妖怪に支配された村
ここは葦原神國の八州・樒ヶ里村。影から妖怪に支配されるこの村では、事態に気付いた一部の人間が激しい抵抗を続けていた。
しかし、圧倒的な妖怪の強さを実感した、村の豪商、葛城は妖怪退治の専門集団、御神楽衆に助けを求める。依頼の文を出してから数日後、 御神楽衆の巫女と討者が樒ヶ里村に訪れるのだった。
「貴方たちが……妖怪退治の専門家ですか?」
樒ヶ里村で酒屋を営む葛城は、目の前の男女を見て不安を覚えた。
「悪いか?」
答えた男はまだ若い。二十半ばに届かぬだろう。黒い羽織と腰に下げた刀は立派だが、どこか着心地が悪そうに見える。まるで海藻のような髪は整えられておらず、山から降りてきたばかりの野人のようだ。
「境、そんな怖い顔しちゃ駄目でしょ」
目つきの悪い青年を叱るように注意したのは、対照的な白と赤が基調の着物をまとう巫女だった。人懐っこい笑顔を浮かべて頭を下げる彼女も、境と呼ばれた青年と変わらぬほどに若い。
こちらは、かなり身なりを整えているため、信頼できそうだった。彼女は小さく頭を下げてから名乗る。
「はじめまして。私は御神楽衆、八洲鎮守、巫女端綴の紬と言います」
紬は挨拶を終えると、笑顔を消しつつ、目を細めて隣の青年を見た。どうやら、挨拶を促しているらしい。男の方は煩わしそうに、ぶすっと顔を歪めたが、気だるそうに名乗るのだった。
「御神楽衆、八洲鎮守、討者堅鞘。……境だ」
それを見た紬は、上手に挨拶できた我が子に満足した、と言わんばかりに頷いてから、葛城に笑顔を向けた。
「未熟者に見えるかもしれませんが、私たちは妖怪退治の現場に出て十年目になります。それなりに経験は積んでいますのでご安心を」
十年、と聞いて葛城は驚く。この二人は子どものころから、妖怪を退治していたのか、と。
「で、今回の依頼内容を改めて確認してもよろしいでしょうか?」
まだ幼さの残る紬の笑顔に困惑しつつ、葛城は背後の屋敷へ振り向いた。
「はい。まずは、この屋敷を守っていただきたいのです。玄天狐党 の妖怪に目を付けられてしまって」
玄天狐党 、という言葉に、紬は驚いたようだった。
「玄天狐党と言えば、少し前まで八洲を支配していた、妖怪の大集団ではないですか」
そうなのです、と葛城は眼鏡を押し上げながら事情を説明しようとしたが、急に境が背を向けた。後方に何かを感じたらしい。
「どうされました?」
「妖怪がいる」
境が見る方向は、古びた小屋が。葛城は言う。
「あの中なら、つい先ほども確認したばかりです。何者かが潜んでいるとは考えにくいのですが……」
しかし、葛城を無視して境は小屋の方へ向かう。引き止めようとする葛城だが、紬に制止された。
「境の勘は昔から鋭いので、ここにいてください」
「もしかして、特別な人間だけが取得できる、万象神覚というやつですか? 魂や空気に漂う神気までも見えてしまうと言う……」
「どうでしょうね」
紬は曖昧に笑う。小屋には何もないが、止める意味もなかったため、葛城は境の行動を見守ることにした。境が小屋の戸に手をかけ、横に引くと同時に、中から何かが飛び出す。
「ひゃあっ!」
甲高い獣の威嚇に似た声。黒い猿のような生き物、禍猿という下級妖怪だ。それは、鋭い爪を伸ばしたかと思うと、境の喉元を切り裂こうとした。
「のろまが!」
身を反らして爪を躱しつつ、境は腰の刀を引き抜き、そのまま禍猿を斬る。一瞬の出来事に、葛城は目を疑った、腹からどす黒い血を吹き出しながら倒れる猿を見て、境の斬撃の速さに驚かなければならなかった。
「今のは下級妖怪のようですが……。まさか、一撃で」
妖怪の体は人に比べて硬いため、達人でもなければ、一振りで斬れるものではない。葛城の目は、境の手に握られた刀に向けられる。
「あれが、御神楽衆の討者が扱う神の力が宿った刀、御神渡ですか」
紬が自分のことのように、得意げに答えた。
「はい。御神渡は扱う者の身体能力を引き上げる力があるため、討者はどんな妖怪だろうと斬ってみせます。まぁ、境なら御神渡を使わずとも、下級妖怪くらいなら一瞬で斬り伏せますけどね」
信じられない。そんな言葉が自分の顔に書かれているだろう、と葛城は表情を整えなければならなかった。
「しかし、妖怪が潜み、ここを監視していたとなると……やはり今夜あたりに襲撃があるようだ」
呟く葛城に紬は言う。
「なぜあの屋敷が玄天狐党に狙われているのです?」
「ああ、説明の途中でしたね。実は……この樒ヶ里村は、数年前から玄天狐党に支配されているのです。やつらを退けるため、この屋敷を拠点としていたのですが……」
「支配、ですが?」
紬は辺りを見渡す。日の光に照らされた樒ヶ里村は、穏やかな風に吹かれ、荒廃した様子もない。とても平和に見えたのだ。
「恐らく時間もありません。識が現れる前に、動かなければ。どうぞ、中へ」
葛城は屋敷の中から人を呼び、斬られた妖怪を片付けるよう指示を出した。紬は素直に屋敷の方へ向かうが、境は死んだ妖怪の前から動こうとしない。ただ、妖怪の骸を見ているわけではないらしい。
「境、行くよ?」
紬が呼びかけても、境は動かないままだ。彼の視線の先を追ってみると、そこには馬に引かせる車があった。高い身分の者が乗っているのだろうか。煌びやかな装飾に、護衛らしき刀を持った男も傍に控えている。
「あれ、馬車ってやつだよね?? 都の貴人ですら滅多に乗れるものじゃないよ」
すぐ傍らまで紬が寄ってきても、境は馬車を見つめたまま反応を見せなかった。すると、屋形の御簾から何者かが顔を出す。葛城からはその人物の顔はほとんど見えなかったが、葦原神國では珍しい、銀色の頭髪が揺れたような気がした。
「巫女だ……」
境はその人物が見えたらしく、小さく呟いた。しかし、紬の方は首を傾げる。
「私たちが派遣されたのに、巫女がこんなところにいるかな? しかも、あんな馬車に乗せられているなんて」
二人は馬車の方を見つめて動かなかったが、葛城は周りが気になって仕方がなかった。
「妖怪たちに見つかると困ります。早く中へ」
あの馬車は目立つが、御神楽衆も目立つ。再び屋敷に誘導すると、紬は「すみませーん」と言いながら小走りでやってきたが、境はなかなか動こうとしない。が、気持ちを断ち切るように、息を吐くと、屋敷の方へ歩き出した。
屋敷の扉を閉める前、境は再び馬車を見たようだったが、その中にいる人物の姿は見えなかったらしい。境は魂が引き寄せられるように目を凝らしていたが、やがて邪念を払うように、ゆっくりと戸を閉めるのだった。




