その124
「只の女ではないだって? どういうことだ?」
紫羅義は共鳴しながら光る剣を握り直した。
「一人残らず斬れ!」
月秀羽が叫ぶと警備兵は一斉に紫羅義たちに襲い掛った。
紫羅義、羽玖蓮、神澪、羽皇雅、史蘭、珂鵬韓、そして、理灯斗を含む十人の那岐の者と、百名近い警備兵の戦いが始まった。
紫羅義、羽玖蓮の剣は風を起こしながら舞い、次々と相手を倒し、羽皇雅の打ち出す鉄球は敵を寄せつけなかった。那岐の者たちは三人一体となり、理灯斗の指示の元に圧倒的な強さを見せつけ、史蘭の双剣は敵の中で煌めきながら舞い、相手を翻弄した。
指揮系統がなく、個々が乱雑に動く警備兵は紫羅義たちによって次々と倒されていった。
「ほ~なかなかやるじゃないか」
月秀蝉がニヤニヤしながら呟き、前に進み出てきた。
「気をつけろ! こいつはどんな力を持っているかわからんぞ」
紫羅義が叫び、羽玖蓮と羽皇雅は月秀蝉に向かって身構え、神澪と那岐の者たちは三人を警備兵から守るように囲んだ。
「珂鵬韓殿、国王の元へ。史蘭、珂鵬韓殿を援護しろ!」
紫羅義が叫ぶと、珂鵬韓と史蘭は奥の部屋に向かって走った。
その二人を月秀羽が遮った。
「ここから先には行かせない!」
月秀羽は両手を広げ、二人の前に立った。
「どけ、邪魔だ!」
珂鵬韓が叫んだが、月秀羽は無言のまま二人を見つめていた。
珂鵬韓と史蘭は、顔を見合わせて頷いた。
「行こう!」
二人が月秀羽の横をすり抜けようとしたとき、月秀羽は珂鵬韓と史蘭の腕を掴み、さらに、珂鵬韓に抱きつくようにして顔を近づけた。
月秀羽と珂鵬韓の視線が絡むと、一瞬で、珂鵬韓の瞳から光が消えた。
「離せ!」
史蘭が叫ぶと月秀羽は体の向きを変え、両手で史蘭を掴んだ。
月秀羽が何事かを呟くと史蘭の肩は下がり、体から力が抜けた。
「名は何と言う?」
「……史蘭」
月秀羽が尋ねると史蘭は虚ろな目のまま力なく答えた。
「では、史蘭よ、その剣で、この男の喉を突け。突いたら、次は、あの者たちを斬れ」
月秀羽は紫羅義たちを指差した。
史蘭は紫羅義を見て、剣を持ち直した。そして、珂鵬韓の方を向くと、喉に向かって剣を水平に持ち上げた。
「突け!」
月秀羽が命じると、史蘭は大きく足を踏み出して渾身の突きを放ったが、その一歩は珂鵬韓ではなく、月秀羽に向けられていた。
剣先は月秀羽の喉を深く貫いていた。
「そんな、お前は、何者だ?」
そう言いながら月秀羽は崩れるように倒れた。
「私の名は阿美華」
「阿美華……?」
月秀羽は目を見開き、そのまま息絶えた。
「珂鵬韓殿!」
史蘭は珂鵬韓の肩を掴んで揺り動かした。
珂鵬韓は正気に戻り、彼と史蘭は奥の部屋に向かって走った。
「警備兵は全て倒された。あなたの妹も絶命したようですが」
神澪は動揺を誘うために月秀蝉に話し掛けた。
月秀蝉は神澪の顔を見ると振り返り、倒れている月秀羽や警備兵を見たが何の反応も示さずに、再び紫羅義たちの方を見た。
「なかなか役に立つ叔母だったが、これもまあ、運命だろう。仕方ない」
そう言った月秀蝉の声は女と男の子の声が入り混じった奇妙なものだった。
「叔母? 妹だろう」
羽玖蓮が怪訝そうな顔で言った。
「ははははは、この女から見れば妹だが、俺から見れば叔母なのさ」
月秀蝉の言葉に、彼女を囲んでいた者たちは体を固くして身構えた。
月秀蝉の体から放出される気が尋常なものではないと誰もが感じたのだ。
「俺の名は羅霧。どうだい、良い名だろう。母と親父が二人で考えた名だ。親父が誰だか、もうお前たちなら察しはついているだろう。俺は今、この女の胎内にいる。そして、この女の体を手足のように操ることができるんだぜ」
月秀蝉は目を見開いて異様な言葉を口走った。
「胎内にいる?」
