24 ロップウィルの霊猫Ⅲ
「Quid agis? Utrum aliquantulum expergisceris an vis mecum magis ludere?(どう? 少しは目が醒めたかしら? それとも、まだ私と遊びたい?)」
そう声をかけたのは、霊猫から拝借した形のよい爪をそのまま眉間に突き据え、ひと息に世界に朝が訪れたような激しい稲光を、その放恣な身体に浴びせたあとのことだ。
私はまだ剥ぎ取った爪に手をかけたまま、泉が湧いたような鼻先で佇んでいて、口を開けた猫はしばらくの間、身じろぐことなく台地に突っ伏していたが、やがて呻くような声を上げ、もう火を吹く力もないというようにひょろひょろと顔を持ち上げた。
戦いの最中に立派なヒゲを何本も失ってしまったことで、きっと調子が狂っているのだろう。
「……いや、もういい」
「なぁんだ。喋れたのね。初めからそうして欲しかったわ。あの言葉、苦手なのよ」
下腹をくすぐる重厚な響きを疎んだ私は、相手の表情が窺えるところへと飛び降りた。
ついでに泉を掘り当てた不憫な爪を抜いてやると、猫は尻尾を踏まれた犬のように高く情けない声を上げてから、私を恨めしそうに見つめていた。
「うう、現れるなり、突然ふぐりに抱き着いてきた娘と交わす言葉などあるか?」
「ふぐりって……、まぁ!」
月明かりで白みながらも豊かな濃淡で覆われた猫の局部を見やった私は口に手を当て、それから声を出して笑った。
なんせ世界が私に与えた最初の官能が、雄の性器によってもたらされたというのだ。笑いたくもなる。
「いやだ、あなたそんなことで怒ってたの?」
「まさか」
「じゃあ、どうして」
「お前も、奪いに来たのかと思った」
「さっき言ってた記憶の話?」
そうだと、猫は目顔で頷いてから、傷を負った眉間をせっせと洗い始めた。
こしこしと手首を振るあの器用とも、不器用とも言えない仕草を繰り返しているうちに、何かの果肉を思わせるような傷口はするするとふさがり、やがて満足したようにひと欠伸する頃には、私が引きちぎったヒゲまでもがすっかり元通りになっていた。
「あら、平気なんじゃない」
「馬鹿を言うな。死ぬほど痛かったわ」
「……ほんと、威厳も何も、あったもんじゃないのね」
戦意が解かれたあとの森の台地は、穏やかな星明りを忍ばせた冷たく澄んだ姿を取り戻していた。初めからそうしていたのだと言わんばかりの不羈なる風をなびかせて。
そうやって、この暗く果てのない台地で吹き荒ぶ風の音を聞いていると、私は急に心までが冷たく沈み込んでいくような気持ちになった。
ここにいる私は、新しい生活に備えて家財をあれこれ見繕っていたあの髪を結った私ではない。あの大きな糸杉の下で眠っているはずの旅行かばんを開いたところで、そこには私が私だと呼べるだけのものはもう何も詰め込まれてはいないのだ。
傍で寝そべる猫を笑っているうちに、私はそんなことに気付いてしまったのだった。
心のどこかで新たな生活を夢見ていた少女のような自分を自ら絶ったことで、私は自らの決意に応えたつもりでいたが、そうではなかったのだろう。
私が引き受けるべきなのは、この暗く寄る辺ない夜から始まるすべてが私から遠い世界なのだと、私は自分に言い聞かせた。
「娘よ、お前はどうやってここに来た」
それでも、慰めと呼べるものがここにはあった。人の話など聞くつもりもないとばかりに伏せられた耳をもぞもぞと揺らしながら、その当の猫は私に尋ねた。
話相手としてはまるで心許ないが、この肌寒い夜に暖が取れる寝床があったことだけ今はよしとしなければなるまい。
「これよ」
私は顔の辺りの宙を指でひと回りなぞってカーズ・ヴィードを呼び寄せた。
あとあと妙な気を起こさないように退路となる私の部屋への入り口は既に塞いであったので、顔を覗かせたのはこの夜よりも深い闇を湛えた洞というべきものだが、猫はそれを興味深そうに見つめていた。




