序章Ⅰ
――白く、どこまでも広い。世界は自由で柔らかな優しい色をしている、そう、誰かが言った。
「―⋯追え! 決して逃がすでないぞ、あの娘を捕らえよ!」
けたたましい足音とともに聞こえた厳しく鋭い老人の声に、礼拝堂の祭壇に息を潜めて、ひとりで隠れている少女はびくりと身を震わせる。
「おかあ、さん」
少女は咄嗟に母を恋した。まだ幼子特有のあどけなさが残るというのに、その瞳は昏い海に沈みこみ、艶の名残がある髪は煤にまみれて、本来の面影を失わせている。
―そして、純白だったであろう聖服は、血の深紅にべったりと染まっていた。
「⋯どう、して⋯なんで、こん、な⋯」
少女の脳裏に焼き付いて離れない凄惨な情景が、鮮明に再生されては、幾度も過ぎ去ってゆく。
眼前で母親を奪い去られた、その記憶が。
「そっちにはいたか?」
「いや、居ない。だが精々子供の足、そう遠くへ逃げてはいないはずだ」
「⋯⋯っ!」
過ぎた絶望に浮かせていた意識が、輪郭をはっきりと持つ探索の声で呼び戻される。
時間を経るにつれて、追手の声と気配が多く、色濃くなるのを少女は肌に感じた。
少女は焦る。息は弱々しく、恐怖から足は竦み、思考はとてもまともではいられなかった。
―⋯だが。
少女はゆっくりと、這って、立ち上がる。その足取りは重く、頼りない。されど、いくつも並んで高く立つ柱を支えにしながら、教わった裏出口を目指す彼女の心身は、あるたったひとつの感情に支配されていた。
「ぜっ、たいに⋯、ゆるさない」
だが、いまは力が足りない。
自分ひとりでは、きっと果たされず、かなわない。
――ならば、探そう。
自分だけの、英雄を。