神澪は険しい顔でやや膨らんだ月秀蝉の腹を見た。
「惨霧の息子をこの女が宿していると言うのか? そして、その赤ん坊はすでに自我に目覚め、この女を操っていると?」
羽玖蓮は呆気にとられた顔で月秀蝉を見つめた。
「そうか、親父の復讐ってわけか?」
紫羅義は体を低くして飛び掛かる体勢になった。
「復讐? は! それはこの女が思っていたことだ。親父を倒した唯国に復讐するために、まず、この隙だらけの宣国を乗っ取り、そして、朝廷を我がものにして唯国を滅ぼす、それがこの女の思い描いていた筋書きさ。だが、俺は親父の復讐など興味はない。俺の望みは皇帝だ。この大陸の支配者になることだ。支配者になって色々と試したいことがあるのさ。たとえば、国と国を戦わせる。どちらが強いか見物するとかな。皇帝になれば何でも思うままなんだろ?」
月秀蝉は目を輝かせながら語った。
「お前の思い通りにはさせん」
紫羅義たちは月秀蝉を囲んだ。
奥の部屋に走った珂鵬韓と史蘭は崇命秦国王を目覚めさせたところだった。
「国王様!」
珂鵬韓は崇命秦国王の顔を覗き込んだ。
「ん、お前は確か、黄錘波将軍の副官、珂鵬韓か?」
「そうです、国王様、正気に戻られましたか?」
「正気? わしはいったい何を?」
崇命秦は苦しそうに首を左右に振った。
「操られていたのです。月秀蝉と月秀羽の姉妹に。朱浬の都から紫羅義様が助けに来てくれたのです」
「紫羅義……紫羅義だって!」
崇命秦は目を見開いて立ち上がり、それから両手で頭を抱えた。
「わしは、わしは、あの女たち口車に乗ってなんてことをしたんだ。とんでもないことを! 軍は朱浬に向かっているのか?」
「はい、我が軍は朱浬を目指し、朝廷軍は二十万の軍勢をもって迎え撃とうとしております」
「なんてことだ。わしはなんてことを!」
崇命秦はよろけて座り込んだ。
「大丈夫ですか国王様?」
珂鵬韓は崇命秦を抱きかかえた。
「珂鵬韓よ、命令書をすぐに書く。それを持って走り、我が軍を止めてくれ。今ならまだ間に合う」
崇命秦は絞り出すような声で言った。
崇命秦はよろけながら机に向かい、進軍中止の命令書を書いた。珂鵬韓はそれを持ってそのまま城を抜け出して朱浬に向かう軍勢を追いかけて走り始めた。
珂鵬韓が走り始めた頃、月秀蝉と紫羅義たちは激しい戦いを繰りひろげていた。
「なんて女なんだ、こいつは!」
羽皇雅は拳の中に玉を握り締めて月秀蝉の動きを見ていた。
紫羅義と羽玖蓮も二人掛りで月秀蝉に斬り掛っていたが二人の剣をもってしても彼女を捉えることはできなかった。
月秀蝉は羽織っていた二枚の赤い着物を脱ぎ、それを両手で振り回して武器にしていた。
「ははは、どうしたんだ、女一人捕まえることもできないのか?」
月秀蝉の胎内にいる羅霧は紫羅義たちを嘲り笑った。そこへ、史蘭の肩に掴まった崇命秦が姿を現した。
「月秀蝉よ、もうやめろ。もう終わったんだ。わしも正気に戻った。お前には何もできないぞ!」
崇命秦は月秀蝉に向かって叫んだ。
「できるさ、この女の体があればどこへでも行ける。支配者は綺麗な女が好きだろ。また、どこかの国王を操り、軍を構成してやる。邪魔な奴はみんな消してやるさ、ここの重臣や将軍のようにな。俺の力をもってすれば、闇から闇に邪魔な奴らを消すことなど容易いことなのさ」
月秀蝉は拳を握り締めて崇命秦の方に向けた。
「そうか、みんなお前にやられたのか。宰相もお前が……」
崇命秦は口惜しそうに言葉を吐き出した。
「ふん、そうさ、俺に敵対する奴はみんな痛い目をみせてやった。どいつもこいつも相手が女だと油断しやがるのさ。この女を使って、また、何処ぞの国に入り込み、次はもっともっと大きな軍を作ってやる」
月秀蝉は叫びながら赤い着物を振り回した。




