その75
それから暫くして、皇帝と皇后が重い病気になったとの噂が流れ始めた。
人の口に戸は立てられない、城に出入りする業者や商人たちが城中は火が消えたようになっていると外で話していた。
「城の中はそんなに皆が意気消沈しているのかい」
農民に化けた司鬼一族の者が城の中に生活物資を売りに行ったという商人に聞いた。
「そりゃあもう兵たちの間には士気のかけらもみられないね、声を掛けるともうどうでもいいような感じで何でも話してくれるよ。彼らの話をまとめると、なんでも恐ろしい敵が城内に侵入したらしい。その者たちはなんとか討ち取ったらしいんだが、その戦いで陛下の義父様が命を落とし、皇后様の妹のような方まで命を落としたらしい。御二方は失意のあまり、重い病になり、奥から全く出てこなくなったんだそうだよ」
商人は得意げに話した。
そんな話が遠方まで広がっていった。話を広めたのは商人たちだけではなく、行商人や旅人に化けた司鬼一族の者が各地に散って、情報を操り、話に尾鰭がつくようにして広めていった。そして、そこに留まり、各国の動きや様子を見張っていた。
「皇帝を亡き者にするのは失敗したようだが、四人が城内に忍び込んだ成果は絶大だったようだ。反乱の土壌はでき上がった。後は種が芽を出し、大きくなるのを待てばよいだけだ、我らはもう最後の決戦まで戦う必要もないだろう」
玄祥は配下の前で満足げな表情をみせた。
だが、情報を操作していたのは、司鬼一族だけではなかった。城内では話が外へ漏れるように羽宮亜が状況と情報を操っていた。城内だけでなく、彼は自分の手の者を全て使い城の外においても、いたるところで情報を操っていたのだ。
数ヶ月後、玄祥の元に集まる情報の中に決定的なものが混じり始めた。西と北からそれぞれ数万の反乱の旗を掲げた軍勢が城に向かってくるというのだ。そして反乱の軍勢が近づいてくるにもかかわらず近隣諸国は門を固く閉じ、朝廷へ兵を派遣する構えはみせてはいないと。
「ふははははは、ついに、このときが来たか、朝廷ばかりか近隣諸国も意気消沈し、反乱軍の動向を遠くから眺める日和見主義者になったようだ。奴らはこちらが有利とみれば、すぐにこちら側に寝返る、そんな奴らばかりだからな」
玄祥は愉快でたまらんという様子であり、上機嫌であった。
「もうすぐ私は皇帝の座につくのですね」
魏劉輝もうかれ顔であった。
「そうだ、魏劉輝殿、お主が皇帝になるのだ、いや、なるように我らが力を貸す。配下の者があちこちに走り、我ら一族の力により王朝は崩壊寸前だと吹いて回ると同時に、その頭領は魏嵐前皇帝の長男の魏劉輝殿だと言いふらしているのだ。連合した軍勢の盟主がすなわち皇帝となる。反乱の連合軍が城の前に集結するとき、我らがその中心に立ち、号令をかける。そして、隆徹の王朝が滅んだ後はお主が帝位につくのだ」
玄祥は魏劉輝の肩に手を置き、彼の体を大きく揺すった。
「皆の者、魏劉輝新皇帝誕生のために力を貸してくれ」
玄祥は配下の者たちを見回しながら力強く言葉を発した。
「ははっ」
集まっていた者たちは、深々と魏劉輝に頭を下げた。だが、頭を下げた彼らは知っていた、玄祥がそんな甘い人間ではないことを、そして、帝位を簒奪すれば、魏劉輝がその後はどうなるかを。
魏劉輝は凡庸な人間であり、先を読む能力など皆無に等しかった。
帝位を簒奪し、皇帝になれば、側近から重臣、将軍に至るまで全て玄祥の配下である司鬼一族の者が占めることになる。そして、玄祥は皇帝の後見人としてその力を振るうつもりなのだ。
