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25. 解り合ってはいない


 タインによって、隊内にある種の安堵が齎された翌日。ナディーンの部屋の前で立哨中のことである。


「騎士様。お仕事お疲れ様です」


 ナディーンとの打ち合わせを終えて部屋から出てきたヌースラが、タインに気付いて親しげに歩み寄った。


「噂に聞いたのですけれども、婚前の貴族女性は閨のことを何も知らないというのは、本当のことですの?」


 共に立っている騎士が男性だからか、ヌースラは背伸びをしてタインに耳打ちをする。タインが正面を見たまま無言でいると、ヌースラは再び耳打ちをした。


「男爵様のためにも、男性を悦ばせる方法は知っていた方が良いですわ。私、そういったことでしたらお教えできますのよ」

「通訳殿。今は立哨中だ。緊急の用でなくば控えてくれ」

「まあでは。お休みの時間を教えてくださいな」


 タインが冷たくあしらっても、ヌースラはめげなかった。それからも似たようなことが繰り返されたので、タインは邪魔をされるよりはと非番を教え、非番の度にヌースラがどこからともなく現れるようになった。そうしているうちにヌースラはタインをスウェイズ様と呼び、ヌースラとお呼びくださいと強請るようになる。

 そこに少しだけ時間が空いたとウィンダムが様子を見にくると、ヌースラは弁えた人間であるかのように、では私はこれでと速やかに立ち去ってゆく。


「随分と懐かれているな。私には必要以上に近寄らなくなった。何があった」


 ウィンダムは不審そうに遠のくヌースラの背を見送った。


「貴方への感謝が高じた結果です。多分」


 タインは遠い目で答える。


「通訳に採用したのはウェンなのでしょう?」


 心当たりがあるのではと、タインがちらりと視線を向けると、ウィンダムは当然のような顔をしていた。


「裏切る可能性が低い者を選んだのだ。安定感のある金蔓を紹介したのは私だからね」


 ヌースラの身近な金持ちと聞いてタインが思いつくのは、彼女を囲っている伯爵しかいない。


「まさか伯爵が賛成に回ったのは」


 ウィンダムは口端だけで笑んで、沈黙を要求するように片手を擡げた。タインとて、爵位が高潔さを保証するものではないことは知っている。歴史上に傾国の美女が存在することも。政策に対する意見の一つや二つ、変わるぐらい珍しいことではないのかもしれないと思うと、改めて男という生き物について考えざるを得なかった。そしてそんな手を使ったウィンダムもまた、男なのだ。


「何かな」

「いえ」


 タインはウィンダムに見入っていた目を逸らした。

 ヌースラが言っていたのだ。お願い事をするなら閨の中で、と。ウィンダムの心は自分にあるのだから、色気がないとされる自分でも効果はあるかもしれないとは思う。だがそれは卑怯な行いだと思うのだ。ましてタインの願い事は、冷静な頭で、熟慮の上判断してもらわなければ、後々遺恨となりかねない。そして婚前にそのようなことを、という意識も強い。ヌースラが口にしていた身体接触を用いた男性の誘い方を思い出して、タインは目を閉じ、頭痛を堪えるように額を押さえた。


「タイン? 何か困るようなことを言われているのか。あれは懐いているのではなく、絡まれていたのか? ならば私が」

「いえ」


 心配そうに覗き込むウィンダムを見れば、タインは言えるわけがなかった。貴方を悦ばせる手立てを吹き込まれています、などと。


「彼女は私の知見を広げてくれているだけです」


 濁す為に口にした言葉が、思いの外現実を的確に言い表していて、タインは目から鱗が落ちた気分に見舞われた。

 それ以来、タインはヌースラとの時間を前向きに捉えるようになった。


「無知でいることを教えられるのですから、貴族の奥様はそういったことを求められているのでしょう。でも、ずっと受け身では飽きられてしまいますよ」


 そう言われたことが、引っかかっていたこともある。自分が飽きるならまだしも、相手に飽きられるのは納得がいかないという、ある種の負けん気が顔を出したのだ。それに無知であるということは、相手にいいようにされるということでもある。仮令間違ったことをされたとしても、無知では気付けず受け入れるしかない。ウィンダムがそういったことをすると思っているのではない。知ることのできる機会から目を背けるのは、自らを危機に陥れる行為だからだ。


