースラを呼び出し、ウィンダムの婚約者を名乗った。それに対してヌースラは特に変わった反応は示さず、ウィンダムにはお世話になっていると、無難な挨拶を返した。タインは随分と肝の太い女だと感心した。平民でありながら、王族の直ぐ傍で過不足なく役目を果たしているのだ。神経は細くないだろうとは思っていた。
「日々の貴女の仕事ぶりは評価に値する。貴女の後見人たる伯爵も、今の活躍ぶりを見ることがあれば誇らしくなるだろう。だが、私の婚約者に近付くのはどういう了見か」
「まあ、ありがとうございます。了見も何も、私は男爵様のお役に立ちたいだけですわ」
ヌースラは礼を述べた流れのまま、自然な微笑みを浮かべる。タインは眉を顰めた。
「貴女が役立つよう、仕事内容の指示は出ているだろう。それ以外は誰も求めていない」
「存じておりますわ。ですから、お仕事としてということではありませんの。男爵様は常にお仕事をしているようなものでしょう。息を抜ける時間がないのですわ。気の毒になってしまって……少しでも癒しになればと、ちょっとした気遣いですのよ」
タインは何かしらのずれ、何かしらの違和感を覚える。しらを切るどころか、ヌースラには自分の行動に恥じるところが全く見受けられないのだ。単に図太いというだけではないような気がして、問う。
「未婚の男女、或いは平民の貴族に対する態度としては馴れ馴れしさが過ぎる。伯爵は貴女に何も教育を施さないまま、この使節団に送り出したということで良いか」
「まっ。そんな。何故そのようなお話になりますの」
ヌースラは驚き、タインは驚かれたことに驚く。
「婚約者とおっしゃいますけれども、騎士様には男爵様を労わる暇もないご様子。男爵様は領主様達に薦められた女性も断っていらっしゃるようですのよ。騎士様がご一緒ですから、気を遣っていらっしゃるのでしょう。それではあんまりですから、ほんの少しだけでも、その代わりを務めさせていただこうと思っただけですわ」
タインは開きかけていた眉頭を寄せ直した。
「私は頼んでいない。ラザフォード卿も望んでいない」
ヌースラは頬に片手を当てがい、困ったように首を傾げる。
「騎士様は剣に生きてきたのでしょうから、ご存じないのは無理もありませんけれども、男性には必要ですのよ。忙しい時程、疲れている時程、私のような女が」
タインは未知の生物と話しているかのような心地に見舞われていた。さも親切であるかのように、正しいことであるかのように、堂々と手を出すと婚約者に告げているのだ。仮令政略的な関係だとしても、そんなことを宣言されていい気のする者はいないだろう。喜ぶのは破談を望んでいる者くらいではないだろうか。大抵の女性は怒るだろう。だが怒らせようとしているにしては挑発的な態度でもなく、態々怒らせる意図も判らない。
「目的は何だ」
タインは困惑し、早々に自分の推察能力に見切りを付けた。
「婚前交渉は貴族の女性にとって、はしたないことなのだと伺いました。誇り高い騎士様にはできないことでしょうから、私が代わりを務めて差し上げるのですわ」
ヌースラは微笑んだ。他意が全く感じられない微笑みだ。理解不能が極まって、タインはいよいよ当惑した。
「いやだから……そうだ、つまり、貴女はラザフォード卿に恋情を抱いていて、私から奪おうとしているということでいいのか」
「そういうことでは……ああ!」
ヌースラは不可解そうに首を傾げたかと思えば、両手を叩き合わせた。
「違いますのよ。私、国交回復大賛成ですの」
タインは話題転換についていけず、疑問符の数を増やした。
「ご覧のとおり、私、グルバハル人でしょう。自由に行き来できるようになれば、私も里帰りができるのです。その時には私の伯爵様が連れていってくださると約束をしてくださったのですわ。ですから、是非とも交渉が上手くいって欲しいんですの!」
「そ、そうか」
目を輝かせているヌースラに気圧されて、タインは相槌を打つ。
「だがそれとこれとどういう関係が」
「おおありですのよ。この使節団の成否を握っている男爵様には、健康でいていただきたいのです。心身共に万全の状態で臨んでいただかなくては」
話が一気に繋がって、タインは愕然とした。タインとて、戦闘直後など、昂りを鎮める為に女性を必要とする者がいるのは知っている。身を守る為の基礎知識として知らざるを得なかった。ウィンダムは戦闘職ではないからその手の昂りとは無縁とはいえ、健康な成人男性である。何かしらの不都合があることもあろう。
タインは信じられないものを見る目でヌースラを見た。
「善、………意……? なのか……?」
「ええ。お力になりたいのですわ!」
ヌースラは満面の笑みで胸元で手を握り合わせている。
「今回は私の故郷は通らないのですけども、母国の土は踏めているのですわ。十年ぶりですのよ! 使節団に加えてくださったことにも、男爵様にはとても感謝しておりますの。私にできることといったら、矢張りこの身体でお慰めすることくらいで」
「待て、ちょっと待て」
タインは片手を上げて制し、ヌースラを視界から外して混迷している脳内の整理をする。タインには理解し難い思考回路だが、ヌースラには嘘の匂いが全くない。序でに婚約者たるタインへの遠慮や罪悪感も全く感じられないのだが、兎も角、報告に足る結果は得た。即ち、警戒に値せず。第一王女隊は心置きなく外敵に集中できる。ならこれでいいのではと、未知の生物から逃れようとする気持ちが生まれて、いやよくない、と踏み留まる。
「通訳殿」
タインは意を決してヌースラと目を合わせた。
「はい」
「どういった理由であれ、私の婚約者を誘惑するのはやめてくれ。不快だ」
ヌースラは、まあ、と瞼を持ち上げた。
「騎士様は男爵様を愛しておいでですの?」
「そういったことは関係ない。ラザフォード卿は私の夫となる人間なのだ。他の女が手垢をつけていい男ではないと言っている」
タインはウィンダムに対する気持ちを、ヌースラに語る気はない。冷たく言い放ったというのに、ヌースラは怯みながらも困ったような顔をした。
「でもそれでしたら、騎士様が閨に侍ってくださるのですか?」
「貴女が心配すべきことではない」
「愛がないのでしたら、宜しいのではないでしょうか。伯爵夫人は私を愛でてくださる伯爵様の行動に、全く干渉致しませんのよ?」
ヌースラは心から不思議そうで、当惑した様子ですらある。成る程とタインは思った。伯爵家の様子は貴族としては珍しいことではない。だからヌースラは、貴族の結婚とはそういうものだと、タインにも当てはまると思っているのだ。クレイグに続きヌースラと、愛の有無は他者を黙らせるに必要な要素であるらしいと、タインは学習した。一度目を閉じ、深く息を吐き出して、ヌースラを真っ直ぐ見据え直す。
「我々は愛し合っているのだ。だからやめてもらおう」
ヌースラは束の間沈黙し、そういうことでしたら、と残念そうに頷いた。




