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偽りの花にくちづけを ― Replica;Cantata ―  作者: 文海マヤ
Phase3 「私の指が触れてしまう」
31/58

Episode 30.「テンポ・ディ・ヴァルス」

 遊園地デートは、想い人の予想だにしない一面を明らかにする。


 そんな与太話を目にしたのは、いつのことだったか。クラスの友人たちが嬉々として読んでいたファッション誌か何かの、つまらないコラムか何かだったはずだ。


 正直、私は女の子らしい女の子ではなかったと思う。色恋沙汰は冷めた目で見ていたし、ファッションや流行りものにも、そこまで興味がなかった。


 否、正確には、昔はそういったものを好んでいた時期もあったのだ――具体的には、2年ほど前までは。


 枯れた、或いは凍りついてしまったと表現するのが正しいのだろう。私の、恋心と言うやつは――。



「ねえ、シオン。あんなの、前にあったかな。コースターがほとんど直角に落下するじゃないか!」



 興奮した様子で、ソーヤが遠くのアトラクションを指差した。ちらりと視線を向けてみれば、確か去年完成したばかりの新しいコースター――大気圏突入をモチーフにした、いわゆる絶叫系というやつだ――が目に入る。


 彼は柄にもなく、はしゃいだ様子でコースターの待機列に駆け寄っていく。言うまでもなく、長蛇の列ができているというのに、どうやら、待ち時間は勘定に入っていないらしい。


「……そういえば、ソーヤ、こういうの大好きだったっけね」


 私は、いつぞやの下らないコラムをぼんやり頭に浮かべつつ、彼の後をついて行った。


 昔、まだソーヤが事故に遭う前に2人で訪れた際も、随分と振り回されたような。懐かしさと微笑ましさ、そして、少しばかりの呆れを抱きつつ、彼の隣に並ぶ。



「うわあ、見てよ、シオン。あんなにスピードが出るんだよ。大丈夫かな、飛び出して行っちゃったりしない?」


「そんなことになったら、大ごとでしょ。流石にそこは注意してるって……」


「あっ、見て見て、あんな速さで宙返りしてる…! すごいな……」



 目を輝かせながら見上げる彼に適当な相槌を返しながら、私は息を吐いた。もう、こうなってしまえば、梃子でも動かないやつなのだ。


 正直、私はそこまで絶叫系が好きではない。なので、どうにかここから引き離せないかと、抵抗を試みる。



「そ、ソーヤ。ほら、列長くない? 1時間待ちだって書いてあるよ?」


「そうだね……! 今から並べば、昼前には乗れるね!」


「さ、先にほかのアトラクション乗りに行かない? ほら、その方が効率がいいし……」


「遊園地で効率なんて、無粋さ! それに、後ろにも結構並んできたし、このまま並んでた方がいいと思うよ?」



 駄目だ、頑固すぎる。


 サクラはよく、私に対して「言っても聞かない」とか言うけれど、本当に言っても聞かない奴というのは、こういう奴のことを言う。


 でも、思い返してみればそうだった。優しくて、物腰は柔らかくて。それでも、芯の部分は曲げようとしない頑固者で――。


「――もしかして、シオン、怖がってる?」


 ――それでも、最後には、私を思って譲ってくれるのだ。



「こ、ここ、怖がってないよ! 別に、このくらい……もう高校生だよ?」


「あはは、その割には顔色が悪いじゃん。無理はしなくていいよ」



 と、そこで彼は私の手を引いて、列から抜け出した。驚く間もなく、傷が塞がるようにして、待機列は詰められてしまう。



「えっ、ちょっと、いいの?」


「いいさ。シオンの言う通り、長く待つよりも、他を回ったほうが、たくさん遊べるしね」



 彼はこともなく、そう言い放つと、園内の喧騒に向かって歩き出す。至極楽しそうに、私に譲ったことなど、微塵も気にしていないかのように。


 また、気を遣わせてしまった。


 その負い目に、視線が僅かばかり下を向く。同時に、込み上げてきた自己嫌悪が、私の足を引っ張ろうとして――。


「……大丈夫だよ、シオン」


 ――握り返された手の暖かさが、それを繋ぎ止める。


 顔を上げれば、微笑む彼の姿があった。何事もなかったかのように、先ほどと変わらない、雪解けを思わせる表情で。



「ほら、浮かない顔してたら勿体ないよ! 次の所、回ろ!」


「……うん、わかった。じゃあ、どこに行く?」


「そうだなあ、僕さ、昔、時間無くて諦めたやつに乗りたくてね……!」


「時間無くて諦めたって、確か、メリーゴーランドだっけ? 今なら確かに、あんまり並んでないかもだけど……」


「なら、丁度いいね、行くよ!」



 跳ねるように、彼は駆け出した。

 引かれる手に、思わずつんのめりそうになりながら、私もそれに続く。


 人混みを抜ければ、すぐにメリーゴーランドの派手な天井が見えてきた。オルゴールを何倍にも大きくしたような、派手な音楽が耳を打つ。


 白い四足歩行の動物を象った席が、くるくると楽しげに回り続ける。確か、"ウマ"っていう生き物なんだったか。実物は絶滅してしまって久しいらしく、私も図鑑や教科書でしか見たことがない。



