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紫羅義  作者: 海道 睦月
79/125

その79

「ただ、一つだけ条件があります。単身で西へ向かいたいそうですが、一人で旅立つことだけは許すわけにはまいりません。この羽玖蓮と神澪を同行させること、それが条件です」

 神羅威が連れてきた息子たちの顔を厳しい表情で見ると、隆斗も羽玖蓮と神澪の顔を見て頷いた。

「羽玖蓮よ、お前が隆斗様と義兄弟の契りを交わしているのは知っている、だが、忘れるなよ自分の立場を。もしものときはお前が命を賭け隆斗様をお守りするのだ」

「お前もだぞ、神澪。わかっておるだろうな」

 羽宮亜が息子に言うと、神羅威も神澪に向かって厳しい口調で同意を求めた。

「はっ、肝に命じて」

 羽玖蓮と神澪はそれぞれの父に向かって頭を下げた。

 波流伽は皇帝である次男の流堅を説得し、羽宮亜と神羅威は重臣たちを説き伏せ、三人の若者は青弧の地を目指し、朱浬の都から西に向けて旅立つことになった。そして、彼らが旅立ったその日、青弧の山奥で惨霧がその目を開け、活動を開始した。

 朱浬の城を出てから三日後、三人は街道沿いにある小さな街に入る手前で揉め事に遭遇した。商人らしき一人の男と、いかにも博徒といった四人の男が何やらもめており、人が集まり遠巻きにして見ていた。

 博徒風の男四人が金を出せと、商人風の男に言っていた。

「見過ごすわけにもいかんか」

 隆斗は馬を降り、商人風の男に近づいて話を聞いた。

「お助け下さい、ここを歩いていたら、この人たちがわざとぶつかってきて、迷惑料をよこせと言うのです」

 商人風の男はいかにも困ったという顔で隆斗に助けを求めた。

「なるほど、あなたはいかにもお金を持っていますという身なりだ、彼らにしてみれば前から、金が服を着て歩いてくるように見えたのでしょう、はっはっは」

 隆斗は声高々に笑った。

「なんだ、お前は。関係ねえ奴はひっこんでろ、でしゃばると大怪我するぜ」

 一人の男が首を上下に忙しく動かしながら怒鳴ると、さらに二人が隆斗に向けて凄んだ。

 そして、後ろいる一人は三人の兄貴分らしく腕を組んで黙って立っていた。

 その様子を羽玖蓮と神澪は馬上で笑いながら見ていた。

「俺も出ていった方がいいかなあ」

「その必要はないでしょう」

 羽玖蓮が呟くと神澪は首を横に振った。

「ほ~、俺をどうするのだ?」

 凄む三人を前にして隆斗は一歩前に出た。

「てめえ、やる気なのか!」

 三人は凄むわりには隆斗の気迫に押され、隆斗が一歩前に出ると二歩下がり、二歩前に出ると、三歩下がり、ついに兄貴分が立っていたところまで下がってしまった。

「どけ、お前たちでは相手にならん」

 後ろで腕を組んでいた兄貴分が前に出てきた。

「兄さん、なかなかの気迫と面構えだな、俺はこのあたりの街道を治める(えん)(たく)(けい)と言う者だ、兄さん、あんたの名前は?」

 この男はさすが兄貴分だけあって人を圧倒する貫禄を持っていた。

「名前か、紫羅義と言う」

 隆斗の返事に、馬上の羽玖蓮と神澪は顔を見合わせた。

「紫羅義……どこかで聞いたことのある名だ」

 兄貴分は首を傾げた。

「苑卓桂殿はどうしてもこの御仁から金をとるつもりか?」

「その男がおれの手下にぶつかった、手下が面目を潰されというなら、兄貴分の俺はこいつらの顔を立ててやらねばならんのだ、どんな理由があろうともな。お前さんが代わりに顔を立ててくれると言うのならそれでも構わんが」

