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紫羅義  作者: 海道 睦月
120/125

その120

「ん、何故、そう思う? 申してみよ」

 崇命秦は月秀蝉の手の上に自分の手を重ねるように置いた。

「途中で兵を割って戻すよう命ずれば、軍中に不安が広がり、士気が落ちます」

 月秀蝉が言うと、反対側から妹の月秀羽が崇命秦の手の上に自分の手を重ねた。

「ん~、うんうん、確かにそうだ……兵を戻すなど……それはいかんな」

 崇命秦は頷きながら言ったが、その目は既に虚ろだった。

「大王様には最強の騎士団が付いています。黒麒騎士団は無敵です、どのような軍勢にも負けることはありません」

 月秀羽が言うと、姉の月秀蝉は楊元勲と緋汪義に向かって聞いた。

「騎士団の出撃準備はできているのですか?」

「は……」

 楊元勲が月秀蝉の顔を見ると、彼女は目を見開いて小さく頷いた。

「できているのか、出撃の準備は?」

 崇命秦が月秀蝉の言葉を追いかけるように尋ねた。

「はい、いつでも出撃できます」

 楊元勲は頭を下げながら言ったが、床を見る目は泳いでいた。

 騎士団が城の外で迎え撃ち、三千の守備兵は城内を固めることになり、楊元勲と緋汪義は崇命秦のいる部屋から出てきた。

「嫌な気配だ」

 楊元勲は目だけを左右に動かしながら渋い顔をした。

「国王様を守っているのか、誰を守っているのか? この中を警備している者を間近で見たことがあるか?」

 緋汪義は顔を歪めながら左右に振った。

「いや、遠目にしか見たことはないが、嫌な感じがした」

「奴らの目からは生気というものは感じられない。人とは思えない。あの目で今、我らをも見張っているのだろう。寒気がするようだ」

 二人は長い廊下を囁き合いながら歩いた。

「宣国は滅びるかもしれんな」

 警備兵の気配がなくなったところまで来ると、楊元勲は冷めた口調で言った。

「君もそう感じたか、俺もだ。月秀蝉様は国の行く末など考えてはいない、朝廷を我がものにしようとすることだけを考えているのような気がする」

 緋汪義は目を細め、複雑な表情で答えた。

「しかし、こちらに向かって来る五百の軍勢の目的は何だ?」

 楊元勲は腕を組んで大きく息を吐き出しながら唸るように言った。

「わからん、五百でいったい何をしようと言うのか。それに、本来は国王様を守る親衛隊がいつの間に黒麒騎士団などという軍になり変ったんだ。親衛隊を率いていたのは(かく)(げん)(しょう)将軍だったはず、その将軍はいつの間にか姿を消し、今は(れつ)()(けん)という者が軍を率いているらしい。烈史健とは誰だ? 何処から来た?」

緋汪義は楊元勲に問い掛けた。

「わからん。二人の女が来てから、国の進むべき道は寝屋の中で決められている。それを諌めていた者は全て消えた。病気になった者が二名、事故に遭った者が二名、暴漢に襲われた者が一名、未だに行方のわからぬ者が三名……その三名はおそらくもうこの世にはおらんだろう」

 楊元勲は身震いしながら歩みを止めた。

 緋汪義も足を止め、二人は顔を見合わせた。

「ここまで来たら、行くところまで行くしかない。我らは末席で誰にもまともに相手をされていなかった。それが今や臣の筆頭とも言える立場にいる。情報は真っ先に我らに入る。宣国が滅亡するのなら、そのときは、さっさと逃げ出そう。責は国王様が負ってくれる。もし、宣国が勝ち、今の朝廷に取って代わるなら、国王様は皇帝になり、我らは天下に号令できる立場になる」

 楊元勲は辺りを見回しながら緋汪義に顔を近づけて、囁くように言った。

「そうだな、我らは国王様の言葉を皆に伝えているだけだ。何の責も負う必要はない。まあ、輝く物は我らが頂こう。暗い物は国王様と二人のお妃様に引き受けてもらおう。それでどうだ?」

 緋汪義は唇を歪めながら笑った。

「そうだな、朝廷軍の目的がなんであろうと、黒麒騎士団に叩き潰されるだろう。奴らは無敵らしいからな。烈史健という将軍が何者かなど、もうどうでもいい。我らが騎士団に命令することになっているが、実際に命令を下しているのは月秀蝉様だしな。任せよう」

