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紫羅義  作者: 海道 睦月
29/125

その29

 今まで鍛錬していた者たちが動きを止め、二人に険しい視線を向けていたのだ。

「聞こえたぞ、羽宮亜よ、やっと我らの本領を発揮できるときが来るのだな」

 少し離れたところで、趙子雲が悪鬼のような笑いを浮かべていた。

 そして周囲にいた者たちも表情は一変し、獲物を狙う獣のような目つきになり、笑みさえ浮かべていた。

「我らは長い間世話になっていた恩義に報いなければならない、その日のために日々修練を積んできた。恩義に報いられるのなら命を落とすことなど微塵も恐れはしない」

 洸伯昌の食客である叙崇国も、拳を固く握り締め、前に突き出すと、従ってきた他の者たちも、俺たちも同じだ、とばかりに拳を前に突き出し力をこめた。

「この人たちは……」

 皆の闘気に呑み込まれ、羽宮亜と神羅威は身震いした。

 それから十日のほど後に大厳の地に辿り着いた。

 今までとの戦いとは違う。すでに定海、涼東の話は陶堅徳に伝わっているだろう、そればかりではない、そろそろ早馬によって魏嵐皇帝の元にも、今までの件は伝わる頃である。そうなれば本格的に朝廷は動き出す、時間が経てば経つほど動きづらくなるのだ。

 羽宮亜は情報収集に全精力を傾けたが、切れ者と呼ばれる陶堅徳の方でも定海、涼東の事件を聞いて、ただ黙って待っていたわけではなかった。多数の間者を放ち、すでに紫羅義一行の所在とその動きを掴んでいた。

 大きな林の中に、これまた大きく開いた空き地があると聞いて、紫羅義一行はそこで野営をして作戦を練ることにした。そんな場所なら外部から遮断されているので目立つこともない。しかし、この場所は相手にとっても取り囲むのに都合の良い場所であった。

 間者からの報告で林の中に野営したことを聞いた陶堅徳はすぐに全軍に出撃の命令を下した。

 自らが先頭に立ち、夜明けとともに移動して、相手に気づかれないように、林の手前で馬を降りた。

「徒歩にて林の中に入って敵を包囲し、相手を認識できる明るさになったら、攻撃し殲滅せよ」

 陶堅徳は全軍にそう命じた。

 紫羅義たちの義勇軍一行は二千の兵に完全に包囲された。

 明るくなり始めたとき、紫羅義たちは剣を掴み周囲の様子を伺っていた。

 辺りの気配を察知し、すでに全員が起きて、いつでも戦闘に入れる状態になっていた。

「紫羅義殿、一点に攻撃を集中し血路を開くよりほかに手はないと思いますが」

 さすがの神羅威も敵がここまで早く動くとは予想していなかったので、こう進言するのがやっとだった。

「ちょうど良いではないか、どうせ城を攻撃するのはこの人数では無理だから、敵を外に引きずり出さなければならなかった、かえって好都合さ」

 紫羅義はそう言いながら鋭い目を暗い林の中に向けていた。

「好都合だって?」

 そばで聞いていた羽宮亜は震えた。

「敵はおそらく二千、こちらは五百、その数に囲まれて、好都合とは」

 羽宮亜は唖然としながら周囲の林を見回した。

「明るさが増し、周囲がはっきり認識できるようになり、同士討ちの心配がなくなれば敵は一気に攻め込んでくる。そろそろ来るぞ、こちらが先に立つ、俺が立ったら、全員立ち上がり戦闘態勢をとれ」

 紫羅義の言葉は伝言遊びのように皆に伝わっていった。そして、紫羅義が立ち上がると全員が一斉に立ち上がった。

「ぬ! 気づいておったか、しかし、気づいていようと情勢は変わらぬ、かかれ」

 林の中で様子を伺っていた陶堅徳が部下に命じると、林の中から兵たちが次々と姿を現した。

「見事に囲まれたもんだな、確かにこりゃ二千はいるな」

 趙子雲は感心している。

「手加減する必要は一切ない、これだけの人数相手に戦うのだ、全員、羅刹となれ」

「おお~!」

 紫羅義の言葉に反応した雄叫びが響き渡り、その声が合図であったかのように双方ともに全員が剣を抜き、大厳の兵は一斉に走りだした。

「羽宮亜よ、俺たちの運命もここで尽きるかもしれんな、お前に会えて良かったよ」

「俺もだ、神羅威」

 二人は手を取り合ってから、その手を離し、剣に手をかけた。

 二人ともそれなりに剣の鍛錬はしていたが実戦経験はない。剣に手を置いたままその場から動かずに様子を見ていた。

 紫羅義たちの強さは羽宮亜と神羅威の予想をはるかに上回っていた。

 大厳の兵と動きが全く違う。あの大柄な馬元譚でさえ敵の動きより数段早い、黒雲臥と叙崇国に至っては、敵兵はその姿さえまともに捉えられてはいないだろうと思えるほどの歴然とした差があった。そして、他の者たちも相手を圧倒していた。