もし、朝廷に対して怨嗟の声が上がるようなら、天下万民のために仕方なくと、魏劉輝を幽閉し、首のすげ替えを行い、恨みの矛先を自分に向かないようにしてやると、そこまで先の絵を描いていた。
西からは二万、そして北からは二万五千の反乱軍が朱浬の都に近づいていた。
「陛下、では、私が陛下の代理として反乱軍の盟主たるは魏劉輝殿だと彼らに伝え、軍をまとめてまいります」
玄祥の言葉に有頂天になった魏劉輝はすでに周りが見えなくなっていた。
玄祥は何騎かを引き連れ、数日後にはそこに到着するであろう反乱軍に馬を進めた。玄祥が自ら出向いたのは、盟主たるは確かに前皇帝の長男である魏劉輝という者だが、それを担ぎ上げ、実権を握っているのは自分だと、反乱軍に知らしめるためであった。
数日後、玄祥は戻り、魏劉輝に報告した。
「西からの軍と北からの軍、両軍ともに二日後に城の前の広場に集結致します。そして中央には我らの軍が構え、陛下の合図で全軍が突撃する手筈になっております」
「そうか、いよいよか。しかし、近隣諸国の動きが気になる、門を固く閉じて人の出入りはないとのことだが、そちらの方はどうなっておるのだ」
魏劉輝はすでに皇帝になったような口ぶりで玄祥に尋ねた。
「御心配には及びません。どこの国も援軍を送る動きはしていないと報告が入っております、たとえ、今から準備して出てきたとしても、とても間に合わないでしょうし、出てくるなら、とうの昔に援軍は到着しているはずです。そして、城には十万の兵がおりますが、これだけの動きに全く撃ってでる気配がないということは、もはや朝廷内部の士気は地に落ち、誰もまともに戦う気がないということであり、突撃して城門を破壊すれば我らの勝利は間違いないでしょう、いや、その前に反乱軍を見て、城門は向こうが自ら開けるやもしれません」
玄祥は自信ありげに答えた。
二日後、反乱軍は千五百の司鬼軍を中央にして、西からの二万は右軍として、北からの二万五千は左軍として、朱浬の城門前の広場に軍を展開させていた。
「陛下、全ての準備は整いました、あとは陛下が号令をかけるだけです」
玄祥の言葉に魏劉輝が右手を挙げ、叫ぼうとしたとき、城門がゆっくりと開き始めた。
「おお、玄祥殿の言った通り、向こうが門を開けたぞ」
「すでに我らの勝利は決まったようですな」
魏劉輝の言葉に玄祥も頷き、体を前に傾け門を凝視した。
だが、城門は降伏のために開かれたのではなかった。
遡る数ヶ月前、国を守り、皇帝である自分を守るために命を落とした波邪斗や那岐の者、そして叙崇国の仲間たち、そればかりではなく、戦いに臨んで帰らぬ者となった将軍や兵士たち、さすがに隆徹の心は砕けそうになっていた。そんなとき、羽宮亜と神羅威が三人だけで話がしたいと、隆徹を奥の間から呼び出した。
「陛下の心労はどれほどのものでございましょう、しばらくお休みください」
羽宮亜が進言した。
「確かに休みたいとは思う、だが、今はそんな状況ではない」
隆徹は力なく答えた。
「いえ、陛下にはご病気になっていただきたいのです。陛下だけでなく、皇后様も同様に」
羽宮亜と神羅威は隆徹の顔を見つめた。
隆徹はすぐに二人がなんらかの策を考えているのだと察した。
「どれほど病気になっていればよいのだ?」
「かなり長い間になります。陛下の病気が外に知れ渡り、さらにそれが広まり、司鬼一族が姿を現すまでです」
神羅威が答えた。
羽宮亜は司鬼軍を誘い出す情報をいかなる経路で流すかを思い巡らせ、神羅威はいかなる力と策を用いて司鬼軍を倒すかを考えていた。そこへ、外で司鬼軍の動きを追っていた那岐の者から軍の動きを掴んだとの報告が入ってきた。