 楊元勲は頷きながら答え、二人は長い廊下の向こうに消えていった。

「お姉さん、直ぐに黒麒騎士団を集めるわ。戦う前に再度暗示をかけたいの。そうすれば騎士団はほんとうに無敵よ」

 月秀羽は姉である月秀蝉に言った。

「そうね。朝廷から来る五百の目的はわからないけど、城に入る前に叩き潰すのよ。国王の説得など許さない」

 寝てしまった崇命秦を残し、二人は別室で話し合っていた。

「私と惨霧の野望を阻止したのは唯国の軍勢と何人かの若者たち。残念ながら一国程度の兵力では唯の兵団には勝てない。だが、朝廷を我が手に収めたら、その全ての力をもって唯国を討伐してやる。惨霧を討った若者らも炙り出してやる。仇を討ってやる!」

 月秀蝉の顔つきが変わった。

「惨霧様は残念だったわ。でも、まさかお姉さんが彼に気に入られるとは思わなかったわ。まあ、そのお陰で私も命が助かったんだけどね」

「そうね、私の毒気が気に入ったのかもしれない。彼の牡の部分が本能的に子孫を残せと命じたんじゃないのかしら。でも、あなたも気に入られてたんじゃない、彼の能力を受け継いだ……受け継がされた?」

「ええ、軽く血を吸われたときから、なんとなく人を思い通りに動かせるようになったわ。彼が私の血を吸ったのは一度だけなのにね。なぜか人を操る能力が私の体の中に流れ込んできた」

「その能力のお陰で、ここに入りこめた。自由に操れる親衛隊も手に入った」

「お姉さん、お腹が少し出てきたかしら?」

「そうね、この子が言うのよ。蹂躙しろ、全てを手に入れろって」

 月秀蝉は下を向いて自分の腹を見た。

 そして、鋭い目つきになって顔をあげた。

「この世の王になる!」

 そう言った月秀蝉の言葉は男と女の声が重なり合った奇怪なものだった。

「お姉さん、その声は?」

 月秀羽は目を大きく見開き、姉の顔を見た。

「この子が叫ぶのよ私のお腹の中から。この子はもう自分が何者か知ってる。私と惨霧の子、()()

 月秀蝉は自分の下腹を擦った。

「そうだったの、既に自我が。さすが、惨霧様の子ね」

 月秀羽は姉の腹を見つめながら言った。

「黒麒騎士団に再度暗示を掛けるわ。暗示を強くかければ、命を投げ打って敵を倒す最強の兵になる。国王様が寝ている間に朝廷の軍を叩き潰してやりましょう」

 月秀羽が言うと、月秀蝉はとても人とは思えないような表情で笑いながら頷いた。

 その日の昼過ぎ、城内に潜入していた理灯斗たち十名の那岐の者は、城門前に集結した黒い騎馬隊を隠れながら覗き見ていた。

「あれが、話にあった黒麒騎士団か。門の中に集結して、朝廷軍が現われたら、あそこから一斉に撃って出る気なのか。我らが動かなくても門は開きそうだが、このことを朝廷軍に知らせなければ不意打ちを喰らうことになるな」

 理灯斗がそう言ったとき門が開き始めた。

「あれは?」

 理灯斗も他の者も唖然として開かれた門から騎馬隊が出ていくのを見ていた。

「どうやら外で相対する考えのようですね。話し合うつもりなのか、戦うつもりなのかはわかりませんが」

 部下の言葉に理灯斗は無言で頷いた。

「どうしますか?」

「このまま暫く様子をみるしかないな」

 部下の問い掛けに理灯斗は瞬きもせずに騎士団を見ながら答えた。

 城門の外に黒麒騎士団が整然と並んだとき、彼方から紫羅義たちの朝廷軍が姿を現した。

 黒麒騎士団は烈史健を中央に置き、感情のない目で朝廷軍を見つめていた。

「覚悟を決めた方がいい!」

 神澪が後方を見回しながら叫んだ。

「そのようだな、奴らから放たれている気は尋常なものではない。このまま進めば、話し合いもなにもなく突っ込んでくるだろう」

 馬元譚は険しい顔で前方を睨んだ。

 馬元譚の視線を感じたかのように烈史健は目を見開き、叫びながら剣を抜いた。


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