「これほどとは」

 二人は剣の柄を掴んだまま、口を開けて周囲の情勢を見ていた。

 しかし、もっと驚くべきことがあった。それは、紫羅義の周囲には誰もいないということだった、いや、いないというより周囲の敵兵は全て倒されていた。

 紫羅義の使う風狼天翔剣の威力は凄まじく、近寄る敵は何人来ようと、瞬時にして全て倒された。剣を振るう度につむじ風のような鋭い風が起こり、周囲の敵を圧倒し、味方さえもその威力に目を見張った。

 陶堅徳の兵は相手のあまりの強さに徐々に後退し始め、紫羅義はそれに合わせる様に一点を見つめながら前に進みだした。紫羅義が見ていた先には司令官である陶堅徳が険しい表情で立っていた。

「紫羅義殿の後方を支援しろ」

 趙子雲が叫ぶと部下の何人かが後ろに付き、紫羅義は歩みを早め、前から来る敵は一瞬にして倒されたが、まだ陶堅徳との間には幾重にも及ぶ敵の囲みがあった。紫羅義は足をさらに早め、陶堅徳の顔がはっきりと見える距離まで来ると、敵の中を疾風のように走り抜けた。それはまるで無人の荒野を走るかのような勢いであり、陶堅徳の腹心や部下が前を遮ったが、瞬く間に斬り倒された。

「下郎が!」

 陶堅徳自身も剣を抜き、斬りかかったが、紫羅義にその剣もろとも体を瞬時に寸断され、その場にどっと倒れた。

「皆の者、聞け、陶堅徳は倒したぞ!」

 紫羅義が怒鳴ると、逃げ腰になっていた兵たちは、その声に驚き戦いをやめ、林の中に逃げ込んで入った。

 後にはおびただしい数の陶堅徳の兵が倒れていたが、義勇軍には負傷した者はいても命を落とした者は一人もいなかったのである。

 いくつかの郡を束ねる長官を、正面から渡り合って倒したことは大きな成果であり、この話が伝われば、朝廷に不満を持っている反乱分子たちが集まってくることはほぼ間違いなかった。しかし、その反面、今度は魏嵐皇帝の直接の命により各国から万余の軍勢が繰り出されてくるであろうことを誰もが感じていた。

 大厳での出来事は、定海、涼東の一揆の話とともに魏嵐皇帝に報告された。

「五百の寄せ集めに敗れただと、太守らはいったい何をしていたんだ、ふん、だらしない、陶堅徳も二千の兵を擁していて五百の反乱軍に敗れるとは何事だ、そんな連中などすぐに蹴散らせるだろうが」

 魏嵐皇帝は怒るというより、呆れたように言葉を吐き出した。

「陛下、油断してはなりません、陛下が挙兵したときのことをお忘れですか、陛下も最初は数百の人間の頭目でございました。そして力を集め、皇帝の座についたのです、五百の寄せ集めといえど、反乱する者は即座に叩き潰さねば、あちこちで呼応する者が現れます、軽く考えてはいけません」

 今では副宰相の地位にいる楊薪雷が諫めた。

「やつらは俺と同じような道を辿ってこちらに向かって来るだろうな、面白い、どこまで来られるのかお手並みを拝見しようではないか、俺様と同じようにここまで辿りつくことができるかな」

 魏嵐の吐き出す言葉はとても天下を治める皇帝のものとは思えなかった。

 今度は宰相になっていた墨幻蒋が進言した。

「陛下、禍は早いうちに絶つべきです、反乱の軍が通過すると思われる国々に向けてすぐに使者を送り、反乱軍討伐の命を出しましょう、楊薪雷の言うように油断はなりませんぞ、どこでどんな勢力がその傘下に入るやもしれません、早いうちに叩き潰しましょう」

「わかった、わかった、お前たちの好きにせい、いざとなれば俺様が出張ってやるわい、わはははは」

 魏嵐は笑いながら席を立ち、部屋を出て行った。


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