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紫羅義  作者: 海道 睦月
72/125

その72

 深夜、城壁の上には多数の警備兵が巡回して外に対して目を光らせており、城内には壁に沿ってかがり火が並び、ここにも多数の警備兵が立っていた。さらに、皇帝の周辺は叙崇国の手の者が巡回しているばかりでなく、陰には那岐一族の者が潜み、周囲を見張っていた。

 叙崇国を筆頭とする皇帝直属の警備陣は洸伯昌の元にいた食客たちであり、隆徹を補佐し、ともに苦難の道を乗り越えてきた昔から気心の知れた仲間たちであった。彼らは四人一組の隊を五十組ほど作り、交代しながら昼夜を問わず皇帝周辺の警備にあたっていた。城内には、いたる所に警備兵の姿が見えるだけでなく、四名一組の皇帝直属警備兵の姿もあちらこちらに見え隠れしていた。

「さすがにこれだけの警備の目をくぐり抜け、城の中に入り込むのは無理でしょう、いや、その前に城壁の内側に忍び込むのさえ無理な話ですね」

 (さい)(えん)(めい)が叙崇国に話しかけた。

 叙崇国は彼のほかに二名を引き連れ巡回していた。崔苑明は食客時代にともに技を磨き合い、叙崇国とは兄弟のように日々の生活を送っていた仲間だった。そこへ、彼らの弟分とも呼べる(しゅ)(げん)()という者が近づいてきた。

「兄様、交代しましょう。他の者は交代しながら警備をしているのに、あなたはずっと見回りをされている、それでは体が持ちません」

 朱元基は心配そうな表情で叙崇国の顔を覗き込んだ。

「そうか、じゃあ任せるか、お前たち二人なら俺も安心だ、少し休ませてもらうか」

 二人に背を向けて歩き出した叙崇国はその歩みを止めて振り返った。

「朱元基、お前、どこか具合が悪いのか?」

「いえ、そのようなことは」

 朱元基は目を伏せ、叙崇国は彼の顔を見つめた。

 朱元基に拳法の技を教え、寝食を長きに渡りともにしてきた叙崇国は、目の前にいる弟分に何か違和感のようなものを感じていた。

 悸翠のように誰かが成り代わっているのかとも思ったが、どうみても背格好や声や身のこなしは朱元基であり、悸翠の前例がなければ叙崇国はそのまま立ち去っていた。

「朱元基よ、なぜ目を伏せる、こちらを見よ」

 叙崇国の言葉に朱元基は顔を上げた。

「お前は、朱元基ではないな」

 叙崇国は反応を確かめように、ゆっくりと言った。

「何を言うのです!」

 朱元基は驚いたような顔を見せたが、叙崇国が無言のまま見つめると目を伏せ、ニヤリと笑い、剣を抜きながら前へ飛び出て叙崇国の胸を貫こうとした。

 叙崇国も剣に手をかけたが間に合わない、そのとき、叙崇国に近づこうとしていた崔苑明が間に入り、剣は彼の左胸に突き刺さり、崔苑明そのまま崩れるように倒れた。

「崔苑明!」

 叙崇国は叫びながら彼を支えたがすでに瀕死の状態であった。

 近くにいた二人が剣を抜いて朱元基に飛び掛かり、彼を斬った。

 叙崇国は朱元基が斬られるのを確認してから崔苑明に視線を落としたが、朱元基は明らかな致命傷を負いながら、油断していた一人を斬り、剣を振り上げ、叙崇国に向かって飛び掛った。

 剣が振り下ろされたとき、黒い影が朱元基に体当たりするように強烈な一撃を浴びせ掛け、その攻撃を受けた朱元基は吹っ飛び、呻きながら二度、三度、体を捻るとそのまま息絶えた。

「小僧、油断したな」

 叙崇国が見上げると、そこには黒装束に黒い覆面をした男が立っていた。

「申し訳ありません、事態に気が動転してしまいました、波邪斗殿がいなければ、私も斬られていたところです」

 男の正体は那岐一族の長、波邪斗であった。

 騒ぎを聞きつけ他の警備兵も集まってきた。

「あの者はお主の配下に間違いないのか?」

「間違いありません」

 叙崇国は波邪斗の問いにはっきりと答えたが、なぜ、朱元基があのような行動をとったのかわからなかった。

「あの男は朱元基という者で、食客仲間でした。昔から弟のように付き合いずっと一緒でしたが、正義感が強く、真っ直ぐな男です。敵に寝返るなどあり得ないことです、それがなぜ、あんなことを?」