敵の場所と動きが掴めれば情報を流すことができるし、策も巡らすこともできる。二人が考えだした策を、羽宮亜は隆徹に話した。
「陛下と波流伽様はともに大事な人間を失い、重い病にかかったとし、姿を見せないようにしていただきます。当然の如く城内には士気の低下が蔓延するでしょう、その状況を城に出入りする業者や商人を使い、広く外へ流すのです。司鬼の者は必ず城内の情報を彼らから、何らかの方法により得ているはずです。敵に気づかれないよう夜陰に乗じて、史瑛夏将軍が最強の兵を率いる唯の国と、最も信用のおける荀宇宝国王が治める宗の国へ援軍要請の使者を送ります」
「なるほど、兵たちにも、我らが本当の病に倒れたと思い込ませ、実際に城内に沈んだ空気を漂わせ、司鬼軍の油断を誘うわけか。それで、外からの兵に司鬼軍の討伐をさせるというのだな。しかし、史瑛夏将軍の兵がいくら強くても、狡猾な司鬼軍と戦えば、どれほどの被害を受けるか、先の戦いでそれは明白なはずだが」
羽宮亜の話を聞いて隆徹は腕を組み、目を閉じた。
「まともには戦いません、反乱軍として進軍してもらうのです」
「反乱軍だと!」
神羅威の言葉に隆徹は驚き、腕をほどいて、彼の顔を見た。
「そうです、信頼できる、唯の国と宗の国に依頼するのです。そして、西と 北でそれぞれ反乱の旗揚げをした連合軍が志芭の国へ進軍するように思わせます。司鬼軍の位置が掴めているのならば、彼らの動きに合わせて両軍をうまく進めることができます。司鬼軍は、時は来たれりとばかりに連合軍と連絡をとり、魏嵐前皇帝の嫡子である魏劉輝の名を掲げ、今までの功績を前面に押し出して、自分たちがその連合軍の盟主だと言い張るでしょう。彼らは城門前の広場に軍を展開するときに、必ず魏劉輝を中心に置きます。必然的に司鬼軍は中央に、連合軍はそれを左右から挟む陣形となります。後は門を開き、降伏の使者を装った者が出向いて、彼らの前まで行き、号令を掛けるだけです。いきなり左右からの攻撃を受け、乱戦となれば、いくら司鬼軍でもどうしようもないはずです。近隣諸国が迂闊に動くと策が見破られる恐れがあるので、彼らには志芭の国周辺でいかなる動きがあろうとも門を固く閉ざし、一切の人間の出入りと、兵を動かすことを禁ずるとの皇帝の勅書を持った使者を送ります」
神羅威は理路整然と隆徹に説明した。
隆徹はしばらく考えていた。
「良い策だ。その策を用いるのに一つ条件がある、降伏の使者を装って門から出向き、号令をかける者、それを紫羅義に任せるのだ」
隆徹の言葉に、羽宮亜と神羅威は首を傾げた。
「はぁ?」
二人は同時に呆けた顔で隆徹を見た。
「だから、紫羅義が出るのだ、紫羅義が、この俺が!」
そこに座っていたのは皇帝ではなく、朱浬の都を目指し、天下万民のためにと戦い、突き進んでいた頃の紫羅義であった。
羽宮亜と神羅威は顔を見合わせ、二人同時に叫んだ。
「いけません!」
当然のことである。志芭朝廷の長であり、天下の主である唯一無二の皇帝が、そんな危険な戦いにその身を晒すなどとは議論の余地さえないことだった。
「お前たちが反対するのはわかる、だが、行かせてくれ、その戦いに出向かなければ、俺は生涯、重荷を背負って生きてゆかねばならない。志芭の国のために礎となった者たちに顔向けができん。もし、俺が命を落としたとしても、次を継ぐ二人の子もいる、そして、それを補佐するお前たちや信用できる重臣、将軍たちがいる、その戦いで命を落としたとしても、何の悔いもない」
隆徹の言葉に、羽宮亜と神羅威は無言のまま下を向いた。