「うん、うん。シオンの言う通り、空いてるね! これなら20分もせずに乗れるんじゃない?」


「あ、ちょっと待って」私は彼の背を引き留める。

「これ、フリーパスの対象外だ」


「フリーパス?」



 首を傾げるソーヤに、私は、入場口の脇に掛けられた看板を指した。


「うん、入場券がフリーパス代わりになってて、それだけで乗れるアトラクションと、別料金になってるので分かれてるんだ」


 少し首を巡らせれば、すぐに発券所を見つけることができた。自動の券売機だと思っていたけれど、珍しく有人のブースが設置されている。スタッフの制服に身を包んだ女性――歳の頃は、私より少し上くらいだろうか?――が、チケットを手売りしているのが見えた。


「ちょっと待ってて、今、買ってくるからさ」


 ソーヤをその場に待たせて、発券所に急ぐ。


 私が近づいて来たのに気が付いたのか、売り子はこちらに視線を向け、ひと目で営業スマイルだとわかる笑みを浮かべた。


「――あ」


 その目を覗き込んだ私は、一瞬で気が付いてしまう。

 この人は、"レプリカント"だ。


 それに追いつくようにして、首元から刻印が覗いていた。まるで、のろまな私の思考をあざ笑うかのように。


「いらっしゃいませ、どちらのチケットをお求めですか?」


 滑らかに定型文を口にする。その姿は、一見すれば人間と、何ら変わりはなく見える。


 しかし、彼女らは絶対的に、人間とは違う存在だ。私はそれを分かっていたから、ある種、確かめるような気持ちで。


「……今日は、いい天気だね」


 わざと、チケット販売とは違う話題を口にする。売り子の視線は、それでも揺らぐことなく、笑みも崩れたりしない。



「ええ、そうですね。今日の天気は晴れだと聞いておりますから!」


「……暑くて、嫌にならない?」


「はい、私はレプリカントなので。嫌なんてことはありませんよ!」


「それは、あなたの気持ち? それとも、最初から植え付けられていた思考?」



 レプリカントは、自律思考を許されていない。


 正確には、現在の【ARC】技術では、人間の脳を丸ごと再現することなどできない、というのが正しいらしい。だから、旧時代のAIのような、定型のやり取りをすることができるように、思考をインプットする――そう、聞いたことがある。


 だから、その道筋を外れた言葉をかければ。


「――申し訳ありません。解答候補が見つかりません」


 このように、まるっきり機械じみた答えが返ってくる。


「……そう、悪かったね、からかって。メリーゴーランドのチケット、ふたり分ちょうだい」


 私はその結果にひとまずの満足を置いてから、チケットを受け取り、その場を去ることにした。


 ソーヤの下に戻りながら、ふと、園内に視線を巡らせる。


 長い待機列を整えている男性。

 アトラクションの側でチケットを確認している女性。


 園内を掃除して回っている、清掃スタッフもそう――みんな、レプリカントだ。


 この間の"セントラル・モール"でもそうだったが、ここの所、見る機会が増えているような気がする。


『そう、デルフィン長官が進めてるのは――レプリカントの大量生産っす』


 いつか、カレンが話していたことを思い出す。確か、労働を肩代わりさせることで、学生たちは学業に専念できる、そんな話だったと思う。


 もしかすると、私が知らないだけで、今もその計画は進んでいるのかもしれない。気付かぬうちに、周りは皆作り物に変わってしまって、私が欲しかった温もりは、遠くへ行ってしまうのかも。


 ――一番大切な人ですら、そうであるように。


「あ、シオン。おかえり、チケットは買えた?」


 考える私に、彼は事もなげな笑みを浮かべる。


 ソーヤがいなくなってから、私はずっと、彼のことを考えてきたつもりだった。


 だけど、こうして見ていると、多くのことを忘れて、美化して、遠ざけてしまっていたのだとも思う。


 年相応に無邪気な笑みを浮かべる彼の姿は、少なくとも、私の忘れていた表情の一つだった。それ以外にも、私はこの2年で、もっともっと沢山のことを忘れてしまったのだろう。


 ディティールが遠退いてしまった今、確信は持てない。だから、何度も言い聞かせるように繰り返す。


 これは、本物のソーヤだ。

 決して、作り物なんかじゃ――ない。


「ねえ、ソーヤ」


 私は半歩先にいる、彼を呼び止めた。間延びするような一拍を置いてから、ゆっくりと白いシルエットが振り返る。



「……どうしたの、少し休む?」


「ううん、そうじゃなくてさ。私、考えたんだ……やっぱり、好きな乗り物に乗らなきゃ、勿体ないんじゃないかって」



 疑問符を浮かべながら首を傾げる彼に、私はさらに続ける。



「……やっぱり、乗ろうよ。あのコースター」


「え、いいの? 結構並ぶけど……」


「いいよ。そんなこと気にして、乗りたいもの我慢する方が良くないって」



 私は彼の手を取り、歩き出す。


 心変わりの理由は、口にした言葉とは他にある。けれど、それを彼に告げることは、どうしてもできそうになかった。


 言えるわけがないじゃないか。

 またいなくなってしまうのが怖いから――悔いを残したくない、なんて。


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