「男性というものは基本的に単純にできておりますのよ。女と見れば、やれるかやれないか、その二種類に分けて考えていると見ていいですわ」


 タインが聞く姿勢になると、ヌースラは手管の伝授に留まらず、話を広げていった。

 ヌースラはグルバハル人であり平民とはいえ、使節団の一員であるから、一行の中で冷遇されているといったことはない。だが明確な壁があり、会話に飢えているようであった。現にウィンダムに付き纏っていたのは、ヌースラ自身が寂しかったこともあると吐露している。ならばタインも話し相手となるに、吝かではない。


「それは流石に極論ではないのか。そういう男は私の身近にもいるが、誰もが下半身でものを考えているわけではないだろう。現に私は、頭で考えられる男を知っているぞ」


 ヌースラの経歴を思えば、出会う男の種類も偏っていたのではと、タインは首を傾げる。


「それは男爵様のことをおっしゃっておいでですの?」

「その中の一人だ」

「まあ。ふふふ。お可愛らしいですわね、スウェイズ様。大丈夫ですわ、男爵様もちゃんと、下半身でものを考えられる健康な男性ですわ」

「……うん?」


 タインは首を捻る。タイン達女性騎士の間では、下半身でしかものを考えられない男は最低だ、という論調で語られてきたものだ。それは健康で片付けていいのか、安心するところなのか引っ掛かりを覚えるも、それに就いてそこまで掘り下げたことがなければ、直ぐには反論の言葉を組み立てられない。


「あらだって、男爵様はスウェイズ様を愛していらっしゃるのでしょう。つまりそれは、スウェイズ様に特別に欲情していらっしゃるということですわ。敢えて一人に定めるのは厳しい道ですけれども、兎に角今は、そういう時期にあるということですの。ですからスウェイズ様は、お一人で男爵様を満足させなければならない、大変な時期にいるということですわね」


 タインには理論展開が斬新すぎて、話についていけなくなった。

 グルバハルの一夫多妻制には、戦ばかりであった歴史的背景もあるということだが、戦ならば北大陸でも多くあった。何故それぞれ違う方向に向かったのかは判らないが、全く異なる環境で育つということがどういうことなのかを学んでいる気分になる。


「私も今、伯爵様がその状態ですから、その苦労はよく知っております。娼婦として経験を積んでいなかったら、今頃こんなに心の余裕はなかったと思いますわ」


 言っていることはタインにはよく解らない。解らないのだが。


「貴女は凄いな」


 率直な感想が、幾許かの驚きを伴って口から零れていた。滔々と語っていたヌースラが虚を衝かれたように口を噤み、タインを見る。


「ああ、いや」


 タインはばつが悪くなった。どう言葉にしたものか迷い、数秒考え込む。

 ユールガルでは娼婦とは、食い詰めた人間や売られた人間が泣く泣くなるものであり、必要としている男が数多いるにも拘わらず、その男達からも侮蔑の対象である。貧しい者の救済策として目溢しされているとはいえ、国教の教義でも罪深い行いとされている。女性の貞淑を至高とする社会では、世間に顔向けできない職業なのだ。タインも気の毒だとは思い、矛盾も感じ、腹が立ちもするが、自分がそこまで落ちぶれることは想像したくもないものである。落ちぶれる、堕ちた存在。女性に対する侮蔑の言葉としても用いられる職業だ。そういう認識の中で当事者であったというのに、ヌースラはそれを、得難い経験であるかのように語ったのだ。


「こう言ってはなんだが。娼婦であったことは、忌むべき、悪しき経歴として抹消したい過去なのだと思っていた。それを今に活かせるものとして昇華している貴女の逞しさに、感服したのだ」


 タインにとってヌースラは、相変わらず理解の遠い人間ではあるが、ただの厄介な女ではなくなっていた。


「まあ。……まあ、スウェイズ様。スウェイズ様たら、ふふ。ふふふ、ふふふふふ」


 ヌースラは目を瞠いたかと思うと、笑い出した。その笑いは目端に涙が浮く程長く続いた。気分を害したというわけではないようだが、純粋に愉快なだけとも違う笑い方だった。


「結婚後の方が私の需要があるでしょう。その時にはまた、頼ってくださいましね」


 やがてヌースラは感情の読み取り難い微笑みで言い、タインは返答を避けた。






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