 叙崇国は自分の腕の中で息絶えた崔苑明に視線を落とし、悲壮な表情で答えた。

「何か気づいたことはないか?」

 波邪斗はさらに尋ねた。

「何とも言えない違和感があって、それに、目つきもおかしかったように思います」

 叙崇国は波邪斗を見上げた。

 波邪斗は腕を組み、険しい表情で周囲を見回していた。

「叙崇国よ、この周辺の警備兵を全て引かせよ、誰も近づけるな、そして、この辺りにいた警備の者を城の入り口に全て集めて侵入者を警戒させよ」

 そう言うと、波邪斗は暗闇に向かって()()()を呼ぶようにと命じた。

 闇の中から返事があり、一つの影が暗闇の中を走り去って行った。

 叙崇国は波邪斗に何も尋ねることなく、周りにいた警備兵に命じた。

「聞いた通りだ、全員ここから離れて、城の入り口を固めよ」

 警備兵は遺体を担ぎ、引き上げて行き、それと入れ替わるように一人の男が現れた。その男は白い服に身を包み、長い髪をなびかせ、線の細い女のような容姿であった。

「宮流夢よ、どうやらお主の出番のようだ、我らもここから離れ、向こうから様子を見ている、頼んだぞ」

 波邪斗と叙崇国もそこから離れ、歩きながら叙崇国は警備兵を引き上げさせた理由を尋ねた。宮流夢という男と那岐の村から一緒に都まで駆けつけたが、名前以外、彼がどんな男で、どんな技を使うのか叙崇国には皆目わからなかった。

「そんなことが……」

 波邪斗の話を聞いた叙崇国は驚きの表情を隠せなかった。

 宮流夢は誰もいなくなった場所に一人立って前方を見据えると、かがり火で光と影が揺らぐ中をゆっくりと歩き始めた。

 暫く歩くと、先に青白い炎が浮かび上がり、近づくと、その炎の向こうから一つの人影が現れた。

「俺の名は浮幻。警備の兵を引かせるとは、どうやら俺の存在に気づいたようだな、一人で来るからには腕に自信があるのだろう、だが、俺を倒すことはできぬよ、ここで、皆はお主の骸を見つけ、さらに不安は大きくなるだろう、さあ、この炎を見るのだ」

 浮幻が言い終わるのと同時に炎は大きくなり、妖しい光を放ち始めた。

「この炎をよく見ろ、お前の名は何と言う?」

 浮幻の問いに宮流夢は無表情で答えた。

「そうか、では宮流夢よ、俺の真似をするのだ」

 浮幻が剣を抜くと、宮流夢も剣を抜いた。

 浮幻が剣を持って、いくつかの動作を真似させた後、自身の前に剣を水平に持つと、宮流夢も虚ろな眼差しのまま、同じように動いた。

「完全に術に落ちたようだな」

 浮幻は剣の先を持ち、両手で剣を首の前まで持ってきた。

「さあ、そのまま力を入れて自分の首を切るのだ」

 浮幻は力を込めて剣を引く動作をした。

「力を込めて引け」

 次の言葉が重複した。

 宮流夢が同じ言葉を発したのだ。

「剣を首にあてて引くのだ」

 今度は宮流夢だけの言葉であった。

「うっ、腕が勝手に、まさか、俺がお主の術に操られていたのか、お前も同じ術を」

 浮幻が渾身の力を込め、震えながら、自身の首にあてた剣を引き離そうとしたとき、宮流夢は瞬時に間合いを詰め、浮幻の胸を一突きにした。

「人を操る術を使うのが、自分だけと思うその驕りがお主の命取りとなったのだ。我が里にも人を操る術は伝わっている……もはや聞こえぬか」

 宮流夢は浮幻に語りかけたが、浮幻はすでに息絶えていた。

「潜入したのは、やはり人を操る術を使う者でした」

 宮流夢は波邪斗に報告した。

「やはりそうであったか」

 波邪斗は朱元基の状況を聞き、誰かに術をかけられ、操られていると判断し、那岐一族の中で同じ術を操る宮流夢を呼んだのだ。

「ほんとうにそのような術を使う者がいたのですね」

 叙崇国は波邪斗からその話を聞いたときは信じられなかった。

 闇に潜んでいるであろう敵を警備の兵を動員して探索するのは容易いが、いつ、何時、その警備兵が術をかけられるかわからない、そして、そんな話が広がれば、誰かが術をかけられているかもしれないという疑心暗鬼に兵たちが覆われてしまう、浮幻は人を操り、皇帝の命を奪うだけでなく、城内の兵にその疑心暗鬼を広がらせるのも狙いの一つとしていたのだ。波邪斗はそれに気づき、警備兵を引かせると同時に、周辺にいた警備兵を一箇所に集め、不審な動きをする者がいないか、那岐の者に監視させていた。

 叙崇国は歩きながらその話を聞いて、そんな術があることも信じられなかったし、瞬時でそこまで考えを巡らす波邪斗にも驚かされたのだ。

 幸いなことに警備兵の中には浮幻に術をかけられている者はいなかった。


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