 隆斗の問いに苑卓桂は、金を取ることが自分たちの世界の掟だと言わんばかりに周囲を威圧しながら話した。

「顔か、顔が立てば良いのか、いいだろう。ここにいる者たちに末代まで語ることができるものを見せてやろう。苑卓桂殿のお陰で皆はそれを見ることができるのだ」

 隆斗は街道の脇にある大木を見た。

「面白い、俺の顔で、ここに集まっている皆が末代まで語れるものが見られると言うのか、いいだろう、で、何を見せてくれるんだ」

 苑卓桂の問いに、隆斗は街道脇の大木を指差した。

「俺の剣でこの木を切り倒す」

 その大木は大人二人で手を繋ぎ、やっと手が回ろうかという巨木であった。

「おいおいおいおい兄さんよ、苦し紛れに適当なことを言うんじゃねえぞ、こんな大木を切れるわきゃねえだろ」

 手下の一人がわめきちらした。

「下がっていろ」

 隆斗は剣を抜くと大木の前に立ち、大きく剣を振り上げた。

 今までにこやかだった隆斗の顔は恐ろしい羅刹のような顔になり、周りの空気が隆斗に向かい渦巻くように動き始めた。

 掛け声とともに剣が一気に降り下ろされ、隆斗は剣を収めるとこちらを向いた。

「切れねえじゃねえか、やっぱり法螺かよ」

 手下の一人が言うのと同時に隆斗の後ろの大木は斜めにズズッと滑り落ち、鋭角に切られた根元付近の先端が地面に突き刺ささった。そして、大木はゆっくりと倒れ、地面を揺るがせた。

 博徒たちも集まっていた者たちも、息を呑んで唖然として倒れた大木を見ていた。

「どうだ、これで」

 そう言った隆斗の言葉は苑卓桂の耳には入っていないようだった。

「苑卓桂殿、顔はたったのか?」

 隆斗がもう一度大声で言うと、博徒たちは、はっと我に返り、隆斗のことをまるで鬼でも見るような顔をしながら後退りした。

「思い出したぞ、紫羅義という名、子供の頃に聞いた。魏嵐皇帝を倒し」

 苑卓桂がそこまで言うと、隆斗は大きな声で苑卓桂の言葉を遮った。

「顔は立ったのか、立たなかったのかと聞いている!」

「十分に立ちました」

 博徒たちはその場からそそくさと立ち去った。

「ありがとございました、お陰で助かりました。もし、旅の途中で泊まるところをお探しでしたら、手前の家はこの近くですので、是非、当家にお泊まり下さい」

「では遠慮なくそうさせて頂きます」

 商人の言葉に三人は即座に返事をし、家に立ち寄って、豪勢な食事と酒を振る舞われ、大層なもてなしを受けた。主が席を外したとき、隆斗は羽玖蓮と神澪にお互いの立場について話を始めた。

「これからは対等でいこう。俺のことは紫羅義と呼び捨てにしてかまわん、皇帝の兄であることは忘れてくれ。隆斗の名は一切使わんし、お前たちも隆斗の名はださないで欲しい」

 隆斗の名をだせば皆が注目するし、動きにくくなる、彼はそれを懸念していた。

 街道は都まで続き、人の往来も多く、この日の出来事は朱浬城内にも届き、羽宮亜と神羅威の耳にも入った。

 二人は揃って波流伽皇后の元に行き、街道での出来事を報告した。

「ここから西に三日ほどのところにある街で、商人が博徒に金をせびられていたそうですが、それを止めた三人の若者のうちの一人が、紫羅義と名乗ったそうです」

「紫羅義……あの子ですね。そうですか、無事に帰ってきてくれればよいのですが」

 羽宮亜の報告に波流伽は複雑な表情で外を見た。

 外は庭園であり、多くの花たちが風に揺れて波流伽に語りかけているようだった。

 揺れる花を見ながら波流伽は呟いた。

「まるで昨日のことのよう」

 そう呟いた波流伽の頬には幾筋もの涙がつたわり落ちていた

「本当に昨日のことのようです」

 羽宮亜も目を細め外の花を見ていた。

「紫羅義殿と出会わなければ、我らの人生はきっとつまらんものだったでしょう。隆徹様と出会い、その人柄に嫉妬し、その腹いせに俺たちが彼を皇帝に祭り上げてやろうと二人で誓った日のことや、数々の困難な戦いをともに乗り越えてきた日々のことを、今でもよく思い出します」

