その33
「いかなる意味も何もない、そのままの意味だ」
波邪斗は無表情のまま答えた。
「し、しかし、私はまだ若輩者、天地も天命も森羅万象も婚儀はまだ早いと言っておりますし、そ、それに昨日会ったばかりではありませぬか、男と女には時間が必要です、そう時間です、天もそう申しております」
紫羅義の返答は支離滅裂であり、波邪斗は呆れたような顔で隣に座る紫羅義を見た。
そのときだった、隣の広間からどよめきが起こり、白い婚礼用の衣装を身にまとった波流伽が現れた。
紫羅義はその姿を見て目を見張った。
「誰なんだこれは?」
そこに立っていた波流伽は美しく、聡明という印象を受け、あの黒装束の姿からはとても想像できないような気高い雰囲気をその身から漂わせていた。
波流伽は紫羅義の横に来ると、小さく一礼をし、無言のまま隣に座り、入れ替わるように波邪斗が立ち上がった。
「皆の者、我が娘、波流伽が嫁ぐ、相手はここにいる紫羅義だ。我が娘の婿となれば当然、わしの後継者ということになる、つまり、我ら那岐一族の長の後継者ということだ。それを肝に銘じて欲しい、我が婿はこの大陸の王となるやもしれん、いや、なってもらわねば我ら一族に明日はないのだ。そのためには我らの力を結集せねばならん、皆の者、その命、その力を貸してくれ」
そう叫ぶと杯を掴んだ。
「難しい話はここまでじゃ、今宵は、無礼講ぞ、酒を注げ!」
波邪斗はさらに大声を出して叫んだ。
呆けていた紫羅義は我に返り、掟の意味と、この婚礼の意図の全てを理解した。
酒が注がれ、皆、口々に「乾杯」と叫んでは飲み、飲んでは叫び、次々と紫羅義と波邪斗の元に酒を注ぎに来た。
二人の前には酒を持った者たちの列ができたが、何人に注がれようと断るわけにはいかない、長の後継者と言われた今、断ればその姿勢が疑われてしまうのだ。
どれくらい飲んだだろうか、すでに半数以上の人間が酔い潰れていた。紫羅義がふと横を見ると、波流伽は大きな瞳を輝かせながら、優しく微笑み、彼を見ていた。
「これも天命か」
紫羅義は焦点の合わない目で天井を見上げた。
「ここまで来たら、もう覚悟を決めるしかないか」
そう呟いたとき、後ろからグッと肩を掴まれた。振り返ると、そこには十分過ぎるほど酔った花嫁の父がいた。
波邪斗は、ふ~っと大きくため息をつき、すわりきった目で紫羅義を見た。
「この婚礼の意味はわかったと思う、我ら一族にとって長の命令は絶対なのだ。那岐一族の力を得るには長の後継者になるのが一番の早道、わしの一人娘である波流伽の婿になることが、すなわち長への道なのだ。だが、絶対的な命を発するということは、それだけその責は大きく重いのだ、昨日戦った真沙旗は波流伽の許婚だ、いや、お互いに好き合っていたわけではない、掟により女は長にはなれぬ、わしが二人に夫婦になれと命じた。そして、娘はお主を選んだ、だから戦わせた。真沙旗は内心ほっとしているはずだ、長としての責任から逃れられたのだから。しかし、だからと言ってあの戦いにわざと負けたわけではない、そんなことをわしの目の前でやればすぐに見抜かれるし、厳しい罰が下される」
波邪斗は右に左に体を泳がせながら、そう言うと、そのまま目を閉じた。
紫羅義は自分の首に手を当てて擦った。
「確かにあれは渾身の力であり、容赦なく締め落とそうとする者の力であった」
腕を見ると、締められた跡がまだはっきりと残っていた。
腕の跡を眺めていると、波邪斗が再び目を開け、今度は紫羅義の両肩を力一杯掴んだ。
「婿殿よ、これは娘の父としての言葉だ、憶えておいてくれ。これから波流伽はずっとお前のそばにいる、寝るときも戦うときも一緒だ。もし、娘が戦いの中で命を落とすことがあっても、お前は進まねばならぬ、そこで止まることは義勇軍の頭目としても、那岐一族の次の長としても許されぬ。だが、だがな、波流伽はお前が死ねば、その場で自らの命を絶つ、生まれた時と場所は違えども、死ぬときは一緒と、この娘はそう心に決めているはずだ。そうでなければこの婚礼を承諾するはずはないのだ。だから死ぬな、波流伽が大事だと思うなら生きよ。どんなことがあっても生きよ、生き抜いてくれ」
そう言うと、紫羅義肩を掴んでいた波邪斗の力は弱まり、魂が抜けたように崩れ落ちた。
後ろを振り返ると、波流伽が紫羅義の目を無言のまま正視していた。
無言ではあったが、その目からは幾千、幾万もの光るような言葉の渦が紫羅義の瞳の中に流れ込んでいた。その言葉を全て受け止めようとしたが、紫羅義もまた魂が抜けたようにその場に崩れ落ちてしまった。
紫羅義が飛び起きると、波流伽がそばで笑っていた。
「朝か……夢ではなかったか、そうか」
紫羅義はキョロキョロと辺りを見回した。
姿勢を正すと、改めて波流伽に挨拶をしてこれからのことを二人で話し合った。
「とにかく湯を浴びて、お酒を抜いてください、その間に旅立ちの装束に着替えます」
波流伽はすでに紫羅義の嫁だと言わんばかりの口調になっていた。
湯から出て屋敷の外へ出ると、波邪斗が待っており、その後ろには波流伽と三十名ほどの者が立っていた。