 神羅威がそう言うと、波流伽も羽宮亜も無言で頷いた。

「旅立ってしまったのですね、隆徹も隆斗も」

 波流伽は寂しそうに呟くと目を閉じた。

 そんな三人の思いなど露知らず、若者たちは一路西に向かって馬を飛ばしていた。

「もう魔物は目覚めているかもしれない、急がなければ。すでに犠牲者が出ているやもしれぬ」

 紫羅義が予想した通り、すでに山間にある小さな村で数人の村人が行方知れずとなっていた。

 紫羅義たちは(かい)(そう)(えん)の国々を駆け抜け、(ゆい)の国に入った。

 唯国領内に入り、暫く走ると三人は街道沿いに流れる川を見つけ、彼らは馬に水を与えるために河原に降りた。

 馬に水を与え終わると、かなり長い間走り続けてきた三人はさすがに疲れ、河原に腰を下ろして、暫しの休息をとった。

 三人が腰を下ろしたすぐ近くで小さい女の子が泣いており、母親が一生懸命になだめていた。

「どうしたのかな、あの子は?」

 羽玖蓮は母娘に目を向けながら呟いた。

「行ってみましょう」

 神澪は馬を引き、歩きだした。

「おいおい神澪よ、泣いている子にいちいち事情を聞いていたら身がもたないだろ」

 羽玖蓮の言葉に神澪は手をあげて答え、そのまま母娘に近づいていった。

「やれやれ」

「これも人生修行のうちだ、行ってみよう」

 羽玖蓮は呆れた顔をしたが、紫羅義に言われ重い腰を上げた。

「どうしたのですか?」

 神澪に声をかけられ、母娘は驚いた様子だったが、神澪の優しい笑顔に安心したのか、事情を話しだした。

「この子は小さい鳥を育てていたのです、この河原に二人で来た時に、傷ついて飛べなくなった小鳥を見つけ、家に持ち帰り手当てをしました。だいぶ元気になり、この子にも慣れて、手から餌を食べるまでになりました。でも、昨日の夜から元気がなくなり、今朝になったらもう」

 母親は泣いている娘に視線を落とした。

「ここで見つけたから、ここに埋めてやるんだと。お墓を作り、帰ろうとしたらまた泣き出して」

 母親の指差す方を見ると、少し離れたところに河原の小さい石が積んであり、そこには一輪の花が挿してあった。神澪は女の子の前にしゃがみ込んだ。

「その小鳥は、君に感謝しながら天に昇ったと思います、彼の仲間たちもきっと君に感謝しています」

「本当?」

 神澪が女の子と同じ高さの目線で、顔を覗きこむようにして話しをすると、女の子は涙いっぱいの目で彼を見返した。

「本当です、見せてあげましょう」

 神澪は立ち上がると胸の前で手を合わせ、印を結んだ。

 彼の体から発せられた気の波動は河原や対岸の草地、街道の反対側にある林まで届き、そこにいた鳥たちが一斉に飛び立ち、彼らの元に集まってきた。数百にも及ぶであろう鳥たちは女の子の頭や肩に舞い降り、彼女ばかりでなく母親や紫羅義たちの肩の上、馬の上にまで降り立った。

「うわ、すごい!」

 女の子は驚いたが、両手を出すと、その手にも小鳥たちは飛び乗り、彼女は喜びの声を上げた。母親も驚いていたが、娘の喜ぶ顔をみて安心したように微笑んだ。

「俺たちにはとても真似できんな、これは」

 そう言った羽玖蓮の頭にも二羽の小鳥が止まっていた。

 紫羅義時代の隆徹が森羅万象を見極めようとしていたのと同じく、羽宮亜と神羅威も森羅万象を極めようとしていた。特に神羅威は兵法にその力を利用するために、雨や風、雲や星の動き、動物や鳥たちに至るまで、その本質を見極めようと長きに渡り自然と対話していたのだ。その資質を息子である神澪は強く受け継いでいた。

「神澪にはかなわんな」

 紫羅義も笑いながら首を振った。

 彼らは鳥に囲まれた母娘に手を振られながら河原を後にした。


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